第八話「猿王の御言」
入学式が終わり、学生寮に着いた蒼空。寮長から歌遊びを申し込まれ、即答で快諾する。
蒼空の学園生活最初のウタ勝負が始まる。
「よーし、行くぜ、天月さん!」
「いいね~。全力でおいで。蒼空くん」
蒼空はゆっくりと後ろに下がると天月から間を取った。相手の力量はわからない。しかし、天月の纏う詠力の感触から、底知れない強さを感じていた。天月は柔和な笑みを崩さずに蒼空を見つめてじっと立っている。
「蒼空、お前マジか!?」
「蒼空君、本当にやるのー?」
急な事態に梓弓と籠持が驚きの声をあげた。
「へへっ、二人とも危ないからちょっと下がっててくれ!」
二人は心配そうに見守りながらも、蒼空の緊張した声を聞いて壁際に寄った。
すでに他の新入生たちは部屋に向かったようだ。ロビーには梓弓と籠持の他は、案内をしていた上級生たちしか残っていなかった。
副寮長と他の上級生たちも、寮の中らしからぬ詠力に気付いたらしく、何事かと駆け寄ってきた。
「天月! 何をしてるんだ!」
「何って、歌遊びだよ?」
咎めるように問いただす清治に、天月は楽しそうに返した。
天月の返答に清治は気色ばみ、声のボリュームを落として問いただす。
「お前はまたそれか。生徒会にどやされても知らんぞ……?」
「まぁまぁ、固いこと言うなよ」
集まった上級生たちは、天月の姿を認めると胸を撫で下ろし、何か始まるようだと観戦の態勢に入る。
「まったく……。悪い癖だ」
浮き足立つ寮生たちの様子を見て、清治は諦めたように独りごち、ロビーの端に下がった。
「さてと。蒼空君、いつでもどうぞ」
天月は蒼空を迎えるように両手を広げた。その右手には伝冊が握られている。
「おしっ、行くぜ!」
蒼空は気合いを入れるように強く両拳を握ると、パンと目の前に勢いよく両手を合わせた。
『猿王の威厳の響き「聞けよ見よ黙れ」三従は御言を待つ』
「なるほど、三猿の歌儡か」
小さく呟くと、天月は伝冊を片手に持ったまま、祈るように両手を目の前に合わせた。
『典雅なる双翼広げ白き尾の 歌の御霊の依りし泡沫』
天月が詠歌すると、ほぼ同時に、蒼空の足元と天月の前に詠力陣が浮かびあがった。
蒼空の足元の詠力陣から、膝の高さぐらいのこんもりした影が三つ浮かびあがる。白く薄っすらと光るその影は、徐々に姿を成し、やがて小さな動物の姿になった。
そこに現れたのは奇妙な姿をした猿だった。一匹は両手で目を隠し、もう一匹は両手で耳を塞ぎ、残る一匹は口を塞いでいた。
一方天月は、目の前に浮かぶ詠力陣に向けて、スッと腕を差し出した。すると、詠力陣から六十センチはありそうな大きい影が現れた。影がバサッと大きな音を立ててその身を広げると、こぼれた光が散り、眩く反射する。現れたのは翼を広げた大鷲だった。
現れた大鷲は天月の腕に優雅に止まると、広げた翼を静かに畳んだ。
目の前に現れた猿と鷲の歌儡に、見ていた者たちからは期待を込めた歓声があがった。
猿を従えた蒼空と、鷲を操る天月が対峙する。その距離は十歩ほど。二人の間に緊張が走る。
先に動いたのは蒼空だった。
「見猿! 言わ猿! 聞か猿!」
蒼空が天月を示して号令をかけると、三匹の猿達は勢いよく飛び出した。
それを見て天月は大鷲に命令する。
「護れ! 尾白!」
大鷲の尾白はバサッと大きな羽音を立てて天月の腕から飛び立つ。天月へ向かって駆ける猿達に狙いを定めて、まっすぐに飛ぶ。
先頭を走る口に両手を当てた猿を蹴り飛ばすと、すぐさま身を翻し、続く耳を塞いだ猿を大きな翼で弾き飛ばした。そのままクルッと旋回して残りの一匹を探すと、目を塞いだ猿がロビー中央の大柱に頭をぶつけてころん、と転ぶのが目に入った。
天月はその様子を見てクスリと笑った。
「前が見えないようだね」
「あー……」
蒼空は緊張感のない笑みを浮かべ、頭を掻いた。
猿を蹴散らした尾白は、再び天月の腕に止まり、猿たちの動きを見張っている。倒れた猿達はぴょんと起きあがると再び天月に向かうが、その度に尾白が飛翔し弾き飛ばした。
ロビーのような広い空間では、平面的にしか動けない猿では分が悪い。猿たちはまったく天月に近付けないでいた。
目を塞いだ猿においては、天月に向かうどころかロビーを右往左往し、柱や壁にぶつかりながらフラフラと彷徨っていた。
「手詰まりかな?」
「いや、これからっすよ?」
蒼空はニッと笑うと、ロビー中央の大柱に走り寄り、柱の黒光りする表面に両手を突いた。何をするのかと皆が見守る中、蒼空は大柱に意識を集中して詠歌する。
『学寮の歩みに添いし老翁に春は巡りて萌芽はびこる』
蒼空が手を突いた場所から、まるで木が根を張るように、大柱の全体に一気に詠力紋が広がった。
長い歳月、眠っていた大柱が息を吹きかえす。その衝撃に寮全体がドズンと揺れた。
目を覚ました大柱はメキメキと音を立てながら、節々から枝を伸ばしていく。光を纏った枝はあっという間にロビーを覆い尽くした。
「あの一年、やるな」
壁際でハラハラと対戦を見守る籠持と梓弓の隣で、腕組みした清治が呟いた。
「蒼空君、そんなにすごいんですかー?」
籠持が問いかけると清治は蒼空たちから目を離さずに答えた。
「あの大柱は大欅の千年樹。あれだけのデカさだ、ウタが通りにくい。長年、木々と触れあってなければ、あの手のウタは形にならん」
清治の説明に籠持と梓弓は、おぉと感心した声をあげた。
「なるほどな。蒼空のやつやるじゃねぇか」
「ほぉだねー。ほあくんってふごいんだなぁ」
「ってお前、何食ってんだ!」
もごもごした声に驚いて梓弓が横を見ると、籠持が饅頭片手に頬を膨らませていた。
「おやつだよー。観戦におやつは付きものでしょ? 梓弓君も食べるー?」
「おう、わりぃな」
梓弓は籠持が差し出した箱から饅頭を一つ掴み取るとばくっと食いついた。
「うめぇな! これ!」
「清治さんもどうですかー?」
「いただこう」
清治は難しい顔をしたまま差し出された饅頭を受けとった。三人は並んで饅頭を頬張りながら天月と蒼空の歌遊びを見守る。
「派手だね〜」
天月は大柱を眺めながら感嘆の声をあげた。
「面白くなってきたよ」
嬉しそうに言う天月に、蒼空は大柱から手を離して向き合った。
「行け!」
蒼空が再度天月を示し号令をかけると、猿たちは再び走り出す。言わ猿と聞か猿は両手が塞がったまま、大きく跳躍すると、足を使って器用に枝に飛び移った。そのまま、枝から枝へと飛び移り、徐々に天月へと近付いていく。
尾白の隙を突いて、枝から飛び出した言わ猿が、天月の持つ伝冊に飛びかかる。
間一髪、天月がスイと横に避けて猿を躱すと、尾白が一直線に飛んできて猿を弾いた。
「もう少しだ!」
蒼空の声に、猿たちは枝に飛び移り態勢を整える。
二匹の猿は交互に天月に飛びついては尾白に弾かれるを繰り返し、段々とその距離を詰めていく。尾白は猿たちを退かそうと、枝の間を縫うように飛び回るが、無数に伸びた枝に邪魔される。猿の身軽さには敵わない。
天月が不利な形勢に見えたが、その表情から柔和な笑みは消えない。猿たち相手に苦戦する大鷲を見て、天月はふむと小さく呟くと顔の前に二本指をスッと立てた。
『泡沫の尾は五ツ辻に行き別れ 深き草木に忍ぶ猿追う』
詠歌し終えると、立てた指を尾白に向けて振った。すると飛んでいた大鷲が強い光を放って弾け飛び、そのまま五羽の鳥に変わった。
その体長は大鷲尾白の半分もない小さな鷹となった。小型の鷹たちは、スイスイと枝をくぐり抜けて飛び回る。
「簡単には終わらせないよ」
余裕の表情で天月が微笑んだ。と同時に、ロビーに歓声が響いた。
先ほどの揺れに驚いて部屋から出てきた者たちが、吹き抜けを囲む廊下に連なりロビーを見下ろしていた。
「天月さーん! 生意気な一年坊主なんかシメてくださいよ!」
「おい、一年! ちょっとはいいとこ見せろよ!」
「やっちまえー!」
突如湧いた歓声に驚いて、梓弓が見上げる。
「おいおい、入寮初日から大騒ぎになっちまったな」
「観客がいっぱい出てきたねー」
「ここの連中はお祭り好きだからな。後始末を考えると頭が痛い」
清治は困ったように顔をしかめて額を押さえる。その隣で籠持がふと気付いたように呟いた。
「でも、何で一年ってわかったんだろー?」
「肩の刺繍だ。学年によって制服の肩の刺繍が違うんだ」
「なるほど。俺達一年は青で、清治さんは緑っスね!」
「清治さんって何でも知っててすごいなー。もっとお饅頭食べてくださいねー」
「いただこう。しかし美味いな、この饅頭は」
「そうでしょー? 僕の地元にある“多田屋”さんのお饅頭ですよー」
三人がのん気に見守る中、蒼空と天月の歌遊びは佳境を迎える。
「ちょっと観客が集まりすぎちゃったかな」
やれやれと天月は吹き抜けの廊下を見渡した。
蒼空は天月から目を離さずにいるものの、周囲のざわめきが気になっていた。
「これ以上騒ぎを大きくすると問題が起こりそうだね。さぁ蒼空君、そろそろ決着をつけようか」
「了解っす!」
蒼空は大きく頷いた。
「言わ猿! 聞か猿!」
「護れ! コノリ!」
二匹の猿たちは、大柱から伸びた枝を次々に跳び移り、縦横無尽に駆け回る。五羽の鷹達は入り組んだ枝を掻いくぐって飛び、猿を追い回す。パワーでは劣る小型の鷹を一匹、何とか捕えても、他の鷹が集まり猿を襲う。
猿たちは鷹の追跡を躱して、枝から天月に飛びつこうとするも、横から飛んできた鷹が二羽三羽と体当たりしてそれを制した。
「もう終わりかな? じゃあ僕から行くよ」
天月が片手を目の前に差し出した。
『悪しかりなん大土の路は……』
天月が詠歌し始めたのを見て蒼空が叫ぶ。
「見猿!」
刹那、天月の背後から小さな手が伸び、その両目を塞いだ。
「わっ!」
突然、目を塞がれた天月は体勢を崩した。すぐに鷹たちが異変に気付き、急旋回して天月へ向かう。蒼空が大柱に手をかざす。
『回春の若木の夢幻崩れさり 現を見れば裸木の翁』
蒼空のウタに呼応した大柱は、ロビー中に伸ばしていた枝をバラバラと落とした。大量に落ちてくる枝に邪魔されて鷹は天月を見失う。それに紛れた猿一匹。
天月が猿を振りほどいて見た光景は、耳を隠した猿が足で伝冊を掴み宙を舞う姿だった。
猿は空中でくるっと一回転すると、ストンと軽く蒼空の腕の中に納まった。
全ての枝を落とした大柱はすっかり元の姿に戻り、沈黙していた。
寸陰、ロビーに無音の時が流れる。
「よし! 取ったぜ!」
静寂を破り、蒼空の声がロビーに響く。蒼空は猿から受けとった伝冊を高く掲げた。
瞬間。
「オォォォォォォー!!」
蒼空の声を掻き消す音量で、吹き抜けが大歓声に湧いた。
「あの一年やりやがった!」
「賭けがパァになった……」
「誰だよアイツ!」
まさかの番狂わせに、観戦していた生徒たちから様々な声があがる。吹き抜けには観客のウタであろう、色とりどりの紙吹雪が舞っていた。
蒼空が両手を合わせてペコリとお辞儀すると、ロビーに広がった大量の枝は、役目を終えたとばかりに、光の粒子となって霧散した。
三猿が蒼空の足元に駆け寄り、疲れたとばかりにゴロリと横になる。蒼空が猿たちの頭や腹を撫でてやると、枝と同様、光の粒子となり消えた。蒼空はふぅと大きく息を吐いて身体を緩ませる。
「蒼空くーーーん!!」
「わぁ!」
籠持が蒼空に駆け寄り、思いっきり抱きついた。
駆け寄ってきた梓弓も嬉しそうに蒼空の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前、すっげぇな! 寮に入ってよかったぜ」
「ははっ、ありがとう!」
「蒼空君、すごいよー! 僕もうおなかいっぱいだよ!」
「はぁ?」
ルームメイト二人に囲まれて蒼空は照れたように笑った。
そこへ天月が近付いてきて声をかけた。
「蒼空君、お疲れさま」
「天月さん、お疲れっす!」
「見猿は僕の声を聞いて、位置を調整していたんだね」
「そうっす! さすがっすね!」
「とても楽しかったよ。ありがとう」
「俺もすっごく楽しかったっす! ありがとうございました!」
にこにこと笑う天月の後ろから、不機嫌そうに声をかけてきたのは清治だった。
「おい、ちゃんと返してやれ」
「やっぱり、清治にはバレてたね〜」
天月が腕を上げると、ロビーを飛んでいた鷹が一所に集まり合わさった。一瞬眩しい光をあげると、五匹の鷹は消え、そこに大鷲が現れた。大鷲はロビーを大きく旋回すると天月の腕に降りてきて止まった。
天月が労うように尾白をひと撫ですると、大鷲は無数の光の粒子となり霧散し、消えた大鷲の体から伝冊が落ちてきた。
天月が受けとめた伝冊と、自分の手にある伝冊を交互に見比べて蒼空は戸惑った。
「え? あれ?」
「はい、どうぞ。蒼空君、君の入学を歓迎するよ」
楽しそうに笑いながら、天月は蒼空に伝冊を手渡した。蒼空が差し出されるがままに受けとると、元々持っていた伝冊は光の粒子となってサラリと消えた。
「えぇ?」
「蒼空君が初めに詠った”猿王の威厳”は、三猿に伝冊を狙わせる以外の意図もあるんじゃないかと思って、予防線を張らせてもらったよ。三猿は五感を封じる象徴だからね」
天月はそう言い微笑んだ。
「天月が最初に詠んだ短歌の”歌の御霊の依りし泡沫”の部分だな。君の伝冊は鷲になって飛び回り、伝冊に見えていたものはウタの粒子で作られたフェイクだ」
「すげぇっすね!?」
「すごいというよりは、天月の性格の悪さがわかる短歌だろ」
「いや、すげぇっす!」
種明かしが聞こえると、まだ残っていた寮生たちから天月に対する賛美の声があがる。清治は冷めた顔でギャラリーを見ていたが、天月は笑って手を振り、声援に応えた。
蒼空の顔に挑戦的な色が浮かんだのを見て、天月は苦笑し、手をパンと叩いて言った。
「はい、じゃあお開き。皆、早く部屋に戻らないとお昼ご飯に遅れるよー」
「そもそも、遅くなったのはお前のせいだろうが」
吹き抜けに向けて呼びかける寮長に、副寮長からツッコミが入る。天月に次の試合を挑みたいらしく、そわそわしている蒼空の胸に、ドスンと大きなリュックと風呂敷が手渡される。
「ほら、さっさと部屋に行くぜ」
梓弓から荷物を受けとると、蒼空はどこか上の空で、あぁ、と頷いた。
「蒼空君、あとでお饅頭あげるよー」
「マジ? ありがとう!」
先を歩く梓弓と、蒼空の腕を引っ張って歩く籠持を、天月と清治が見送った。
「う〜ん、今年も楽しそうだね」
「これ以上、頭痛の種を増やすな……」
天月が上機嫌に言うのを聞いて、清治は俯いて額を押さえた。
三人は部屋につくと、床に荷物を置いて、それぞれ椅子とベッドに腰かけた。
疲れた様子の蒼空に、梓弓が声をかける。
「惜しかったな、蒼空」
「蒼空君すごかったよー」
「ありがとな」
「あれだけやれば、互角と言ってもいいんじゃねえか?」
蒼空はそれを否定するように首を横に振る。
「いや〜、天月さん、かなり手加減してたっぽいな」
ぽつりと呟く蒼空に、梓弓と籠持は目を見開いて口を閉じた。