第二十三話「琵琶の鳴る」
天満宮の広場から大きな歓声が聞こえる。
多分、歌合が終わったんだろう。
順番的に健康美部と哦獣術部の試合か。
え!
じゃあ、次は第三短歌部の試合じゃん!
きっと福様がメンバーで出るはず!
くそっ! 見たい! けど!
「ねぇ、ティッシュ取って」
「はい」
私は鳴桧さんのすぐ目の前にある箱のティッシュを二枚抜き取り、差し出した。
彼女は私に一瞥もくれず受け取る。手を伸ばせば自分で取れるだろうに……。
何なの……この人……。
六歌席の人は変な人ばっかりだけど、この人と葉蓮さんは特に性格が悪い。
歌合盛り上がってるのに全然興味なさそうだし、第一短歌部用の控え室として用意された、天満宮近くのこの屋敷で、ずっと爪とか伝冊をいじってる。
私の名前も全然覚えてくれないし、というか名前呼んでくれないし……。
「宮茨刀と申します! 鳴桧さん、よろしくお願いします!」
初めて自己紹介した時、鳴桧さんは「あっそ」とだけ言い、目を合わせてもくれなかった。
もうずっとこんな調子だ。
私、こんなことがしたくてこの学院に入ったんだっけ……。
これで本当にいいのかな……。
いやいや! 甲賀先生のお言いつけだし、六歌席にお仕えできるのは名誉なことだ!
「第三短歌部! 対! 壬申流剣術部! 昇殿!」
あー! 歌合始まっちゃう!
これは……。
女どもの黄色い声援が八倍増しで聞こえる! 絶対に福様のおでましじゃん!
「おっと! これは在原福丸のファンたちでしょうか! 割れんばかりの大声援を送る女子生徒たち! 両手に持つ応援うちわには、女の欲望丸出しの大変下品なことが書かれております!」
「あ。在原選手、口づけした薔薇をキモいポーズしながら客席に投げましたね。キモいなあ」
クソ女のクソどもが! クソのクソが! 私ならもっとエレガントに応援するのに! 薔薇ほしすぎるだろクソが!
くそーー! ここからじゃ天眼カメラが見えない! ちょっと移動したらあの窓から見えるはず!
「第三短歌部の歌合見ませんか!?」
「は? 殺すぞお前」
って、絶対なるからそんな提案とてもできない!!
鳴桧さんが、使い終わったティッシュを無造作に投げる。
私の足元にくしゃくしゃに丸まったティッシュが転がってきた。
私は何も言わずそれを拾う。
これだ……! ゴミ箱に捨てにいく感じであの窓が見える位置に少しずれよう!
でも、あのゴミ箱の場所だと、微妙に位置が違う!私は、窓が見える場所まで歩き、足を踏ん張り、ぐいっと体をのけぞらせながら、ゴミ箱にティッシュを捨てた。
よし! ここなら一部だけだけど天眼カメラが見える!
「……何なの……あんたその動き……」
ひーん! 突っ込まれた! ここはスマートに……。
「はい! 少々のストレッチ体操を取り入れてゴミを捨ててみました!」
「……キモ……」
初めて目を見ながらかけられた言葉はこれか……。
でもそんなことどうでもいい!
天眼カメラには、福様が映っている! はぁ……。尊いぃ……。
頭の中に、拝殿での声や音が流れこんできた。
天眼カメラの詠力はこの距離でも有効だ! やったぜ! 福様の漏れる吐息とかダメージボイスとか聞きてぇ!
「開始めッ!」
全員の粒子化が始まる。
粒子化する福様、かっけぇ……。無敵じゃん……。
天眼カメラは天満宮の最奥に切り替わった。
粒子が集まり、壬申流剣術部の三人が現れる。
クソが! 天眼カメラが一画面しか見えねぇ!
『とりどりの夜を象る天雪に生は閉ざされスミレは眠る』
榛居が詠歌しながらゆっくり歩く。後ろの二人も詠歌しながら榛居の後に続いた。
『誠とは曇りなき月、照り映ゆる 無粋なるもの我が道になし』
『灰山に積もった乞いも嘘も死も、かすかに揺らぐ希い残り火』
三人は公園を散歩でもしているように、穏やかな表情でゆったりと歩を進める。
あのウタはトリガーか。おそらく抜刀で発動だろう。
腰に携えた刀の戎具は錬成タイプじゃないっぽいし、よほど剣技に自信があるってことか。
三人はそのまま翼廊に入る。廊下の奥へと向けられた彼らの視線の先には、二つの人影があった。
あれは第三短歌部の一年生たちだな。
草凪蒼空が詠歌しながら、腰のカバンに手を伸ばした。
『雪道を朽葉の色のコート着て歩くあなたに憧れていた』
草凪のカバンから、詠力の粒子に包まれた大きな丸太がにゅっと出てくる。
何で、そんな大きいものが入ってるんだ……。あのカバンが歌戎具ってことか。
草凪は両手で重そうに丸太を抱え、それを小野琴葉に渡す。
小野は丸太を軽々とかつぎ構えた。
「オラァァ!!!」
小野が丸太を剣術部に向かって、思いっきり投げつけた。
馬鹿力だとは思ってたが、ここまでとは……。
榛居は抜刀し、丸太を刀身でいなしながら避ける。
後ろの二人はそれぞれ真横に跳躍し避けた。
翼廊の手すりに丸太が激突すると、影から草凪が飛び出た。
蜘蛛の糸でも丸太につけて一緒に飛んできたのか。
『飛び石を渡ろうよって言ったのは君の右手に触れる口実』
すでに詠歌している草凪が、またカバンから何か出そうとしている。
剣術部の一人がすかさず斬撃を放つが、草凪は一瞬で躱し、懐に入った。
草凪は足元に何かを落とす。
ボワッと現れたのは、一メートルほどのおもちゃの人形だった。下半身がバネでできたその人形は、左右に投げ出された両手で剣術部員をぎゅっと抱きしめて捕まえる。
直後、人形がぐっとバネを縮ませ、大きく跳躍した。人形は剣術部員をホールドしたまま、反対の翼廊側に大きく飛んでいった。
「うわぁぁ!」
「おし!」
ガッツポーズを取る草凪の首めがけて、銀色の影が走った。だが、首に届く寸前、影は止まる。
その銀色の刀身に、詠力を帯びた鎖が、がんじがらめに巻き付いていた。
鎖の先はレイピアの柄の頭に繋がっている。
「蒼空、油断するなと言われたろう」
きたー! 福様だーー!!
「う、すいませんっす」
「お前はあっちだ」
「押忍! 行ってくるっす!」
草凪は福様に促され、バネの人形が飛んだ先に走っていった。
福様が鎖を強く引くと、榛居は抗わず、その力を利用するように跳躍し、くるっと一回転し中庭に着地した。
刀に巻きついていた鎖は、榛居のいなす動きで外れている。
鎖はしゅるしゅると小さくなり、レイピアの柄のチャームに戻った。
「よう、在原」
福様と知り合いなの……? でも福様の表情は険しいな……。
「俺たちを分断したかったのか?」
「一年生たちが、一対一を強く望んでいてな」
「お前とのサシはいつぶりだったか」
福様とずっと前から面識あるのかな……。いいなぁ……。
あー! 画面切り替わった!
北翼廊の丸太が激突した辺りで、小野と剣術部員が睨み合っている。
そんなのいいから福様を映せー!
よし! 画面切り替わった!
んだよ! 草凪かよ!
「おーい! 先輩だいじょうぶっすかー?」
南翼廊まで飛ばされた剣術部員に、草凪が近付きながら言った。
相変わらず、なめた態度だ。
剣術部員はすでに刀を構え臨戦態勢を取っている。
その足元には、掌サイズに縮んだらしいバネのおもちゃ人形が転がっていた。
草凪の歌戎具の効果か。
おそらくカバンは超大容量、ウタの触媒に使う様々なものを中に入れ、詠力に浸しているわけか。
詠力に浸された触媒をウタに使えば、ウタ単体よりも遥かに効果は上がる。
厄介な戎具を作ったものだな。
「短歌連三年、壬申流剣術部、石原尋鳥だ」
「押忍! 短歌連一年! 第三短歌部! 草凪蒼空っす!」
「……いくぞ」
「押忍!」
尋鳥の刀は白い詠力の粒子を帯びている。開始直後のウタを纏っているのだろう。
尋鳥が間合いを詰め、下から刀を払いあげた。
草凪は難なくそれを避ける。
認定試験の時、夜鹿の超速の斬撃を避け続けていたんだ。尋鳥の斬撃もとんでもない速度だが、草凪は躱すだろう。
だが、草凪は肩を庇うような仕草を見せ、間合いを大きく取った。
ん? ダメージを受けたのか?
草凪が静止すると、その肩に数本の棒手裏剣が刺さっているのが見えた。
あの刀の戎具、斬撃と一緒に実体の暗器も飛ばすのか?
何というか……。
「ちょっと卑怯っすね。その刀の戎具」
「うちは実戦志向だからな。お前は実際の戦場でも卑怯だとわめくのか?」
「ひひ! 学長みたいなこと言うんすね!」
「お前もこの学院に三年いればそうなる」
草凪はニヤッと笑い詠力を纏う。
すぐさま尋鳥が斬撃を放ち、草凪の詠歌を阻んだ。
尋鳥の高速の連撃が草凪を捉えようとするが、草凪はそれ以上の速さですべての攻撃を避け、斬撃に合わせて飛んでくる棒手裏剣も目で追い、完全に避けきる。……あいつ、詠歌しながら避けてるのか!
『太陽の全部をひとりじめにする気だろ、アンテナひらく朝顔』
あの猛攻の中で、詠力を乱さずウタいきったのか……!?
認定試験の時より、遥かにレベルアップしてるじゃないか!
尋鳥も信じられないという表情を浮かべている。
草凪の前に詠力陣が現れる。バフ系か。さらに速度が上がるのか?
草凪が柏手を打つと、北翼廊の屋根や手すりに刺さった棒手裏剣がぐらぐらと動き、ふわっと飛んで、草凪の手元に集まった。
「これ、もらうっす!」
そう言って、草凪は大量の棒手裏剣をカバンに入れてしまった。
信じられない……。
尋鳥の実力を見るに、壬申流剣術部のトップ3に入ってることは間違いない。
まるで手玉に取ってるじゃないか……。
「そうか」
尋鳥は刀を引き、突きの姿勢で切っ先を草凪に向け詠歌する。
『月のない夜に閃いた満天の美しき暴力の輝き』
『光射す場所だと気づく カーテンの向こうの青が沁みたその日に』
すかさず草凪も返歌を詠んだ。
詠力の渦が二人を包む。
草凪の返歌は、相手のウタを相殺する類のものじゃなく、バフ系の詠力を感じる。
迎え撃つ気か。
そして、尋鳥が草凪に向けて超高速の突きを放った。
それに合わせて、刀の周りに無数の棒手裏剣が現れ、弧を描き草凪に向かって飛んだ。
全弾発射か!
尋鳥の突きを避ける草凪を囲むように、四方八方から棒手裏剣が飛んでくる。
「うぉぉ!」
草凪の体が異常なくらい高速で動く。その姿はあまりの速度でぶれて見えない。あいつ、すべて避ける気か……。
直後、草凪が動きを止めた。その手には数本の棒手裏剣があった。
草凪はカバンにその棒手裏剣をしまう。
あいつ、まさか、全ての手裏剣を掴んでカバンに入れたのか……。
「……嘘だろ……」
『教室を格子に染める橙が夏の終わりをお知らせします』
尋鳥が呆然としていると、草凪がおもむろに詠歌した。
尋鳥ははっと我に返り、防御態勢を取る。
「全部、返すっす!」
草凪がカバンを開く。大量の棒手裏剣が弧を描きながら、尋鳥に向かい高速で飛んでいった。
「ぬぁぁ!!!」
尋鳥はすさまじい刀さばきで棒手裏剣を弾いていく。
全方位からの大量の棒手裏剣を尋鳥は正確に弾いていたが、足に一本の棒手裏剣が刺さり斬撃が揺らいだ瞬間、残りのすべての棒手裏剣が尋鳥に突き刺さった。
天満宮の客席から大きな歓声が聞こえる。
凄まじいな……。もう第一短歌部のトップ層の実力じゃないか……。いや、もしかしたらそれ以上……。
あ、天眼カメラが切り替わった……。
今度は小野だ。剣術部に向かって構えているが、その体には小さな青い鎖模様がいくつか浮かび上がっている。息も少し上がっているようだ。
剣術部員は刀の峰を肩に乗せながら、悠々と小野との距離を詰める。
刹那、最速で放たれた横薙ぎの斬撃を、小野が両手の手甲で防御した。
『音もなく波紋重なる水鏡に映る私を私が見てる』
剣術部員は詠歌しながら、小野に斬撃を繰り返す。
小野の動きも素早く、速い斬撃を避けたりガードしたりしているが、詠歌されたウタの方はどうする気だ……。
斬撃を防ぎきった小野が後ろに跳躍して距離を取ったと同時に、剣術部員が呟いた。
「水鏡は刎ねる」
その言葉を聞いた小野が身構えた時、青い斬撃が空中から生じた。
小野が空中から繰り出される高速の斬撃を避け、そして防ぐ。
この動きは……、さっきの剣術部員の攻撃の、鏡面反射……?
トリガーで詠歌中の攻撃を鏡面コピーで生じさせるウタか。
地味に嫌だな。
天眼カメラには映ってなかったけど、小野は最初、初見でこのウタを防いだってことか。
小野のセンスも凄まじいな……。
『音もなく波紋重なる水鏡に映る私を私が見てる』
剣術部員がまた詠歌しながら、連撃を加える。
小野は正確に防御しているが、返歌はできない。
小野の体幹は群を抜いたものがあるが、短歌の能力はやはり低いのだろう。
このままではジリ貧になるな。
剣術部員はさらに連撃の速度を上げ、そしてトリガーを引いた。
「水鏡は刎ねる」
今度は実体の斬撃を繰り返しながら、鏡面攻撃も追加するのか。
小野は防御のギアを上げ、実体の攻撃と鏡面攻撃、そのすべてを手甲で弾き落としていく。
が……、ありえない角度からの攻撃に、無理な態勢が続きすぎている。
あのままじゃ……。
ズンッ! と小野の脇腹に剣術部員の刀が突き刺さった。
刺された箇所から無数の青い鎖模様が湧き上がった。
……あの傷は深い。
剣術部員は小野に刀を刺したまま動かない。
なぜ止めを刺さないんだ。
……いや、剣術部員の顔に緊張が走っている。
カメラがアップになる。小野が剣術部員の手を掴み、刀を抜かせまいと必死に力を入れているのが見えた。
その時、小野から強い詠力が立ち上った。
詠うのか……!
『幾億にかさねた歌の末に咲く百蓮は結う咲くに穂がれて』
詠い終わった瞬間、剣術部員が小野の手を振りほどき、脇腹に刺さった刀を横薙ぎに払った。
小野の体を纏っていた青い鎖模様はさらに範囲を広げ、半身を覆う。
小野はよたよたと後ずさった後、ゆっくりと顔を上げる。
その表情は苦悶に歪んでいるが、まだ戦う意志を感じる。
もう無理だろう……。あのダメージじゃまともに動けない……。
その時、小野を取り巻く詠力が渦を描き始めた。
その研ぎ澄まされた詠力に、剣術部員も刀を構え防御の姿勢を取る。
小野がゆっくりと一歩踏み出した瞬間、眼の前に幾重もの雷が落ちたような轟音が鳴り響いた。
次にカメラに映ったものは、もうさっきまでの剣術部員ではなかった。首はあらぬ方を見て、四肢は関節を増やしたように不自然に何度も折れ曲がっている。失敗した粘土細工のような造形に変わり果てた彼の周辺にはまだ、粉々になった刀の破片がきらめき、降り注いでいた。
小野はボロボロになった剣術部員の横をぺたぺたと数歩歩くと、ガクッと両膝を突き、次の瞬間、爆ぜるように青い鎖が全身に浮かび上がり、倒れた。
ぐしゃっと音を立て、剣術部員もその場に崩れ落ちる。
……小野が今使ったウタは、攻撃の自動再生系のウタ……?
でも、こんなとんでもない破壊力、あんな超超高速攻撃ができる自動再生のウタなんて見たことがない……。
一体、何発の打撃をあの一瞬で打ち込んだんだ。
刀の鋼を叩き折り、人体をあそこまで破壊する打撃数となると、百発は優に超えている気がする……。
ほんの一秒程度で、百発。
そんなウタ……規格外だ……。
あ……。天眼カメラ切り替わった。
きたーーー!! 福様だーー!! やったー!! おっ! おっ!
二人の装束には、ところどころに刃傷がある。
互角……? いや、この感じは榛居の方が押されてる気がするな! いけ! 福様!
「在原、お前、爺さんに今もしごかれてるってことか」
「ああ。高等部に上がってからは毎日だな」
「お前の爺さんところの剣術道場に通っていたのが懐かしいな」
クソ!
それ、ファンの中じゃ私くらいしか知らない情報なんだからバラすなよ!!
「覚えてるだろ。樹理愛栖」
ジュリアス……。福様の本名だ……。
刹那、一閃の影が福様の顔を斬り裂こうとした。福様は最小限に半歩移動し、斬撃をいなしたレイピアで榛居の胸を狙う。高速で榛居の刀は防御に向かう。レイピアは弾かれ、二人は再び間合いを取った。
美しい……! 投げ銭ボタンがないのが悔やまれる……。
「なぁ、ジュリアス。俺は割りと嬉しいんだ。デブでどうしようもなくて、すぐ泣いてたお前が、今、こうやって俺と互角に歌合をしてる」
え……。福様って泣き虫の太っちょだったの? かわいい〜! 好き〜〜!
てか、そんな前から知ってんのかよ! クソが!
「最近のお前のことはよく伝網で見かけるぞ。うまくいってるようで何よりだ」
会話の中でも斬撃は交差する!
榛居はさっきの剣術部員二人よりもはるか上の剣技だけど、福様は全部いなしてるし反撃も鋭い!
くっそ! カバンの中の応援うちわ取りにいきてぇ!
「苑紅がつけた適当なあだ名でも、十年以上使い続ければ本物だよ。ああ、これは」
突如繰り出される目にも止まらぬ連撃を、福様は正確にいなす。
「相変わらずすぎて吐き気がするほど筋金入りの本物って意味だよ。豚ジュリ」
何て言い草だよ、あのクソ野郎。ぜってぇ炎上させてやる、アイツ!
ほら……、福様の動きにほんの少しだけ動揺があるじゃん……。
「爺さんに言われるがままに剣術を学ばせられ、高等部に上がってまで苑紅の影に隠れてるなんて、相変わらず自己のない」
「違う!」
「ん? どこが? 何が違うの? なぁ、豚のジュリアス」
一つの会話ごとに、刃の影が高速で交差する。
福様の防御は正確だ! あんな汚い陽動作戦になんて負けるかー!
「喧嘩に負けて苑紅に泣きついて、苑紅が俺たちをぶん殴った時、さぞ気持ちよかっただろ。なぁ? 豚ジュリ」
「伝網で人気出て良かったな。素直におめでとう。でも本名伏せて、豚だった時の過去なんてありません、って振る舞いはどうなのよ?」
「薔薇を背負ってナルシスト全開の写真、伝網にアップするのって本当のお前じゃないだろ。笑わすな」
「ほんとのお前ってもっと陰気で弱気で人に流される形じゃないと動けないヤツだろ」
「薔薇ってお前……さぁ。あまりにもペルソナが極端すぎる」
「お前がもしもずっと本名でやってたなら、こんなに俺は嫌悪しなかったかもな。ジュリアス」
「親がつけた名前なんだろ? 何で、子どもの頃の苑紅がつけたあだ名で通してんの? なぁ! 豚のジュリアス!」
これ……、とんでもない怒りの詠力だ……!
陽動作戦じゃなくて、これマジでムカついてるやつだ……!
榛居の詠歌……! 駄目! 福様の詠力が揺らぎすぎてる!
『甘だれた己の毒で死にいたる彼の墓標に何を刻むか』
『ゆきずりで愛をささやく堕天使を紅き荊で抱きしめていて』
榛居が刀を横に振るった直後、無数の小さな詠力の刃が大渦となった。
福様の返歌は、全方位の薔薇の花弁の防御のはず! でも、これじゃ……。
詠力の刃に対し、薔薇の花弁は圧倒的に不足しており、刃の渦が花びらごと福様を飲み込む。
渦が去ると、青い鎖模様が福様の全身のいたるところに浮かび上がっていた。
「俺の言ってることに動揺してるなら、やっぱりそういうことなんだろ。元のお前に戻れよ。もちろん元のお前のことも嫌いだけど、今のクソ薄っぺらい大嘘で固めたお前よりは、よっぽどマシだよ。なぁ、おい! ジュリアス!」
榛居の強い言葉に、福様はとうとう俯いてしまった。
あぁ……そんなに詠力を弱めてしまったら……。
福様の歌装束と歌戎具は、シュルルと音を立て、元の制服とロザリオに戻った。
だらりと力を抜いて俯く姿からは、もう戦闘の意思が感じられない……。
「……ごめんごめん。悪かったな。今、終わらせるよ」
やめて!! 福様、逃げて!!
「ねぇって!」
「わっ! な、鳴桧さん!」
びっくりした!
集中しすぎて気付かなかった。
鳴桧さんは、窓のところに反対にした椅子を持ってきて、背もたれに両手を置いて、だらっと座っていた。
「で、なにこの詠力」
「え……」
止めを刺そうと近寄る榛居を、ズンッ……と黒く重い詠力が押し返した。
「……うっ……うっ……」
福様、泣いてる……? この黒い詠力は福様のもの……?
「死と絶望って感じの詠力か。かなり黒いな」
鳴桧さんの言うとおり、こんな怖い詠力初めて感じた……。
福様はこんな詠力を発する人じゃないのに……。
「……うっ……うっ……」
「……なんなん……だってんだ! お前は!」
榛居が上段に構え飛びかかった時、深い悲しみを滲ませた福様の声が確かに聞こえた。
『琵琶が鳴る 死ぬために生き死んでゆく僕もあなたも僕のあなたも、死ぬ』
榛居の振り下ろした刀は……、福様の頭頂を叩き割った……。
「バカなやつ」
「……そうですね……。榛居の実力なら、第三の残りの二人もすぐに倒すでしょうね」
「そうじゃなくて、刀持ってる方」
「え……?」
「あぁぁぁ……」
いつの間にか、中庭は真っ暗になっていた。福様の悲しそうな声が中庭に響き渡っている。
榛居の足元に、福様がどさっと崩れ落ちた。
「あぁぁぁ……」
倒れたあとも、福様の声は聞こえつづける。黒い詠力はずっと立ちこめたままだ……。
怖い……。嫌だ……。寒気がする……。
中庭の暗がりに、黒いモヤでできた小さな子どもがうずくまっているのが、うっすらと見えた。 榛居は刀を構えたまま警戒している。
太っているように見えるその子どもの背後から、黒装束の男が現れた。男は包丁を持っている。
「夕焼けこやけで、日が暮れて……」
感情が一切ない声で、男は歌っている……。
何をする気……? やめて!
男は悲しい悲鳴をあげながら包丁を振り上げ、うずくまる子どもの背に突き立てた。
直後、男と子どもは粒子となり霧散する。
「……やまの……お寺の……」
しかし、不気味な歌声は続き、包丁を突き刺す鈍い音と子どもの悲鳴が繰り返される。
もうやめて……。 こんなの福様じゃない……!
警戒していた榛居の背後に、黒装束の男が現れた。
榛居は振り向きざまに刀を振るい、男を斬り捨てる。
しかし、すぐにまた違う方向から男が現れた。その手はやはり包丁を強く握っている。
「……夕焼けこや……日が……れて」
「……山の……寺の……」
「……鐘が……鳴る……」
男の歌声が四方から聞こえる……。
「うわぁああ!」
何度斬り捨てても、すぐに黒い男は現れる。
距離を詰めながら現れる男は何度も蘇り、とうとう榛居の胸ぐらを掴んだ。
榛居は掴まれたまま男を斬り伏せた。男は霧散し、またすぐ背後に現れて榛居を掴む。そしてとうとう、その肩に包丁を突き立てた。
男は何度も蘇り、何度も榛居に包丁を刺した。
榛居は逃げる姿勢を見せたが、時すでに遅く……。
崩れ落ちていく榛居に男は何度も何度も……包丁を振り下ろした。
青い鎖模様はびっしりと、むごたらしく榛居に張り付いていった。
「勝負ありッ! 勝者! 第三短歌部!」
白逢先生のかけ声とともに、黒いモヤは晴れていく。
榛居が倒れている場所から、少し離れたところで福様がうずくまり、顔を伏せて嗚咽を漏らしていた……。
「終わった終わった。さーてと」
鳴桧さんが立ち上がり、上着を着始めた。
観客席がどよめいているのがわかる。
そりゃ、あんな人の深部の絶望を見てしまったんだ……。
福……様は、ずっとあのキャラクターを演じていて……。
過去に強いトラウマがあって……。
それも本名を名乗れないほどに……。
人に流されやすい性分で……。
子どものころ、すごく太っていたってことか……。
好き……!




