第十七話
大聖女修行一日目。
ジェレミー様の元を訪れた私は、リッセルド大聖堂の中ではなく、裏庭へと案内された。
いったいどんな修行が始まるんだろう。いいや、いままでどんな泥臭い仕事にも向き合ってきたのだから、きっと頑張れる。
そんな決意を胸にしていた私がいまやっていることとは……。
「よーしよしよし……いい子ね……そのままじっとして……」
広大な芝生が広がる裏庭で、私は人参を片手にゆっくりと中腰で足を進める。
視線の先には、白馬。否、ユニコーン。
ジトッとした目で私を見たユニコーンは、そっぽを向いて走り出してしまった。
「あああ! またやり直しだ!!」
全身の力が抜け、芝生にへたり込む。
もう、何十回と同じ作業を繰り返していた。
「ふぉっ、ふぉっ。苦労しとるようじゃの」
柵の向こうでは、ジェレミー様が朗らかな笑みを浮かべている。一見和やかな雰囲気に見えるかもしれないけれど、私はとても真剣である。
ジェレミー様から言い渡された修行は、たった一つ。
ユニコーンの背中に乗ること。
期限は設けられていない。ただし、乗れないのなら試験の受験は認められない。
ちなみに、私はユニコーンなんてものを目にしたのは初めてだ。
魔物でありながら、神が生んだ使いと呼ばれるユニコーンは、神話上の生物に等しい。
そんな生物が教会の裏庭で平然と暮らしていたのだから、案内された瞬間は驚きで気を失うかと思った。
「ジェレミー様……本当にユニコーンに乗れば、大聖女としての力が得られるのですか?」
疑っているわけではないけれど、今ひとつ信じ難い。
「さあのう。ワシもこの目でみたことはない」
「そうなんですか!」
「うむ。ワシが知っているのは、ユニコーンにまつわる伝承だけじゃ」
ジェレミー様は手に持った古い本をめくり、静かに読み上げる。
「ユニコーンは、魔に産まれし者の魂を浄化する神の使い。誓いと節制を立てし者を許容し、導く者の渇望を許与する」
「……といいますと?」
「ユニコーンが持つ聖の力は、神の力に等しい。ユニコーンが認めた者には、その力が分け与えられるといわれておる」
「詳しく教えてください!」
「よかろう」
ジェレミー様いわく、手順があるのだと。
まず、ユニコーンは特定の条件下にある者しか、自分のテリトリーに入ることを許さない。
それが誓いと節制。
聖に関わる誓いを立て、誓いへの縛りをもうけなければならない。
「矛盾ともいう。ライザ嬢の場合は、大聖女へなることへの誓いを立て、聖力を全て放棄したじゃろう?」
「成りたいもののために、最も必要な要素を手放す……これだけで、とても厳しい条件ですね」
魔であり聖。そんな矛盾を体現するユニコーンと同条件の存在にならなければないのだろう。
「ライザ嬢は今こうして柵の内側に入れておるじゃろ。すでに、第一関門は突破しておる」
聖力は自らの意思で手放すことはできないので、ジェレミー様の助力がなければ、そもそもユニコーンの庭に足を踏み入れることすらできなかった。
しれっと当然のように伝えられたけど、裏庭に入る時はそんな説明なんか受けてない。
「ちなみに、誓いと節制を立てずにこの芝生に入っていたらどうなっていたんですか?」
「ユニコーンの吐く浄化の蒼い炎で、魂ごと焼き尽くされておったじゃろうな」
「……やっぱり燃えるんですね。先に聞かなくて良かったです」
誓いと節制を立てし者への許容まではクリアできていて、私が行き詰まっているのがその先だ。
導く者の渇望を許与。
「導く者の渇望って……なんですか?」
「一言で言えば、何のために大聖女の力が欲しいかじゃよ」
「それは、もちろんカルロス様との婚姻を認めて頂きたくて……!」
「ユニコーンが認めておらぬなら、すなわち不正解。ユニコーンも、私利私欲のために力を欲するものなど背中に乗せたくなかろう」
きっぱりといわれて項垂れる。
あからさまに落ち込む私に、ジェレミー様はひとつの励ましをくれた。
「そう落ち込むでない。ライザ嬢はすでに、"導く者"の資格は得ておる。だからワシはこのユニコーンの試練を与えたんじゃよ」
「資格……ですか?」
「うむ。つまり、ユニコーンの力を受け取るだけの器はあるということじゃ」
仮に聖力を収める器官を木箱で表すならば、私の木箱は山のように大きいらしい。
これはひとえに、短期間で聖力の酷使を続けてきた証であり、私が大聖女に匹敵する理由でもある。
なのに、木箱に収めている聖力が不純物だらけで密度のない聖力。
「真なる大聖女は、ライザ嬢と同じくらい強く大きな器官を持ち、それでいて神に匹敵するほど純度の高い聖力を持つのじゃよ」
今までは質より量で誤魔化していたけれど、それでは試験に合格はできないと言われて、このたびの訓練が始まったのだ。
「ライザ嬢はすでに片方は自力で得ておる。どうじゃ? 少しは自信になったかの?」
私はこくりと頷き、立ち上がって服の汚れを落とす。こうして座り込んでいても仕方がない。ユニコーンに認めてもらうまで、向かい合い続けるしかないのだ。
話が終わり、私の元を去ろうとしたジェレミー様に声をかける。
「ジェレミー様。一つ、お聞きしてもいいですか」
「うむ」
「いままでで、ユニコーンから力を貰ったことがある人は……成功例はあるんですか?」
数拍間が空いて、ジェレミー様からの返事が来る。
「人類の何千年という歴史を遡っても……記録にあるのは、ただの一例だけじゃ」
ジェレミー様は見たことがないといっていたので、少なくともここ近年の話ではないのだろう。
聞きたいことを聞き終えた私は、遠くでのんびりと歩いているユニコーンに顔を向ける。
「心が折れたかの?」
「……いいえ、ジェレミー様。逆です」
今自分はどんな顔をしているだろう。
きっと、期待と希望で満たされた表情をしているんじゃないだろうか。
「できないわけじゃないって分かって、俄然やる気になりました!」
「ライザ嬢ならばそういうじゃろうと思っておった」
そう言って裏庭を立ち去ろうとしたジェレミー様だったが、数歩歩いたところで立ち止まる。
「できれば、その明るく前向きな心を忘れぬことじゃ」
「どういうことですか?」
ジェレミー様は顔だけ振り返り、真剣な眼差しを私に向ける。
「条件を破らなければ、ユニコーンが人を襲うことはない。しかし、人に寄り添う愛ある聖獣ではない。……本質は、人の心に巣食い、穢し、闇へと誘う魔物であることを努々忘れてはならぬぞ」
かくして、私の修行は幕を開けた。
とはいっても、やるのとは毎日同じ。
朝早くにリッセルド大聖堂へと赴き、裏庭で朝から晩までを過ごす。ユニコーンにどうにか近づけないか試行錯誤を続けたり、自分を見つめ直す瞑想をしたり。
それでも、ユニコーンが私を認めることはなかった。いつだって、手が触れるより前に離れていく。
一週間経っても、二週間経っても私とユニコーンの距離は初めから何一つ変わらない。
「どうして……」
ユニコーンになぜ私が認められないのか。焦っても仕方がないとわかっているのに、焦燥が募る。そんな長くもどかしい時間が過ぎていく。
「……渇望。私の渇望……」
ノヴァ公爵領の民を守りたい。カルロス様のお役に立ちたい。認められたい。共に過ごしたい。
考えつく限りを思い浮かべ、強く念じてユニコーンに近づこうとしてもまったく見向きもして貰えなかった。
それに、厄介なことが一つ。
「暑い……」
季節は夏じゃないというのに、夏以上の暑さを感じている。ユニコーンから発せられる熱だ。
ジェレミー様が言うに、ユニコーンは蒼い炎を吐くらしい。
まるで、灼熱の太陽と向かい合っている気持ちになる。
近づこうと距離を測り、ゆっくりと足を進める。ゆっくりと静かに息を吐くたび、喉が焼けるように乾いた。
汗は止まらないし、次第にグラグラと思考すら揺れる。
「渇望……私の……私が大聖女になりたい理由……」
ユニコーンの金色の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。視界にとらえているはずなのに、ユラユラと姿が揺れた。
……あれ? 今、どこまで近づいたっけ?
距離が近いのか遠いのか。果たして私は足を前に進めているのか、遠ざかっているのか。
段々、段々分からなくなる。
「触らなきゃ……ユニコーンに……乗らなきゃ……」
そうじゃないと、私は……。
「ライザ様!!」
背中から声をかけられ、ビクリと肩をあげる。
忘れていた瞬きをすれば、いまさっきまで目の前にいたと思っていたユニコーンは、いつの間にか遠くへと離れていた。
振り返ると柵の外側にはシルフィがいて、まだ昼だと思っていた太陽は夕日に変わっていた。
「そっか……もうシルフィが迎えに来る時間になったのね……」
朝晩の送り迎えはシルフィが行っているが、声をかけられるまで存在に気づけなかったのは初めてだ。
「修行中に声をかけてしまってすまません! でも、なんだかライザ様の様子がおかしくて……! お顔もみたことないくらい怖い表情になっていて……!」
シルフィが訴えかける言葉の半分以上も上手く聞き取れない。なんだかまだ夢の中にいるようで、呆然としてしまう。
帰らなきゃと分かっていても、その場から足が一歩も動かなかった。
「あ、あの……! ジェレミー様を呼んできます!」
シルフィは一度裏庭を立ち去り、ジェレミー様と共に戻ってきた。私を見た途端、ジェレミー様の顔色が険しくなる。
「ライザ嬢。こちらに向かって歩けるかの?」
ユニコーンがいる柵の中には、私以外入れない。返事をしなきゃと分かっていても、喉から声が出てこなかった。
「ふむ……ワシが直接浄化しよう」
ジェレミー様は、手に持っていた杖をトンっと地面につく。
すると、私の足元に魔法陣が描かれ、光が全身を包み込む。途端に、鉛のように重かった体が楽になった。
歩けるようになった私が柵の外に出ると、真っ先にシルフィが駆け寄ってきた。
「ライザ様! お身体は何ともありませんか!」
「え、ええ。もう何ともないわ」
私自身、自分の身に何があったのか分からない。困惑する私の元に、ジェレミー様が歩み寄る。
「瘴気汚染じゃ。軽度で間に合ったから良かったものの……侍女の声掛けがなければ、二度と正気に戻れぬところじゃったぞ」
「すみません……ありがとうございます」
「一度向かい合うたび、必ず休憩を取るよういっておったはずじゃ」
「ちゃんと取ったはずなんですけど……」
ジェレミー様から言われた注意事項はきちんと守っている。
一日の挑戦は三回まで。三十分以内。間は二時間空けること。
確かに守っていたずなのに、気づけば夕方だ。しかもその間の記憶がさっぱりない。
私の様子を見たジェレミー様は、息を吐き出し首を振る。
「ライザ嬢。明日からしばらく来なくて良い。一度心身の休息を取るのじゃ」
「いえ! 大丈夫です! 次からちゃんと気をつけますので!」
「ならぬ。気分転換でもしてくるといい。二、三日、修行のことは忘れてゆっくり過ごすように」
「お気遣いありがとうございます……」
修行を中断していいのか迷いはしたが、私自身疲弊を感じている。
このままでは状況の好転なんか有り得ないと思った私は、ジェレミー様の優しさを素直に受け取ることにした。
私の休みが決まり、シルフィも安堵の表情を見せる。
「そうだ、ライザ様。明日はカルロス様もお城にいらっしゃるはずです。お二人のお時間が取れるかどうか、確認しますね」
「ありがとう、シルフィ」
カルロス様とは、修行が始まって以来会えていない。シルフィによれば、領地内に帰られたり、王城の執務室で仕事をされているようだ。
「お二人はデートらしいデートも滅多にされませんし。せっかくの機会ですよ!」
張り切るシルフィと共に私たちは帰路に着いた。
◾︎◾︎
とっくに就寝の時間を過ぎたというのに、私はなかなか寝付けずにいた。
理由は、今日自分の身に起こった出来事だ。
気をつけていたはずなのに、ユニコーンの瘴気に呑まれていた。セモア大森林にいても平気だった私が、自分で自覚すらできないままに穢されていた。
それほど、ユニコーンの力は強い。本格的に魂を巣食われてしまえば、ジェレミー様はおろか、人間が浄化するのは不可能である。
「ジェレミー様はハッキリ言わなかったけれど……もう限界なんじゃ……」
元々、この修行に期限は設けられていなかった。それは裏を返せば、人によって修行可能な限界日数が違うのではなかろうか。
私に残された時間は少ないのかもしれない。
考えれば考えるほど、余計に眠気が遠ざかった。
夜風にでも当たろうかな。そう思って、そっと部屋を抜け出す。
向かったのは、中庭にある庭園だった。
剪定が行き届いた庭は、部屋の窓からいつも見下ろしていた。いつか足を運びたいとおもいつつ、修行に追われて今日になってしまった。
満月のおかげで月明かりが強く、足元に迷うことはなさそうだ。
秋風の心地良さを楽しんでいれば、東屋に先客を見つけた。
「ルーディ王子?」





