第三話
あれから二ヶ月。
全然、することがない。暇である。
ヴァレンタイン家に住んでいるとはいえ、カルロス様とは食事の時しか顔を合わせない。会話も長くは続かなかった。
婚約者代理とはいえ、人前に出る機会もない。
あまりに暇なので、貰った給金で講師を呼び、令嬢としてのマナー講座なんかを受けてみたりした。
ダンスや会話レッスン、乗馬に外国語。加えてテーブルマナーに社交マナー。
これはいい暇つぶしだったが、二ヶ月もやればもう覚えることはない。
「カルロス様って、いつも無表情だから何考えているのかわかんないや……」
月明かりが入り込む自室で、私は机に突っ伏しながらボヤく。
「普段、どんな仕事してるんだろう」
公爵としての公務があるのだろうが、それは執務室の中だけで済む仕事なのだろうか?
というのも、カルロス様が出歩いているのを見たことがなかった。
日中はずっと部屋に籠っていて、夕飯の時ふらりと現れるだけ。ご飯を食べてるということ以外、彼のことを何も知らない。
「ま、考えたって分からないか」
紅茶でも飲んで寝よう。そう思い部屋の呼び鈴を鳴らそうとしたが、直前で止まる。
「……夜だもんね。さすがに自分で入れよう」
この家に住んでいる間は、何一つ家事をしなくていい。というか、させてもらえない。
用事があれば呼べと言われているし、屋敷に仕えている人達は私に頭を下げる。
きっと貴族なら当たり前の生活なのだろうが、私は未だに慣れなかった。
物音を立てないようにそっと自室から出て、一階の厨房へと向かう。
あと少しで着く、という時だった。厨房より奥にある通路の曲がり角に人影が見えた。
一瞬で角を曲がってしまったため、ちゃんと見ることはできなかったが……銀髪だったように思う。
「……カルロス様?」
珍しい。食事の時以外で部屋から出ているなんて。
興味本位で後を追う。どうやらカルロス様は、裏口から外へ出たようだった。
季節は春。裏口の戸を開けると、まだ少し肌寒い夜風が頬を撫でる。
明かりを持ってこなかったため、暗すぎてあまりよく見えない。
「どこいっちゃったんだろう」
もう少し月明かりが届く所まで出てみよう、そう思って足を一歩踏み出した時、
「ここにいるが?」
「あひぃ!!」
心臓が止まるかと思った。
扉のすぐ横の壁に、カルロス様がもたれかかって立っていた。
全然見えなかった! 気づかなかった! お化け屋敷より驚いた!
「こ、こんばんは、カルロス様! 今日はお日柄も良く……」
「何している」
バッサリと切られて、私は視線を右往左往させる。なんだか、やましいことをして咎められているような気分だ。
「いや、あの……カルロス様が部屋から出てるの珍しいなぁ……って、それで……何してるんだろう……と、あの、えっと……」
「それで、後を着いてきたのか」
「……気づいてたんですね」
「当然だ」
カルロス様は腕組みをしたまま、大きなため息を吐いた。
私は首をすくめて一歩下がる。
「へ、部屋に戻ります……」
「なぜだ?」
なぜ、と言われたら……なんかちょっと怒られた気分になったから?
とは言えず顔を上げると、カルロス様と目が合う。
「俺が何してるか気になるんだろう? 着いてくればいい」
「いいんですか! 着いていきたいです!」
「……お前は元気だな」
カルロス様は壁から離れて歩き出す。
どうやら屋敷の外に出るみたいだ。
実は、この二ヶ月私は屋敷の外に出ていない。
まあこの屋敷が広すぎて、閉じ込められているような感覚がしない……というのもあるが、単純に知らない土地を一人で歩くのは億劫だった。
カルロス様の後ろを歩きながら、街までの坂道を下っていく。
「思ったより屋敷から街は近いんですね」
「さっき、魔法で屋敷の出口を街のそばまで繋いだ。本当はもっと遠い」
「……ちょっと何言っているか分からないんですけど、カルロス様が凄い魔法使いだってことは分かりました」
夜ということもあってか、人通りはほとんどない。時々遠くの酒場から笑い声が聞こえてくるが、街の大半は寝入っている。
カルロス様が路地裏ばかりを選んで歩くので、必然的に誰かとすれ違うこともなかった。
「来た時は田舎かなぁと思ったんですけど、思ったより建物も多くて栄えているんですね」
「王都と比べると退屈だろう」
「派手だったら何でもいいってわけじゃないですよ。まったりとしていて……そうですね、"ふるさと"って感じがして好きです」
小さい頃に亡くなってしまったけれど、祖父母の実家も静かで良いところだった。
カルロス様は私にちらりと視線を向けただけで、それ以上は何も言わない。
また会話終わっちゃった。私の会話能力が低すぎて呆れられたのかな?
なんて思いながら歩き続けていると、突然カルロス様の足が止まった。
あまりにも急だったので、彼の背中にぶつかってしまい、「んぎゃ!」と情けない声を上げる。
私の惨状にも、カルロス様は全く動じてない。
「いてて……どうしたんですか、カルロス様」
「着いた」
カルロス様の視線の先には、小さな掘っ建て小屋があった。
「ここは……」
「元々は金物屋の資材置き場だったところだ。主人が亡くなってから半年ほど、空き家になっている」
「ほう」
「それで、ここに住み着いた猫が増えすぎていて困るという話を耳にした」
猫?
聞き間違いかと思ってカルロス様を見上げる。
この無表情無感情の男から猫などという単語が出てくるわけが……
「猫の管理を誰がするでもない状態が続くのは良くない」
聞き間違いじゃなかった!
すごく真面目な顔で、猫猫言っている!
カルロス様が掘っ建て小屋の中に入るので、私もついて行く。
中には、確かにたくさんの猫がいた。可愛い!
カルロス様はその場で腰をかがめ、険しい顔で猫をじっと見つめている。
その姿を見て、私は夢から覚めたような気持ちになった。
ここにいるのは全部野良猫。経緯はともあれ、誰も飼えずに繁殖を繰り返している。
このままでは路地裏の衛生問題にも関わってくるだろうし、本当に手が負えなくなってからでは遅い。
……処分、だろうなぁ。だからカルロス様も険しい顔をしているんだろうな。
心臓がズキっと傷んだ。
猫は全然悪くないのに。
人間の生活のための都合なんかで……。
「あの、カルロス様! どうかご容赦……!」
「なあ、ライザ。どの猫が、どの子猫の母猫か分かるか?」
「……はい?」
私が瞬きを繰り返して突っ立っている間に、カルロス様の周囲には猫が集まりだした。
背中も頭も猫にまみれていくカルロス様だが、それでも不動だ。
「とりあえずヴァレンタイン家から去勢避妊費用と餌代を全額出すとして……領地内の孤児院で犬猫を欲しがっている所は……二件か。ああ、ローシィ家の子供らも猫が欲しいと言っていたな」
カルロス様は猫をガン見しながら、ブツブツと独り言を続ける。
私からの返事がないのに気づいたのか、ようやくカルロス様が顔をこちらに向ける。
「ライザ?」
「えっと……何を……」
公爵様が、夜中に、空き家で、猫と真剣な顔で向かい合って、一体何を。の、何をだ。
私の質問の意図が分からなかったのか、カルロス様は首を傾げた。
「猫の保護先を考えているんだ。ここまで増えたのは、別に民が見て見ぬふりをしたからじゃない。誰が率先して手を出していいのかも分からず、出した先の手段も分からなかっただけだ」
「まあそうですよね……一般家庭にこれだけの猫を管理できる金銭的余裕があるとは思えませんし……」
「俺は金も手段も持っている。じゃあ、俺が出向くのは当然だろう」
一理あるけれど、領地主がわざわざ出向くほどの問題なのだろうか? なんかこう、家臣とか役所に命令してやらせればいいんじゃないか……。全然貴族っぽくないなぁ……。
そこまで考えて、私は首を振った。
いや、多分……カルロス様は初めからきっとこんな人なのかもしれない。
そんなの誰かにやらせればいいじゃん。と普通の人が考えることを自分で動いてしまうのが、カルロス・ヴァレンタインという男なのだろう。
「半分はうちで飼おう。だが母子の組み合わせを間違ってしまっては可哀想だ。ライザ、振り分け作業を手伝ってくれ」
「勿論です!」
猫の仕分けが終わった時には、すっかり日付が変わっていた。
ちなみに、猫には一匹ずつカルロス様が魔法で目印を付けたので見間違わない。
仕事が一段落したので、私はふと気になったことを聞いた。
「なぜ夜中に? 昼にやればもっと分かりやすくて楽でしたのに」
私の質問に、カルロス様はしばらく固まった。
そして、視線を斜め下に落とし、口元を手のひらで覆い隠す。
「……しいだろ」
「え?」
「昼間に人前に出るのは……恥ずかしいだろう。夜なら誰にも会わないし、誰とも会話しなくていい」
そう語るカルロス様の顔は、ほんのりと赤かった。
私は絶叫しそうになって口元を抑える。
拝啓 お父さん、お母さん。
醜悪と噂の公爵様は、ただの極度の人見知りでした。
短編版とは違い、この第三話から話が膨らみます!
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