第二十四話「ふと照らす陽の境界」
こんなに、胸が重くて、熱くて、鎖で締めつけられているような状態でも、もう目がよく見えなくても、わかる。
これは……、母様の詠力だ。
優しくて、静かに澄んでいる、母様の詠力だ。
「在原さん! 駄目です! 今は親族の方も面会謝絶なんです!」
母様が会いに来てくれたんだ。少しでも声を出すことができればいいな。
「はい。わかっています」
「在原さん! 下がってください! ちょっ……! この詠力は……魁ノ……!」
母様の声だ。何て綺麗な声なんだろう。
僕が寝るベッドを取り囲むように詠力紋が弾けた。
詠力紋は荒々しく弾けてるのに、詠力はこんなにも優しい。母様がウタったんだ。
『うぐいすが弥生の空に高く鳴き
梅のつぼみがはちきれんばかりに満ちて
ゆるやかにひらきはじめた明けの六つ』
母様が詠む声が聞こえる。
『十月の日日をともに過ぎ
赤いべべ着てじょじょはいて
連れて参った吾子を愛づ
倭の歌の宮様よ』
母様が、スッと僕のベッドの脇に現れた。
あぁ……。母様だ……。
頑張って笑顔を見せられるよう、顔に意識を集中させなくちゃ。
『永久に願うは吾子の往く
園が草花咲き乱る 春の光に包まれて
いついつまでも幸多からんことを』
母様の声は美しいな……。胸の苦しみが和らいでいく気がする。
「私の樹理愛栖……」
母様が僕の頬を撫でた。一生懸命、声を出そうとするがどうしても力が出ない。
「結界を解除しろ!」
「やってます! しかし……!」
ぼんやりとした視界の中、母様の優しい瞳と目が合う。
母様は僕の胸に手を置いた。
「樹理愛栖。元気に産んであげられなくて、ごめんね……」
僕の胸から白く光る無数の糸が出て、母様の掌に集まっていった。
糸は母様の掌の上で、小さな心臓の形に変わっていく。何て綺麗な光景なんだろう。
「更紗紙も効果がありませんッ! 結界が強すぎます!」
「これは……、今際ノ歌……!」
僕の胸から生じた白い心臓は、母様の掌で弾けて消えた。
そして今度は母様が、自分の胸から同じように白い糸を出し、心臓を作った。
「樹理愛栖。私はこれから、あなたと一緒に生きるの。ずっと一緒」
本当? 嬉しいな。母様とずっと一緒だなんて。
「樹理愛栖。あなたの名前は私が付けたの。大きな樹木が愛と理の栖みかになりますようにと」
知ってるよ。母様がつけてくれた僕の名前だ。
「だから、これからあなたの名前を誰かが呼ぶたびに、私を思い出してね。樹理愛栖」
……何故、悲しそうな顔をしているの?
母様から作り出された白い心臓は、解けてまた糸に戻った。
その糸が僕の胸に入ってくると、少しずつ、苦しさが和らいでいく……。
「樹理愛栖」
母様がまた、優しく僕の頬を撫でてくれた。
母様、胸の苦しみが嘘みたいに楽になってきたんだ。
一緒に家に帰ろうよ。また、母様の手料理を食べたいんだ。
「さようなら……」
詠力が静かに消えると、母様が僕のベッドに伏して倒れた。
「……母様……」
母様!!!
「今! 幼馴染の同級生、伊勢苑紅の肩を借りて、在原福丸が立ちあがりました!」
天満宮にも聞こえる大きな拍手が響く。
「……母様にもらった名なんだ……」
「ああ、わかってるよ」
苑紅は福丸に肩を貸しながら優しく答える。
蒼空も心配そうに二人の後を追い、私もそれに続く。
さっきの福丸の詠力は異常だった……。
状況から見るに、過去の強烈なトラウマが作用したんだろう……。
蒼空は棒手裏剣のダメージが少しあった程度で、ほとんど療治に時間はかからなかった。
福丸は精神汚染系の療治がなされたようだけど、身体的ダメージはそれほどでもなかった。
問題は、琴葉だ。
尚尚たちの療治班から聞こえてきた話だと、全身に及ぶ骨折と筋肉の断裂、内臓にも影響が出ているらしい。
集中治療室に運ばれていったけど……、さすがに部外者は入室禁止だそうで、蒼空は追い払われてしまった。
こんな壮絶な歌合になるなんて……。
福丸に肩を貸しながら、一ノ橋を渡る苑紅の足が止まった。
観客席からブーイング混じりの歓声が上がっている。
苑紅の視線の先には、第一短歌部、六歌席の俵鳴桧がいた。
第二短歌部と思われる白装束たちが、対抗戦参加部の陣営が並ぶエリアの、ひときわ大きな場所に、赤い立派な和傘を立てた。
和傘の下、緋毛氈が張られたベンチに鳴桧は気だるそうに座った。後ろには第一短歌部の一軍と思われる屈強なメンバーがいる。
その陣営の隣には、生徒会の細雪を先頭にして戦闘服に身を包んだ特殊部隊たちが整列していた。
もう生徒会と第一短歌部の癒着を隠す気もないって感じだね……。
「で、次、うちら?」
「いえ。次は、神事相撲部と農耕生活部の歌合です」
ふてぶてしく聞く鳴桧に答えたのは、隣にシャキッと立つ茨刀だ。
福丸に肩を貸している苑紅が、第一短歌部と生徒会陣営の隣を歩く。
ここ通らなきゃ第三の陣営に帰れないし、迂回するのも何だか違うし……、でも、これ絶対絡まれるよね……。
と……、思ったけど、第一短歌部も生徒会も絡んでこないな。
鳴桧はそもそも何にも興味がなさそうだけど、いつも必要以上に絡みついてくる茨刀も、まっすぐ前を見たまま何も言ってこない。
うーん……。さっきの福丸の詠力の影響かな……。
茨刀なりに福丸のことを心配してるんだろうか? あいつ、福丸のこと好っき好きだし。
蒼空は相手が絡んでこないなら何もしないだろう。いつも通り、両手を頭の後ろに組んで飄々《ひょうひょう》と苑紅の後に続いている。
「蒼空〜! おつかれさまだし!」
「おう! ユポポ! 何だか久しぶりだな!」
ユポポはぱたぱたと走ってくると、蒼空の片足にしがみついた。
「苑紅と福丸もおつかれさまだし!」
「ああ。ありがとな」
「オウ!! ごらァァッ!!!!」
突然の柄の悪い大声に皆が肩をすくめた。
「……なに?」
鳴桧も少し怯えた顔で声の方を見ている。
そこには仁王立ちの琴葉がいた。
「まだ動いちゃダメですって!」
十数人の療治班の面々が、琴葉の体にしがみついて静止させようとしているが、琴葉は軽々と歩を進める。
「何でお前らが揃いも揃ってここにいるんだよ?! オウオラァ?」
これは……療治酔いか……。
「おいおい! 待て待て琴葉!」
青ざめた苑紅が止めに入ろうと声をあげるが、福丸に肩を貸しているので素早く動けない。
「貴様ァ……! 者ども! 奴らをひっ捕らえよ!」
やばいやばい! 細雪が特殊部隊の奴らに指示を出した! これはやばいって!!
生徒会の特殊部隊が、たちまち蒼空と苑紅、琴葉の周りを銃を突きつけながら取り囲んだ。
蒼空も両手を上げて大人しくしている。
ここまで対抗戦頑張ってきたのに、今あの反省室に入るわけにはいかない!
「細雪……、あたしら何もしないってさ……」
「苑紅、そこの其奴はそうでもなさそうじゃぞ」
四方八方から銃を突きつけられながら、腕組み仁王立ちの琴葉は細雪を睨みつけている。
療治班たちは琴葉から離れ、両手を上げて無抵抗の意思を見せている。
「一年の小野琴葉じゃな。どうした? 反省が足りんのか……?」
「そもそも反省するようなことしてねぇっつーんだよ。この田吾作が!」
「た……たご……!?」
ひぇぇ〜〜! マジで〜〜?
細雪の体からいくつかの小さな詠力紋が弾けた。
これって、あの魁ノ歌のヤバいのウタう前兆……?
「貴様、次は500年ほどブチ込んでやろうかのう……!?」
細雪の口調は、落ち着いてるけど怒りに満ちてるのがわかる……。
「詠んでみろよ。その前に必ずお前をぶっ飛ばす」
その時、微かに琴葉の頬に小さな詠力紋が弾けた。
……これって……、まさか琴葉も魁ノ歌を詠もうとしてる……?
細雪も詠力紋を見たのだろう、顔にはわずかに緊張が走っている。
さっきの歌合で剣術部員を体中粉々にしたあのウタを、細雪も見ていたはずだ。
それに……、ここは結界の外……。
あんなウタ詠んだら、間違いなく二人とも死ぬよ!
琴葉がさらに詠力を強めた時、影が飛び出し襲いかかった。
「琴葉ッ!!!! バカか!」
倒れた琴葉を蒼空が力尽くで抑えつけている……。
琴葉は歌心の矛先が変わったのか、不穏な詠力が消えた。
良かった……。
「んだテメェー! 草凪蒼空ーッ!!」
「うぇぇぇ! やめっ……やめろって……! うぇぇぇ!」
腕力だけじゃ琴葉に敵うはずもなく……、難なく立ちあがった琴葉は蒼空の両手を掴み、洗濯物のしわを伸ばすように空中でブンブンと振り回していた。
あまりのエネルギーに、取り囲んでいた特殊部隊もちょっと引いてるようだ。
「療治酔いだ。今後ちゃんと監督する。勘弁してやってくれ」
「苑紅……ッ! それで済むとでも……」
細雪が口をつぐんだ。今、音もなく静かだが、それを侵せば確実に死が訪れるであろう、強く鋭利な詠力が、細雪を見つめていた。
恐る恐る、細雪は詠力の源へと視線を移していく。その先には、赤く輝く戦化粧を顔に施したユポポの姿があった。真っ黒な両目は確実に細雪を見据えている。だが、表情は一切なかった。
「ユポポ!」
苑紅に名を呼ばれると、刺すような詠力はたち消えた。
細雪は腰を抜かしてその場に座り込んでいた。
特殊部隊たちもいつの間にか逃げたようで大きく距離を取っている。
その時、客席から大歓声が上がった。
「勝負ありッ! 勝者! 神事相撲部!」
わっ……。全然見てなかったよ……。
天眼カメラには、雲から射す何条もの光芒を浴びている相撲部部長の百槻が両手を神々しく広げ、その足元に農耕生活部が救いを乞うように跪いていた。
何があったの……。
「おい。行くぞ」
「うぇぇ……。了解っす……」
蒼空は目を回しながら、よたよたと苑紅の後をついていく。
「あれ……? えーと、あの! 療治、ありがとうございました!」
琴葉もいつの間にか療治酔いが覚めたようで、療治班に深く一礼すると、苑紅たちの後を追った。
実は部活対抗戦が始まる前。旧時代の武道場で皆が練習してる間、ユポポにも第三短歌部員としての練習が用意されていた。
「感情に任せて詠力をだだ漏れにするな。ただ強い詠力を出せばすごいウタが使えるってわけじゃないんだ。必要な詠力をコントロールする練習! まずお前はそこからだぞ」
「わかったし! 苑紅!」
「部長と呼べーい」
ユポポは、学院での授業より、詠力の制御やウタの修行の方が面白いようで、自分なりに頑張っていた。
上達こそ、そこそこだが、一歩一歩の成長に苑紅や蒼空たちは驚き喜び、ユポポはそれを糧に練習に励んだ。その成果がこんなところで出るとはね。
ふひひ!
かなり危なかったけど、スカッとした〜〜〜!
「お疲れ様です」
夜鹿が皆を出迎える。
「夜鹿! 俺のすごかっただろ!」
「駄目。油断しすぎ。あなたは二度死んでいた」
「んだよー」
たしかに最初、福丸のサポートがなければ蒼空は首を刎ねられていたしね……。
「抜刀トリガーの初撃にも迂闊に飛び込みすぎ」
「もー。わかったって」
琴葉が足早に夜鹿に近付いた。
「夜鹿!」
夜鹿が黙って片手を差し出すと、琴葉が両手で強く掴んだ。
「……ありがとう!」
二人きりの特訓の成果が出たんだね。
「……もう大丈夫だ」
苑紅に肩を借りていた福丸が言った。
「福丸」
「……あぁ。心配をかけてすまない……」
苑紅が福丸をベンチに座るよう促し、その隣に座った。
会話はないけど、幼馴染の二人だからわかりあえる何かがあるんだろうな。
蒼空は広場の芝生に寝っ転がり、両手両足でユポポを高い高いしてじゃれあっている。
「おらーーー!」
「キャーーーーー!」
うっわ。高い高い、すごい高い……。
「キャッチ!」
「キャー!! 蒼空! 蒼空! 今のもっかいやってだし!」
あの高い高い、十メートルくらい飛んでた気がする……。
琴葉は夜鹿に何やら熱く語っている。夜鹿は表情少なめだけど、何だか嬉しそうに見える。
ひとときの平和、いいな〜〜これ。
「やっべ! もう始まってんぞ!」
え! 幸せに浸りすぎてて、開始の声聞こえなかった!
全員が天眼カメラを見ると、中庭を挟んで弓道部と第一短歌部が睨みあっていた。
第一短歌部は鳴桧を先頭にして残りの二人は後衛に下がっている。
鳴桧は装束の錬成もしてない。装束と戎具を多重錬成にしてるんだよね……?
弓道部の三人が弓に矢を番え、詠力を纏った。
『明時の幾重におりる夜帳に真砂の星は君にそそがれ』
「合わせ歌だ!」
強敵を目の前にしての合わせ歌! 弓道部は一気に勝負をかける気だ!
弓道部の三人の体がみるみる分身していき、三十人ほどになり、鳴桧に照準を絞った。
「苑紅さん! あいつ返歌詠まなかったっすよ!」
鳴桧は錬成もせず、弓道部に向かってすたすたと中庭を歩く。
三十人の弓道部は超高速で動き、何本もの矢を連続で射始めた。
数えきれない矢が鳴桧めがけて飛ぶ。
「決まる!」
その時、中庭中に無数の青い詠力紋が弾けた。
鳴桧の周囲に無数の小さな赤いガラス玉が見えた。あれは、おはじき……?
激しく弾ける詠力紋の光で天眼カメラがホワイトアウトする。
ゆっくりとカメラの白が晴れると、黒と白のツートンを基調にして、紅葉の穏やかな赤い柄があしらわれた装束の鳴桧が立っていた。
『花ござをふと照らす陽の境界に私は沈む淡い水底』
「魁ノ歌だ……」
悲しげに短歌を詠む鳴桧の足元には、顔に無数の矢が刺さった弓道部の死体の山があった。




