伝説のうどん屋
※しいなここみ様主催『麺類短編料理企画』参加の一品です。
※食事中、食事前後の方はちょっと閲覧にご注意を。
うちの大学の近く、学生狙いの飲食店が10軒ほど並ぶ一角に、その店はある。
店とは言うものの、開いているのを見たことがない。閉まったシャッターにもうっすら錆が浮かび、看板の文字もかすれてて、辛うじて『うどん屋』ということだけわかる。もう廃墟寸前という感じだ。
「ところが、だ。噂によると2・3か月に一度くらい、突然営業することがあるらしい。
めったに食べられないので『伝説のうどん屋』なんて呼ばれてる」
そんな噂を拾ってきたのは同期の池端だ。
「俺もその話は聞いたぞ。サークルの先輩が1年前に食べたって。それこそもう、この世のものとは思えないほどの味で、あれほどの味には二度とお目にかかれないって言ってたな」
俺も池端も大のうどん好きだ。『伝説のうどん屋』とやらには大いに惹かれるものがある。
そこで情報を集めてみると、けっこうこの話は大学中に広く知られていて、実際に食べたという人にも何人か会った。
これは、何としても食べるしかない!
俺たちは、暇を見つけてはあの店が開いていないかを確認し続けた。
そして、ついにその日が来た。
ある日の放課後、池端から連絡が来たのだ。
『あの店が開いてるぞ! もうすごい行列だ、急げ!』
急いであの店に駆けつけると、もうすでに50人ほどの行列が出来ていた。
「おい、ここだ!」
行列の中ほどにいた池端のところに入らせてもらう。並んでいる人の様子を見ると、ほとんどの人が初めてここに来店したようだ。
すでに辺り一面には、カツオや昆布で取った芳醇な出汁の香りが漂っている。
時々、食べ終えた人が店から出てくると、行列の人たちがどんな味だったか質問を浴びせるのだが、皆一様に涙を浮かべ目頭や口元をおさえて、言葉も発せずに立ち去っていく。
泣くほど旨いうどんって、いったいどんなものなんだ? 期待がどんどん膨らんでいく。
そして小一時間ほどが過ぎ、ようやく俺たちが店内に入る時が来た。
古びた店内は、妙な熱気に包まれていた。丼を前に置いた者たちは、狂おしいほどに血走った目を爛々と輝かせ、取り憑かれたように無心にうどんをすすり続けている。
これは、かなり期待大だぞ!
「らっしゃい」
店主はかなり高齢の爺さん。ひとりでやっているようだ。
かなり混んでるので、メニューも上の方に書いてあるのでさっと決める。
「月見うどんで」
「きつねうどん、ひとつ」
「あいよ」
その無愛想な様子、まさに『ザ・職人』といった佇まいだ。渋いっ!
だが、ほどなくして出されたうどんを見て、俺たちは顔を見合わせた。具がネギしか入ってない。注文を間違えられたか?
だが、食べないという選択肢はない。
俺たちは割りばしを掴み、一気にうどんをすすり──そして凍りついた。
──まずい。とんでもなくまずい。
出汁はまだいい。うどんがとにかくひどいのだ。
うどんを打つ技術は確かなのだろう、しっかりとした腰のある麺だ。だが、噛み切ったり呑み込むや否や、麺の中から一気に味の奔流が口いっぱいに広がる。苦味、酸味、渋み、臭み、えぐ味──ありとあらゆる雑味が複雑に絡み合い、臓腑を突き刺す。
どんな小麦を使ったら──いや、何を入れたらこんな味になるのだ!
身体の奥底で、拒絶するような痙攣が起こっている。駄目だ、これはもはや劇物だ、命にかかわる、と。
だが、手を止めたら最後、間違いなく盛大にリバースしてしまう!
それを防ぐには──ひたすら口の中に押し込み続けるしかない。
俺は呻きながら、遠のく意識の中ただ無心にうどんを口に運び続けた──。
そこからのことはあまり記憶していない。
店から出る時、他の人から『どんな味でしたか!?』と訊かれたが、少しでも口を開くと大惨事になりそうだったので、無言で立ち去ったと思う。
それから数日の間、俺はほぼ一日中トイレにこもりっ放しだった。
「──あの店に行ったのか! 凄かっただろ?」
あの店を教えてくれた先輩に抗議しに行ったのだが、先輩はどこ吹く風だ。
「俺を騙しましたね! あんなひどい店を絶賛するなんて──!」
「嘘なんて言ってないぞ。『この世のものとも思えない』とは言ったが、『旨い』なんてひとことも言ってない」
「──あっ」
そう言えば、実際に食べた他の人たちも『旨い』とだけは言っていなかった気がする。
「実はあの爺さん、とっくに店は畳んでるんだ。ただちょっとボケてて、時々店を開けちゃうんだよ。
まあ、材料は何年前のものかわからないし、小麦以外の何が入っているかもわからんけど」
「そんなひどい店なのに、何で旨いと勘違いするような話を広めてるんですか!?」
「まあ、考えてみろよ。自分たちだけが噂に踊らされてあんな酷い目に遭っただなんて、悔しくないか?」
──それから俺たちは、積極的に伝説を広める側に回った。
くくく、どいつもこいつも情報に踊らされて、俺たちと同じ苦しみを味わうがいい!
「そうだなぁ、『天にも昇る気分』っていうのは、正にああいうことを言うんだろうなぁ……」