1-7 オタク解放戦線に加入させられました
「今朝の一件というと……あの煙玉ですか?」
「そうだ。本来なら夏休み明けから計画を実施する予定だったのに、江古田を救出してしまったことが原因で、この戦線の存在が生徒会に察知された」
まだ一学期の中間テストすら終わっていない状況なので、樋口先輩が考えていたよりもかなり計画が前倒しになってしまうみたいです。
「今朝の出来事はちょっとした大事かもしれませんが、でもそれだけでオタク解放戦線の存在がバレるってことは……」
「いや、確実に存在を察知された」
「そ、そんな、何を根拠にそんなこというんですか?」
生徒会長、恋ヶ窪明音さん本人に聞かなければそんなこと分からないはずです。
「ワイは、生徒会室に盗聴器を設置している」
「それって犯罪なんじゃ!?」
「やつらが行なっているオタク弾圧運動だって、思想の自由、表現の自由、信仰の自由に違反しているだろ」
「だからって、盗聴が許されるかといったらそんなことはないと思いますけど……」
なんにしても生徒会室に盗聴器を仕掛けるなんて、どうやら樋口先輩は本気で生徒会と戦うつもりみたいです。
その覚悟がなければ、盗聴器を仕掛けるなんてできません。
見つかったら謹慎とかではすまないですよ。
「……盗聴のことは一先ずおいておきます。それでどうして、オタク解放戦線の存在が察知されたと?」
「先程の会議で、オタク解放戦線が動き出したことを議題に上げていた」
「なるほど……」
あの煙玉だけでそこまで察知するとは、さすがは緑生高校の生徒会です。
「それだけじゃないぞ。江古田俊介の身辺調査を実施するとも言っていた」
「ファッ!?」
なんで俺が……、マークされることなんかに……。
「それは、煙玉が投げ込まれたタイミングを考えてみれば、江古田が怪しまれるのは当然のことだろ」
「生徒会に目をつけられたら終わりじゃないですか!」
「あぁ、やつら容赦ないぞ。プライベートの監視。ゴミ捨て場に捨てたゴミ袋まで開けるくらいには熱心だぞ。あとは尋問……ちょっとした拷問とかな」
「ちょ、ちょっとした拷問!?」
ここって日本ですよね? 法治国家ですよね?
「その実態を詳しくは知らないが、その拷問を受けたものはオタクとしては再起不能になるという話だ」
「ちょ、なんとかしてください! マジで助けてください!」
冗談のようにも思えますが、この緑生高校の生徒会ならやりかねないです。
そりゃ、ついこの前までオタクだった人間を、ボディービルダーにしてしまうくらいのことは普通にやってのける訳ですからね。
「これでも着て、落ち着け」
「……これは?」
やけにツルツルした材質の白い布を手渡されました。
「レオタードだ」
「こんなもの着れますか! そもそも何でレオタードなんて持ってるんですか!?」
「人肌恋しい夜は、ついつい着たくなってしまうのだ」
「まさかの自分用!? やっぱ樋口先輩、頭おかしいですって!」
「そうやって自分と違うものに対して、狂のレッテルを貼れば楽だな。受け入れたくない現実。誰だって自分の常識を壊されたくない。そうやって自分のちっぽけな城に閉じこもってれば楽なんだろうけどな。お前がそうしている間にも世界は進んでいるんだぞ?」
「なんか俺が悪いみたいになってますけど、そんなことないですからね!?」
自分が着るためのレオタードを持っている人間に、何を言われても響きません。
「あのー先輩方。ちょっと話逸れていませんか? 真面目な話、俊介先輩の立場って結構やばくないですか?」
「そ、そうだった! 樋口先輩、何か手段はないんですか!?」
はるかちゃんに諭され、今一番考えなければならない事象を思い出しました。
「案ずるな。ワイに抜かりはない」
「……というと?」
「きちんと手段は考えている」
「あ、ありがとうございます!」
まさか、樋口先輩に心から感謝することになるとは。
「オタク解放戦線は、明日から本格的な活動を始める!」
多目的室に集まったメンバーに向けて、樋口先輩が堂々と宣言します。
「今後の活動方針は二つ。一つは本格的な生徒会への妨害運動だ。仔細は追って連絡するのでこちらに関してはしばし待て。そしてもう一つは、戦線のメンバーである江古田俊介を生徒会から守ることだ」
ここまで思うところはありましたが、オタク解放戦線に入るという決断をしたことは間違っていなかったみたいです。
もしあの場でライトノベルが見つかっていたら、もしこのままオタク解放戦線に所属してなかったら——————きっと俺はオタクではなくなっていました。
「江古田を生徒会から守るために、さっそくではあるがメンバーの協力を仰ぎたい————鷺ノ宮!」
「……なんですか?」
「江古田と付き合ってくれ」
『…………は?』
樋口先輩が発した言葉の意味が理解できません。
俺と鷺ノ宮さんは、二人揃って首を傾げてしまいます。
「何度も言わせるな。江古田と鷺ノ宮で付き合えと言っているんだ」
「いや、守ってもらえるのは有難いんですけど、なんでそうなるんですか!?」
「江古田のマークを外すには、江古田がオタクでないアピールをする必要がある」
「そ、そうですね」
「オタクでないと手っ取り早くアピールするには、彼女を作るのが一番だろ? しかも鷺ノ宮はギャル。オタクとギャルが付き合うなんてあり得ない」
樋口先輩の言っていることは、一見理に適っているようにも思えます。
いや、しかしだからといってこれが最善かと言われれば……そんなことは……。
「あたしが嫌です!」
俺が疑問の言葉を口にする前に、鷺ノ宮さんが激しく拒絶しました。
「なんだ鷺ノ宮。なにか問題が?」
「問題しかないです! あたしの立場とか……それに江古田とはクラスも一緒なんですよ? ここまで親しくしてきたわけでもないのに急すぎます! ……それにまだ誰とも付き合ったことないのに」
「別に合体しろとは言ってないんだぞ? エロゲーではなくギャルゲーのような、一八歳未満の人間でも安心して見ることのできる交際をしてくれと言っているんだ」
「そ、そんなのは当然です! 交際することに問題があると言ってるんです!」
鷺ノ宮さんは烈火のごとく怒っています。
いつも冷戦沈着なクール系という感じなので、こんな感情的になる姿を見るのは初めてです————なんて、呑気なこと言っている場合じゃありませんでした。
「いや、ほら鷺ノ宮さんもこう言っていますし……、他にも手段があるんじゃ?」
「なんなら、僕が俊介先輩と付き合いますよ!」
「はるかちゃん! 今は状況をややこしくしないでくれるかな!?」
確かにはるかちゃんは可愛いし、なんならもう普通に結婚したいし、ウェディングドレスを着せてあげたいけど、何かと問題があるんです。
性別の壁とか、今の状況とか。
「これがベストなんだ。鷺ノ宮はクラスが一緒で急だと言っているが、むしろクラスメイト同士が付き合うのが自然だろ? それこそ、いきなり梶本と付き合いだした方が、違和感があるだろ」
「そうですけど……」
樋口先輩の言葉には説得力がありましたが、鷺ノ宮さんは納得をしていません。
それもそうです。
これは論理の問題ではなく、感情の問題ですから。
「頼む、鷺ノ宮。これは戦線を守るためだ。もし江古田が生徒会に捕まって拷問でもされてみろ。その時にここのメンバーの名前を口にしたら、戦線もおしまいだ」
「……………………わかりました」
鷺ノ宮さんは肩を落として、うなだれながら返事をしました。
どうしようもないという事実に諦めがついたみたいです。
しかし、まぁあれですよね。ここまで激しく拒絶されてしまうと、こっちとしてもかなりの心理的ダメージがあります。
「江古田!」
「はひぃ!」
鷺ノ宮さんは、いきなり立ち上がるとこちらを睨んできました。
そのあまりの圧力に間の抜けた声が出てしまいます。
「やるからには本格的に……失敗は許さないから」
「御意!」
「けど、あたしに触れるのは絶対NGだから。触れたら……コロス」
「イエス、マム!」
めちゃくちゃ怖いです。
殺すという言葉が、冗談に聞こえないくらいには迫力がありました。
「よし、それでは今日の会議は終わりだ。解散!」
樋口先輩の号令がかかると、各メンバーはそそくさ帰りの支度を始めます。
「それでは、江古田くん。また明日」
「俊介先輩! お先です!」
「明日から頼んだぞ」
あっという間に椿くん、はるかちゃん、樋口先輩は多目的室を出てしまい、教室には俺と鷺ノ宮さんだけが残されました。
「あはは……、あのなんかごめんね?」
「別に」
鷺ノ宮さんは素っ気なく言い放つと、カバンを持って扉の方に歩き出しました。
……そのまま帰宅するのかと思ったのですが。
「あ、江古田」
「え?」
扉に手をかけた鷺ノ宮さんは何か思い出したみたいで、俺に向かって声をかけました。
「あんた電車通学でしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ明日、駅に八時集合で」
「それって……」
「じゃあ」
「あ、ちょっと待って!」
俺の静止の声は届かず、鷺ノ宮さんは多目的室を後にしました。
「はぁ……」
多目的室は、先程までの喧騒が嘘のように静まり返っていました。
グランドの方から聞こえてくる野球部の掛け声が、やけに大きく聞こえます。
改めてここで行われた話し合いを思い出すと辟易としてしまいます。
家にライトノベルを置き忘れたことで、ここまで大きく日常が変化するとは夢にも思いませんでした。
今後のオタク解放戦線の活動————とりわけ鷺ノ宮さんと偽りの恋人関係を演じることを考えるとついため息が出てしまいます。
こうして俺の隠れオタクとしての日々は、おかしな方へと進み始めるのでした。