第二十二話「瑠璃色の鳥」
烹炊部との料理対決が終わった蒼空を、天月と寮生たちが取り囲んでいた。
「蒼空君、今度僕とも料理対決しようよ〜」
「蒼空、今日の晩飯、さっきのやつ作ってくれよ」
冷やかしも混じった祝福の嵐に答える蒼空。その頭の上に、ユポポがべったりとしがみついていた。
丸太に縛られた挙げ句、揚げ物や煮物にすると高らかに宣言されてたもんな。
怖かっただろうし、真剣に助けてくれた蒼空により一層なつく気持ちはわかるよ。
「蒼空、あたい、今日の晩ごはんはあの爆発するどんぶりのがいいし」
「いいぞー」
優しい空気が漂うやりとりの最中、清治が少し離れた場所で言う。
「草凪、あんな料理を寮でやったら許さんからな……」
「う、うす……」
即死級の水蒸気爆発が伴う料理は、ちょっと無茶をしたがる高校時代とはいえ、ちょっと厳しいよね……。清治も大変だなあ。
観客席から大きな拍手が巻き起こった。反物のライブカメラを見ると、拝殿で睨み合う水縹と健康美部の姿が映し出されている。
水縹の足元には、二匹の子犬が勇ましく身構え、健康美部の三人に向かって唸り声を上げていた。
「開始めッ!」
大太鼓の音と同時に両者の体が粒子となり消えた。
「おし始まった! 気になるのはあの子犬たちっすよね!」
「だな!」
天満宮の各箇所を映すライブカメラを見渡しながら、苑紅が蒼空に応じる。
たしかにあの子犬たちは気になる。
一回戦で見せたフクロウの哦獣のように、あの子犬たちも哦獣化するんだろうな。
哦獣術部は天満宮の最奥、本殿に移動していた。
水縹が片膝立ちになり、掌を地面近くに差し伸べると、子犬たちが集結して「お手」のポーズで手を乗せた。
そして水縹が詠歌する。
『覗き込む月の片眼に差している緋色は示す凛としてあれ』
水縹と子犬の足元に詠力陣が浮かびあがると、子犬たちの体がねじれながら伸び、白い狼に姿を変えた。
「あいつら、狼だったのか!」
一頭の狼に水縹が飛び乗る。
狼たちからは青い詠力紋が現れ、パチパチと火花を上げている。
「行け!」
水縹の合図とともに、狼たちが走り出した。
電流でも纏っているように、狼たちの体に青い雷のような詠力紋が弾け飛んでいる。
二頭の間から伸びる雷をなぞるように、狼は何度か交差しながら駆けていった。
「速い!」
「二頭の狼が雷を生じさせて、雷の伸びる先に高速移動する能力か。かなりの速攻だな!」
狼たちは翼廊を抜け、健康美部のいる拝殿にあっという間にたどり着いた。
健康美部の面々が身構え、それぞれ詠歌を試みる。
『舞い落ちる光の影をてのひらに……あぁっ!』
健康美部の旅浜が詠歌し終える前に、水縹の乗る狼が胸元に喰らいつき押し倒した。
狼が首を激しく振ると、旅浜の体にみるみる青い鎖模様が伸びていく。
旅浜は両手をばたつかせ、狼を振り払おうとしているが抵抗はむなしい。
『匂いたつ草とはにかむ朝焼けと……うっ!』
同じく健康美部の住坂が詠歌を試みるも、もう一頭の狼が襲いかかり押し倒した。
その牙が住坂の胸元に深く突き刺さる。体中に伸びる青い鎖模様は、住坂の体に深刻なダメージがあることを示している。
狼に乗る水縹が振り返ると、健康美部の部長と視線が交差した。
そこにはすでに詠歌を始めている健康美部リーダーの姿があった。
『この部屋が愛なのだろう、雲、空気、雨音ももう、もういい君と』
第三短歌部の面々が前のめりになる。
「詠みきったっすよ!」
「トリガーだ! 一手勝ったな。でもウタの効果次第だぞ!」
狼の体から青い雷がほとばしり、二頭は一瞬で移動する。
その牙が体に届く寸前、唇に人差し指を立てた健康美部リーダーが言った。
「診察室ではお静かに」
その瞬間、何百キロもの負荷に押しつぶされたように、狼たちが地面にズドンと落ちた。
狼たちと水縹は、地面に伏したまま呻き声を上げている。身動きが取れないようだ。
『雨上がり、春のやさしい木漏れ日に似ているそれを覚えてますか?』
健康美部リーダーのスキャンのウタだ!
詠歌とともに、赤いレーザーで出来たいくつもの格子が、狼と水縹の体を調べるように交差していく。
赤い格子は粒子化すると、空中で紙に変化し、健康美部リーダーが持つバインダーに収まった。
「決まった! これは一回戦でヤンキー部の恥ずかしい秘密を赤裸々に公開した能力です! 野口さん! これはとんでもないことになりましたね!」
「はい。大原水縹選手の恥ずかしい事情が、この後大公開ですね」
え〜!? 水縹は女の子なのに、あの変なヤンキー部みたいに、お通じの事情とかエッチな事情を言っちゃうつもりなの!?
書類に目を落としていた健康美部リーダーが、水縹に目線を移す。
水縹は倒れて身動きが取れないながらも、健康美部リーダーを睨みつけていた。
「大原水縹、鳥獣連三年、哦獣術部部長。私、言ったよね。哦獣は健康そうだけど、あなたはそうでもないって」
水縹の眼光は鋭いが、声を上げることはできない。
「現生徒会の大幅な予算組み換えの悪影響は、哦獣術部にも及んでいた。哦獣たちの飼料や部材を買う費用すらまかないきれず、部費にあてるお金を稼ぐため、深夜に及ぶまで複数のアルバイトをしている。帰宅後、哦獣取扱資格の勉強や、部費割り当ての資料を作成をするために時間を使っており、この数ヶ月、極度の睡眠不足に陥っている」
あんな明るく気丈に振る舞ってたけど、そんな事情があったのか……。ていうか、生徒会ってマジで害悪だな……!
「そんな折、部活対抗戦の情報を知り、優勝賞金50万円のため出場を決意。必ず優勝しなくてはならないと強い思いを抱いている」
水縹と二頭の狼たちは、何とか力を入れて立ち上がろうとしていた。
「……うるさいな……。ほっといてよね……!」
「駄目です。あなたにまず必要なものは睡眠」
冷たく言い放った健康美部リーダーが、片手を水縹にかざした。
『群雲が日時計を覆いつくして、ぽたりと落ちる慈雨の一滴』
水縹たちが倒れている場所に詠力陣が広がる。
「私の仮眠のウタは、一秒で三分ほどの睡眠をした効果があります。眠りなさい」
詠力陣から白い粒子がふんわりと飛ぶ。とても優しい詠力だ。
水縹と狼たちは、眠りに抗おうとしているが、ついに二頭の狼の詠力が切れたのか、ポンッと子犬の姿に戻りそのまま眠ってしまった。
「くそ……」
水縹も抗いきれず、とうとうフッと頭を落とし眠ってしまった。
白逢がカウントを取り始める。
「ひとつ! ふたつ!」
そういうルールなの?
「苑紅さん、あれは?」
「一方のチームメンバーが、封印されてない状態で明らかな戦闘不能状態に陥り、かつ相手がとどめを刺す行動を取らない場合、10カウントが取られるんだよ」
なるほど。健康美部らしい戦い方だ。美しくもある。
「みっつ! よっつ! いつつ!」
眠りにおちた水縹たちを見つめる健康美部リーダーのもとに、旅浜と住坂がよろよろと体をひきずりながら集結した。かなりの大ダメージだけど封印には至らなかったんだね。
「むっつ! ななつ! やっつ!」
これで哦獣術部が脱落か……。水縹、良いやつだから好きなんだけどな……。しかし、健康美部は、マジですごいな。こんな戦い方があるからウタの世界は深い。
「ここのつ!」
その時、健康美部リーダーが強く指を鳴らした。
パチンと弾ける音とともに、水縹が起き上がった。すぐにある程度の状況を理解した水縹が、起きたものの、まだうとうととしている子犬たちを庇うように低く身構えた。
白逢のカウントは止まる。
観客席も「何故……?」という感じでざわついている。
「どういうこと……?」
水縹は健康美部リーダーを睨んでいるが、その表情からは困惑の色が見える。
健康美部リーダーは「当たり前でしょう。覚えておきなさい」と言い、水縹の目を見据える。
「昼寝は十分から二十分が効果的! いくら重度の睡眠不足とはいえ、三十分以上昼寝をすると、今夜の入眠に影響が出るでしょうが!」
その声には少々の怒気が帯びている。
水縹は真剣勝負の場には不釣り合いな言葉に面食らっているのか、何も言い返せない。
「睡眠不足は、免疫力の低下につながり、ちょっとした病気でも重い症状になりえます。今、この症状が出ていないのは、強い精神力でカバーしているからです。心の糸が切れることがあれば、あなたの体調はすぐに悪化するでしょう。事情があるとはいえ、こんなことは見過ごせません」
健康美部リーダーは、水縹をカッと睨みつけた。
「夜はちゃんと寝なさい!!」
天満宮に大きな声が響き渡った。
「……わかった」
水縹は力なく頷いたが、その後、数瞬を置き、さっと詠力を纏うと、健康美部リーダーを睨みつけ、詠歌した。
『覗き込む月の片眼に差している緋色は示す凛としてあれ』
狼の哦獣化のウタだ! 水縹はまだ戦うつもりだ!
うとうとしていた子犬たちの目がぎらりと光る。
子犬たちが再び、ねじれながら哦獣化しようとした瞬間。
『春なんて来ないでほしい、私には。雪に埋もれてとまる日時計』
健康美部リーダーの返歌が詠まれた。
子犬たちの足元に現れた白い詠力陣は、たんぽぽの綿毛のように、粒子をゆっくり飛ばしながら優しい詠力を放っている。
哦獣化しようとしていた子犬たちは、ふらふらとした足取りでたたらを踏むと、とうとうペタンと地面に寝転がった。
小さな寝息が聞こえる……。恐るべきだな、健康美部。
「狼は一日に十五時間眠るそうよ」
「……くそ!」
子犬たちの哦獣化に失敗した水縹が、両掌を健康美部に伸ばし詠歌する。
『百聞の炎が盛る、一見にしかず花主は春を忘るる』
健康美部リーダーは表情一つ変えずに返歌を行う。
『言葉にも凪があるのか、ただ君が癒えるのならば、いいよそれでも』
水縹の掌に発生した詠力陣が、健康美部リーダーの詠力陣に飲みこまれた。粒子となった詠力は、そのまま水縹の体にまとわりついていく。
「わっ!」
粒子の侵食に抗うこともできず、驚きと戸惑いの顔を浮かべていた水縹だが、次第にその表情をゆっくりと緩めていく。
「あなたの蓄積された疲れは、若さだけでカバーできないわ。今のウタはリンパマッサージのウタ。ここで全部癒やしていきなさい」
ほっと一息つきそうになった水縹は、魔物を祓うように頭を振ると、強い目力で健康美部リーダーを睨みつけた。
「うるっさいな!!!!」
冷たく見据えた健康美部リーダーが追撃のウタを詠む。
『瑠璃色の鳥の涙がさざ波にのまれて消えた夏の夕暮れ』
「くッ……!」
この学校には色んな連がある。私の世界でいうと「学部」か。
水縹は哦獣のプロではあるけど、戦闘のプロではないんだろう。
哦獣を失った今、数秒の猶予しかない返歌の応酬に、ついに返歌を詠むことができなかったようだ。
ザ……ザン……。 と、波の音が聞こえる。
そこは眩いような、霞んだような、黄色い砂浜だった。幻覚のウタか。
「ここは!?」
「こっち。座って」
素足になっている健康美部リーダーが波打ち際で、水縹を小さくこまねいた。
水縹は、一瞬困惑したようだったが、ほどなくリーダーの隣に座った。
何か波の音が心地良い。そういうリラクゼーションのウタなのかな。
「今日に限って言えば、さっきの仮眠で、あなたの体の疲れは多少和らいでます。そして、この波の音で、心も少しは落ち着くでしょう」
「そっか」
「優勝しなさい」
健康美部リーダーの穏やかな励ましに、水縹は小さく笑った。
「このままじゃ、あんたに勝てないよ」
「勝ち負けのために戦ってたの?」
この人、勝ち負けのために戦ってなかったのか……。
ほんとに、他人を健康にするために魂捧げてんだな……。
「行きがかり上、仕方ないけど、あなたの強い意志は十分感じさせてもらったわ。私たちは歌心の通り、他人を健康にするためにここにいる。私、あなたが好きよ」
「なッ……!? え〜〜??」
これは!?!? 百合展開か!?!?
「あなたの強固な意志と、与えられた環境での努力、よく見させてもらった。私たちが部活対抗戦に進み続ける理由はもうない」
ないの?!
「何が言いたいかわからないな……」
「私たちは、あなたの味方になるの。私たちは、全人類を健康にするためにここにいる。この大会に出場したのは広報の意味しかない」
健康美部リーダー、水縹の生き方に共感したのか……。
どんな角度からでも他人の健康を良くすることを本望としてるようだけど、それも含めて、水縹が勝つことに乗るって言いたいのかな……。
「……こんなの誰も納得しない」
「じゃあ、こうしよう。私たちはあなたたちのトレーナー。あなたたちを万全の状態で戦地に送ることが、私たちの本望。あなたが結果を出してくれれば、私たちの部の広報にもなる」
「………わかった」
「よし」
健康美部リーダーが短く答えると、波打ち際の幻覚はおぼろな粒子になって消えた。
いつの間にか靴を履いている健康美部リーダーは、旅浜と住坂を連れて一ノ橋に向かおうとしていた。
「そのまま、一ノ橋に出れば棄権になりますよ?」
白逢が健康美部の背後に言う。
健康美部リーダーは振り返り、白逢を険しい顔で見た。
「私の使命は世界中の人々を健康にすること! それに反する歌心はありません! 目の前の人が健康になる可能性があるなら、私は迷わずその選択を取ります! 議論の余地は一切ありません!」
高らかな全人類健康化計画の宣言の後、健康美部は一ノ橋へ向かい歩いていった。
白逢は目を瞑り小さく頷き、高々と片手を挙げた。
「勝者! 哦獣術部!」
大きな歓声の中、健康美部が一ノ橋を渡っていく。
リーダーの表情は険しい。
そして、拝殿にいる水縹が、眠ってしまった子犬を抱き寄せて、決意を新たにした表情を浮かべていた。
「すげー面白かった〜〜。あいつらやばいっすね! 俺も健康になりたいっす! 健康美部行ってみようかな〜」
「おめーは多分、めちゃめちゃ健康だからすぐ追い返されるよ」
何か高校生らしい青臭さもあって、ほんとに良い歌合だったな〜。
「みんな、ちゃんと自分の歌心を理解してる」
琴葉が歌装束が封印されたリストバンドを触りながら言った。
「苑紅さん、次の歌合、私が出たいです」
腕組みをした苑紅が静かに聞く。
「苑紅さんは規定ダメージ超えてるから、多分、福丸さん、蒼空くん、夜鹿ちゃんっていうメンバーが順当ですけど、次に進んだとしたら、相手は第一短歌部です。もし、誰かが規定ダメージを超えたら第一短歌部戦が不利になります。相手は壬申流剣術部、私には荷が重いかもしれないですが、刺し違えても、絶対に一人は倒します」
琴葉は夜鹿との特訓で何かを掴んだ感じがする。
心を決めた琴葉の言葉はいつも力強いものがあるけど、今回はいつにも増して決意の色が見える。
夜鹿が強い目線を苑紅に送る。苑紅が夜鹿を見ると、夜鹿は小さく頷いた。
「わかった。メンバーは、福丸、蒼空、琴葉だ。相手は斬りつけながらウタってくるぞ。気抜いてたら一瞬で斬られる。気合い入れろ」
その時、大きな歓声が広場を包んだ。
一ノ橋を、赤い羽織の三人の侍たちが拝殿に向かい歩いていた。
「榛居が出てきたな」
「壬申剣術部の部長か。どうもベストメンバーのようだな」
苑紅と福丸が言う。ここでベストメンバー出すってことは、第三短歌部をかなり評価してるってことか。さすが見る目があるな。
「誰が出てきたって勝つだけだ! 頼んだぞ! お前ら!」
「おう!」と苑紅の激に応え、蒼空と福丸、琴葉が一ノ橋に向かった。




