狢の企み
「目は覚めたかね?気分はどうだ?」
白衣を着てボサボサの頭と無精髭を生やした男が俺を覗き込んでいた。
天井や周りの景色は、映画やドラマで見たことのある手術室や実験室の様で、自分が寝かされている台の金属が冷たい、何故ここにいるのか目の前の男が誰なのか理解できる事が一切無かった。
「体はどうだ?データに異常も見られないし、完璧に調整してあるが問題があれば言ってくれ」
男の言葉に反応して自分の体を確認する、見聞きは出来るし薬くさい部屋の悪臭も感じる、手足も動くようなので体を起こしてみる。
「はあ!?」
自分の体つきを見て大声をあげる、体は男性のそれではなくすっかり女性の特徴に変わっていた。
そういえば自分が上げた声も信じられないくらい高くなっている、意識した途端身体中に違和感を覚える、自分の体のどれもが自分の物だとは思えない程変容している、部屋の一角に洗面器と鏡を見つけたので急いで飛び付くと、鏡のなかに映る顔はまったく知らない人間だった。
気分が悪くなり洗面器に嘔吐する、呼吸が激しくなり上手に息が出来なくなる、体が震えて涙が止められない。
「落ち着けパニック発作だ、これを飲んで息をする事だけに集中しろ」
男が差し出す錠剤の強烈な怪しさは感じているものの、藁にもすがる思いで薬を飲み込み、言われた通り呼吸にだけ集中した。
呼吸と心臓の音、そしてリズムよく俺の背中をさする男の手によって落ち着きを取り戻した、息を整えて改めて男に聞く。
「あんた俺に何をしたんだ」
髭が生えた汚い口が不気味な笑みを浮かべる。
「君の体を使って作ったクローン体に君の魂を移したんだ、私は魂と人体の研究をしていてね、この技術は主研究の副産物みたいな物だが金を積まれれば提供してやるのもやぶさかではないのだよ」
男はべらべらと得意気に話す、その態度にカッとなって掴みかかる。
「ふざけるな!俺の体を使って人体実験したのか!?」
殴りかかろうと拳振り上げると、男は力ずくで俺の手を振りほどき積まれた段ボール箱に投げ飛ばされた。
段ボールがクッションになって床や壁に直撃することは免れたが、背中を打ったのか苦しくてむせた。
「まったく手荒な真似させるなよ、それにこの施術はお前が私に頼み込んできたからやってやったんだ」
「俺が頼んだ?」
手のひらで涙目を拭う、無駄なことかもしれないが弱気な態度を見せたくなかった。
「そうだ、いつだったかお前が大金を持って私の所に来た、居場所と素性をどう調べたか知らんがな、クローン体の作成と魂の移譲を注文通りだ」
「そんな馬鹿な、そんな事記憶にない、俺が頼んだというのなら何故その記憶がないんだ」
男がそれを聞くと一枚の紙を渡してきた。
「嘘だろ?」
それは契約書のようだった。
自らの体を自由に使わせる事、その体を使って希望のクローン体を作る事、魂や記憶をそっくり入れ換える事、その施術によって生じる記憶障害や身体の不調の責任を問わない事、元に戻すことはできない事、その他もろもろの生命を放棄するような内容に自分の名前でサインと血判が押印されていた。
「記憶障害もその内体に馴染むよ、身体に異常は見られないから取り敢えず今日は帰れ、住所は覚えてるか?」
「そりゃ覚えてるが、こんな体になっちまってどう説明すりゃいいんだよ!」
「そんな事知らんよ、私は私の仕事をしたまでだ、後の生活は自分で考えるんだな、検査とデータ収集のために二週間後またここに来てくれれば私としてどうしようとも構わんよ」
それだけ言うと男は俺が用意したらしい女性服を無造作に置き、研究の続きがあるからと言って奥に引っ込んでしまった。
どうすればいいか分からず呆然と立ち尽くす、しかしもう何も思い付く事はない、仕方なく慣れない服を苦戦しながら着て外に出ることを決意する、一体自分の人生に何があったのか、これから生きていけるのか不安に苛まれながらとぼとぼと帰路についた。
「行ったようだな、完璧な仕事だったろう?」
実験室の奥の部屋で男と女が話し合っている。
「ええ、素晴らしい出来よ感謝するわ」
女は先ほど出ていった人物のオリジナルだった。
「あれだけ完成度の高いクローン技術や人格の埋め込み、よくここまで仕上げたわね」
「貴女みたいな精神科医のお陰でね、この技術を治療に使うなんて思いもよらなかったよ、患者は余るほど居たからデータも取り放題実験もし放題で助かったよ」
「頑強な体と都合よく作った精神のクローン体に、記憶や人格を移す、患者は治療され元の体は実験に利用できる、無駄のない計画でしょ」
男と女はコーヒーを同時に一すすりして不敵に笑いあう、二人の間には人並みの倫理観は無い。
「しかし今度の実験は驚いたよ、まさか自分の体を使って他人の人生を観察しようってんだから」
「私のクローン体に他人の人格を埋め込みその行動を観察する、中々面白そうな取り組みでしょ?」
「ああ、興味深いデータがとれそうだ、他の検体も欲しいからまた頼むよ」
女はコーヒーを飲み干すとマグカップを置いた。
「勿論、どこまでも協力してもらうわよ、地獄までね」
女がそう言って部屋を去ると、男は狂気じみた笑い声を上げて喜んだ。
二人の狂気の企ては闇の奥深く、誰にも気づかれずに不気味に蠢いているのであった。




