第十九話
待ち合わせの五分前。王城の跳ね橋近くにいけば、カルロス様の姿があった。
普段着に身を包み、懐中時計に目を落とすその横顔が美しくて、ドキッと心臓が跳ねた。
私に気づいたカルロス様は、懐中時計をしまって私の前まで歩いてくる。私は緊張を誤魔化そうと、咄嗟に視線を地面に落とした。
お互い向かい合って立っているというのに、目も合わないどころか言葉もかわさない。
ああ、きっとカルロス様はいつも通りの無表情で。私だけが調子を崩してるんだと思う。
二人で出かけるなんて、仕事でいつもやってるじゃない。今更何を。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら息を大きく吸い込んで顔を上げる。
「仕事のないお出かけなんて初め……」
言いかけた口が止まる。この目に映ったカルロス様は、私から逃げるように視線を逸らしていた。
いつもより険しい顔をしているのに、どこか困り顔にも見える。きゅっとキツく結ばれた一文字の口元。横髪をかけた耳と頬は、僅かに赤く染っていた。
「カルロス様?」
呼びかけても返事はなく、それどころかカルロス様の視線が泳ぐ。
「……もしかして、緊張してますか?」
「……だったら何が悪い」
人見知りがまだ激しかった頃、よく民衆の前に出てはカチンコチンに固まっているカルロス様を横目で見てきた。
でも、私に対してここまで固まっているカルロス様を見るのは初めてだ。
ああ、よかった。緊張していたのは私だけじゃなかったんだ。
そんな安心感から、思わず笑いが吹き出す。
「あはは! どう緊張したらそんなに怖い顔になるんですか!」
「知るか。初めてなんだから、仕方ないだろう」
「私も、好きな人とデートをするのは初めてです」
カルロス様は一瞬驚いた顔をしたあと、私に手を差し伸べながら目を細めた。
久々に見る、優しい笑顔だ。
「ライザ。良かったら今日一日、俺と楽しんでほしい」
「喜んで」
いつもは馬車での移動ばかりなので、歩いて街を回るのは久しぶりだ。
王都の景色は慣れているはずが、カルロス様と一緒に巡ると何もかもが目新しく思える。
お気に入りだった服屋をカルロス様にも紹介したり、女学生に人気のスイーツを食べ歩きしたり。路上で開催されている大道芸を楽しんだり。
私が紹介するのは、どれも公爵様には似合わない庶民的なものばかりだ。けれど、カルロス様は私の話に真剣に耳を傾け、目にするもの口にするもの、どれもに新鮮な反応を返してくれた。
「さっきのスイーツの方が好みだな」
「カルロス様には甘すぎたんですかね? こっちのフルーツ入りの方と交換します?」
手に持っていたクレープを差し出すと、大きな口が近づいてきてパクリと食べられる。
「ああ。確かにこっちの方が好みだ」
口の端に付いたクリームを拭いながら笑う姿は、いつもの生真面目仕事人カルロス様の顔ではなく、年相応の青年だった。
同世代の子たちよりもずっと早くに独り立ちしなければいけなかったカルロス様にとって、こうして無防備にはしゃげる時間は少なかったのかもしれない。
そう考えると、修行の息抜きとはいえデートに来れてよかったと心から思う。
王都で一番の観光名所と有名な時計台に付いた私たちは、登頂し王都の景色を一望した。
夕日に変わり始めた太陽に照らされ、赤く染まる街並みに思わず見とれる。
「初めて来たが……俺はここから見える景色が一番気に入った」
「どうしてですか?」
尋ねると、カルロス様は真っ直ぐに指をさす。
目で追えば、時計の羅針盤よりその先、太陽が落ちていく場所──
「ノヴァ公爵領の方角を真っ直ぐみることができるからだ」
カルロス様は、離れていても必ず公爵領の方向を向いていたいと言う。その台詞には、公爵領への愛と誇りがこれ以上なく感じられた。
素直に、凄いと思う。
私も勿論、公爵領のことを大切に思っているし、民を愛している。けれど、カルロス様には届かない。
まるで自分の半身だと表さんばかりのその姿は、カルロス様の気高さそのものだ。
羨ましい。口から出かかった独り言を、咄嗟に飲み込んだ。
カルロス様はブレない。ヴァレンタイン家の者として生まれた使命も宿命も運命も。
全てを抱き抱え、疑わず、信じて突き進む覚悟を持っている。それはきっと、教養だとか心の有り様なんかで身につくものではなく……素質。生まれた瞬間に神から与えられた、才能に近いんじゃないだろうか。
「……導く者」
頭の中に自然と、カルロス様に相応しい言葉が見つかった。
思い浮かぶままに、尋ねる。
「カルロス様にとって、誓いと節制って何ですか?」
「誓いと節制?」
カルロス様はしばらく考え、静かに応えた。
「誓いは、公爵家当主としての責務を全うすること。節制は……それ以外の全て」
「それは……」
「なに。別に抑圧された子供時代を送ってきたわけじゃない。むしろ恵まれていた」
清々しささえ感じられるカルロス様の表情のおかげで、杞憂が消える。
「では、当主としての渇望は?」
「守る力」
間を置かず、端的で迷いのない言葉だった。
そしてそれより先は、わざわざ聞かずともカルロス・ヴァレンタインという存在が証明していた。
圧倒的、魔法使いとしての稀有な才能。
渇望の許与は、既に神の手によってなされていた。
カルロス様は、私が今まさに修行を通して追い求める姿の完成形だ。
私のように追い求めるのではなく、誓いと節制。渇望と許与を生まれた瞬間から与えられた、選ばれし存在。
同時に、私はカルロス様にはなれないと考えてしまった。
途端、脳裏に描かれるのは、何か物言いたげに私を見つめるユニコーン。
灼熱を纏った金色の瞳が、私に囁く。
お前には格が足りない、と。
どれだけ、初めから与えられた者と同じ条件に立とうとも、魂の格が足りないと言われている。
がむしゃらに頑張るだけでは届かない距離を初めて実感した。
恥ずかしくなった。
ルーディ王子だって、きっと選ばれた側の存在だ。なのに私は、何を偉そうに語り明かしたのだろう。
ユニコーンに乗れなくて当然だ。
だって私は、ほんの少し運が良かっただけの、ただの平民……。
「ライザ」
真横から声をかけられ、ビクッと肩をあげる。
カルロス様が隣にいることを忘れるくらい、考え込んでしまっていた。
私はすぐに笑顔を浮かべ、カルロス様を見上げる。
「あ、ボーッとしてすみません。少し寒くなってきましたね。下に降りますか? 少し早いですけど、夕食の場所も考えながら……」
「ライザ」
真剣な蒼い瞳に見つめられ、息を飲む。
カルロス様は眉尻を下げ、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「今のライザは、ライザらしくない」
全てを見透かされた気がして、ドキッとした。
「そう、ですかね……いつも通りですけど」
「違う。俺の知るライザは、そんな自分を否定し、悲壮に駆られた顔をするような奴じゃない」
「買い被りすぎですよ。私だって悩んだり考えたりする時はあります」
「じゃあ、何に悩んで、何を考えているのか教えてほしい」
言えるわけがない。
カルロス様の存在に嫉妬しました、なんてあまりにも惨めだ。
私が何も言わないので、カルロス様はさらに不安そうに、いつもより早口で言葉を紡ぐ。
「今日は俺から言うまいと思っていたが、ユニコーンの修行のことはジェレミー教皇猊下から聞いている。その危険性についてもだ。ライザの性格が変わるくらいなら、今すぐに修行中止の進言を……」
「大袈裟です! ユニコーンの影響は関係ありませんから! それに、結婚のためには成し遂げなきゃいけないことですし!」
「ある程度思い悩んだり、苦労するのは当然だ。だが、自分を追い込むのと追い詰めるのでは話が違う」
カルロス様は私の肩に手を置き、視線を合わせる。
「結婚の条件は、あくまで国王陛下のご意志であって、最終決定権は俺にある。ライザを追い詰めるくらいならば、俺は国王陛下に……」
「嫌です! カルロス様のお力は、そんな頼り方をするためにあるわけじゃありません! これは私自身が勝ち得なきゃいけないものなんです!」
語気が強まっているのに自分で気づいて、口を抑える。
「……すみません、頭を冷やしてきます」
そう言い残し、私は一人で塔を降りた。
私は何をしているんだろう。今日はカルロス様と楽しむために休みを取ったはず。
修行のことは忘れて、心身を癒すための時間だったはずだ。
それなのに、何一つ上手くいかない。
何より、カルロス様に「権力行使」を口に出させてしまったことが悔しくてならなかった。
公爵位が我を通そうとすれば、大抵の願いは叶う。それだけの権力と権利をもっているし、婚姻もその一つ。
それでも国王陛下の命令にしろ、お願いにしろ、要望が通るのは公爵が国を敬っているからだ。
王族の意思は常に一つである、と内外に見せつけることは国の強さに繋がる。
魔物の危険が多いアムフルト王国が、今日まで繁栄を続けられてきた理由だ。
「私らしさ……ってなんだろう」
歩き慣れた街を宛もなく歩き進める。
何度目かのため息をついたころ、私は足を止めた。
「やっぱりちゃんとカルロス様に謝ろう」
そして、今の自分の悩みを恥ずかしがらずに聞いてもらおう。
カルロス様と結婚したくて始めた修行なのに、こんなすれ違い方をするのは違う。
踵を返した私だったが、大きな馬の足音が私を呼び止めた。
噂をすればなんとやら。王宮専用の馬車だ。大通りでもないというのに走っているどころか……私に向かってきている?
予想は的中で、馬車は私の前で停止した。
「ライザ様。探していました」
「ウィルさん!」
中から出てきたのは、ルーディ王子の専属執事であるウィルさんだった。
「どうしたんですか?」
「国王陛下からのお呼び出しです」
「今ですか?」
「特段時間の指定はありませんが……」
国王陛下を待たせるのか? と、ウィルさんは不思議そうな顔をする。
「いえ、向かいます」
カルロス様に会いたかったな、との想いは胸に秘め、私は馬車に乗り込んだ。





