VOYAGE その1
波が行きより荒い。船酔いにならないか不安になる。あれになると吐き気が大波のように押し寄せ気持ち悪さに引摺り込もうとする。でも、良いこともあった。風は目的地の方角に吹いているのである。これなら予定より早くに港に到着するのではないかと思われた。
俺は今、故郷の港町の対岸にある町での商談を終えて帰るところだ。対岸と言っても船で丸一日かかる。この時間はのんびりすることにした。重大な仕事を終えた後の休日だと思うことにしたのだ。だから今もこうして甲板でぼーと海を眺めている。この時間が何だか大変愛おしい幸せな時間に思える。いつもは家業の商売であちこち忙しく動き回り、ゆっくり休むということがない。睡眠は休むというより過労にならないようにとる義務のようなものである。だが、俺はまだ良い方だ。父はもう死ぬんじゃないだろうかと思うほど働いている。いつか父の跡を継いだら自分もあれぐらい働なくてはいけないのだろうかと思ってしまう。果たして俺にそのような芸当はできるのだろうか。そう思っていると一抹の不安感に襲われる。それを宥めるためにいつも大丈夫だ大丈夫になるように今を頑張るんだと自分で自分を励ます。これが意外と効くようで幾分不安感が和らぐ。人ってのは安いなと苦笑混じりに思えた。
さて、腕時計を見ると時間は昼食時である。調度、お腹が空いてきたので食堂に行くことにした。この船の食堂の料理は美味いと評判である。なんと元高級レストランのシェフが腕を振るっているらしい。だからかこの船の食堂目当てで乗船する人もいるくらいだそうだ。かくいう俺もそのシェフの料理を食べてみたいから帰りの船をこれにしたのである。
空を見ると青々とした雲一つない。カモメが船に平行して飛んでいる。食事の残りか餌をやっている人もいた。気温も程よく気持ち良い気分で私は食堂に向かった。
食堂に入ると人でごった返していた。こりゃ座れねえかもしれないなと思っていたら店員がやって来た。
「お客さま、お一人様ですか?」
男性で穏やかで余裕のある口調の結構年はいってるのではないかと思われる店員であった。きっとのこの船の乗組員の中でも古株なのだろうと勝手に想像した。
「はい、一人です。」
俺は基本的に単独であっちこっち回っていてお供というのはいない。
「でしたら大変申し訳ないのですが、ただ今食堂は大変混んでおりまして、相席でもよろしいですか?」
「いいですよ。」
「ありがとうございます。」
俺は店員に店の壁際の席へと案内された。
知らない誰かと一緒に食べるなんて俺には珍しいことではない。地方に商談しに行けば小さな宿で泊まることも多い。そういう時はよく旅の者たちと寝食を供にすることもある。最初の頃は見知らぬ人と夜を明かすのは嫌だと思っていたが、慣れてくると旅の者たちの遠くの町についての情報が面白く貴重であると思えてむしろ地方への商談に行く際の楽しみとなっていた。
席に着くと女の子が一人座っていた。料理はまだ来てないようであくびをしながらのんびりしていた。そして、何だかにこにこしている。
「お客さま。こちらの方と相席でもよろしいですか?」
慇懃に店員が言うと、女の子はにっこりして、
「大丈夫ですよ。」
と言った。
その笑顔は屈託のない可愛らしい少女でさっぱりしていた。
俺は女の子の向かい側に座った。そして、メニューを見て2、3注文した。
メニューを見ながら俺は女の子を盗み見た。まだまだ幼さが残る見た目だ。ふと、壁に目をやると杖が立て掛けてあった。
「それ君の?」
とつい聞いてしまった。まぁ、隠している訳でもなさそうだし、大丈夫か。
女の子は杖に手で優しく撫でながら言った。
「はい、そうです。私の相棒です。」
目を細めて言うとどこか大人っぽさも感じられた。くすくすしている様には余裕も滲み出ていた。しかし、違和感も感じた。
「もしかして魔法使い?」
「そうです。」
「へえ。」
この世界で魔法使いは決して珍しくはない。どこの町でも見かける。それにこれくらい幼い子供の魔法使いもいる。ただ、大抵はまだ見習いで師匠の魔法使いにくっついている。そうかさっきの杖を触っているのを見て感じた違和感はこれか。そうこれくらいの子供の魔法使いには一緒に行動する師匠がいるはずなのだ。一度気になるとはっきりしないと我慢できない俺はもしかしたら薮蛇かもしれないがつい聞いてしまった。
「師匠はいないのかい?」
料理が来るのを待ちながら疑問を口にした。どこか別の場所にいるのか、もしくは何かおつかいでも頼まれているのか。
「私に師匠はいません。」
「何でだい?」
師匠がいないとはどういうことだろう。死に別れたのだろうか。
「私は独学で魔法使いになったので、そういう存在はいないのです。」
そんな人がこの世にいるとは。 普通、魔法使いは師匠に師事し、魔法のいろはを教わる。そうして一人前になると兵士になったり、冒険者になったりする。師匠がいないとは聞いたことがない。
「よく魔法を使えるようになれたね。」
「はい、書物を参考に覚えました。」
「すごいな。」
俺は純粋にそう思った。魔法を覚えるのにはコツがいる。大方の魔法使いは師匠にコツを教わり覚える。これは誰かに教わるから出来ることで、師匠がいないつまり一人で魔法を使えるようになるのは0からのスタートだから簡単な魔法を使えるようになるのにも一苦労である。この女の子は書物を使って独学で覚えたと言う。それはすごい事なのだ。
「君はこれからどうするんだい?町の兵士にでもなるのかい?」
つてもなく、師匠すらいない年端のいかない女の子を雇う町があるとはとても思えなかった。
「いえ、冒険者になろうと思ってます。」
柔らかな微笑みと供に女の子は言った。幼さは勿論ある微笑みであるが、同時に凛とした力強さも感じられた。この女の子は何者なのだろうか。少々恐ろしさも感じてしまう。
それにしても冒険者になるとは。確かに冒険者にはなれるだろう。あの仕事は一獲千金や苦しい生活から抜け出すために命知らずがやる仕事で身分とか就職条件はない。だからか冒険者という仕事は兵士になるのとは違い野蛮な下等な仕事と思われている。まぁ、トラブルを起こす冒険者が多いのにも問題があるのだろうが。
「何でまた冒険者なんかに。」
「今の私に出来るのはそれぐらいですから。」
彼女はそう言うとはにかんだ。その顔に悲壮感はなかった。それが俺には不思議でしょうがなかった。生れつきの聞きたがりの性分がここでも発揮した。
「ふーん。冒険者って蔑視されるような連中だぞ。本当にそんな仕事でいいのか?」
「はい!冒険者にしかなれる仕事がないのもそうですが、でも、色々な場所を冒険できる自由があるのが私には良いのです。」
確かに冒険者になればあっちこっち見て回れる。旅商人や旅芸人、遊牧民も移動しながら生活しているが、一定の場所ぐるぐる回っているだけで実はそんなに自由な往来をしている職業ではない。もちろん、農家や職人、町に定住している商人は住んでいる地域から出たことがないという人もざらにある人達だ。そう考えると冒険者という仕事は世界の端から端まで見て回れる職業ではある。この女の子にとってそれが一番の魅力なのか。
「そこまでして世界を見たいのか?」
俺は町に定住している商人だが、冒険者になってまで外の世界を見たいとはあまり思わない。小さい頃は絵本とかで冒険の話を読むと冒険したいなと思っていたが本気で冒険者になってまで旅がしたいとは思えなかった。結局、俺には家族と一緒に細々と商売して生きていくのが、性にあっているんだ。だから、この女の子の気持ちは理解できなかった。ただ、そういう人もいると思い、許すことしか考えられない。そう考える俺はきっと心の底でこの女の子のことを軽蔑しているのだろう。親泣かせの仕事だからなぁ冒険者は。それに一人でなろうとしているのだ。命を捨てるためにやるような冒険者という仕事を選ぶのは愚かだと思ってしまう。彼女にそれしか選択肢がなかったとしても。
女の子はにっこりした。本当に一人ぼっちの孤独感、影を感じない笑顔だ。作っているのではなく、心の底から冒険者になることを幸せなことだと確信している顔だ。それがまた彼女の幼さでもあり、大人っぽさでもある。そして、彼女はゆっくりと話した。
「私、ずっと過保護に育てられていたんです。」
「そうか。」
「何か重い話になってしまいそうですから話すのはやめましょうか。」
と言って彼女は苦笑いした。自嘲気味でもある。
しかし、そう言われると気になるのが、この俺の性分だ。
「聞かせてくれないか。」
知識の海を泳ぎ始めた少年の気持ちとはこうだろうなと思うような感覚で話すことを俺は促した。女の子はその見た目に合わない大人っぽい微笑みで語り始めた。
「私の生まれはヘルクルスという山間部にある小さい村です。」
そんな村は聞いたことがなかった。
「この国の村なのか?」
「はい。田舎でここから離れているのできっとお兄さんは知らないでしょう。」
女の子はにっこりして言った。知らなくて当然という感じなので山間部の中でも特に田舎な村なのだろう。
「その村では代々農業で成り立っているまぁよくある村です。ただ、一点だけ他の村や町とは違う掟というかそういうのがありました。」
「一点だけ?」
「はい。それは魔力を毛嫌いしていることです。」
「何でまた?」
魔力は生まれつき備わっている人がいる。魔法はそういう才能がある人しか使えない。その才能を持っている人は町をモンスターから守る仕事をしたりする。特に山間部はモンスターが多く魔力のある人は大事にされているという。それが何故。
「それは昔話になってしまうのですが、昔この村に一人の魔法使いがやって来ました。その魔法使いはとても感じの良い人で村人ともすぐに打ち解けました。珍しいというのもあったそうです。」
「じゃあ、当時は魔力のある人は村にいなかったんだな。」
「長くいなかったそうです。」
魔法使いがいないとは珍しい田舎な村なのだろうという感じであった。続けて女の子は話始めた。優しい微笑みをたたえて。