第28話 デジタルタトゥーに抗いたい!
二人が眠りについた夜、ネットの片隅で小さな噂が立った。
活動休止していたアイドルが活動再開を報告した、というものだ。
地下アイドルをメインに扱うブログサイト『アイドルノート』のニュース記事で、玲が放送で語った「流星に撃たれた」という報告を、面白おかしく扱ったものが原因だ。
タイトルはずばり「流星に撃たれたアイドル」。
そして、「奇跡的に助かった愛川玲の所属するアンジュバール、活動再開!」という見出しがついた。
動画で伝えた内容をほぼそのまま引用した形だが、記事の中では「怪我をしたのにも関わらず、愛川玲の歌と踊りは過去のライブよりも洗練されているように感じた。オススメ!」と印象の良い内容となっている。
ここは数多くの地下アイドルに関して、他では紹介されていないような貴重な情報を更新しているブログメディアだ。
それだけに推し活動に真剣な地下アイドルオタクにとっては、毎日かかさずにチェックが入るサイトになっていた。
翌日には、玲の復活とグループの活動再開を多くの人が知ることになるだろう。
深夜になり、サイトの更新を楽しみに訪れたオタクたちが、それぞれのコミニュティでアンジュバールの話題を口にする。
SNSで『アンジュバール通信』の動画が拡散され、それを見た別のファンがまた拡散してニュースを伝えていく。
パソコンの画面のみが証明となった薄暗い部屋の中で、ニュースを見た少女が怒りに満ちた声で小さく叫んだ。
「はあ?ふざけんなし! あたしだったら怪我くらいでファンを待たせたりしない!」
椅子に座った全身を激しく揺らして、拳を固めテーブルをなんども叩いた。
自分の手の痛みよりも、玲が復活したことが気になるようだった。
飲みほしたペットボトルを掴み、壁に叩きつける。
「はあ、はあ……」
手近にあったモノをそこかしこにぶつけてようやく気持ちが収まったらしい。
肩を上下させながら、荒い息を吐いた。
「なんで――、なん、で……なんで、愛川玲なの、どうしてあたしじゃないの、玲なんて可愛くもなんともないじゃない、ただの女の子じゃない! あたしの方が踊りだって歌だって、外見だって!」
優れているのに……、と最後は肩を落として嘆くように叫んだ。
「同情引いて人気取りするアイドルなんて、おかしいわよ! そんなのアイドルじゃない! ただの自己満足じゃない! 本当にファンを大切にするなら、もっと誠実に向き合うべきでしょ!」
少女の切れ長な目がなにかを決意したかのように、怪しい色を帯びる。
「そっか、そうだよね。そうだよ、誠実になれない汚れたアイドルなら……もっと汚してあげればいいんだよ。あたしが見せてあげる。みんなに報告してあげる。あなたたちがアンジュバールにふさわしくない汚れモノだって!」
少女はアンジュバール通信の動画や、過去にさまざまなサイトで配信された動画や画像を集めて、画像ソフトを立ち上げる。
さらに、口では言えないような過剰に露出した女性の画像などをたくさんダウンロードし、画像ソフトを使って玲や沙也加の首から下を猥褻な画像に変換し、偽のアカウントを使ってSNSに大量にアップし始めた。
「みんなが気づかないなら、わたしが目を覚まさせてあげる! アンジュバールはもっと本当に――本当に穢れのないアイドルだけが入れるグループなんだってことを!」
加工された玲たちの画像は、活動再開報告のニュースの拡散速度よりも早く、ネットの海を駆け抜けていった。
翌朝、玄関のチャイムが鳴りインターホンの画面に見知った顔が映る。
「仁菜だ」
昨日、エヴォル騒動から助け出した相手、仁菜だった。
「おはよう、玲ちゃん、沙也加」
玄関を開けて迎えた仁菜は昨日と同じ制服姿で手に紙袋を下げていた。
「これ。昨日のお礼に」
「お礼?」
「事務所まで送ってくれたお礼! お菓子焼いたんだ。玲ちゃんに食べてもらいたくて」
仁菜は紙袋から手製のお菓子が入った包みと取り出して、玲に手渡した。
「……仁菜、こんなに気を遣わなくていいのに。当たり前のことしただけだよ?」
「その――当たり前が嬉しかった、の。ありがとう、玲ちゃん、沙也加。うけとってくれる?」
「もちろん、もらいます」
答えると、仁菜がいきなり玲の両手を掴んだ。
「に、仁菜?」
「玲ちゃん……大変だと思うけど、頑張ってね。わたしができることなんて、これくらいだけど……」
「ちょっと待って、何? どういうこと? 玲はもう大変な時期を抜けたんだよ、仁菜」
と沙也加が問うと、仁菜は俯いて悔しそうな顔をした。
スマホを取り出し、玲と沙也加に画面を見せてくる。
画面に映っていたのは、玲と沙也加のいかがわしい写真の数々だ。ライブや配信動画などから切り取った画像加工して、いやらしい写真を合成したものだった。
「うえええっ! 何これ、最悪だよ!」
「うわっ‥‥‥沙也加が裸になってる……」
「ちょっ、ちがっ、玲! 違う、ボクはこんなことしてないよ!」
「私だってしてないわよ!」
「ねえ、待って二人とも! ……やっぱり、これってコラ画像だよね。悪戯が過ぎるよ」
「これ。拡散回数が既に二百を超えているよ? もうボクたちの手に負える規模じゃないっかもしれない……」
「どうして!」
「へ?」
と、いやに冷静な沙也加の態度に業を煮やしたのか、仁菜はくってかかった。
「どうして慌てないの? こんなにひどいことされたのに、なんで怒らないの!?
沙也加だけならいいけど、玲ちゃんまで異性の目にさらされているんだよ? 知らない人がこれを見たら――」
「……そうだけどさ。事務所と警察、SNSの運営、あとは弁護士? ボクたちが個人的にこれは誤解で、偽物画像です! とか叫んでも、世間は面白がるだけだよ」
「だって悔しくないの、腹立たないの、こんなことした奴を殺してやりたいって思わないの!?」
「仁菜、それはちょっと……私と沙也加なら大丈夫だから。驚いたけど――でも、仁菜が怒ってくれてるのは嬉しいよ。ありがとうね、仁菜」
「玲ちゃん……ううん、いいの。わたしこそ、ごめんなさい。なんかすっごく悔しくて何もできないのが苛立つの――アンジュバールが好きだから……」
「え、仁菜って?」
「そう、玲の推しなんだよ、仁菜のやつ」
「沙也加ぁ、ばかあ、ばらすなあ!」
仁菜は自分が密やかに応援してきた推しの前で好きなことをバラされて、恥ずかしがっていた。
玲はまだ会って二日目の仁菜が、自分のことをこれほど心配してくれていることに、ありがたいと感じた。
友人として、同じアイドルとして悲しんでくれているのだと素直に受け止める。
「ごめんよ、仁菜。ボクだって怒ってるんだ。でも、こういうときって感情をそのまま出せないって言うか……」
「いいよ、沙也加は昔からそうだもんね。不器用なバカ」
「あ、仁菜、ひっどー。被害者に向かって追い打ちか?」
「別に? 沙也加は平気なんでしょ。わたしは玲ちゃんの味方だから」
「まあまあ、それくらいにして、ね、沙也加? ね、仁菜? 事務所に報告して決まったらまた話すから」
玲は言い合いを始めた二人を引き離した。
まだ自分の手を握っている仁菜の手を握り返し、ありがとうと再度、告げる。
仁菜は納得したのか、照れた顔をして手を離すと「もう学校行かないと」と言い、去って行った。
その後ろ姿がエレベーターに消えていくまで見送ってから、玲は「困ったわね」とぼそりと呟く。
「オルスでもしこんなことあっても、情報戦で負ける気がしないんだけど」と、沙也加はどこか慣れた顔つきで両手を頭の後ろで組んだ。
「パソコンで情報戦やる人ってなんていうの、沙也加」
「なんだっけ、ハッカー? クラッカー? どっちにしても、ここは地球だもん、勝手が違う。なにもできないよ」
「秋帆がいてくれたらまだ勝ち目あるんだけど」
「秋帆は情報戦のプロだからね。だけど連絡が取れないよ」
アンジュバールのメンバー、家窓秋帆のなかに転移したスカッドの隊員は、オルスで特殊な訓練を受けた情報作戦士官だ。
その手腕には定評があり、犯罪組織との電子戦においてたくさんの戦功を勝ち取ってきた。
しかし、肝心なときに欲しい人がいない。室内に戻った二人がこれからどうしようかと頭を悩ませる。
沙也加はとりあえず合成画像をばら撒いているSNSのアカウントや、どれだけ画像が拡散されているのか被害の規模を確認しようということになり、パソコンを立ち上げて検索をかけてみる。
画像検索もかけてみると、既にいくつかの個人ブログにも掲載されていたりと、数件がヒットした。
中身はほぼSNS系の投稿が多く、そのすべてを把握するだけでも数日はかかりそうだ。
複数のウィンドウをまとめて画面に表示してみる。すると、玲は奇妙な声をあげた。
「あれぇ? 画像が……ないよ、沙也加」
「そんなはずないよ、仁菜が教えてくれたアカウントはどうなの?」
「なんだっけこれ――そうそう、凍結! アカウントが停止してるよ」
「ええ、どういうこと? 規約違反してるって通報が集中しても、こんなに早く凍結されるものなのかな?」
「よく分からないけれど、いままで開いていたウィンドウには画像があるけど、いま画像検索したらなにも出てこないよ」
「おかしいな……画面を更新してみて」
言われる通り、玲がウィンドウを更新すると、それまで表示されていた沙也加のいやらしい水着姿の画像が消えていた。
「……は? どういうこと? でも、個人がダウンロードした画像は残ってるはずだし――アンジュバールにデジタルタトゥーがついちゃった、はあ」
「なにそれ? これ、どうするの?」
「一度、ネットに上がった画像は、二度と消えないでどこかに残ってるってこと。また誰かが面白がって投稿するんじゃないかな。まとめサイトとか載るかもだし」
「まとめ……さいと?」
「そう。いろんなニュースとか議題をひとつのサイトにまとめちゃう人たちがいるの。あ、もう行かないと。マネージャーにはボクが話しておくよ」
「うん、行ってらっしゃい! 気をつけてね」
時計を確認し、慌てて駆けだして行く背を見届けると、玲は仁菜からもらったお菓子に合うのは紅茶かな、とぼんやり考える。
とりあえず、暖かいものを飲んで落ち着こう。そして、自分でもできる対策を考えよう、と思った。
「私と沙也加が仁菜と別れてネットを確認するまで五分も経ってない。画像を誰が消したんだろう」
とスカッド隊員の顔に戻り、険しい顔つきをするのだった。




