25話 〝執行人〟真鍋透
1996年 10月
真鍋透は、自動車部品工場を営む両親に育てられ、小学生になっていた。
真鍋の家は、中小企業の部類に入ったが、裕福であった。
松豊自動車と言う日本で1.2を争う会社から安定的に、仕事をもらっていた。
そんな、真鍋一家に訪問者が現れる。
5LDKの新築のリビングに通された、石川五郎太は名刺をだした。
財団法人 松花振興会育成部
部長 石川五郎太
と書いてあった。
五郎太は、「松花振興会は、文部科学省から依頼され、将来のエリートを幼少の頃から育てる機関です!御子息 真鍋透君は、IQテストでその優秀さは証明されています!是非 松花振興会にお預けください!」と申し出た。
透の父、真鍋拓真は、「いや、お断りします、松花振興会の事は知人から〝噂〟は聞いています。政府、国家公務員の要職にかなりの松花振興会のOBが就いていることも‥さぞありがたいお話なんでしょうが、透には、普通の学生生活を送らせたいのです!行く行くは、私の工場を継いでもらうつもりですし、どうぞお帰りください」と断った。
石川五郎太は、突如〝土下座〟を始めた!
「お父様!是非、是非、透君をお預けください!」と懇願するが、真鍋拓真は、「猿芝居はやめてください!私なりに〝貴方達〟のしている事は知っていますから!」と離席しようとした。
それを見た石川五郎太は、スクっと立ち上がり、
「ほう!言うじゃないですか?確かおたくは、松豊自動車の下請けでしたね?商売繁盛を陰ながら応援させていただきます」そう捨て台詞を冷酷な表情で吐き捨て帰って行った。
1か月後、真鍋の工場は突然〝松豊自動車〟から、契約を打ち切られた。
真鍋拓真は必死に工場を存続させる為に奔走した。
半年後、真鍋透は、学校から帰宅し、リビングで〝首吊り自殺〟をしている両親を目撃した。
更に半年後
松花振興会の石川五郎太の名刺を手に取り連絡する〝執行人〟真鍋透 がいた。




