1-3 オタク解放戦線に加入させられました
少しばかり教室から離れたところで、歩調を緩めて深呼吸をしました。
「ふぅー」
あのまま座って考えていたら、誇大妄想にまで発展していたと思います。
外の空気を吸いながら、目的もなく歩いていれば少しは落ち着きそうです。
「リア充の真似事をしていて疲れないか?」
不意に、後ろから声がかかりました。
昼休みは生徒の移動が活発なので、今いる階段も人通りが多いはずです。
しかし、今日はなぜか、周囲に他の生徒の姿はありませんでした。
そのため、後ろからかかった声が、自分に向けられたものだと理解することに、時間はあまりかかりませんでした。
また、その内容にもひどく心当たりがあります。
「あなたは?」
振り返ってみると、階段の踊り場に見知らぬ男が立っていました。
……いえ、正確には一度だけ遠目に見たことはある人です。
確か、三年生の有名人だったと思います。
なぜ一目でわかったのかというと、その風貌があまりにも特徴的だったからです。
腰ぐらいまで伸びたロングヘアー、そしてその長い髪を緑色に染色しています。
緑生高校では、服装や髪型は基本的に自由ですが、さすがにこの風貌で目立たないというのは無理がありました。
「ワイは――――お前の妹だ」
「……色々とおかしくないですか!?」
一人称が「ワイ」というのも地味にツッコミどころですが、それは置いておきます。
とりあえず、何を言っているのか意味がわかりません。
そこはせめて「俺はお前の兄だ」じゃないですか。男なのに妹って。
「お兄ちゃん、朝だよ! 目を覚まして!」
「まず、あなたが目を覚ましてくれますか!?」
こんな緑髪ロン毛男に、お兄ちゃんと呼ばれたので思わず鳥肌が立ちました。
「にぃにぃのいけずぅ~」
「……あの初対面でこんなこと言うのもあれですけど、ぶん殴ってもいいですか?」
煽り耐性はあると思っていたのですが、さすがに耐えられませんでした。
「ワイは年上だぞ? 口の利き方に気をつけろ」
「年上なら、年上らしい態度をとって頂けませんかね!?」
「年上であり妹……興奮しないか?」
「しませんから! 正しい妹の定義を調べてください!」
怒涛の勢いでツッコみます。
息継ぎもなくツッコんでいるので、息が上がってしまいます。
「ちょっと待ってろ。妹の定義を調べる。屁、尻!」
「発音おかしいです! それとその機種じゃ無理です!」
緑髪ロン毛男はポケットからスマホを取り出して、音声アシスタント機能を利用しようとします。
しかし、スマホの機種(正確にはOS)が異なるため反応しませんでした。
いえ仮に機種が合っていても、あの発音だと反応するかは微妙なところです。
「そうか。じゃあ、OKゴーグル」
「惜しいです!」
「オッケー牧場」
「全然違います!」
「おい、いい加減にしろ。本題に入れないだろ」
「それは俺のセリフですよ!?」
「……俺のセロリ?」
「お願いします! 本題に入ってくれません!?」
これ以上、この人と会話をしていたら頭がおかしくなりそうです。
ぜぇぜぇと息を整えていると、階段の踊り場から男が降りてきます。
近くで見ると、意外と身長がデカイです。
感覚的には一八○cmは超えていると思います。
エキセントリックな風貌に目がいってしまいますが、よく見るとかなり顔立ちが整っています。もう少し大衆受けする髪型にすれば、芸能人と言われても納得してしまうかもしれません。
「自己紹介がまだだったな。ワイの名前は樋口太郎丸、童貞さ」
「『探偵さ』みたいなノリで童貞カミングアウトしないでくれますか!?」
「意外かも知れないが、高校三年生だ」
「本当に意外です!」
高校三年生にもなって、こんなに頭がおかしい人がいるとは想像できませんでした。
先輩っていうのは、もっとスマートでかっこいい人たちだと思っていました。
「江古田俊介。クラスでは天沢遼を中心としたグループに所属。静岡県出身。一人暮らし。居酒屋とファミレスでアルバイト。隠しているがオタク。土曜日に秋葉原で『貧乳彼女が豊胸した件について』の最新刊を購入」
「な、なんですかいきなり! どうしてそのことを……」
「学年が変わってから、ずっとお前のことをストーキングしていた」
「一体、何の目的でそんなことするんですか!」
あまりの薄気味悪さに声を荒げてしまいます。
どうして俺なんかに執着するんでしょうか。
そりゃ、確かにオタクではありますけど、そんなの個人の自由じゃないですか。どうして世間もこの学校も、自分とは違った人間を受け入れる寛容さがないんですか。
「話は変わるが、江古田は巨乳派か? 貧乳派か?」
「シリアスな流れをぶち壊さないでくれます!? 貧乳派ですけど!」
どうも、この樋口とかいう先輩と話しているとペースが乱されます。
あ、ちなみに二次元では、貧乳を気にしている女の子が好きです。
「要するにだな。ワイがリーダーを務めている『オタク解放戦線』に入ってくれないか、ということだ」
「今の話を、どうまとめたらそういう話になるんですか! というか、オタク解放戦線ってたしか……」
実を言うと、『オタク解放戦線』という組織に心当たりがありました。
あくまで噂レベルでしかなかったのですが、毎年オタク排斥運動を促進する生徒会に対抗している組織が暗躍していると、代によっては文化祭や卒業式などの行事をジャックし、大規模なボイコットを行なっていたとか。
昨年度はそういった活動は顕在してなかったので、まさか本当に実在していたとは思いませんでした。
「それで? 返事はYESかYESのどっちかにしろ」
「せめて、『はい』か『YES』かみたいに、形の上では二択にしてくれます!? もうそれは二択って言いませんからね!」
それはさておきです。果たして、この樋口先輩が率いている団体に所属することに、メリットはあるのでしょうか。
見ての通り樋口先輩自体は頭がおかしく、信用に足る人物とは言えません。
俺自身、オタクである訳ですから、身を守るという意味ではメリットがあるとも言えます。しかし、集団に属したほうが、より危険性が上がるのではないでしょうか。
「何だ、どうすれば入会してくれる? 這いつくばってお前の上履きを舐めろと?」
「そんなことしなくていいですから!」
「いいって。遠慮するなよ」
「むしろ、ノリ気!?」
やはり、この樋口って人はやばいです。オタク解放戦線という組織には、少し興味がありましたが、ここは丁重に断ることにします。
「どうだ、入会する気になったか?」
「ありがたいお誘いなんですけど……今回は遠慮させて頂きます」
「もしかして、入会しないつもりか?」
「えーと、はい」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん」
「ちょ、誰か来ちゃいますよ!」
そんな俺の返事を聞くなり、樋口先輩は大声で泣き出しました。
奇跡的に生徒の姿がないため、こんな反体制的な会話をすることが出来ていますが、もしもこの話を聞かれたら、密告される可能性もあるのです。
緑生高校では『オタク文化及びそれを信奉する者に対する排斥の原則』に基づき、該当する人物を密告したものには、学食一年フリーパスが贈られるという制度があります。
よほどの事情がない限り、一般生徒は隠れオタクの取り締まりに協力します。
「やだぁ! やだぁ! 入会してぇ!」
そんなことお構いなしに、樋口先輩は仰向けになって床に寝ころび、ジタバタしながら喚き散らしています。
まるで、スーパーでおもちゃをねだる幼稚園児のようでした。
「分かりました! 入りますから!」
これ以上騒がれて、注目を浴びるほうがまずいです。
「…………ほんとぉ?」
悪寒が走るような嬌声で、樋口先輩が問いかけてきました。
今日は弁当を作る時間がなく、購買のパンを一個食べただけだったのですが、どうやらそれが幸いしたようです。もしガッツリ食べていたら、確実にリバースしていました。
「入会しますから! もう騒がないでください!」
「承知した。それでは、この書類にサインしてくれるか?」
「急に態度を変えないでくれます!?」
先程まで喚き散らしていたのは嘘みたいに、樋口先輩は大人しくなりました。
そして、一枚の用紙を差し出します。
用紙の見出しには『誓約書』と書かれていました。
「これは……」
株式会社 オタク解放戦線 御中
「(株式会社!?)」
こんな訳の分からない集団が、法人格を持っているとは思いませんでした。
……気を取り直して続きを読みます。
私は戦線に加入するにあたり、下記の事項を遵守することを誓約いたします。
一 樋口太郎丸を「ママ」と呼ぶ。
「(絶対に嫌です!)」
二 樋口太郎丸はNTRが、大好きです。
「(だいぶ歪んでますね!?)」
三 趣味はアヘ顔ダブルピース。
「(最悪だ!)」
四 好物はぶっかけうどん。
「(この流れだと意味深すぎる!)」
五 ……バスケがしたいです。
「(勝手にしてください!)」
————ここまで読んで、誓約書の文言に目を通すのをやめました。
誓約書というより、これは樋口先輩の自己紹介みたいな感じです。
それどころか、後半は完全に大喜利になっていました。
「どうだ、入会する気になったか?」
「……やっぱやめていいですか!?」
先程は、勢いで了承してしまいました。が、しかしです。冷静に考えて、この変人と上手くやっていける気がしません。
入会したら、あれこれ苦労することが目に見えます。
「やれやれ、強情だな。手荒な真似はしたくなかったが………」
樋口先輩は、懐から何かを取り出しました。
よく見るとそれは————
「どうしてそれを!?」
今朝、生徒会長と一悶着を起こしてしまった原因。
俺が愛読しているライトノベル『貧乳彼女が豊胸した件について』の最新刊が、樋口先輩の手中にありました。
運動靴入れの中に隠したはずなのに!
「学年が変わってから、ずっとストーカーしていたと言っただろう」
「つまり……これは脅しってことですよね?」
「別にそんなつもりはない。ただワイはただ感謝してほしいだけだ。今朝、都合のいいタイミングで煙玉が投げ込まれなかったか?」
そういえばそうでした。
すっかり忘れていましたが、生徒会長の持ち物検査から逃れることができたのは、突然投げ込まれた煙玉のおかげです。
「まさか、あれは樋口先輩が?」
「ようやく気がついたようだな。そうだ、あれはワイがやった。遠目で観察していたら、何やらカバンの中を見せるのを渋っているからな。余計なお世話だったか?」
「いえ……ありがとうございます」
これは素直に感謝の気持ちしかないです。
中のライトノベルが見つかっていたら、俺の高校生活は終わっていました。
「さて、そんな命の恩人がだ。オタク解放戦線に入会してくれと言っているわけだが?」
「……………………入会させていただきます」
こうして、俺はオタク解放戦線に加入することになったのです。
この出来事が学校生活を一八○度変えてしまうとは知らずに。