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第一章 わがはいは猫又である

 わがはいは猫又である。名前はまだない。

 わがはいはイズラシア王国の地方都市ミラフィールドの路地裏で生まれた。由緒正しい野良猫であった。

 ミラフィールドは城壁都市で王の離宮がある。もちろんわがはいは王の離宮になど縁はない。風光明媚で王国内第二の豊かな都市だということである。

 ミラフィールドにはよき者も悪き者もおった。エサには困らなかった。わがはいを可愛いと言ってくれる者が多かったせいである。

 わがはいは長く生きた。だが人間に飼われたことはない。わがはいはほこり高き猫であった。孤高を守ることがわがはいの使命だと感じていたからである。

 いつ猫又になったのかはわからぬ。気がつけば猫又になっておった。

 それと同時に人間からエサをもらうのは堕落ではないかとひらめいた。わがはいはミラフィールドを出た。魔の森で獲物を狩るようになった。

 魔の森はミラフィールドの城門を出てすぐの森である。魔物が多いせいで魔の森と名づけられた。

 わがはいは猫又であるため好奇心が旺盛である。魔の森をすみからすみまで探索した。

 さまざまな魔物が生息しておった。森の浅いところではスライム・ゴブリン・オーク・銀色狼・七色熊・ユニコーン・バジリスクなどである。最深部ではドラゴンやケルベロスも見た。

 魔物のうちわがはいをエサにしようと考えたのは銀色狼だけであった。わがはいは木にのぼれる。銀色狼は木のぼりができぬ。わがはいにとって銀色狼は警戒すべき敵である。だが簡単にあしらえる魔物にすぎなかった。

 そのため人間には魔の森であってもわがはいには楽園であった。わがはいはおもに鳥とウサギを狩っておる。

 わがはいはほこり高き猫又である。いまは人間の世話にはいっさいならずに生きておる。

 そんなある日のことであった。わがはいが眠っておると何やらあたりが騒がしい。

 耳を立てると赤ん坊の泣き声が聞こえた。キンキンという金属と金属が打ち合う音も混じる。

 目をあけて音のするほうに行ってみた。

「きさまら! 王子に手をかけるなど大罪だぞ!」

 大柄な老人が剣をふり回しておった。老人は左腕で赤ん坊を抱いておる。白く長いヒゲに血がついておった。

 敵は五人の男であった。黒づくめの服装に黒の頭巾をかぶっておった。五人とも剣をかまえておる。

「将軍! あきらめろ! われらはさるすじのお方の依頼で動いておる! われらは罪になど問われぬ!」

 五人の男が一斉に切りかかった。ふたりの剣が将軍の腹を刺した。三人の剣が腕と肩と胸に刺さった。

「くそぉ! むっ! 無念じゃ!」

 将軍の腕の中で赤ん坊がひときわ大きく泣いた。将軍がよろけた。剣を杖にかろうじて立っておる。

 わがはいはほこり高き猫又である。多勢に無勢は見すごせぬ。

「義を見てせざるは勇なきなり! 加勢いたす!」

 わがはいはダッと飛び出した。両手の爪をのばす。男の首を爪で裂いた。血がドプッと噴き出した。

「なっ? なんだっ? 黒猫かっ?」

 とまどっている男の首にも爪を食いこます。血がブシュッと噴出した。

「魔物だっ! 逃げろっ!」

 叫んだ男の頸動脈に牙を立てた。血がドクンとわがはいの毛皮を濡らした。

「うわあーっ!」

 逃げはじめた男の首を両手で深くえぐった。血が左右にシューッと飛び出した。

「たっ! 助けてくれぇっ!」

 逃げる男を背後から襲った。肩に左手をかけて右手で首をうがつ。血が真上にドパッと噴きあがった。

 五人の男たちは手足がヒクヒクと断末魔のけいれんを起こしている。わがはいはうなずいた。これで敵はいなくなったと。

 わがはいはこれまでに食う目的以外の殺傷はしたことがない。人間を殺したのはもちろんはじめてである。しかし罪悪感はこれっぽっちもおぼえなかった。

 他人を殺す者は殺されても文句は言えぬ。そうであろう?

 わがはいは将軍なるヒゲの老人の元にもどった。老人はすでに息絶えていた。左腕に抱かれた赤子が泣いているのみであった。わがはいの加勢は遅すぎたらしい。 

 わがはいはどうすればいいか考えた。赤子はうるさいくらい泣きわめている。わがはいは猫又である。しかし身体の大きさは猫と変わらない。赤子を背中に乗せて運ぶなど不可能であった。

 このまま放置すれば赤子はきょう中に死ぬであろう。乳離れするかしないかという歳に見える。一歳児くらいであった。

 早急に必要なものは乳である。わがはいはひとつあてがあった。

 わがはいはゴブリンの住む洞窟をめざして走った。しばらく前にゴブリンたちはオークに村を襲われた。オークたちはゴブリンを殺して村を乗っ取った。かろうじて逃げのびたゴブリンの大人たち十人が洞窟に隠れ住んだ。

 わがはいはその一部始終を観察しておった。ゴブリンやオークをどうこうしようと思ったわけではない。純粋な好奇心のなせる行為であった。

 ゴブリンの洞窟の周辺ではふたりのゴブリンが警戒にあたっておった。わがはいは悠々とそのふたりの横を通過した。ゴブリンたちが見張っておるのはオークである。猫又は警戒の外にあった。

 わがはいは洞窟の奥に進んだ。ゴブリンたちは食事の最中であった。ウサギを焼いて食べておる。

「すまぬがゴブリンの長老よ。わがはいの提案を聞いてくれぬか?」

 ゴブリン語で話しかけるとゴブリン一同はびっくりしたようだ。特に白ヒゲをはやした長老が大きく目を見張っておった。

「なっ? なんじゃきさまはっ?」

「わがはいは猫又である。そなたたちにオークを倒して村を取りもどす策を伝授しようと思うがいかがかな?」

 長老が鼻で笑った。

「猫又? 猫又なんぞにあのオークたちが倒せるものか。冗談も休み休みにせえ」

 五人の男たちが棍棒を手に立ちあがった。

 わがはいは駆けた。事態は一刻を争う。ゆうちょうに交渉しているひまはなかった。

 わがはいは長老に飛びついた。爪をのばして長老のしわだらけの首に爪をあてた。

「いますぐわがはいの指示どおりにしてもらおう。でないとそなたらの長老の首を裂く」

 立ちあがった男たちが硬直した。長老も動けない。だがすぐに長老が気を取りなおした。

「猫の爪で首が裂けるものか! 者どもこの猫をすぐさま殺せぇ!」

 わがはいはあきれた。

「わがはいは猫ではない。猫又である。猫又の爪がどのくらいするどいか見せてしんぜよう」

 わがはいは長老のヒゲを爪でそっとなでた。ヒゲがハラハラと床に落ちた。

 長老がヒッと声を漏らした。

「者ども。やめい。棍棒をおろすのじゃ」

 わがはいはホッとした。やっと話が通じそうだと。

「わがはいはそなたたち全員をいまこの場で殺すのも簡単にできる。殺されたくなくばわがはいの指示にしたがえ」

 わがはいは長老ののどにあてた爪に力をこめた。いますぐ息の根をとめてやるといわんばかりに。

 長老が負けを認めた。

「はっ。はい。したがいます猫又さま」

「ふむ。では男全員わがはいについて来い」

 わがはいはゴブリンたちをつれて洞窟を出た。

 赤子の泣き声はもう聞こえなかった。遅かったかと思いつつ先ほどの場所に急いだ。

 六人の死体と赤子はそのままであった。さいわい銀色狼に見つからなかったらしい。赤子は泣き疲れて眠っておった。

 ゴブリンたちは屈強な六人の死体と赤子を見て目を丸くした。

「なんですか? 猫又さま? これはいったい?」

「わがはいにもわからぬ。おそらくお家騒動であろう。しかしそんなことはどうでもよい。お前たち赤子を抱いて洞窟につれて帰れ」

「は? つれて帰ってどうするのです? 食うのですか?」

「バカな。乳をやるのよ。お前たちの女ふたりは乳飲み子をかかえてたであろう? この子にも乳がやれるはずじゃ。さあさっさとつれて帰れ」

「はっ。はい」

 抱きあげたとたん赤子がまた泣いた。今度は力ない泣き方であった。飢え死にしかかっておるらしい。

 手のあいておるゴブリンが将軍を見おろしながらたずねた。

「猫又さま。人間たちの死体はどうするので?」

「ほうっておけ。銀色狼かスライムが片づけてくれるであろう。いや。そうじゃな。剣と防具と服は持って帰るがよい。役に立つであろう」

 なるほどとゴブリンたちが剣と防具と服を回収した。

 洞窟に着いてゴブリンの女の乳房に赤子を押しつけた。勢いよく赤子が乳首に吸いついた。ゴブリンの赤ん坊が左で乳を吸い人間の赤子が右で乳を吸った。

 長老が不思議そうな顔をした。

「猫又さま。はたしてゴブリンの乳で人間が育つのでしょうか?」

 わがはいは苦笑した。

「わがはいにはわからぬ。だがそれ以外に考えつかぬのじゃ。人間の町に行って乳をもらうわけにはいかぬからの」

 ゴブリンは人間の町に入れぬ。ミラフィールドの門の前に捨てることも考えたが発見が遅れれば死ぬであろう。何より赤子を殺そうとする者たちがいる。ミラフィールドに赤子を入れると刺客に殺されるかもしれぬ。現状はゴブリンの乳に賭けるしかあるまい。

 すぐに赤子が乳首から口を離した。腹ぺこであっても少量ずつしか乳が飲めぬらしい。

 ゴブリンの女が慣れた手つきで赤子にゲップをさせた。

「ホウ。さすがは母親じゃな。手慣れておる」

「猫又さま。この子は何て名なのでしょう?」

 わがはいは思い起こした。だが将軍は『王子』としか呼んでなかった気がする。名前がなければ不便であろうなとしばし考えた。

「アーサー。アーサーという」

 アーサーは人間たちのおとぎ話に出て来る王の名である。母親がわが子に読み聞かせる本にその名がよく出る。ドラゴンを倒して姫と結婚した英雄だそうだ。わがはいは人間の名など記憶にない。だがアーサーだけは憶えておった。

「アーサーですか。よき名ですね。おーよしよしアーサー。安心して眠りなさい」

 女ゴブリンに頭をなでられてアーサーのまぶたがゆっくりと閉じた。アーサーは生きるかもしれぬとの手ごたえをわがはいは感じた。

「女よ。そなたの名は?」

「ウーフです。猫又さま。ウーフと申します」

「ふむ。ウーフよ。そなたにアーサーをまかせてもよいか?」

「はい。ありがたき幸せ。こんな可愛い子ですもの。あたしが全力で育てます」

 ゴブリンとはいえ母である。赤子を抱くと母性が刺激されるのであろう。ウーフはすっかり母親の顔になっておる。

 もうひとりの女がうらやましそうな顔で会話を聞いておった。この女も赤ん坊に乳を与えておる。

「そなたはなんという名じゃ?」

「チータランでございます猫又さま」

「ウーフひとりでは乳が足りぬ。そなたもアーサーに乳をやってくれぬか?」

「はっ。はい。よろこんで!」

 アーサーにふたりの母ができた。

 わがはいは安堵して長老に顔を向けた。

「さて長老よ。先ほどの話じゃがな。オークに正面切っていどんでも殺されるだけじゃ。しかしこの近くに岩山がある。そこにオークをおびき寄せて上から岩を落とすのじゃ。オークはそなたらより力は強いが頭上から降って来る岩はふせげぬよ」

「おおっ! でも猫又さま。そううまく行くものでしょうか?」

「事前に準備をしておけばうまく運ぶはずじゃ。さっそく明日から取りかかろう」

 わがはいは洞窟を出た。ウサギを狩ってたいらげた。ウサギを手みやげに洞窟にもどった。アーサーはチータランに抱かれて眠っていた。ゴブリンたちはアーサーやわがはいを害そうとは思わなかったらしい。

 翌朝になった。男のゴブリン五人をつれて岩山に向かった。岩を落とすのにちょうどいい高台を選んだ。垂直に切り立っている崖のふちから見おろした。下には細い道が見える。

「ふむ。ここでよい。お前らものぞいてみよ」

 ゴブリンたちがおそるおそる崖のふちから首を突き出した。落ちたら命はない。

「ふえー。恐ろしい眺めですね」

「落ちるなよ。まずここに木で台を作る」

「は? 岩を落とすのでは?」

「そうじゃ。岩を落とすための台を木で組む。次に台の足の一本にツタで作った縄をくくりつける。その台の上に岩を積む。最後に台の足につけた縄を引いて足の一本をひっこ抜く。すると」

「台に乗せた岩が転げ落ちる?」

「さよう。岩はそなたらの頭ほどのものでよい」

「えっ? それでは小さすぎるのでは?」

「いや。それで充分じゃ。この高さから落ちるのじゃぞ。そなたらの頭ほどの岩でもオークを殺せる。では作業をはじめようかい」

 魔の森で木を切って岩山に運んだ。見こみどおり将軍と刺客たちの剣が木を切る役に立った。気になって将軍と刺客たちの遺体のあった場所にも足をはこんだ。遺体は跡形のこらず消えておった。骨すらないのはスライムの腹におさまったせいらしい。

 ゴブリンたちが台を作るあいだにわがはいはオークの村を偵察に行った。オークは二十人おった。全員が男であった。昼間はシカやイノシシを狩る。夜は酒を飲みながら肉を食う。酒はサルが造ったものをうばうみたいであった。

「よくもわれらを追い出しおったな! 群れの女に手を出しただけではないか!」

「そうだ! この村で力をたくわえてあいつらに復讐をするんだ! なあにわれらは二十人いる! 連中が三十人でも負けはせんさ!」

「おう! やってやるぜ! だがその前にゴブリンだな! こないだ殺しそこねたゴブリンどもがいる! あいつらを殺しとかねえと群れに復讐に出てるあいだに村を取り返されかねねえ!」

 わがはいは一番大きな家の外で盗み聞きをした。酒をがぶ飲みしながら二十人が大声で計画をぶちあげておった。男しかいないのは群れを追い出された者たちが寄り集まったかららしい。

 口では勇猛だが復讐に動く気配はなかった。オークとしては落ちこぼればかりで実は小心者なのであろう。酒を飲んで気勢をあげるのが精一杯なやからみたいだ。

 自分たちからゴブリンを捜して殺すということはしないとわがはいは踏んだ。罠を仕掛ける時間はたっぷりあると。

 ゴブリンの男たちは精力的に岩を積みあげた。怠惰なオークとちがって勤勉であった。

「さてこれで用意はできた。作戦に取りかかるとするか?」

「おーっ!」

 わがはいは足の速いゴブリンをふたり選んだ。ふたりのゴブリンをシカ狩りするオークたちの通り道にひそませた。

 オークは二十人全員でシカを狩りにくり出す。一部の者だけを狩りに派遣すると不満が爆発してケンカになるから全員で狩りに出るらしい。村に残った者が昼間から酒を飲むのが不公平だと思うようだ。

「おっ! あんなところにゴブリンがいるぞ! みんなやっちまえ!」

「おおっ! ぶち殺しちまえ!」

 予定どおりゴブリンふたりが草をガサガサゆらしてオークたちに発見させる。あとは岩山まで逃げるのみだ。

 ゴブリンが逃げる。オークが追う。

 ゴブリンはオークより弱い。だがオークより体重が軽いせいで足は速い。

「待てーっ!」

「けへへ。待つもんか」

 舌を出したゴブリンふたりはオークがかろうじて追える速さで岩山へと進路を取った。罠のある地点までオークたちを引きつれて走る。

 わがはいは崖の下でゴブリンふたりが来るのを待った。ふたりが視界に入った。ふたりのうしろからオーク二十人が追って来る。

 オーク二十人が罠の下にさしかかった。

 わがはいは二本のしっぽをここぞとばかりに振った。崖の上のゴブリンたちが縄をつかんで台の足をひっこ抜く。大量の岩がゴロゴロゴロと転がり落ちる。

 音に気づいてオークたちが真上を見あげた。

「うわーっ!」

「なんだありゃ!」

「岩だ! 岩が降って来るぞ! 逃げろ!」

 だが逃げる時間はなかった。岩は次から次へとオークの頭上に落下した。

 地面に落ちた岩が土煙を立ちあげた。視界がもどったとき五人のオークが立っていた。

 棍棒を振りあげてわがはいたちに走って来た。

「やばいっ! まずいですよ猫又さま!」

 ゴブリンふたりが弱音を吐いた。正面からオークと対決すると勝ち目はない。まして相手は五人いた。

 オークが棍棒をかまえて眼前に迫る。オークの力こぶはすごい。あんな力で棍棒をふり降ろされたらゴブリンの頭など簡単にくだけるであろう。

 わがはいもあせった。五人も生き残るとは想定外であった。

「わーっ! やられるぅ!」

 ゴブリンのふたりが顔を手でおおった。オークの棍棒がふたりの頭にせまり来る。

 わがはいはダッと地を蹴った。爪をのばした。オークの顔に飛びかかる。

 オークの首は筋肉が厚すぎてわがはいの爪では血管までとどかぬ。そこでわがはいはオークの目を狙った。オークの両目を爪で引き裂く。

「うぎゃーっ!」

 オークが棍棒を手ばなして手で目を押さえた。血が頬をつたう。

 わがはいは残り四人のオークの顔に順に飛びついた。わがはいの爪は寸分くるわずオークの両目をえぐった。五人のオーク全員が盲目になった。

 わがはいは顔をおおっているふたりのゴブリンの足を蹴った。

「やれやれである。逃げるか戦うかしないと命がなかったところであるぞ。オークたちの目をつぶしておいた。とどめはそなたたちで刺すがよい」

 そこに崖の上にいたゴブリン五人も剣を抜いて走って来た。

 目が見えなくなったオーク五人はもはや敵ではなかった。ひとり倒れふたり倒れとついに全員のとどめを刺した。

「うおーっ! やったぞぉ! おれたちがオークどもを全滅させたぁ!」

 七人のゴブリンが勝ちどきを叫んだ。

 洞窟にもどって報告すると長老の目が輝いた。

「おおっ! まことか! よくやったぞみなの者! これというのも猫又さまのおかげじゃ! 猫又さまばんざーい!」

 わがはいは当然と胸を張った。

「さて。これで村に帰れるであろう。忘れ物がないように村に帰るがよい」

 長老がけげんな顔に変わった。

「猫又さま? 猫又さまはどうなさるので? われらと村に住んでいただけるのでは?」

 わがはいはハッとした。そこまでは考えていなかった。猫は孤独を好む。わがはいも一匹で生きて来た。妻も子もいなかった。

 わがはいはウーフとその胸で乳を飲むアーサーを見た。すっかり母子になっている。

「いましばらくアーサーの成長を見るのもよいか。わかった。いっしょに行こう」

 わーっとゴブリンたち全員がよろこびの声をあげた。

 こうしてわがはいもゴブリンの村に住むことになった。

 ゴブリンは繁殖力が強い。それから一年のあいだにウーフとチータランは六人ずつの子を産んだ。

 ただ繁殖力が強いぶん寿命がみじかかった。三十歳前後で死ぬのがふつうであった。

 アーサーが這い這いをはじめたころ長老が死んだ。七人の大人の男のうちカルガリが次の長老に選ばれた。アーサーといっしょに乳を飲んだふたりは立って走れるようになった。

 アーサーがはじめて言葉を発したのはそのしばらくあとであった。

「ニャウン」

 最初は何を言っているやらわからなかった。わがはいは猫又である。人語をしゃべれる。しかしふだんは猫語だ。とっさに出るのはニャーニャーという鳴き声であった。ひとり言はすべてニャンニャンである。

 アーサーはそれを聞いていたのであろう。わがはいの顔を見ると『ニャウン』と言った。次にしゃべったのはゴブリン語の『かーちゃ』だ。

 わがはいはそれを聞いてはじめて『ニャウン』がわがはいのことだと気づいた。

「アーサーよ。それはわがはいの名なのか?」

「ニャウン。ニャウン。ニャウン」

 わがはいは苦笑した。わがはいに名前をつける者があらわれるとは。

「しかたがない。本日よりわがはいはニャウンと名乗ろう」

 アーサーは乳離れがすんでいた。しかしかーちゃかーちゃと呼んではウーフとチータランに抱きついた。ウーフとチータランも子育てをしながらアーサーを抱いた。

 ゴブリンは乱婚であって父親が誰かはわからない。群れの男全員が父親である。だが父親は子どもを抱かない。子育てにも参加しない。子どもを育てるのは母だけで教育も母の役目であった。

 その点ゴブリンは猫と似ている。猫もオスはタネをつけるだけだ。子育てもしないし生まれた子に関心もない。

 アーサーとともに乳を飲んだふたりのゴブリンはキケムとクンスーと名づけられた。どちらも男であった。わがはいはそのふたりに教育をほどこすついでにゴブリンたちの言葉を人間語に変えることにした。

 理由はアーサーが人間であることがひとつ。もうひとつはゴブリン語には数字が三までしかないことであった。三の次はたくさんである。ちなみに文字もない。

 数字が三までしかないのと文字がないので暦がない。冬にそなえて食べ物をたくわえるという考えがなかった。そのため冬になれば餓死者が出るのがあたりまえであった。

 ゴブリンが飢えてもわがはいはかまわぬ。だがアーサーが飢えるのはいただけない。アーサーのためにもゴブリンたちの日常言語を人間語に変える必要があった。

 ゴブリンの男たちは剣を手に入れた。シカやイノシシを狩るのが楽になった。しかしゴブリン同士で剣を使った斬り合いはしない。取っ組み合いのケンカはした。だが剣の使い方を上達させようとはしなかった。

 わがはいは人間たちが剣で対戦したり競い合うのを見ていた。兵士たちは訓練として模擬戦をする。

 わがはいはキケムとクンスーに模擬戦を教えた。わがはいの手では剣はにぎれぬ。そのため斬り合いを手取り足取り指導できぬという制約があった。

 キケムとクンスーはカンがよくすぐにわがはいの意図を飲みこんだ。そのころになると大人たちも模擬戦に参加するようになった。だがキケムとクンスーにはおよばなかった。

 アーサーが立つころにはキケムとクンスーはミラフィールドの兵士ほどの技量になっておった。

 言語を人間語に変えるとゴブリンたちの狩りが変化した。それまでは行きあたりばったりで狩っておったのが人数をふた手にわけてはさみ討ちをするようになった。それによって狩りの効率が飛躍的に上昇した。言葉の精度があがったために計画を立てるということを覚えたわけである。

 そうこうするうちに十二年の歳月が流れ去った。あっという間であった。

 アーサーはすくすくと成長した。キケムとクンスーにならぶほど剣の腕も上達した。アーサーひとりでも銀色狼や七色熊にひけを取らなくなった。

 ただ十二年の年月はゴブリンにとっては長かった。わがはいやアーサーにはみじかい。だがゴブリンには半生に相当する。

 ウーフとチータランが寝こむことが多くなった。特にウーフの具合が悪い。おそらく三十歳をすぎているのであろう。ゴブリンの標準からすればいつ死んでもおかしくない。

「ねえニャウン。かーちゃを長生きさせる方法ってないかな?」

 アーサーにたずねられてわがはいは苦悩した。わがはいはただの猫又である。ゴブリンの寿命をのばすすべなど知らぬ。

「栄養のあるものを食べさせればよいのではないか? 人間はハチの子を食べると聞いたことがあるな。ジバチという土の中に巣を作るハチがよいとも言っておったぞ」

「あっ。そのハチしってる。以前に土の中からハチが出て来たのを見たよ」

「ああそれじゃろう。土の中から巣をほり出せば中に子がおるそうじゃ」

「ならさっそく探しに行こう」

 アーサーとふたりで村を出た。アーサーが以前に見たという記憶をたどって森を歩く。

「このへんだったはずなんだけど?」

 相手はハチである。毎年おなじ場所に巣を作るとはかぎらない。

 ふたりで手分けして地面を見て回る。だがそれらしい穴がない。

 探していると銀色狼のうなり声が聞こえた。つづいて人間の叫び声だ。

「うわあっ! このケダモノめっ! あっちへ行けっ! しっしっ!」

 近くで銀色狼と人間が戦闘をしているようだ。

「行ってみようニャウン!」

 わがはいの返事を聞かずにアーサーが走り出した。わがはいはあとを追った。

 四人の兵士がヒゲの中年男をかばっていた。銀色狼は八匹だ。飛びかかる銀色狼に人間たちが苦戦している。

 アーサーが銀色狼の群れに斬りこんだ。たちまち二匹を切り伏せる。

「ギャンッ! ギャンッ!」

 わがはいはアーサーに飛びかかろうした銀色狼の目に爪を立てた。

「ギャッ!」

 アーサーがつづいて三匹を斬り殺した。

「ギャンッ! ギャンッ! ギャンッ!」

 わがはいはまた一匹の目をつぶした。

「ギャッ!」

 四人の兵士がわがはいに目つぶしをされた銀色狼たちを斬り捨てた。残りの一匹をアーサーが一刀両断にした。

「ギャンッ!」

 生きている銀色狼がいなくなった。

 ヒゲの中年男が大きくため息を吐き出した。

「ありがとう。助かったよ。私はデビット・デルバイン伯爵だ。ミラフィールドで領主を勤めさせてもらってる。きみは?」

 アーサーが一瞬だけためらった。アーサーにとってはじめて会う人間であった。ためらうのも当然であろう。

「はじめまして。ぼくはアーサーです。こちらは従魔のニャウン」

 アーサーがわがはいを紹介した。わがはいはうんうんとうなずいた。教えたとおりにできておるなと。

 わがはいはここしばらく悩んでおった。アーサーを人間界にもどすべきかと。ゴブリンたちはアーサーを家族としてあつかってくれておる。しかしゴブリンは人間ではない。アーサーとのあいだに子ができるのかは疑問である。

 アーサーが年ごろになれば人間の配偶者が必要にちがいない。そのためにはそろそろ人間にふれさせて人間界のしきたりに慣れさせねばならぬ。

 アーサーとわがはいだけなら人間と従魔としてミラフィールドの町に入れる。冒険者ギルドにも登録できるであろう。

 わがはいはアーサーに教えこんだ。人間と会えばわがはいを従魔として紹介するようにと。

 しかしわがはいの決断がつかなかった。人間の町でアーサーがどんなあつかいをされるか不安だったのである。十二年前にアーサーは殺されかけた。また命を狙われないともかぎらない。

 そう考えてずるずると先のばしにして来た。そこに今回の事態であった。

「そうか。よろしくアーサー。ところでその剣は誰から習った? うちの兵士より腕が立つが?」

「死んだ父から習いました」

「お父さんは名のある剣士かね?」

「さあ? 父は無口で自身のことは何も語りませんでした」

「ふむ。うちにも腕の立つ剣士がいるんだが酒好きでね。きょうは二日酔いで寝こんでるんだ。やつがいれば剣の型からどういう流派の剣かわかるんだがな。しかし見たところまだ子どもだがどうしてこんなところに? 魔の森のこのあたりは大人でさえ苦労する魔物ばかりだが?」

「両親が死んで住むところがなくなりました。いまはこの近くにほったて小屋を建ててこのニャウンとふたりで住んでます」

「なに? こんなところに住んでるのか? ううむ」

 伯爵が何やら考えこんだ。

 わがはいはよしよしとうなずいた。いままでのところ想定問答のとおりアーサーが答えておる。

「あのう。伯爵はどうしてここに? 魔物の討伐に来たんですか?」

 アーサーが好奇心をのぞかせた。

「いや。娘のシルフィーナにせがまれたんだ。金口鳥がほしいってね」

「キンコウチョウ? なんですかそれ?」

「全身があざやかな青でくちばしだけ金色の鳥だよ。チヨチヨチヨと可愛い声で鳴くんだ。このあたりにいるという話なんだが」

 わがはいは心あたりがあった。食ってもうまくない鳥だ。たしかにこのへんに多い。

 そのときチヨチヨチヨと鳴き声が聞こえた。見あげるとはるか上の木に青い鳥がとまっておった。

「あれですか?」

「そうみたいだ。でもとうていとどかないな。水でも飲みに降りて来てくれればいいんだが」

 わがはいはいたずら心を起こした。伯爵にいいところを見せて感心させたいと思った。

 わがはいはダッと木に飛びついた。わがはいは猫又である。木のぼりは得意中の得意であった。

 するすると木のてっぺんまでたどり着いた。金口鳥が飛び立つ一瞬を狙って飛びかかる。

 金口鳥は羽根を広げる間もなくわがはいの口にくわえられた。殺さないようにかげんしてわがはいは木を降りた。

 金口鳥を伯爵の前にさし出した。伯爵の手が包みこむように金口鳥を受け取った。

「すごいじゃないか! きみの従魔は人間の言葉が理解できるのか?」

「ぼくの指示はわかるようです」

 アーサーにはわがはいがしゃべれるのは秘密だと口どめしてあった。しゃべる猫だと人間にバレたらどんな事態になるや知れたものではなかったからだ。

 金口鳥を袋に入れたあと伯爵がまた考えこんだ。しばらく考えて顔をあげた。

「なあアーサーくん。私の息子にならないか? きみはひとり暮らしなのだろう? わが家に養子に来ないか? 私は娘がひとりいるだけだ。かねがね出来のいい男の子を養子にしたいと思ってた。きみならぴったりだ。私の息子としてデルバイン家を継いでくれ」

「えっ? いや。会ったばかりですし……」

 伯爵の提案は想定問答になかった。わがはいもどう答えればいいのかわからない。

「養子がだめでも私の屋敷に来ないか? こんなところでひとり暮らしをしてるよりは将来が開けるはずだ。見たところ娘のシルフィーナと同じ歳くらいに見える。娘の遊び相手としてでもいいからわが家に住んでくれ」

「いえ。それは……」

 アーサーは迷っているように見えた。ゴブリンの村での生活はなに不自由ない。しかし友だちがいなかった。いるのは乳兄弟ばかりだ。成長速度もちがうからおない歳や年下の者たちに次々に追い抜かれる。大人たちはいつ死んでもおかしくない歳ばかりだ。ゴブリンとは異種族だから違和感があって当然だと思われる。人間との生活に惹かれるものがあるにちがいない。

「わかった。あしたまた来よう。あすのこの時間にここで返事を聞く。ことわりたければ来なくてけっこうだ」

 伯爵が四人の兵士をつれて森の入り口へ足を向けた。

 アーサーがわがはいの顔を見た。

「どうしようニャウン?」

 わがはいにもどうすればよいのか判断がつきかねた。人間との生活に慣れさせるにはいい機会かもしれぬ。だがゴブリンたちとの別れはつらいに決まっておる。

「取りあえず村にもどるのじゃ。もどってみんなの意見も聞いてみるとよい」

「うん。そうしよう」

 そのときハチの巣を取りに来たことを思い出した。

「そうじゃ。ハチの巣を探さねば」

「ああ。そう言えばそうだったね。じゃ手分けして探そう」

 ふたりで周辺の地面をくまなく探した。だがハチの巣は見つからなかった。

 日が暮れて来たのでしかたなく村にもどることにした。

 長老の家に全員を集めて報告をした。口々に行くなと主張が出た。ハチの巣をつついたような騒ぎになった。こんなところにハチの巣があっても役に立たぬとわがはいは苦い顔をした。

 長老のカルガリがみんなを黙らせた。長老もいつ死んでもおかしくない歳だ。

「アーサーはもうわれらの家族だ。ひとりで見ず知らずの人間の家に行かせるわけにはいかん。アーサーが人間に殺されかけたのをわれらは忘れておらん。人間はアーサーの敵だ。かかわりにならんほうがいい」

 大人たちが納得してシンと静まり返った。

 その中でウーフが声を張りあげた。

「いいえ。行くべきです。アーサーはこの村にいてはいけません」

 アーサーが泣きそうな顔でウーフを見た。

「かーちゃ。どうしてそんなことを言うのさ? ぼくはこの村にいたい。かーちゃのそばを離れたくない」

「だめよアーサー。あなたはあたしの子じゃない。あなたは人間であたしはゴブリンなの。いままでこの村にいたことが間違いなのよ。だから人間の元に帰りなさい」

「かーちゃ。ぼくはかーちゃの息子だよ」

「ううん。ちがう。あなたはあたしの息子じゃない。あなたは人間なの。ゴブリンじゃないわ。出ておいき! 二度とこの村にもどるんじゃない!」

 みんなが言葉をなくした中アーサーが泣きはじめた。推定十三歳の子どもである。母親から拒絶されたら泣きもする。

 見かねたキケムとクンスーがウーフに取りすがった。

「かーちゃ。アーサーがかわいそうじゃないか。俺たちは兄弟だってずっと言ってただろ?」

「だまりなさい! お前たちはもう大人です。いつまでも子どもみたいなことを言うんじゃありません。アーサーは人間ですよ。お前たちはゴブリンでしょう? 人間とゴブリンが兄弟なはずはありません。人間にこの村の場所を知られたら人間が攻めて来るわ。だからアーサーはこの村を出なくちゃいけないの。人間がそもそもこの村にいたことがあやまりだったのよ」

 キケムとクンスーが口を閉ざした。

 長老のカルガリも考え直した。

「たしかに言われてみればそのとおりだ。アーサーがひとりでこの森に暮らしてると知られれば人間はアーサーの家を探すだろう。この村が見つかるのも時間の問題だな。ゴブリンの村が見つかれば人間はかならずわれらを全滅させに来る。アーサー。悪いが出て行ってくれないか。猫又さま。猫又さまにも申しわけないがそういう事情です。アーサーと出て行ってくださいませんか?」

 わがはいはうなずいた。

「承諾した。あした出て行こう」

 気まずい沈黙の中で集会は解散となった。

 その夜アーサーは泣きつづけた。わがはいはなぐさめる言葉を持たなかった。だがその夜一番泣いたのはウーフとチータランだと知っていた。

 アーサーは子どもだから気づかないがわがはいは年寄りだからわかっている。親心だ。人間のアーサーがゴブリンの村にいても将来はない。人間は人間の世界にいるのが一番だ。アーサーはいつか人間界にもどす日が来る。それが今夜だというだけだ。母親が息子の将来を考えるのはあたりまえであろう。母親だからこそアーサーの幸せをねがって村を追い出すわけだ。

 わがはいもウーフの気持ちをおもんばかって涙がこぼれた。わがはいがちゅうちょしてできぬことをウーフが代わってやってくれた。ウーフは残りすくない日々をどれだけアーサーとともにすごしたかったことか。母親とは子どものためにどこまでも自己を犠牲にできる存在であるか。

 翌日わがはいとアーサーは村を出た。みんなが見送ってくれる中でウーフとチータランの姿はなかった。泣き顔を見せるとアーサーが出て行きたくないと言い出すので家に閉じこもっているのであろう。

 わがはいはアーサーの足を押した。ふり返りふり返り村にもどりたがるアーサーの足を進ませるためにであった。

 約束の時刻に伯爵と四人の兵士は先に来て待っていた。

「やあアーサー。答えはどうなった?」

 沈み切ったアーサーが力なく答えた。

「行きます。よろしくおねがいします」

「そうか。こちらこそよろしくなアーサー」

 アハハハハと伯爵が快活に笑った。他人の顔色をうかがう性格ではないらしい。強引にわが道を行く人のようであった。

 こうしてわがはいとアーサーは伯爵家の一員となった。わがはいはほこり高き猫又である。決して飼い猫ではない。しかし伯爵家に飼われたも同然の身となったのである。どういう運命のいたずらかは知らぬ。だが独立独歩な猫又ではなくなったのはたしかであった。


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