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 第四章 勝ってカブトの緒をしめよ

 その明日も朝から快晴であった。豪雨あけはたいてい十日間の快晴が来る。しばらくは雨が降らないのが例年の天候である。

 ワインバッハ軍が三万人の兵を草原に展開させた。

 イズラシア軍は二万五千人である。

 戦闘開始のドラが鳴るのと同時に両軍が飛び出した。

 ワインバッハ軍は四頭の馬が先頭を切る。その四頭のあとに騎馬隊がつづく。騎馬隊のうしろが歩兵であった。

 きのうと同じ戦法に見えた。

 いまは四虎となった将軍たちが迫る。イズラシア軍はきのうと同じように左右に身をかわす。

 四虎将軍はきのうほど速度をあげてなかった。馬の足をゆるめて身をかわした兵たちに踊りこむ。

 一方的な殺戮がはじまった。

 アーサーは四虎将軍の最後尾にいたヤクビースト将軍にオルドットとエドガーとラインレントをさし向けた。ヤクビースト将軍は初老の男で槍の名手だと捕虜が説明していた。

 オルドットが将軍の馬に矢をはなった。将軍が槍で矢をはらい落とした。

 ラインレントが槍をにぎりしめて馬を突進させた。将軍が槍を正対させてラインレントの槍をそらせた。

 エドガーが将軍に追いすがって斬りかかる。将軍が槍を突き出す。エドガーは華麗によけることができずに馬から転げ落ちた。やはり二日酔いらしい。

 アーサーが馬上で身を乗り出した。 

「ぼくがエドガーの代わりに!」

 わがはいはアーサーの耳にかみついた。 

「やめておけ。そなたでは一突きで殺されるのが関の山じゃ。ヤクビースト将軍はラインレントより腕が上じゃぞ。それよりエドガーを拾ってやれ。馬だけ走り去ってエドガーは戦場に取り残されておる。あのままだと斬り殺される」

「わかった」

 アーサーが乱戦をかきわけてエドガーの元に馬を走らせた。エドガーを自分のうしろに乗せる。

「すまねえアーサー。あんなに酒をつつしめと釘を刺されてたのによ」

「すぎたことはしょうがないよ。次からはほどほどにね。二日酔いだとぼくにすら負けるんだからさ」

「まったくだ。めんぼくねえ」

 わがはいは戦場を見回した。四虎将軍のうちヤクビースト将軍をオルドットとラインレントが足どめしておった。三虎将軍になったせいか虐殺の速度がおとろえておった。三虎将軍にいどむわがほうの騎馬隊の練度があがったのもあるであろう。なにより歩兵に将軍が来たら逃げろと徹底して吹きこんだのが効いたのかもしれぬ。

 逃げる兵を斬るのはたやすい。だが追いかけて斬らねばならぬ。むかって来る兵を次々に斬るより時間がかかる。三虎将軍は逃げまどう兵たちをいちいち追いすがって斬っておった。初戦よりは兵の損失がすくなそうであった。

 ヤクビースト将軍に目をもどすとヤクビースト将軍は馬をとめておった。ラインレントが槍で将軍と対戦しておる。オルドットはすこし距離をおいて矢を断続的に射ておった。その三人を歩兵たちが取りかこんで人垣を作っておる。

 ヤクビースト将軍とオルドットとラインレントの馬はそのあいだ足踏みをしている。将軍の馬とラインレントの馬は主人が戦闘中だとわかるのか接近すると馬同士がかみつき合いをした。

 馬上のラインレントが槍を突き出す。やはり馬上の将軍が槍ではらってその動作の延長で槍を突く。ラインレントが自身の槍で将軍の槍の軌道を変える。かろうじて将軍の槍が胴の横を通過する。

 そのふたりのすきを狙って馬上のオルドットが矢をはなつ。将軍の槍がオルドットの矢をはじき飛ばす。

 将軍が槍をくり出す。ラインレントが将軍の槍に槍をぶつけて将軍の槍を跳ねあげる。

 オルドットが矢を飛ばす。将軍が頭をかがめて矢をよける。

 ラインレントが槍を突き出す。将軍がラインレントの槍をかいくぐって槍をのばす。ラインレントは眼前に槍の穂先が来たので首を右にかしげてよける。

 オルドットが再度将軍の馬のひたいを狙って弓づるをはじく。将軍が飛来した矢を槍で簡単に打ち落とす。

 わがはいは戦況を見て取った。猫語でつぶやく。アーサーのうしろに乗るエドガーにはニャアニャアとしか聞こえぬであろう。

「ふむ。オルドットとラインレントのふたりでは将軍を討ち取れぬな。さてどうすべきか?」

 アーサーが流し目でわがはいを見た。物心のついたアーサーといて猫語を口にするのははじめてかもしれぬ。だがエドガーにわがはいがしゃべるのを聞かせるわけにはいかぬ。

 ラインレントの息があがって来た。将軍も肩で息をしはじめた。オルドットも射つかれたのか矢をつがえる速さが落ちて来た。

 三人とも決め手を欠いていた。

 そこに双方の撤退のドラが鳴らされた。人間が手で剣や槍をくり出すのである。しばらくすれば疲れる。しかも殺し合いだ。必死で剣や槍をふるう。日常生活ではありえない疲れが襲う。馬も疲れる。

 貴族や将軍が疲れで殺されぬうちに引かせるのが鉄則であった。いくら四虎将軍が達人であろうが人間である。体力には限界がある。そこを見きわめて撤退の合図を出すのが本営の仕事であった。

 双方が疲れに疲れ切って互いに追撃する余力がなかったらしい。あっさりと北と南に両軍が引いた。

 わがはいが見たところ痛みわけであった。五分と五分であろう。どちらも勝ったという実感が持てていないはずである。負けたとも思っていないし勝ったとも思っていない。引きわけであろう。こういう白黒のはっきりせぬときはふだん以上に疲れるものだ。

 シルフィーナに送る手紙の文言が単調になった。心配させぬような表現が見あたらない。戦況を正直に書くわけにもいかず重荷になって来た。死臭のただよう戦場で婦女子を安心させる文をねるのはむずかしい。

 その夜の作戦会議はみながなんとも言えぬ表情であった。 

 執事が本日の数字を読みあげた。

「三戦目は引きわけだと思われます。ワインバッハ軍の死者は推定で五千人です。対してわがほうの死者も五千人。伯爵がひとり死にました」

 ロードシア公爵が眉間にしわをよせた。

「どう見るべきなんだ? 善戦したと見るのか五千人も死なせた失策と見るべきか?」

 ボルトン侯爵が立った。

「戦争慣れしておるワインバッハ軍と互角なら勝ったも同然だ! そこのこわっぱの手を借りずともわがイズラシア軍は立派にワインバッハ軍と戦える! わが軍は成長しておるのだ! あしたはわが軍がうわまわるに決まっておるわ! ワッハッハッ!」

 アーサーが手柄を立てなかったので上機嫌らしい。

 ネルーダ侯爵が目をほそめた。

「そううまく運ぶかねえ? 二万対二万五千で劣勢なんだがねえ」

 勝った実感がない。かと言って負けた実感もない。あしたの戦いにどういう指示を出せばいいのか誰もがわからないというところであった。

 マクミラン侯爵が考え考え口にした。

「負けて勝ってその次が引きわけだ。順番から行くとあしたは負けだぞ? 負けるという前提で作戦を立てるべきじゃないか?」

 ソーサイス侯爵が自身の肖像画の下絵をながめた。

「それは悲観的すぎる。ボルトン卿が言うとおりわが軍が成長しているのはまちがいない。あしたは勝てるよきっと」

 コロンビータ公爵がいぶかしげな表情を見せた。

「それ根拠はあるのかソーサイス卿?」

「いや。ないね。しかしわが軍も経験をつんだ。相手の戦法も理解した。初戦のような大敗にはならんだろうさ」

「そうだといいがな」

 ロードシア公爵がアーサーに顔を向けた。

「アーサー卿。きみになにか考えがないか?」

 アーサーが思案した。

「四虎将軍はまとまって突進するから脅威だと思うんです。四人をそれぞれ分断すればわが軍の騎馬隊でも相手ができるんじゃないでしょうか? 歩兵はまるでかないませんけど」

 ボルトン侯爵が怒髪天をついた。 

「きさま! きさまはつくづくわが軍をバカにしておるな! わしが手打ちにしてくれるわ! そこになおれ!」

 剣を抜いたボルトン侯爵の手を右にいたマクミラン侯爵が押さえた。左にいたネルーダ侯爵がボルトン侯爵をうしろから羽がいじめにした。

 ロードシア公爵がボルトン侯爵の剣を取りあげた。

「仲間われはよしてくれ。コロンビータ公爵。四虎将軍を分断するのは可能だろうか?」

 コロンビータ公爵がうなずいた。

「歩兵たちに犠牲が出るが可能だろう。きょう歩兵が左右にわかれたのをそれぞれの将軍が追いかけて斬り捨てた。突進して来たときより速度は落ちてた。歩兵を斬るために追いかけたところを騎馬隊で取りかこめば四人ぞれぞれを孤立させられるんじゃないか?」

「ふむ。ではあしたはそれで行くか」

 会議が終了した。わがはいとアーサーはボルトン侯爵をさけて外に出た。刺激するとなにをしでかすやらわからないからである。

 デルバイン軍の天幕にもどるとラインレントとエドガーがわがはいたちを待っておった。

「どうしたの? ラインレント? エドガー?」

 ラインレントが槍の尻で地面をドンと突いた。

「アーサー卿。俺にヤクビースト将軍と再戦させていただきたい。同じ槍つかいとしてこのままでは眠れぬ」

 エドガーもドンと足を踏み鳴らした。 

「それは俺も同感だ。あの野郎に本来の俺を見せなきゃ俺がふぬけだと思われたままになる」

「二日酔いで負けましたなんて言いわけにしかならないものね」

「それを言うなよアーサー。今夜は酒を口にしねえからさ」

 あしたはまた酒を飲むのか? そうわがはいは首をかしげた。

 四日目の朝が来た。相かわらず空には雲ひとつない。

 ワインバッハ軍が二万五千人の兵を集結させた。

 イズラシア軍は二万であった。

 戦闘開始のドラが鳴った。

 ワインバッハ軍は四虎将軍の馬が先頭を切る。その四頭のあとが騎馬隊で騎馬隊のうしろから歩兵が押しよせる。

 そこまではきのうと同じであった。

 四虎将軍の突進にイズラシア軍は左右に道をあけた。四虎将軍がそれぞれに歩兵を追う。

 四虎将軍の進むところに血煙があがる。四虎将軍めがけてイズラシア軍の騎馬隊が走る。

 ワインバッハ軍の騎馬隊とイズラシア軍の騎馬隊が入りみだれる。

 オルドットとエドガーとラインレントがヤクビースト将軍を追った。

「待てヤクビースト! 俺と勝負しろ!」

 ラインレントの声にヤクビースト将軍が馬の足をとめた。

「これはおもしろい。わしと勝負しようというのか? おぬしはきのう負けたであろうが? きょうは勝てると言うのか?」

「負けてはおらぬ! 勝負をあずけただけだ!」

「苦しい言いわけじゃのう。ふたりがかりで勝てなんだら負けと同じではないか」

 ラインレントがだまりこむ。そのとおりだと知っている。ふたりがかりでいどむこと自体が卑怯だ。しかしひとりではとうてい勝てぬ相手であった。

 ラインレントの苦悩を断ち切るように馬上のオルドットが矢をはなった。一直線にヤクビースト将軍の目に飛ぶ。将軍が右手で矢をつかみとめた。

 矢を投げすてた将軍に馬を寄せたエドガーが斬りかかる。 

「おれもいるぜ! きのうは世話になったな! きょうの俺はひと味ちがうから覚悟しやがれ!」 

「ふふふ。わしのひと突きで馬から転げ落ちた小僧が生意気な。また馬から突き落としてくれるわ」

 ヤクビースト将軍が槍を突き出した。槍と剣では長さがちがう。剣の到達距離はみじかい。エドガーが不利であった。エドガーが槍をかわしながら剣を打ちふるった。だが届かなかった。ヤクビースト将軍にかすりもしない。

「槍には槍だろ! くたばれヤクビースト!」

 ラインレントが馬をあやつりながら槍をくり出す。

「身のほど知らずが! そのていどの槍でわしにかなうと思っておるのか! あわれな!」

 将軍が軽々とラインレントの槍を跳ねあげた。

 オルドットが狙いすませて将軍の目に矢を飛ばす。

「またそれか! お前も芸がないぞ! そんなヒョロヒョロ矢があたるか!」

 将軍が槍を回転させて矢を撃退した。

「むかつくジーサンだな。年寄りの冷や水は身体に悪いぞ」

 エドガーが将軍の背後から斬りつけた。

「小僧に斬られるほどわしはもうろくしておらん!」

 将軍が回転させた槍をわきの下からうしろにのばした。エドガーの剣が届く前に将軍の槍の穂先がエドガーの目の前に来た。エドガーがハッと顔をかわす。

 ラインレントが馬を走らせてその勢いで槍を突き出す。

「覚悟しろ! ヤクビースト!」

「ふむ。ちょっとは頭を使っておるな。だがまだまだわしにはおよばん」

 将軍が馬の腹を蹴って馬を進ませる。将軍の位置がラインレントの槍の進路からずれた。ラインレントの馬が将軍の馬の尻を通過してエドガーの馬に突っこむ。エドガーが馬をあやつってかろうじてよけた。

「あっぶねえ! こらラインレント! 気をつけろ! あやうく同士討ちになるところだぜ!」

「すまんエドガー」

 エドガーとラインレントが馬を立て直す間にオルドットがまた将軍を狙った。

「しつこいのう。矢の無駄じゃとわからんのか」

 将軍が槍の柄で矢を受けた。矢が槍の柄に突き刺さった。将軍が左手で矢を引っこ抜いて捨てる。

 体勢をととのえたエドガーとラインレントが左右から将軍をはさみ討ちにするべく馬を走らせた。

「むっ! むんっ!」

 ふたり同時の攻撃にさすがの将軍も口をつぐんだ。ラインレントを正面に置いてラインレントのくり出す槍を跳ねあげた。その動作のまま槍の尻をわきの下からうしろに突き出してエドガーの胸を突いた。エドガーが馬から転げ落ちる。

「騎士の風上にもおけぬしれ者め! お前も馬から落ちるがよい! はっ!」

 同時に攻撃されて頭に来たのか将軍がラインレントの馬の首を刺した。血が噴き出て馬がドウッと横倒しになった。ラインレントが投げ出される。

 将軍が投げ出されて地面に尻もちをついているラインレントに連続して馬上から突きをはなつ。ラインレントが必死で槍を合わせて胸を突かれるのをさける。だが形勢はきわめて不利であった。ラインレントは立ちあがるひますらない。

 オルドットが矢を射る。将軍はよけなかった。オルドットの矢が将軍の頬をかすめて切り傷を作った。

 徒歩になったエドガーが背後から斬りかかる。馬のうしろ足がエドガーに蹴り出された。手で馬の足からわが身をかばったエドガーの剣が跳ね飛ばされる。

 将軍がラインレントにどとうの突きをくり出すべく槍をにぎる手に力をこめた。

「とどめじゃ!」

 将軍は頭に血がのぼってラインレントしか見てない。

 オルドットは将軍が矢をよけなかったのでいけると感じた。オルドットが狙いさだめて矢をはなつ。矢は一直線に将軍の馬の右目に突き立った。

「ヒヒーンッ!」

 馬が棒立ちになった。ラインレントにとどめの一撃をくり出そうとしていたヤクビースト将軍が馬からふり落とされる。

 オルドットはあえて将軍を狙わなかった。将軍は歴戦の勇士だ。自分に矢が飛んで来たら無意識に反応する。だが馬に来た矢は意識してないとはらい落とせない。

 ラインレントは一命をひろった。槍を杖にやっと立った。

 そこにふり落とされた将軍が槍をくり出して来た。ラインレントが槍で応戦する。

 突く。かわす。突く。かわす。突く。かわす。突く。かわす。突く。かわす。

 将軍が攻めてラインレントが受ける。戦いは一方的であった。

 ふたりが戦っているあいだにエドガーが剣をひろった。エドガーは剣を手に将軍が攻め疲れるのを待った。ヤクビースト将軍は初老の男だ。槍の達人ではあるが若くはない。体力が長時間はもたないはずであった。

 槍を突き出すヤクビースト将軍の足がよろけた。

「いまだ!」

 エドガーが将軍の背中から斬りかかる。

「あまいわ! 小僧!」

 ヤクビースト将軍がわきの下から槍の尻をエドガーにのばした。

 そこにオルドットの矢が飛来した。将軍の一瞬の虚を突いて矢が将軍の左目を射た。

「うぐっ!」

 エドガーが槍の尻をかわして将軍の肩に刃を食いこませた。木のヨロイをわって肉を剣が裂く。血がドプッと流れた。

 将軍の槍がラインレントの右腕をかすめた。血がタラリと地面に落ちた。

 将軍の槍の穂先がラインレントの胸からそれたのははじめてであった。

 ラインレントはそのすきをのがさなかった。将軍の胸に力のかぎり槍を突きこんだ。木のヨロイを突きこわして槍が将軍の胸をつらぬいた。

「ぐおおっ!」

 将軍がラインレントの槍を胸に立てたままうしろ向きに倒れた。木のヨロイのこわれた部分から血があふれた。

 将軍の指が空をつかんだ。力が一瞬で抜けて腕が地面にバタンと落ちた。胸の上下がとまった。足がひくひくとけいれんした。

 けいれんがとまるとせつなの静寂ののち周囲にいた歩兵たちがオーッとおたけびをあげた。

「五虎将軍のひとりヤクビースト将軍をラインレントが討ち果たしたぞぉ!」

 わがはいはアーサーの肩から戦場を見わたした。ヤクビースト将軍を討ち取ったとの声がヒナタ草原を包みこんだ。

 戦況が一気にイズラシア軍にかたむいた。三虎将軍になった将軍たちも疲れが出たのであろう。精彩が欠けておる。

 イズラシア軍が一斉にワインバッハ軍を追いはじめた。ワインバッハ軍が北の陣地へと背中を向ける。

 背中を向けた敵ほど倒しやすいものはない。イズラシア軍がワインバッハ軍に襲いかかる。

 かさにかかった軍隊は限界を超える。疲れを忘れてワインバッハ軍をほふって行く。

 ワインバッハ軍の先頭が北の丘を駆けのぼる。陣地に着いた兵たちが丘の上から矢の雨を降らせる。

「引けっ! 引けっ! 引くんだっ!」

 イズラシア軍の先頭集団を指揮していたマクミラン侯爵が声をかぎりに叫んだ。

 しかし歩兵も騎馬も引かなかった。矢の雨の中で木の盾をかざして丘を駆けあがった。矢に倒れる兵が次々に出た。それでも兵も騎馬も丘の上をめざす。

 ついに丘の上に達した。ワインバッハ軍の陣地にイズラシア軍がなだれこむ。もはや矢をはなつよゆうはなかった。大乱戦になった。

 ワインバッハ軍の歩兵の背中にイズラシア軍の歩兵の背中がくっつくほどの混戦であった。

 わがはいとアーサーの乗る馬が丘の上に足をつけたときにはほぼ決着がついておった。ワインバッハ軍とイズラシア軍の歩兵の死体が重なるように丘を埋めておる。

 わがはいは北に目を向けた。北へとのびる街道を三虎将軍になった将軍たちが去るうしろ姿が見えた。将軍たちは馬を歩かせて行軍しておった。走ってはいない。

 丘の上で足をとめて死体を見おろしていた騎馬隊が三虎将軍を追うため馬の腹を蹴った。いまなら三虎将軍をまとめて討ち取れるとだ。

 アーサーがその騎馬隊に叫んだ。

「とまれ! とまるんだ!」

 しかしそこに背後から声が飛んで来た。

「とまってる場合か! 逃げられるぞ! 早く追え! 追って斬り殺すんじゃ!」

 ボルトン侯爵の声であった。伯爵と侯爵では侯爵のほうがえらい。騎馬隊はボルトン侯爵の命令を優先した。

 ダッと騎馬隊が全速力で走り出す。

 騎馬隊の先頭の馬が足をなにかに引っかけた。つんのめった馬が前のめりに倒れた。そこに後続の馬が乗りあげる。左右によけもできず後退も不可能で次から次に馬がおり重なった。馬たちは足がからまるように積みあがった。ちょっとした小山であった。

 わがはいもアーサーもぼうぜんとその山を見つめた。

「た。助けて……」

 馬の山から声がした。馬の下敷きになって負傷した兵たちがいるらしい。うめく馬の下から兵たちを引き出した。

 負傷した兵を陣地に送って道をふさぐ馬たちを兵士たちがかついでどけた。七頭の馬が足を折っていた。足を折った馬はかわいそうだが殺すしかない。足手まといだからだ。

 ロードシア公爵が馬上で首をかしげた。

「いったいなにに馬は足を取られたんだ?」

 マクミラン侯爵が馬をおりて馬が倒れた地面をしらべた。

「草と草をむすんで馬の足を引っかける仕掛けがしてあるぞ。ワインバッハ軍の細工だろう。歩いても引っかからないが走れば足を取られる」

 コロンビータ公爵がくやしそうに顔をしかめた。

「旗色が悪くなったら退却することを考えてたんだな。用意周到なやつらだ」

 ネルーダ侯爵が前方の街道を目をほそめて見た。

「どうする? ワインバッハ軍を追うかい?」

 ロードシア公爵もワインバッハ軍が消えた前方を見た。

「いや。このぶんではところどころに罠を作ってあるだろう。あせって追えば罠にかかる。しきり直してあした慎重に追うことにしよう。きょうは引きあげだ」

 陣地にもどるとすぐ作戦会議が持たれた。

 執事がきょうの結果を読みあげる。

「ワインバッハ軍の死者は推定で二万人です。対してわがほうの死者は一万人。イズラシア軍は生存者が一万人。ワインバッハ軍は五千人。はじめて兵の数が逆転しましたな。ちなみにワインバッハ軍の騎馬は二百ほどでしょう。わがほうの騎馬は五百のこっております」

 しかし出席者はみな複雑な表情をしていた。勝ったのはたしかだ。だが全滅させられる敵にむざむざと逃げられた。逃がした魚は大きかったというわけである。

 ロードシア公爵がふいに思い出したという顔でアーサーを見た。

「ところでアーサー卿。どうしてさっき騎馬隊にとまれと声をかけたのかね? 罠があると気づいてたのかい?」

「いいえ。なにか変だと思っただけです。将軍たちは馬を歩かせてましたからね。ふつうは走って逃げるでしょう? 歩かせるなんて変ですよ」

「なるほど。違和感を感じたと?」

「ええ」

 ボルトン侯爵がわめき出した。

「うそだ! そいつはワインバッハ軍のまわし者だぞ! だから罠の存在を知ってたんだ! そいつを斬らないとこの先もわが軍が罠にはまるぞ!」

 ネルーダ侯爵が苦笑を浮かべた。

「いや。五虎将軍のふたりを殺したのはアーサー卿の部下だよ。ワインバッハ軍のまわし者がわざわざ五虎将軍をふたりも殺させるはずはない」

「わしらにそう思わせるために五虎将軍を殺したんだ! だまされるな! わしらに信頼させるためにわざと味方を殺したんだぞ!」

 コロンビータ公爵が眉を逆立てた。

「だまれ! いいかげんにしろ! 罠で死ぬ者より五虎将軍に殺される者がはるかに多いわ! 自分の言ってることが破綻してると気づかないのか!」

「なにを! この女もワインバッハ軍のまわし者だ! そもそも女こどもが軍にいることがおかしい! さっさと追い出すべきだぞ!」

 マクミラン侯爵が両腕を左右に広げて肩をすくめた。

「ボルトン卿。きみは酔ってるよ。外に出て頭を冷やしたほうがいい。さ。いっしょに行こう」

 マクミラン侯爵がボルトン侯爵の手を引いて天幕からつれ出す。ボルトン侯爵がわめきながら引かれて行った。

「わしは酔ってなどおらーん! あのふたりがワインバッハ軍のまわし者にちがいなーい! なんでお前らはそれがわからんのだぁ! このぼんくらどもがぁ!」

 声が遠くなるのを待ってロードシア公爵が座を見まわした。

「さて。あしたの予定だがね。罠に用心しながらワインバッハ軍を追う。これにつけくわえることがあるかね?」

 妙案は出なかった。惜勝せきしょうという言葉があるのかないのか。大勝なのだがみなが惜しい勝ちだと感じていた。きょうで決着をつけられると思ったのがあした以降も戦いがつづくことになった。なんだかがっかりした気分に全員がなった。

 わがはいもアーサーもシルフィーナへの手紙に戦争が終わったと書けなくて肩を落とした。


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