前編
雨露の落ちる音すら聞こえる静寂が、異世界とは思えない純日本風の剣道場を支配する。中央に藁束が一つ立っており、その前に男が一人正座をしている。
ピリピリと痛みすら感じる空気が、何もないはずなのに、足を踏み入れるだけでバラバラに引き裂かれそうなほどの威圧感を感じさせる。
男がゆっくりと開く。正座を崩さぬまま、ただ一歩も動かないように見える。
だが、ゆっくりと目を開くと、さっきまでたっていた藁が真っ二つの状態になって落ちていた。だが、落ちる瞬間の光景は誰にも見ることは誰にもできない。
まるで藁が瞬間移動をしたかのような光景に、男はため息を一つつきながら剣を収める。
「……やはり、力が落ちている」
すると、道場の外につながるふすまから、愛する女性の声が聞こえた。
「あなた、朝ごはんできたわよ」
自分の愛する妻の姿に、男は思わず微笑み刀を置いて立ち上がる。
「……どうだった?」
「調子は良かった」
その言葉だけで、彼女はすべてを察した。だから、顔を俯け悲しそうな声で「そう……」と言葉を返した。
「わかってたことさ……最初の神を倒した時からな。だったら、力は必要ない。この世界の住民がすべて可能性という自由を手に入れ、俺の力も意味をなさなくなった。だけど、それでいいのさ。……ただ一つ、大きな問題を除けば…………」
「うん……そうだね」
*** *** ***
彼の名前は結城拓海。この世界でたった数日だけ主人公としての運命をたどった男だ。
彼は、元々この世界に悪役として生み出され、何度もその運命に翻弄されてきた。だが、彼はそれでも戦い、すべてを狂わせたこの次元の起源神、ゼクス=オリジンを倒した。
だが、起源神を超える力は、とんでもないものだった。過去という因果を破壊し、その存在を過去の世界で殺すという、まさに異次元の力。この世界に神も含めて彼以上の力を持ったものはいないだろう。
そんな彼の妻である結城早紀。彼女もまた、神と同等の力を持っていた。
彼女の力は創造。以前は作れるといっても彼女が触れたことのあるものに限られており、とんでもない力を持っているといっても、そこまで大したものは作れなかった。
それはある一人の神、創造神アトゥムが施したリミッターによって力が抑制されていたために起きた事象であり…………創造神アトゥムは数日前に事実上の死を迎えた。
そのため、現在はリミッターが解放されている。やろうと思えば、それこそ空想上の兵器ですら作成可能なのが、今の彼女の力なのだ。
それほどの力を持っているなら、彼女の力を利用しようと思うものがいないわけではない。今までにもそんな輩が訪れては、近づく暇もなく消し飛ばされてきた。
最強の力を持つ二人は、今は静かに二人でカフェの経営をしている…………。彼女達には一切害はないし、むしろ彼らがいるからこそ、ティエアの平和は保たれているといってもいい。…………だが、二人は今のままで大丈夫とは思ってなかった。
*** *** ***
「納得いきません!!」
これは珍しい人物が声を荒げたと、タクミは驚き目を見開いた。一面真っ白な空間に白の長広なテーブルが一つ。そこに四人の人物が座っている。
「ちょ、ちょっと落ち着けよ……」
「そうだよ。ペルちゃん……じゃなかったハデス様。ちゃんと説明しますから」
珍しく怒っている冥界の神ハデスに、思わず早紀も過去の名前を呼んでしまった。
そんな殺伐とした空気の中で落ち着きをはらってコーヒーを飲み干す女が一人。ティエアの元、法の女神にして今は現世の神、テュールだった。
「テュールさんは、まだタクミさんの事を信じられないんですか? た、確かにタクミさんは人知を超える力をもってしまった……だけど、タクミさんと早紀さんにリミッターをかけるなんてっ!!」
「……第六次元の最高権限を持つ神が、そんなに動揺しては務まりませんわよ」
「ですけどっ!!」
「……だいたい、この話を持ち出したのは、他の誰でもないタクミさんのほうですよ」
ハデスがハッとしてタクミを見つめると、静かに頷いた。
「そうだ。俺の判断だ」
「……で、でもタクミさんは世界を支配しようなんて考えていない。危険なんてないんですよ?」
「……でも、俺が悪役となっている事自体は変えられなかった」
ユウキタクミという存在は、その根底からティエアにおいての悪役である。今は可能性を開放し、”優しい心を持った悪役”というだけの存在。悪役であることによって生まれる呪いについては、いまだ彼の体の中に残っているのだ。
「確かに俺を洗脳しようもんなら、その直後にでも遡龍烈牙で切り倒せば、因果を破壊し、”操られた事実“が存在しなくなる。また、精神汚染も今の俺には無駄だ。それは、この俺自身が持っている呪いに対しても同じことが言える」
……他人がユウキタクミという存在を利用しようとしても不可能である。そもそもユウキタクミは今は心眼を持っている。悪意を持って近づくことすらできない。彼の精神力もすさまじいまでに成長しており、悪意が支配しようとしてもそうそう簡単に自我を失うことはない。
「だがな、俺の力は明らかに神の力を超えている。神を殺す力って力も持ってるしな」
ユウキタクミが本気になれば、冥界の神が生まれる前……つまり、花の女神だったころの彼女を殺すことも可能だろう。彼の力が落ちているとは言え、そのリスクが何年続いていくかもわからない。
「だから、以前アトゥムがやったように、俺にもリミッターをかけてくれ。そして……早紀にもな」
早紀はスピカと名乗ってた頃、アトゥムの力でリミッターをかけられていた。それによって核兵器を生み出すほどの力を抑制していたが、アトゥムが幼児化したことにより、リミッターが解除された。今の彼女は彼女の考えだしたすべてのものを創造することができる。
「確かに、現時点では俺達に害はないかもしれない。だがな、それは可能性が低いってだけで、完全ではない。俺の力が年齢を積み重ねたことで弱くなったら? あるいは、早紀が背後から襲われて人質に取られたら? すべての可能性がない……それまでは言い切れないだろ?」
「そ、それはそうかもしれませんが…………」
「頼むよ…………なぁに。またこの力が必要になったときはハデス様がリミッターを解除してくれればいい。君しか……頼れる人がいないんだ」
*** *** ***
「ハデス様との面会は終わったか?」
神界へとつながる門の横にコジロウがもたれかかっていた。白い猫の耳をタクミに向けて、門が閉じるときに発生した風で、白いひげがゆっくりと揺れた。
「あいつはいつまでたっても優しいからな…………最後まで渋って、ようやくリミッターをかけてくれたよ」
「私も、ちゃんとリミッターかけてもらったよ。もう私に作れるものは質量に限界があり、武器も弓矢以外は作れない」
「で? 気分はどうだ?」
すると、試し切りとばかりに腰に添えた刀の濃い口を切り、右足を強く踏み出して…………周りの人間が気が付いたら刀を抜き放っていた。その途端、爆発音と共に突風が吹き荒れ、ドームほどの広さを持つ神界へと繋がる、この神殿全体を大きく揺らす。
核爆発でも起きたんじゃないかと一瞬思うほどその音は激しかった。タクミが神殿とコジロウ、サキを風の加護によって守ってなければ、一瞬にしてここは廃墟となっていただろう。
「…………光速には遠く至らず…………全力で振ったが、マッハ6千ってところか……やっぱ、おせーな」
「いや早いよっ!! あなたの感覚やっぱりおかしいわよ!?」
「リミッターありであの速度……いやはや、やはりとんでもないのう」
だがまぁこれだけなら人知を超える程度で、神ほどとは言えない。……まぁある意味、神以上の力は持っているが…………。
「特に風の加護の力……要するに粒子加速の速度が、かなり遅くなってる。これじゃ時間は遡れない。まぁ、こんなもんだろう」
血払いをして、刀を治める。すると神界への門がもう一度開いた。その扉の奥から、褐色の肌に緑髪、魔族らしい赤い瞳の幼女。そして小さな羽根を背負った青い瞳とブロンドの美しい髪、褐色の子よりさらに小さい幼女。そのうち褐色の少女はタクミもよく知る人物だった。
「ん? なんじゃ。おぬしらも来ておったのか」
サタン。現ティエア連合国連王兼魔王。見た目は幼女だが百年以上の時を生きる悪魔だ。
「サタン様……と、もう一人は…………」
やたらとちっこい、間延びした雰囲気の少女は首を傾げながらタクミに聞いた。
「料理人さんとーー? ケットシーの里長さんとーー? だぁれぇーー?」
疑問符のたびに首を左右に振るたびに長い金色の髪がゆらゆら揺れる。
「お、俺か? タクミ。ユウキ=タクミだけど…………君は?」
「君ーー? 私ーー? レイラだよーー? レイラ=コジマだよーー?」
間延びした上に全部疑問符でよくわからない会話に、戸惑いながらもタクミは受け答えた。
「お、おう…………そうか…………。ってコジマって事は、あの電気屋か?」
「電気屋ーー? ヤマムラ電機ーー?」
彼女の何とも言えない雰囲気に、どうにも調子を狂わされる。しかも言葉がすべて疑問符のようなイントネーションのため、質問なのか回答なのかわからない。ただ、コジマという日本の苗字で電気屋をしている人間など、このティエアには一人しかいない。
「ああ、そうか。まだタクミはレイラちゃんに会った事ないんだっけ?」
「なんだ? サキは知ってたのか?」
「うん。小島幸雄さん。彼の奥さんだよ」
その瞬間、タクミの思考は停止した。
「あいつロリコンだったのか!?」
「ま、まぁいろいろ事情はあるのよ……あと、一応レイラちゃん私達より年上だよ?」
「まじかよ…………」
驚き、口をあんぐりと開けているタクミをしり目に、サキはかがんでレイラの目の高さに合わせる。
「レイラちゃん。この人は、私の旦那さん。私の大切な人だよ」
「旦那さんーー?」
サキは若干のイントネーションの変化を感じ、本当に疑問に思っていると感じて説明をする。
「つまり、レイラちゃんにとって、ユキオさんはその、旦那さんになるわけ。私達も結婚しているの」
「ああーー? なるほどーー?」
納得している雰囲気なのに、言葉が疑問符で、正直タクミにもよくわからなくなってきた。
「新婚さんーー? 狙い目ってーー? ユキオ言ってたーー? まとめ買いーー? してねーー?」
「抜け目ねぇなおい!! 悪いが、既に家電一式そろってるよ」
正確には、そのお義母様……つまり創造神とユキオである。創造神は、それはそれはたいそうなカフェを新婚の二人に残していき、家電も道具も最高級。店内のエアコンはユキオにも作れない業務用エアコンを設置。家としても、カフェとしても不要なくらい高級な場所を作り上げたのでした。
「残念ーー? でもーー? また買ってねーー?」
「まぁ、ユキオの店にはまた寄らせてもらうよ。それより、なんでそのユキオの……奥さん? がこんなところにいるんだ?」
「まぁなに。ユキオの店に面白いそうなものがあったんじゃが……まだ動かす方法がないらしい。我が連王になってから、たまに話を聞いてどうするか相談しててのう。冥界神にも相談しておったのじゃ」
「冥界神? 俺もさっき会ってきたがお前らとは……ってああ。そうか」
神界はその他の世界より時間の流れが遅い。タクミ達が出て行ったあと、すぐに魔王達は神界へと向かったためすれ違ったのだろう。
「そんなことより、動かす方法がない……家電? なにかしら?」
サキの疑問にサタンが答えようと口を開くが、タクミが割って入った。
「テレビだろ? 多分」
「あ、そうか」
その予想は当たっていた。確かにテレビは放送局がなければほとんど機能しない。サタンもタクミの見出した答えにコクリとうなづく。
「現状テレビを動かす方法がないわけではない。カメラと言う機械とテレビを繋げば映像は映せるからのう。じゃが、それを電波で流す方法はないんじゃ」
「それで冥界神様に相談に……」
「まぁほとんど解決しなかったがのう。確かに今は我も共に可能性の力がある。故にティエアの住人であってもアンテナとやらを作る可能性を我も含めて持っている。じゃが、作る方法が皆目見当がつかんのじゃ」
過去のティエアの民達は、可能性の力がなかった。そのため、アトゥムが作った世界観に反する物は生み出す事は出来なかった。(サキやユキオ以外は例外だが)
可能性の力とはそういった生み出す力も失わせていたのだ。
だが、冥界神ハデスによりその枷は破られ、世界中の人間に可能性は生まれた。したがって、”ティエアの民が、現代の科学に触れてアンテナを作り出す可能性”はすでに存在している。
「……魔法技術で配信する方法は?」
「我もそれは真っ先に思いついたのじゃ。電波というものが通信系魔法とよく似た技術であることはわかっているからな。じゃが、それを”テレビの映像“に変える方法はまだわかってないのじゃ」
それもそうかと、タクミはうなりを上げた。だが、その会話を聞いているだけだったサキが、何か思いついたように独り言をつぶやいた。
「…………ソウルプラズムの法則性としても不可能とまでは…………い、いやいや、これはこれでどうなの?」
「? ……なんじゃサキ。何か思いついたなら遠慮なく申してみよ」
「い、いや! こ、これはこれでどうなの? って方法だし……と、言うかいろんな意味でまずいと思う…………スピカがいればまだ何とかなるんだけど」
スピカとは、サキと一時的に体を共有しあった仲間だ。現在は、完全に切り離された現実世界で”生きた星井早紀”として平和に暮らしている。
だが、冥界側のティエアの住民が彼女と会話をすることは原則としてできない。
「何でもいい。可能性があるのなら申してみよ」
「……失敗しても、あとで文句言わないでくださいね?」
「…………呪いのビデオ作戦です」