第二十話
案内された先は、国王陛下の私室の一つである談話室だった。
謁見の間のときのように衛兵が壁際に立っていることもなく、静かな空間が広がる。
「急に呼び出して驚いただろう。どうか楽にかけてくれ」
「は、はい!」
体が沈むほど柔らかいソファーに腰を下ろし、テーブルを挟んで国王陛下と向かい合う。
何の話だろう、と緊張して背筋を伸ばしていれば、国王陛下は嬉しそうな顔で口を開いた。
「ウィルから報告が上がってきていた。どうやら、ライザ嬢の尽力があったようだが?」
「い、いえ! 私は大したことは!」
「いつもならば、城にいるときはいつも苛立っていて、世話係と視線を合わせなかったルーディが、今日は目に輝きがあると。しきりに、君に聞いた話をウィルに語り明かしているそうだ」
国王陛下は、視線を暖炉の上に向ける。
そこには、家族写真が飾られていた。国王陛下と妃殿下、そして今より幼いルーディ王子が中睦まじげに並んでいた。
「最近では、世話係にだけでなく、私が話しかけても話をしようとしてくれなかったのでな」
私の想いが少しでもルーディ王子にとっていい方向へと転がっているのならば、何よりだ。
少し照れつつ、私は口が過ぎると分かっていて進言する。
「……思うに、ルーディ王子は寂しいんじゃないですかね?」
「寂しい?」
「無断で城の外に出ていってしまうのも、大人の目からみたら問題行動かもしれません。でもルーディ王子は、それ以外にイヴァン国王陛下の気を引く方法を知らないんだと思います」
「なんと……! 私はルーディを蔑ろにしたことなど一度もない!」
悲しみで眉尻を下げる国王陛下に、私は慌てて手を振って言葉の補足をした。
「も、もちろん、イヴァン国王陛下のお心も充分にルーディ王子に伝わっています! 大事にされていることも……傷つけないようにされていることも」
「傷つけないように?」
「はい。身を賭してでもルーディ王子を傷つけたくない。その想いはしっかりルーディ王子に伝わっています。……そして、時にそれは愛ゆえの心の距離感にも繋がっているんじゃないでしょうか」
私は子供を持つ母親ではないから、確信的なことはわからない。でも、互いに優しさだと信じて図った距離が、自然と寂しさに繋がってしまうことはよくある話だと思う。
「では、どうすれば」
「思いっきり、遊びましょう。イヴァン国王陛下が父親として……ご自身の最も得意な方法で」
「得意?」
「魔法で!」
私が前のめりにそう進言すると、国王陛下はぎょっとした顔をした。
「ルーディの前で魔法を使うなど!」
「その遠慮が、ルーディ王子にとっては距離感に繋がってしまっているんです」
にわかには信じられない、といった顔をする国王陛下に、勢いのまま畳み掛けていく。
「お父さんにしかできない、すごくかっこいい魔法を、どんっと見せてください! きっとルーディ王子は目を輝かせると思いますよ!」
言ったはいいものの、危険性が少なくて凄くかっこいい魔法なんてあるのかしら?
カルロス様が使う魔法は、かっこいいというより殺傷能力高めの魔法ばかりだし……。
国王陛下は暫く口をぽかんと開けていたが、やがて豪快に笑いだした。
「ははは! 君の度胸は目を見張るものがある。あの内向的なカルロスが心開くわけだ」
「すみません、言いすぎました……」
「いや。ぜひ試してみよう。親子の氷を解くきっかけになるのならば、試さない手はない」
国王陛下の期待に満ちた表情は、ルーディ王子とそっくりだ。
これで無事話は一段落か、とティーカップに手を伸ばしかけた時だった。
「時に。大聖女試験は順調か?」
ギクッと、全身が固まる。
和やかに会話を弾ませてはいたものの、国王陛下こそ私たちの結婚に課題を出している張本人なのだ。
「ライザ嬢がルーディに与えた教え……あれは、ユニコーン伝説の一説だろう?」
「仰る通りです……」
「その顔色の悪さを見るに、あまり上手くいってなさそうだな」
「……仰る通りです」
肩を落とす私に、国王陛下は優しく語りかける。
「私は聖女教育に詳しいわけではないが、ジェレミーとは長い付き合いだ。無茶難題を吹っかけてくる男だが、不可能を呈する男ではない」
「今は精進あるのみです……」
ルーディ王子を通してここまで深く語らったが、私は国王陛下に聖女としては信頼されていない。
しかし、決して信頼関係が築けていないわけではなかったのだと、国王陛下の次の言葉が指し示していた。
「ルーディの件を通して、ライザ嬢はどれだけ不相応な難題にも正面から向き合う女性だと評価している」
「有り難きお言葉、光栄です」
「君に大聖女の認定を命じたのは、ノヴァ公爵領の特性から成る、内政事情だと伝えているね?」
「はい」
「それは……半分は嘘だ」
えっ、と間の抜けた声が出る。
混乱で言葉が出ない私に対して、国王陛下はおもむろに立ち上がった。
「本当は伝えるつもりはなかった。大聖女へと導く理由付けは、政治的事情で充分事足りるからだ。だが、訓練が上手くいっていない理由は、そうした私の不誠実さにもあるのではないかと思ってね」
国王陛下は窓際に寄り、腕を後ろに組んで真っ直ぐに外の景色に視線を向ける。
そのまま、静かに言葉を続けた。
「君には大聖女になってほしい……いや、なってもらわなければ困る」
「ど、どうしてですか?」
「そうでなければ、近い将来……」
ズンっと、お腹の奥に響くくらい重い言葉だった。
「カルロスは死ぬだろう」
◾︎◾︎
すっかり通い慣れたリッセルド大聖堂の裏庭。
いつも通り、柵でできた囲いの中にはユニコーンが優雅に歩いている。
私は、柵の外からユニコーンをボーッと眺めていた。
景色の一部として映しているだけであって、意識の中にはない。私の頭の中は、国王陛下に言われた言葉で埋め尽くされていた。
草をはむことにも飽きたのか、ユニコーンが柵越しに私の前にやってきた。
こうやって近づいては来るけど、こちらから一歩歩み寄ろうとした瞬間逃げていくのを、もう何度も経験している。
ただ私をからかっているだけだ。
「……今日はからかっても無駄よ。柵の中に入る元気はないの」
ユニコーンはふんっと鼻息を吐き、遠くに歩いていってしまった。
休暇を挟んだからか、ユニコーンの魔に呑まれることはなくなった。けれど、時間がないのは変わらない。
こうして座り込んでいる場合ではないのだけれど……
木陰で物思いにふける私の元へ、ジェレミー様がやってきた。
「おや。今日は一度も庭の中に入っておらんようじゃの?」
「すみません……」
「よいよい。気分が乗らない時は無理をしない。そう学んでくれたのなら、ユニコーンの瘴気に呑まれることもないじゃろう」
ジェレミー様が私の空気を和らげようとしてくれているのは分かる。
私もいつもだったら、ゴチャゴチャと難しいことは考えずにやるだけやる。と息巻いて修行を再開していただろう。
それでも、今回ばかりは自分自身真剣にならざる得なかった。
私は立ち上がり、ジェレミー様の前に立つ。
「ジェレミー様」
「なんじゃ?」
「……魔物の活性化……って、なんですか」
私の出した言葉に、ジェレミー様はとくに驚く様子は見せなかった。まるで、私がそう聞くことを分かっていたみたいだ。
魔物の活性化。
国王陛下に言われた、私が大聖女にならなければならない理由であり、カルロス様の命に関わることだ。
国王陛下に言われた直後は、言葉をそのまま受け取ることに精一杯で、深く考えたり質問する余裕はなかった。
ジェレミー様は「ふむ……」と息を吐き、口ひげをなぞる。
「イヴァン様もようやく、独りよがりな優しさは時として人のためにはならないと学ばれたか……」
私に向けて言ったわけではなさそうな独り言のあとに、ジェレミー様はこくりと頷いた。
「見せた方が早い。おいで」
ジェレミー様に連れられ、大聖堂の中を歩く。向かった差は、普段行き来している地上ではなく、隠し扉を経た先にある地下だった。
松明だけが頼りの暗い地下を、ジェレミー様は迷いなく進んでいく。
凍えるほど寒い空気と時々聞こえる水が滴る音に、余計に恐怖を煽られた。
やがて、一つの扉がある空間に到着した。
扉の両側には、薄水色の礼服を着た枢機卿が控えている。松明を持ちながら立つ姿は、まるで罪人房の見張りのようだ。
ジェレミー様が手で合図を送ると、彼らは二人がかりで目の前の重厚な扉を開ける。
扉が開かれた先の光景に、私は目を丸くした。
「リッセルド大聖堂の地下にこんな空間が……」
薄暗い地下室の中心に、いくつもの松明で囲まれた祭壇がある。
祭壇には巨大な魔法陣が描かれ、その上には、巨大な檻が置かれていた。
檻と魔法陣を囲うように、数人の枢機卿が立ち並び、祈りを捧げている。
目をこらすと、檻の中で何かが蠢いていた。
「これは……ガーゴイル?」
私の知識に間違いがなければ、檻の中にいるのはガーゴイルだ。
手足が長く、骨と皮だけのアバラが浮きでた浅黒い体を持ち、背中には体長の倍はある大きな黒い翼がある。
頭部は人に近いが、顔の半分を大きな目が占める。薄らと空いた口元からは、ギザギザに尖った歯が見えていた。
出現率としては特段珍しくもないガーゴイルを、なぜわざわざ檻にいれているのだろう。
私が疑問を呈するより先に、ジェレミー様が口を開く。
「これは、遠征隊が魔物の生態調査のために捕らえてきた検体。まだ、幼体じゃ」
幼体。その言葉に、私は耳を疑った。檻の中にいるガーゴイルは、どう見ても成体に匹敵する大きだった。
遠征隊、と聞いて私の頭に思い浮かぶのは、半年ほど前にセモア大森林で保護した遠征軍の面々だ。
「もしかして……あのときの遠征で?」
「そうじゃ。半年前は、卵の状態じゃったがの」
「……ありえません。魔物の研究は何千年とされていますが、どれだけ早い種族でも羽化に三年は要するはずです」
多くの魔物は人間の力を凌駕するが、母数は少ない。個体としての完成度が高いので、繁殖をするという習性がほとんどないのだ。
それが、現代においてまで人間の世界と魔物の世界が均衡を保てている理由である。
「これこそが、魔物の活性化じゃ」
目の前で見ても信じきれない私に、ジェレミー様は説明をくれた。
「生後半年にして、既に成体と変わらない魔素量を持ち、強い瘴気を発しておる。こうして、何人もの上位聖職者が常に交代で浄化の呪文を唱え続けなければならないほどに」
「そんな……魔物の世界でそんな変化が起きていたなんて……」
言いながら、私はハッと思い出した。
王都に来た初日、街中で見かけた魔物崩れのことだ。
あんなに形状をハッキリと保った魔物崩れは存在しないはず。にもかかわらず、瘴気元がコカトリスだと分かるくらいにハッキリと形を保っていた。
「まさか魔物崩れも……!」
「うむ。魔物の活性化が進んでいることで、世界全体の瘴気濃度が上がっておる。そのせいで、瘴気溜りから発生する魔物崩れの危険性も上がっておるのじゃ」
ジェレミー様いわく、魔物の活性化自体は、数年前から世界各地で報告が上がってきていたらしい。
しかし、影響が明らかに目にできるようになったのは、ここ最近のことのようだ。
時期的にいえば、私がノヴァ公爵領へ移って数ヶ月後。
「私は聖女として働いていたはずなのに……初めて知りました」
「民の混乱を招かぬよう、秘密裏に協議されてきたことじゃからの。ここ数年、下町で働く聖女の者たちは何も知らさせないまま、忙しい毎日を送らされていて……申し訳なくは思っておる」
なんと。聖女として働き初めてから、忙しいのが当たり前だと思っていた。
あれは異常だったのだ。初めから忙しい環境にいると疑うことがないのだと、人の思い込みは恐ろしい。
ジェレミー様は祭壇から遠ざかり、出口を目指す。私も後ろ髪を引かれつつも、ガーゴイルのいる地下を離れた。
「いいことが一つ。悪いことが一つ」
階段を上がりながら、ジェレミー様は指立てる。
「一つは、魔物の活性化は数百年に一度起こる周期的なもので、ピークを超えると沈静化へ向かう。そして、人類は毎回活性化を乗り越えてきておる」
「今はどの程度なんですか?」
「ガーゴイルの様子を観察するに、ピーク直前……といったところじゃろう」
本来討伐するべき魔物を飼い続けているのは、ガーゴイルの様子を通して魔物の活性化状況を知るためなのだろう。
「悪いことは、魔物の母数が極端に増える。そのために人間側は、大規模な討伐作戦を行わなければならぬことじゃ」
私は俯き、唇を噛む。
これこそが、国王陛下が言っていたことだ。
魔物は人間の魂に引き寄せられる。魔物の活性化が進めば、冒険者や旅人に限らず、人間の生活圏が魔物で食い尽くされる危険が高まる。
特に、アムフルト王国は魔物と隣接する国。活性化した魔物の向かう先を予想するのは容易い。
ならばどうするか。人間の国へ向けて徒党を組み始めた魔物を、頭から叩くのだ。
それが、今国が秘密裏に進めている大規模魔物討伐作戦である。
「間もなくカルロス殿にも国王陛下から戦いに加わるよう命令が下るじゃろう」
「……はい。先日そう聞きました」
「本来、亡き弟君の愛息子であるカルロス殿を戦いになど出したくはないはず。じゃが、活性化した魔物に勝つには、カルロス殿がおらねば話にならぬ」
アムフルト王国の戦力として、カルロス様がいるのといないのでは大いに違う。
カルロス様が戦いに参加しないだけで、アムフルト王国はいくつもの軍隊を失っているに等しいのだ。
今もまだ、国王陛下の一声が耳にこびりついている。
私は声を震わせ、ジェレミー様に告げた。
「生きて、戻る保証はできない……と、言われました……」
戦いに絶対はない。
もしかしたら、アムフルト王国の勝利はカルロス様の犠牲の上に成り立つかもしれない。
私が当初に伝えられていた大聖女にならなければならない理由は、半分嘘。
「私は、カルロス様亡き後も……一人でノヴァ公爵領を守らなければならない……だから、大聖女であるということが大切なのだと……」
もしカルロス様がノヴァ公爵領からいなくなれば、今まで魔法で隠していた街が露になる。
セモア大森林と隣同士の領地を守るためには、カルロス様の魔法に匹敵する、圧倒的浄化力が必要なのだと。
 





