第二十話「稲穂の神楽女」
夜鹿は、屋台で捕まえた二匹の金魚が入った袋を眺めながら、自陣のベンチに静かに座っていた。
いつもと変わらず表情の少ない顔だけど、どこか嬉しそうに見える。
後ろでは、療治酔いでベロベロになった琴葉が、怒りを孕んだ雄叫びを上げながら蒼空の胸ぐらを掴み、片手で軽々とグルグルに振り回している。まるでタオルだな……。
こんな騒々しいなか、夜鹿はよくしみじみと金魚を眺めてられるもんだね。
苑紅と福丸も、色んな療治酔いの症状を見るのに慣れているのか静かなもんで、苑紅がトーナメント表に勝敗を書き入れている様子を福丸は隣で見ていた。
「さて……、二回戦のメンバーをどうするか……」
「苑紅は規定ダメージを超えているから出場できない。誰を選出するつもりだ?」
「二回戦の作戦会議ですか!?」
苑紅と福丸の作戦会議に、琴葉が割って入った。
あれ……、もう大丈夫なの?
「琴葉、療治酔いはもういいのか?」
「え? 何のことですか?」
「んーん。何でもない」
え〜、療治酔いだったこと、覚えてないの? しかも、切り替え早すぎない?
ふと目をやると、夜鹿が静かに座るベンチの後ろで、ボロボロになった蒼空が微動だにせず地に伏していた。
完全にグロッキーだね……。まぁ、蒼空は最近、琴葉に対して舐めた態度が多かったから、いい薬になったことだろう。
「ところで、苑紅さんが屋台村で言ってた最強の部活って、結局どこなんですか?」
琴葉が苑紅のトーナメント表に目を落としながら言う。
そういえばいたね。雅な和装で雅楽を奏でながら行進していた一団。
「え? いや、対抗戦には出てないよ」
「えー? だって、気が向いたイベントには参加する奴らって……」
琴葉の話を遮るように、大太鼓の音が一つ鳴り響いた。
ゆっくりと間隔を取ってもう一つ、大太鼓の音が会場中に鳴り響く。
「あれ……? 昼休みの鐘の音に似てるけど、少し違いますね」
「ほら来た! あいつらだよ!」
苑紅の指差す方向を見ると、朝見かけた白い和装の一団が、大きな竈を乗せた神輿を担いで、一ノ橋前に陣取った。
平安時代の貴族のような出で立ちの彼らは、様々な和楽器を鳴らしながら、ゆったりと神秘的に大竈の周りを舞っている。
その中の一人、薄紅色の衣装の女性が前に出ると、神楽鈴を振りながら長歌を詠歌し始めた。
『千本の鳥居を越えて奥宮
稲穂が揺れる神田に舞いし神楽女、御田舞
宇迦之御魂神に
奉る五穀は豊穣に伏見稲荷の水や清けし』
いつの間にか、大竈を中心に、周囲にはいくつものテーブルが置かれている。力だすきをかけた和装の一団が、そこでてきぱきと作業していた。
「あの人たち、何してるんですか?」
琴葉が質問した時、ふわっと美味しそうな匂いが漂ってきた。
え……。何これ、すっごい美味しそうな匂い……。
その匂いを嗅ぎつけ、ぶっ倒れていた蒼空がガバっと起き上がった。
「飯っすか!?」
「そ! 飯だよ! あいつらが朝言ってた最強の部活! 烹炊部だよ」
「飯作る部活ってことっすか?」
「そ。あいつらはただ部活で料理を作ってるだけじゃなくて、料理系コンテストの賞を総ナメしたりは当たり前、学長が仕切る世界の要人が集まるようなイベントでコース料理を振る舞ったり、料理に関することは世界でもトップクラスの部活だよ。卒業生はみんな一流のレストランなんかに就職してる」
色んな部活があるから料理に関する部もあるだろうとは思ってたけど、そんなにハイレベルなのか!
「本気のあいつらが作った飯を食ったら、どんなヤツでも逆らえなくなる。だから最強の部活ってわけ」
「はは! なるほどっすね! で、今、あそこで飯作ってるってことは」
シャン、とまた神楽鈴の音が聞こえた。いちいち雅だねぇ。
次の瞬間、私たちの前に、詠力でできた白い狐が五匹、ふわっと舞い降りた。
狐は笹の葉で巻かれたお弁当を、第三短歌部の五人の膝にそれぞれ置くと、またふわっと飛び上がり、消えていった。
「やった! 飯振る舞ってくれるってことっすね!」
「そ! あいつらは気に入ったイベントや学長御用達イベントくらいじゃないと、飯作ってくれないのさ!」
周囲でも、それぞれの部の陣地から歓声が上がっている。
どうやら、対抗戦に参加した部活への振る舞いってことらしい。
見ると、哦獣術部の哦獣たちには別のご飯を用意してたみたいで、虎の哦獣や子犬たちが喜んでご飯を食べている。
さすが世界トップクラスの部活。おもてなし力がすごい。
「おし! 早速!」
蒼空が笹のお弁当の紐を解きはじめた。
あーあ、いいな。
こんなの絶対食べたいじゃん。
はー。守護霊は辛いぜ。
「あれ〜? こんだけっすか?」
開かれたお弁当を見ると、三つのおにぎりに漬物が添えられていただけだった。
苑紅は蒼空のクレームを無視しておにぎりにかぶりつくと、何やら放心した様子で中空を仰いでいる。
「まぁ、いっか。いただきまーす」
「私も! いただきます!」
「いただきます」
全員がおにぎりにかぶりつき、そして、苑紅と同じように放心状態になった。
「なん……だこれ……」
蒼空が小さく呟く。
何、おいしいの?
その時、苑紅が放心状態のまま原歌を詠歌した。
「君の手がやさしく包んでくれたから 泣かされちゃったな 塩のおむすび」
続けて、蒼空も原歌を詠む。
「幸せは片手で持てる大きさで冷めたくらいがちょうどいい。おかわり。」
無意識に原歌を詠むほどの美味しさってことか……。
「うめぇ! うっ……! うめぇ!」
蒼空がおにぎりを貪り食べながら、泣いている。
泣くほどなの!?
見ると、福丸、夜鹿、琴葉も原歌を詠んでいた。
「豊穣の女神はおどる風の吹く黄金色した棚田のうえに」
「一階で母がわたしを呼ぶ声に彩度があがる宵の明け星」
「お日さまと君がいるから美味いんだ、米が踊るの本当なんだ」
第三の面々がおにぎりに集中するなか、周りを見渡すと、他の部活の面々も短歌を詠み、一心不乱におにぎりを食べていた。
こんな質素なお弁当なのに、凄まじいな……。
「うめぇー! おい! ユポポ! これうめぇだろ!?」
返事がない。そういえば、いつも蒼空にまとわりついているユポポの姿がさっきから見えないな。
「あれ? あいつ、どこいったんだ?」
蒼空が周囲を見渡す。
「あ……。みんな! あれ!」
蒼空が、烹炊部の陣取っている方向を指差す。
テーブルが並べられた隅の方に、丸太が立てられ、ユポポが縛り上げられている。近くには烹炊部の部員らしき生徒がいて、ユポポの口に果物を運んでいた。
ユポポは暴れもせず、運ばれるがままに口を開け、果物を食べている。
「ユポポ! 何してんだ!?」
蒼空に気付いたユポポがこちらを見る。
「蒼空〜。この人たち、ごはんくれるし〜。すごくおいしいし〜」
「ほら、ユポポちゃん、次はバナナだよー。あーん」
あーん、と口を開くユポポはとても機嫌が良さそうだ。
「いやいや! 何かおかしーだろ! 何してんだ! 烹炊部!」
その物言いに、長歌を詠んだ女子生徒が蒼空を見た。
「あら、第三短歌部の皆さんですね。こんにちは。長歌連三年、烹炊部部長、一乗院斐語です」
「こんちわっす! いや、てか、その縛り上げてるそいつ、俺の友だちなんすけど!?」
「あらあら、ごめんなさい。てっきりジビエだと思ってたもので」
斐語は上品な笑顔を向ける。
「ジビエっすか」
「ジビエです」
蒼空がユポポを見ながらゴクリと生唾を飲みこむ。
え……。ちょっと、蒼空! どうしたの!
「おい! 蒼空!」
不穏な空気を出す蒼空を見て、苑紅が口を挟んだ。
「苑紅さん……。ユポポのあの尻、すげー美味そう……」
「だな……」
ちょ! ちょっと! 二人して何言ってんの!?
まさか、さっき苑紅が言ってた「食ったら逆らえなくなる」ってこういうこと!?
蒼空と苑紅のおかしな雰囲気に、ユポポがようやく危険を察知したように不安な顔を見せた。
「二人とも、どうしたんだし……? なんかこわいし!」
ユポポがジタバタと暴れ始める。
「おい! やめろ! 苑紅! 蒼空!」
第三短歌部の良識担当、福丸が苑紅と蒼空を制止した。
欲望のままに生きる担当の二人を止めるのは福丸しかいない!
「ユポポは僕たちの仲間だぞ! 馬鹿なことを言うな!」
苑紅と蒼空がハッとした顔で我を取り戻した。
「あれ……。何か、俺、ちょっとおかしかったっす……。あれ!? ごめん! ユポポ!」
「ありがとう……。福丸……。やっば。烹炊部に胃袋、マジで掴まれてた」
良かった! 二人が元に戻った!
烹炊部、やばいな。胃袋掴むのレベルが段違いだよ。
「二人とも、わかってくれたならいい……。ユポポに雑な調理法は似合わない」
え。
「僕のハーブ園で取った色んなハーブを使って、丁寧なオーブン料理にしよう! 諸々のハーブで臭みを取り、高すぎない温度でじっくり焼き上げるんだ! そして、こんがり焼き上がったユポポを乗せた大皿に薔薇を添えようじゃあないか!」
「い、いやぁあ!!! 蒼空、たすけてだしーー!!」
福丸もおかしくなってた!
舞台俳優のように両手を広げ、高らかに笑っている福丸の頭に、苑紅がゲンコツを見舞った。
「バカか! しっかりしろ!」
苑紅の鉄拳に福丸がうずくまる。
はっきり言って、苑紅にバカ呼ばわりされる筋合いはない流れだったけど……、烹炊部はかなりやばい。
素に戻った蒼空が斐語を睨みつけながら言う。
「そいつ、ジビエじゃねえっす。離してやってくださいっす」
「あら。でも、もうジビエ肉にする準備をしているので、ごめんなさい」
ユポポに餌付けしている生徒の背後で、別の生徒が大きな包丁を砥石で研いでいた。
「ちょっと待って下さいっす!」
蒼空が言うと同時に苑紅が斐語を睨みつけた。
「斐語さん、その子猿、うちの部員なんで。ジビエにはさせないですよ」
「あらあら、苑紅さん。ごめんなさい。賓客のジビエなんて希少な食材、私たちも手放すわけにはいかなくて」
「は〜? 困りますよ! 返してください!」
そうねぇと、斐語が微笑みながら顎に手をおいた。
昼休みムードだった周囲の部活や観客たちも、騒動に釘付けになっている。
「うちの一年生に、料理対決で勝ったら、返して差しあげますわ」
「はー!? そもそもそいつうちの部員なのに!」
憤慨する苑紅を、蒼空が片手で制した。
「料理で勝ったらいいんすね?」
「おいおい! 蒼空!」
「あらあら、勇ましいですね」
ユポポはジタバタしながら、大声でわめいている。
「蒼空ー! たすけてー! 煮物にされるしー!」
「あらあら、焼き物にも揚げ物にもしますわ」
相変わらず上品な笑顔を浮かべている斐語の前に、蒼空が歩み出た。
「俺がやるっすよ。その料理対決」
よし、よく言った! うちの蒼空は、料理が全然できない友禅の代わりに、ずっと料理してたんだ!
こんな奴らに負けるかーー……って、一流レストランに就職するような部活が相手か……。
やばいんじゃない!? 蒼空!
「さぁ! 部活対抗戦の昼休み! 思わぬエキシビジョンが開始されました! 野口さん! 面白い展開になってきましたね!」
「はい。賓客の肉料理はなかなか食べる機会がありませんからね。とても楽しみです」
馬時と野口の実況解説に、観客席が沸き立つ。
大きな拍手と歓声の後に、ジビエコールが鳴り響いた。
「ジービーエ!」
「ジービーエ!」
「うるせぇな! ユポポはジビエ肉になんかさせねぇからな!」
見ると琴葉も立ち上がって手を叩きながらジビエコールに参加していた。
「ジービーエ! ジービーエ!」
「ちょ! おい! 琴葉!」
「あ、蒼空くんだ! 私! おにぎり一つ残してるの! ユポポの唐揚げをおかずに……」
「しっかりしろバカ!」
蒼空が琴葉のほっぺたを力いっぱいつねる。
「いたたたたた!」
蒼空が手を離すと、琴葉はぺたんと尻もちをついた。
「あれ……?」
「琴葉! ユポポ、助けなきゃなんだぞ!」
「そ、そうだよね! ごめん!」
よかった! 琴葉も元に戻った!
「心配すんな。俺が料理対決に勝って、ユポポ取り戻してくっから」
「わかった!」
これであとは夜鹿だけだ! 夜鹿は大丈夫なのかな?
「おい! 夜鹿! お前、大丈夫なのかよ?」
夜鹿は蒼空を一瞥して黙々とおにぎりを食べている。
「大丈夫」
「ほんとかよ?」
夜鹿はおにぎりを頬張りながら、縛り上げられたユポポをじっと見た。
「夕飯……」
うん。大丈夫じゃないな。
苑紅が蒼空に近付き、耳打ちをする。
「勝算、あるのか?」
「わかんねっすよ」
「わかった」
「最悪、武力行使で大暴れすっから、心配無用で勝ってこい」
「押忍」
第三短歌部の不穏な空気を察したのか、烹炊部の面々が斐語を中心にして、縛り上げられたユポポの前に集結した。
部員たちはそれぞれ、マグロ包丁や牛刀、巨大なハンドミキサーを持って身構えている。
「あらあら。野蛮な行動を取られましたら、血抜きして解体しますわよ」
こえーな! どっちが野蛮だよ!
斐語は優しそうな声で言ったけど、あの目の奥の冷たさは本気のやつだよね……。
その時、軽快な声が会場に響いた。
「さぁ! 始まりました! 第三短歌部VS烹炊部の料理対決! 伝網連二年! レポーターの平福小鶉が、こちら、厨房闘庭よりお送りしています!」
さすが。伝網連は相変わらず仕事が早い。
「今回は! 噂の奇々怪々! 第三短歌部と、我が学院が誇る料理のスペシャリスト集団! 烹炊部による対決が行われようとしています! 柿本さん! キッチンガーデンはすでに準備万端! 闘いの狼煙が上がるのを待つだけの状態となっております!」
「はーい。平福さん、ありがとうございます。さぁ、今回の闘いの審査を務めるのは、この方々です!」
馬時が指し示した場所には、いつの間にか審査員席ができあがっていた。
その背後で、建立連・北原組の面々がひと仕事終えたとばかり、手を払っている。この数十秒の間に作ったってのか……。
「審査員代表はもちろんこの人! 我が学院の最高権威かつ最強のサイコパス! 当代学長! 月島吉乃だ!」
「みなさん、こんにちは」
この人、いつの間に来たの!? 絶対さっきまでいなかったよね!
「お次はこの人! 生徒会の秘密警察! 言論弾圧のブラコン主義! 生徒会副会長! 宗雅細雪女史!」
「やかましい! 貴様! しょっぴくぞ!」
うわ……。細雪だ……。これは不利に働くな……。
「最後はこの人! 間もなく行き遅れのご年齢! 永遠の高嶺の花! 茅野白逢先生です!」
白逢がギロリとレポーターの平福を睨みつけた。
そうか、それなりに妙齢なのね。
「そして! 烹炊部が誇る期待の一年生! 第三短歌部、草凪蒼空の対戦相手はこちらです!」
平福が示した方角から男子生徒が歩み出た。
筋肉質な背中に、何本もの包丁を放射状に背負ったその生徒が、蒼空を睨みつけている。
「短歌連一年、烹炊部、千代皇木だ」
「短歌連一年、第三短歌部、草凪蒼空! 負けねぇぞ」
両者が睨みあうなか、斐語がゆっくりと間に立つ。
「さてさて。キッチンガーデンでのルールを説明しますね。制限時間は三十分。テーマに沿った料理を調理し、審査員の皆様に食べて頂き、判定してもらいます」
「ふむふむ。ウタは使っていいんすか?」
「もちろんいいですよ。ただし、調理中に詠歌できるウタは三首まで。味付けをするウタは許されません。あくまで調理法に関するウタのみです」
「押忍」
なるほど。ウタありの料理対決か。
しかし、この皇木ってヤツ、さっきから腕組みをしたままだけど、何か料理に命かけてそうな雰囲気あるな……。
「さてさて。両者は、こちらからテーマに沿った好きな食材を取ってください」
斐語が示した場所には、ひな壇になった棚に、野菜やら魚介類やら無数の食材が並べられていた。
さっきまでこんなひな壇なかったと思うけど、これも建立連の仕事か。
「うおー! すげー! 何でもある! これ何使ってもいいんすか!?」
「はい。いいですよ。ただし、テーマは守ってくださいね」
「テーマっすか?」
「そう、テーマ。今回の主食材は……」
斐語が仰々しく両手を開いた。
「猪肉です!」
斐語がテーマを叫ぶと、烹炊部員たちは、塊肉が乗せられたキャスターテーブルを運び入れた。
客席から歓声が上がる。
「猪のジビエっすか」
「そうです。皇木にジビエ対決で勝てましたら、あの猿のジビエはお返ししますわ」
「おーし」
制限時間三十分で猪肉の料理を作るの?
ジビエは獣臭さがすごいから、下処理に時間をかけないといけない。
運び入れられたあの塊肉、当然何の処理もされてないよね……。
こんなプロみたいな奴相手に、こんな難しそうな食材で対決か。
大丈夫なの……? 蒼空……。




