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第16話 沙也加のモーニングプレート

「恋水さん、そうじゃないでしょ!」


 英国風本格喫茶ヴィクトリアズチャームの朝食の席は賑やかだ。

 バイトにはいって間もない沙也加は、今朝も今朝とて正社員の緑川マリアにしごかれていた。

 麻色の髪が魅力的なフランス人とのハーフ。葛飾区生まれで江戸気質が強く、男勝りで押し出しが強い。


 今朝のミスは、お客様に依頼されたコーヒーのおかわりを用意することだった。

 右手に熱々のコーヒーをなみなみとたたえたポットを持ち、左手でお客のコーヒーカップを受け皿ごと受け取って中身を注ぐだけの簡単なお仕事。

 しかし、器用な沙也加はひとまわりどころかふたまわりも空振りして、危うくお客の膝上に熱々のコーヒーを零しそうになった。


 先輩社員が隣について指導してくれるのはありがたいが、緊張しすぎて沙也加はミスを連発してしまうのだ。

 コーヒーと頼まれたら紅茶をもっていくし、ミルクを頼まれたらカフェミルクではなく本物の牛乳を持っていこうとするし、ラズベリーパイを注文されたらアップルパイをもっていってしまう。

 まるでわざとやっているかのような沙也加の連続ミスに、優雅なメイド衣装をきた緑川はすさまじい形相で迫っていた。


「すみません、緑川さん! 次こそ間違えないようにやります!」

「本当にしっかりしてよ、恋水さん! ちょっと前まではこんなミスなかったじゃない」

「はい……すいません、緑川さん」


 緑川にすごまれ、さらに呆れられて沙也加はやりきれない。


(くそー、記憶の共有だけじゃ全部うまくいかないじゃん! オルスの技術者たちのバカ!)


「なにかおっしゃいましたかしら?」

「いえ、えへへ、なんでもないです」

「ちゃんとやりなさい」

「はい!」


 はあ、と緑川は落胆して肩を落としてしまう。本当にこの子を雇い続けて大丈夫なのかしら、といった感じだ。

 アニーが憑依した沙也加は、一月前からこのメイド喫茶で働いていた。

 覚えが良く、緑川の指導からはなれ独り立ちしようとしていたところに、アニーが憑依してしまったのだ。


 そのせいで、記憶にはあるものの、実際にやってみたらうまく馴染めずに、ミスばかりを繰り返すようになってしまった。

 二週間の間、眠っていた玲の看病をしていたせいもあるかもしれない。

 しかし、オルスでは特殊部隊にまで上りつめた自分の技量がまるっきり通じない世界があるとは、思いもしなかった。


 沙也加はどうにかしてクビ回避をするべく、どんな嫌味を言われても耐え抜く決意をして頑張っている。

 そんな沙也加に親し気に声を掛けてくる常連客がいた。


 さきほど、沙也加のミスでコーヒーを膝上に零されそうになった神大俊太郎だった。俊太郎はいつも髪をオールバックにして眠そうな顔をしている。ヴィクトリアズチャームの朝食を食べにくる常連客だ。


 二十代にも三十代にも見える容貌で、若いのかと年いっているのかよくわからない。毎晩、夜遅くまで『研究』をしているそうで、普段から二日間完徹したと他の客に自慢している変わり者だった。


 沙也加はそんな生き方をしていたら早く死にそうだなーと思いながら、俊太郎の自慢話をいつも聞いている。

 ついでに彼はある意味で用心しなくてはいけない存在だった。


「ははは、沙也加ちゃんはしょうがないなあ。最近、毎朝の恒例だよね?」

「そんな、神大さん酷いですよ! ボクはちゃんとやってるのに、カップが勝手に」


 毎朝恒例という痛いところをつかれて、沙也加はつい涙目になってしまう。

 だが、厳しい教育係の緑川は、甘えを許さなかった。


「カップがなんですって、そんなことだから恋水さん、あなたという人は」

「ああああ、すいません、すいません。カップじゃないです、ボクのティーポットを使う右手が悪いんです!」


 と、沙也加はポットを握る右手を掲げて見せる。これなら叱られないんじゃない? と考えたのは甘かった。

 緑川はその手をがっしりと掴んできて、片手に食事用のナイフを構えながら言うのだ。


「……ならその右手、切り落としてあげようかしら?」

「ひいいいっ。嘘です、嘘! ボク、もっと誠心誠意やりますから! いまのは悪い冗談」

「冗談を言っていいときと悪いときがあるんですよ、恋水さん。覚えておきなさい」

「はいっ‥‥‥」


 ナイフを喉元近くに沿えられて、沙也加は本当に泣きそうになった。

 自分はスカッドの隊員、特別な訓練を受けてきたのに――こんな一般人の攻撃を避けられないなんて……! とアンジュバールとしてのプライドは散々だ。


「うううっ、こんな目に遭うなんて屈辱……」

「屈辱もなにも、おまえがミスするのが悪いんじゃないのか?」

「そうだけど! そうですけどね、神大さん! 毎朝、優雅なモーニングを食べにこれる遊び人みたいな神大さんと違って、ボクは必死なんです!」

「誰が遊び人……?」

「ボクには、玲っていう養わないといけない存在がいて、ここを辞めたら路頭に迷うしかないんです」

「お、おう……そうか。ならもっとまじめに働けよな」

「うう、神大さんまでそんなこといってボクを責めるんだ」

「いや、責めてないから。励ましてるぞ。ほら、お呼びだ」


 と、慰めなら神大俊太郎が指さすと、そこにはモーニングプレートを両手に抱えた緑川の姿が。

 ほかにも数人いるメイドたちも満席に近い客席のサービスでてんやわんやだ。

 少なくとも、このモーニングの時間帯だけは『優雅』という一言とは無縁だよなあ、と沙也加は感じながら、キッチンから出てくる料理の配膳口に向かった。


「これとこれは一番、これは三番、それから戻ってくるときに、四番のプレートを下げて紅茶のお代わりをお伺いして」

「はっ、はい。頑張ります」


 緑川の目が沙也加のミスを一瞬でも見逃さないように見張っている。

 あーもう、玲! 早くここにきてボクを助けて!

 沙也加は心で叫んで、慣れない数枚のプレートを両手に持ち、配膳を始めた。


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