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三十一文字物語  作者: 京屋 月々
第二章 紅花栄
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第二十五話「獣の名前」

 全く。あのヤブ医者ときたら、とんだヤブ診察をするものだ。


 第三短歌部のロクデナシたちが用意したであろう、あの古ぼけた人形のドリル攻撃のおかげで、お尻がまだじんじんとしている。


「お尻ケアのウタ、詠んどきますね〜」と間の抜けた顔のヤブ医者が言った。


 『まんまるの桃に添へたる手のひらは とろりとろりととろ〜りとろり』


 全く。人をバカにしたウタを詠みやがって。

 朝からずっとこんな調子でロクなことがない。

 本当は今日は、部活対抗戦の琴葉ちゃんの歌合の写真を、ここぞとばかりに盗撮するつもりだったのに。


「よし! 我が愛弟子、葦船《あしふな》よ! 今の歌合の感想短歌を三首ほど詠むのだ!」

「印波《いんなみ》先輩! 葦船くんとすっかり仲良しの師弟関係ですね!」


 何が仲良しだ。反省室でこいつと過ごした半年は、まるで地獄の有り様だったんだぞ。適当な合いの手でご機嫌をとりやがって。バカメガネバカが。


「印波くん、さすがに六歌席の試合ですからね。ちょっとじっくり考えたいので家で取り組みます」

「んあぁぁ! そうか! 確かに! これは俺の思慮が浅かったな! よかろう! 存分に励んでくれ!」


 ふぅ。この短歌バカは扱いやすいところがあるので助かる。きっと短歌のことしか考えてないバカだからだな。


「それにしても、印波先輩は葦船くんのどこが気に入ったんですか?」


 なんて失礼な言い草だ。


「ふふ、よくぞ聞いてくれた! いいか!? 短歌において、月が綺麗だから「綺麗な月」と単純に詠うような短歌は愚の骨頂! むしろ、月の美しさをこの世の汚さを用い、等質な比喩で詠んでこそ、歌と昇華するものよ!」

 偏った考え方だな。メガネは「ふむふむ」と何やらメモに走り書きしている。


「テーマに対して鋭角な斜めの刃をいれるセンス、一点の曇りもない清浄を疑ってかかる屈折具合! 否定から入る物の考え方! 無意識にこれが出来てこその短歌の才! 我が愛弟子、葦船はこのいずれにおいても他の追随を許さない天賦の才がある!」


 褒めてないな。

 全く。ひどくひねくれた考え方だ。

 メガネは必死でメモ書きすると、キラキラした目で印波を見つめた。バカ&バカか。


 ドドンッ! と太鼓の音が鳴った。

 どうやら、試合が開始したらしい。


「始まったな! 哦獣術部と神事相撲部の歌合だ!」


 大きな虎の哦獣に乗った女の先輩の粒子化が始まる。

 牧場の作業員のような服装なので色気がないが、そこそこ可愛いのでじっと見せねばならない。


「葦船! そっちじゃない! 最初の見どころはここだ!」


 短歌バカが僕の頭を両手ではさみ無理やり向きを変えてきた。本当に最悪の男だな。短歌の前に一般教養を学ぶといい。


 『日の御子の明けの光に益荒男《ますらお》は土を踏みしめ黄金《こがね》に染まる』


 最悪だ。相撲デブの全裸変身シーンを凝視させられることになるなんて。


「気づいたか!? 葦船!」

「なにをです? 彼らのいつもの錬成の歌じゃないですか」

「その通り! 哦獣術部のメンバーは一回戦と同じ、哦獣の虎とフクロウの構成。無意識に相手の隠蔽戦術を警戒した歌心になるはずだが、そんなものはお構いなしで真正面の歌心で一首目を詠んだのだ!」


 同じなら、顔をがんじがらめに押さえつけてまで見るべきものじゃないだろう。

 印波の頭の拘束がはずれたので、哦獣術部の女の子を見る。


 『おろろんと匣《はこ》のかたちに眠りいり ほどけばやがて森になるまで』


 女の子を乗せる虎の哦獣が、軽い身のこなしで翼廊の屋根に登ると、そのまま高速移動しながら黒いモヤに溶けていった。


「いいか葦船! 今のは哦獣化だけじゃない! 自身の詠力をあのフクロウに紡いで、隠蔽のウタを強めたのだ!」

「えぇ。わかってますよ。紡いだんだなぁって思っていたところですよ」

「さすが我が愛弟子だ!!!」


 短歌バカの言う通り、初戦の時と雰囲気が違う。あの黒いモヤが生まれる速度もかなり速くなってる。

 あっという間に辺りは真っ暗な闇に包まれ、中庭の相撲部だけがうっすらと浮かび上がっていた。


 『清《さや》かなる 東《ひむがし》見《み》えぬ夜《よ》を裂《さ》きて』


 相撲部リーダーが片足を高く上げて詠歌しはじめた時、隣にいた相撲部の一人が黒い塊に弾き飛ばされた。

 吹き飛ばされた奴は倒れながらなにやら抵抗しているが、みるみる体中に青い鎖模様が浮かび上がっていく。

 あのフクロウか?


 『露《つゆ》を払《はら》へば四方《よも》に還《かへ》る日(ひ)』


 相撲部リーダーが詠歌を終えてドスンと四股を踏んだ瞬間、辺りの闇が一瞬で消え去った。


「ふんッ!」


 間髪を入れず相撲部リーダーが張り手を見舞うと、巨大なフクロウが翼廊の端まで吹き飛ばされてしまった。

 リーダーの足元には、封印状態の相撲部員が転がっている。


「素晴らしい序盤戦だな! よし葦船! ここで一首! 今の攻防戦の」

「あ、あそこに虎がいますよ」


 虎は身を低くして残りの相撲部員に向かって高速で突撃する。

 相撲部員は身構えると、重そうな張り手を連続で見舞った。

 虎は致命傷ではないものの、いくつかの張り手を受けている。


 『ほどけないように結《むす》んだ靴紐《くつひも》の その固さだけ愛と呼びたい』


「あ! 相撲部の人の足元! 水縹さんがいますよ!」

「いきなり大声を出すなよ。うるさいな」


 そうか。あの女の子、虎に乗らずに隠れて相撲部員に近づいていたのか。

 女の子が持つ黒いロープがみるみる伸びて、相撲部員をがんじがらめにしてしまった。


「虎の哦獣の隠蔽の詠力を自身に集中させたのだ! そして哦獣拘束用の装具を使った! あれではいかにウタおうと抜けられん! 哦獣使いが哦獣からおりる! 捨て身ながら見事な戦術だ!」

「すごい! 印波先輩は気づいていたんですか!?」

「君はあいもかわらず鈍感だな。気づいていないのは君くらいのものだよ」

「えぇ! 葦船くんも気づいていたのかい!?」


 虎の哦獣が相撲部リーダーに向き直った瞬間、強烈な連続張り手が放たれた。

 虎は後ずさりし、よろめいている。


「下がりなさい」


 女の子が可愛い声で虎に指示を出した。

 可愛い声だなあ。そうだ。伝冊で動画を撮影しておこう。


「うむ! あの哦獣はもう戦えないだろう! しかしながら哦獣を失った哦獣使いがどう戦うか! 葦船! お前ならどう動く!?」


 最悪だ。僕を覗き込んできた短歌バカのバカでかい顔がきちんと録画されてしまった。


「む! この歌心は……!」


 このバカは本当におしゃべりだな。

 歌合に夢中になってるようだし、今のうちにバカの動画を削除して、あの女の子を撮影するとするか。


 『けものになる 夕《ゆふ》の山から誰かまだ わたしの名前をずっと呼んでる』


 女の子が詠歌した。相撲部リーダーは返歌せず腕組みして仁王立ちしている。


「ガ……ガ……」


 女の子が苦しそうに両膝をついた。毒でも盛られたように悶えながらも、その体がみるみる肥大していく。

 首に巻いているチョーカーも大きくなり、トゲトゲしい意匠の無骨な首輪となった。


「印波先輩! あれは! まさか!」

「そうだ! 哦獣化だ!」


 毛むくじゃらに肥大化した獣が立ち上がり、相撲部リーダーを睨みつけた。その体格は相撲部リーダーとほぼ同じだ。

 最悪だ。全然可愛くない。この動画も削除しなければならない。


「哦獣化のウタが詠めるなんて……。水縹さんは哦獣になりたいって強い思いがあるってことですか……?」

「違うな! あの歌心は、なんとしても仲間を守る! そのためには自分が犠牲になってもいい! そんな歌心だ! 自身が哦獣を研究し尽くしているからこそ、あの哦獣のイメージが出来た!」

「犠牲……ですか?」

「たとえ歌心が完璧に整っていたとしても、哦獣化のウタは人を削る行為だ! 長くは保たない! そして哦獣化の解除を見誤れば、二度と人には戻れん!」

「えぇ!?」


 ゴリラのような獣と、相撲部リーダーが身構えた。

 これで決着か。僕は動画を削除しながらその時を待った。


 ゴキン! と重い音が天満宮に響いた。

 二頭の獣がお互いの顔に張り手を見舞っていた。

 そして、二頭は何度も相手に張り手を喰らわせる。


「なんて重くて鈍い音なんだ……」

「先ほどの補足をせねばならない!」

「え……なんですか……?」

「自己犠牲とは言ったが、詠歌中に歌心が一瞬ゆらぎ変質した! あれは」


 ドン、と張り手ではない音が聞こえた。

 相撲部リーダーが片膝をつき、そのままズルズルとゴリラにもたれかかるように倒れていった。


「勝者! 哦獣術部!」


 白逢先生の勝ち名乗りを受けると、ゴリラは口から黒い詠力を大量に嘔吐し、シュルシュルと小さくなり元の女の子に戻った。

 弱っている可愛い女の子も乙なものだな。よし高画質で撮影しよう。


「葦船! 哦獣化のウタの歌心の揺らぎ! 気づいているか!?」


 伝冊の画面には、バカでかい顔が高画質で映っている。


「印波くん、僕はいま、あの女の子が哦獣化の後、どうなるかを記録しようとしているんだ。邪魔しないでくれるかい?」

「うむ! それも重要だ! しかしこれはさらに重要なことなのだ!」


 短歌バカはついに立ち上がって演説しはじめた。


「本来、あの女子生徒は自己犠牲の歌心しかなかったのだ! しかしおそらく! それを戒める強い言葉を思い出し歌心を変質させたのだ!」


 伝冊には、バカみたいにたくましい尻がでかでかと映っている。


「あの一瞬でだ! 葦船! その歌心とは! 刹那の自己犠牲ではなく! 継続可能な自己犠牲! まさにサスティナブル母性愛……! あぁぁあ! 素晴らしいとは思わんか! 葦船よ!」


 大号泣しているバカでかい顔が伝冊の画面いっぱいに広がった。


「えぇ。まぁ、気づいてはいましたけどね。全く大した女の子ですよ」


 短歌バカが両手で顔を抑えながらドカッと座った。


「印波先輩……! 僕も感動しました……!」


 メガネはもらい泣きで顔を歪ませながら言った。

 このメガネは、こんなテンションの男と密室で半年も一緒だった僕に、少しばかりでも敬意を払うべきだ。


 天眼カメラでは、治療を終えて立ち上がっている女の子が療治班の一人と話していた。

 女の子はダメージを計測するための帯を腕に巻いているようだ。


「迎撃の歌心で強化していたとはいえ……、哦獣化のウタを詠んだんだよ……? 結界内だとしても人に帰れなくなる可能性もあったんだよ……?」

「わかってるよ。尚尚《なほなほ》。泣かないで」

「あんな自己犠牲が強い歌心で、あんなウタ詠うなんて……!」

「大丈夫。ほら、数値どうかな……? 次、私戦えるかな……?」

「……うん。えっと、身体ダメージが……47。精神汚染レベルが……2……。もう! ギリギリセーフだよぉ!」

「よかった! ほら、泣かないで」


 女の子が療治班の女の子と抱き合っている。

 美しい光景だな。この美しい光景を盗撮するとしよう。


「葦船! うぉおお! 葦船よぉ!」


 このバカはわざとやってるに違いない。


「なんですか。顔が近いな。全く」と、クソ動画を削除しながら言った。顔を手で押し返そうとするがビクともしない。


「人は自分の中にある本来の歌心を変化させる事は難しい! だから歌人を志す者は自分の歌適正に合ったウタを学んでいく! しかし先程の女子生徒は本来の歌心をあの一瞬で変質させ、この歌合で勝利を掴んだのだ!」

「へぇ」

「歌心を変化させるための最も強い切っ掛けは出会い! 人との出会いなのだ! 我が愛弟子、葦船よぉお!! うぉおお!!!」


 このバカの雄叫びで、またお尻がじんじんと痛み始めた。

 今日は本当にロクなことがない日だな。


「見事決勝進出を果たした、哦獣術部の大原水縹さんに実況席にお越しいただきました! 水縹さん! 素晴らしい歌合でしたね!」

「あ〜いや〜。ありがとうございます!」

「決勝に向けての意気込みを聞かせてください!」

「そうですね……。私たちだけじゃここまで辿り着くことは出来ませんでした。この大会に参加して、本当に大切なことを教わりました。それも敵として戦った人に……。決勝も必ず勝ちます! 私たち哦獣術部と健康美部をよろしくお願いします!」



****


「うぇーーい! 水縹さん、最高だったっすね!」

「だな。でも、次会う時は敵だぞ」


 水縹の動きはこれまでの歌合に比べ、かなり良くなっていた気がする。

 最後の哦獣化のウタ、かなりヤバそうだったけど、あれをちゃんと制御するメンタルも手に入れたってことか。

 健康美部がトレーナーになったことで、かなりの強敵になっちゃったな。

 でも、まず乗り越えるべきは!


「さぁ、準決勝! 相手は第一短歌部だ。 蒼空! 夜鹿! 行くよ!」

「はい」


 夜鹿は準備万端といった面持ちで、軽く頭の髪飾りをなでた。


「おい蒼空! 聞いてんのか!?」


 ん? どうしたの? 蒼空。

 蒼空はなんだか遠くの雲を眺めている。


「なんか、変じゃないすか?」

「なにが?」

「んーー? なんだろ。なんか変じゃないすか?」


 みんなが蒼空と同じ方向を見つめる。


「言われてみれば……確かに……なんかおかしい感じがしないでもないような……」


 なんだろ? 私も同じ方向を凝視する。


「皆さん、こんにちは」


 耳心地の良い声が聞こえた。


「わ……学長!」


 ほんっとにこの人は神出鬼没だな。

 学長はにこにこと微笑みながら、両手の人差し指を可愛くクルッと回し、天満宮のほうを指した。


「準決勝、楽しみにしてますよ」

「はい! おーし! 行くぞ!」


 苑紅に続き、夜鹿と蒼空が天満宮に向かっていく。


「みんな、がんばってねー!」


 私は体を蒼空に引きずられながら、手をふる琴葉を見送った。


 そのずっと向こうに見える青空に、小さなヒビが入り空の欠片が落ちるのを見た。


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