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三十一文字物語  作者: 京屋 月々
第二章 紅花栄
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第十九話「赤焼の目」

 拝殿へと続く渡り廊下を、少年は走っていた。

 中庭では、共に戦っていた仲間が二人とも、無数の矢を受けて倒れている。

 少年は足をもつれさせながらも全力で走っていたが、前方の不気味な気配に気付いたのか、慌てて足を止めた。


 廊下の向こう側からやってくる影が、足音も立てず、す……と一歩前に出た。中庭から差し込む薄い光がその影を、大弓を持つ袴姿の女子生徒に変えた。

 後ろにはさらに二人、同じように大弓を手にした女子生徒が控えている。

 少年は、乱れきった息を何とか整えようと唾を飲んだ。


 先頭に立つ女子生徒の冷たく、虚しさをはらんだ瞳に対峙し、少年は半ばやけになったような表情で歯ぎしりした。そして、ボールをミットに投げ込むと、相手をしっかりと見据え、大きく振りかぶる。


 『時は今! 炎をまとった豪速球! 顔面セーフは今回はなし!』


「承知した」


 詠歌えいかに応えるように女子生徒が呟き、弓に矢をつがえた。


 少年は体中から詠力紋えいりょくもんほとばしらせてボールを投げる。


 高速で放たれた火球は、しかし、トンッという音とともに空中で静止する。その中心を、矢が貫いていた。

 重力任せに落下しようとするボールに追い討ちをかけるように、四方八方から無数の矢が刺さる。地に着いた時にはもう、原型を留めていなかった。


 少年は愕然とした顔で一部始終を見ていたが、最後にもう一つ、トッという音がした。それは、彼の額に矢が突き立てられた音だった。

 表情もなく、少年はゆっくりと両膝を折ると、崩れ落ちた。


「勝負ありッ! 勝者、弓道部!」


 白逢しろあいの宣言と同時に、観客席からワッと歓声が広がった。


 ふぁ~~。面白かった!

 さすが、「獣は狩れば良い」なんてクールに言ってただけあるね。

 野球部とは実力差もかなりあったっぽいけど、獲物を追い詰めていく様子はまさに狩人だったよ。


苑紅そのべにさん、弓道部の人たち、かなり強かったっすよ!」

「だな。正直、ここまでワンサイドゲームになるとはね」

「しかし野球部は、野球もウタも、どちらの技術も今ひとつのようだったが」


 福丸ふくまるが冷静に言った時、実況席の馬時うまときと野口の声が耳に入ってきた。


「野球部、惨敗! 野口さん! 野球部はほとんど良いところがありませんでしたね!」

「うちの学院の野球部は、普通の野球大会でも成績が振るわず、負けるたびに「ウタさえ使えればお前らなんかに負けない」と必ず言い訳めいた悪態をついて、他校から強いひんしゅくを買っています。是非、他校の皆さんにこの有様をご覧頂きたいですね」

「今回の大会の様子は、伝網連の一般向け動画配信サービス「WakaWaka」で公開中です! 皆さん、是非他校の方にもシェアしてあげてください!」


 うわぁ……なかなか辛辣だな……。

 設立試験の青木の時と言い、馬時と野口は野球部に恨みでもあるのかな……。


「ウタと遠距離武器の組み合わせ、夜鹿よるしか琴葉ことはも見ときゃ良かったのに」

「まぁ、二回戦で第一短歌部と弓道部が当たるから、それを見りゃいいよ」

「ところで琴葉の修行、はかどってんすかねー?」


****


「小野さん、これ」

「このでっかい岩を敵に見立てるってこと?」

「そう」

「でも、大きすぎない? 三メートルはあるよ」

「第一短歌部の人たちと壬辰流じんしんりゅう剣術部の人たちは、この岩より強い」

「そっか! わかった!」


 小野さんは、とても素直だ。

 短歌にも素直な言葉を選ぶ傾向がある。


 でも、倭歌神やまとうたがみからウタの力を授かるには、技術が必要。


「小野さんの短歌、私は好き」

「え! そんな何突然! え〜、照れちゃうな! 嬉しい! ありがとう!」

「でも、小野さんの短歌を好きじゃない人もいる」

「まぁ、下手くそだから仕方ないよ……」

「皆、それぞれに好き嫌いがある。それは倭歌神も一緒」


 小野さんが目を見開いた。


 その顔を見ていると、思い出が蘇ってくる。

 深い深い、心の奥にしまっていたもの。お婆ちゃん先生との大事な思い出。


「夜鹿ちゃんの短歌、私はだ〜いすき!」


 あの頃の私は、お婆ちゃん先生に褒められると嬉しくてたまらなかった。

 つい笑ってしまいそうになるのを、我慢しなきゃと思って、モジモジしてばかりいた。


「でもね、短歌をウタにする時は、倭歌やまとうたの神さまが気に入ってくれるように、歌に飾り付けをしてあげるの」

「かざりつけ?」

「そうよ。例えば、頑張る自分自身を花のつぼみに例えてみたり、叶えたい夢を満月に例えてみたり」

「倭歌の神さまも、好きな歌と好きじゃない歌があるの?」

「ええ、夜鹿ちゃんや皆とおんなじなのよ。でもね、一番大切なのは、みたい歌をまっすぐうたう心なの」


 新しい塾に通い出してからは、効果に合わせた歌心うたごころのコントロールばかりを訓練した。

 でも、色んな経験をして、色んな出来事を見てきた今ならわかる。

 お婆ちゃん先生は、歌人かじん真髄しんずいを教えようとしてくれていたんだ。


 だから。


「さっき、小野さんが言っていた、一番詠みたいこと。それを心に置いて、詠力えいりょくまとってみて」

「よーし! うーん!」


 ぼんやりとした詠力が小野さんを包む。

 小野さんはきっと勘違いしている。


「小野さん、それは力んでいるだけ」

「う……。そっか……」


 小野さんがわかりやすく項垂れた。


「ねぇ、夜鹿ちゃん……」

「何?」

「……私、才能ないっぽいし……。夜鹿ちゃんや蒼空そらくんみたいに、すごい詠力纏うことなんてできないかも……」

「関係ない」

「え?」

「強い詠力を纏うのに才能は関係ない」


 草凪くさなぎ君のような、歌心の切り替えの速さと深さ、そして詠力の繊細なコントロールは才能だと思う。

 でも、強い詠力を纏うことについては、才能は無関係だ。

 

 自分の中にある歌心への理解。

 その歌心に沿った歌を詠むのだ、という意志の強さが詠力を生み出す。

 だから、歌心に忠実であればあるほど、詠力は強さを増す。


「才能は関係ない。小野さんは今、ウタで岩を攻撃することばかり考えてる。だから力む。でも、そうじゃない。どうやって攻撃するかを、「ただ詠む」ことだけに集中して」


 小野さんは強く小さく頷き、目を閉じた。

 無駄に入っていた力みは少し解けた。

 でも、まだだ。


「もう、戦いとか、歌合うたあわせのことなんて忘れていい。明確なイメージを、ただ歌にするっていう意志だけでいい」


 両目を閉じたまま、小野さんの体の力がすっと解けていった。

 そして、目を開く。


 ゆっくりと、詠力が渦を巻き始めた。


****


「第七試合! 神事相撲部しんじすもうぶ! 対! 演劇研究部! 昇殿!」


 浴衣を着た三人の力士と、黒いフード付きローブの三人が、拝殿へと向かう。


「うおー! 苑紅さん、相撲部っすよ! 相撲部!」

「うるせーな。わかってるよ」

「神事相撲部って何すか?」

「わかんねーで大はしゃぎしてたのお前? まぁいいけど。神事相撲部ってのは、活動的には他校と同じ普通の相撲部だけど、うちの学院に関しては、神明加護の祈願っつーので、神様の前で相撲を奉納するっていう意味合いがあるらしい」

「へー! じゃ、演劇研究部は何すか!?」

「そりゃ、お前、読んで字のごとくだろうがよ」


 間の抜けた会話が終わったと同時に太鼓の音が響き渡った。


開始はじめッ!」


「うお! 始まった! っと、相撲部の人ら、さっきの俺らと同じように拝殿から移動せずっすね」

「あぁ。演劇部は奥の方に移動したみたいだな」


 相撲部の三人がぐっと腰を下ろし、詠歌した。


 『日の御子の明けの光に益荒男ますらおは土を踏みしめ黄金こがねに染まる』


 三人の浴衣がキラキラと輝き始める。

 足元に生じた大きな詠力陣えいりょくじんから、白く光る帯状のものが三本、上に向かって勢いよく伸びた。

 白い帯は空中でくるくると優雅に舞いながら、いつの間にか素っ裸になっている相撲部の体の周りで渦を巻く。帯はそのまま、まわしになり、股間に装着された。

 三人は腰を深く落とすと、大きな手を前に向けてポーズを取った。


天地あめつち元気はじめかよわしめたもう! 春插はるさし!」


「魂の日月ひつきの光をやわらげ賜う! 縵環かづらわ!」


とがらじとはらたまい清め賜う! 百槻ももつき!」


 相撲部員はそれぞれ仰々しい名乗りを上げると、雲龍うんりゅう型とか不知火しらぬい型とか呼ばれる相撲のポーズを取った。


神通じんづう自在! 心源しんげん清浄! 雲雀倭歌ひばりやまとうた学院! 神事相撲部!」


 相撲部が見得を切ると、観客席から大きな拍手が巻き起こった。

 まさか、魔法少女エフェクトでまわしを付けるとは……。何かすごく上手に股間が帯で隠れてたし……。

 名乗りは古風な祝詞のりとっぽいけど、構文だけ見たら完全に魔法少女のそれだ……。

 苑紅たちも、優雅? な関取の登場に大きく拍手をしていた。

 

 いざ、相撲部が中庭に向かおうと踏み出した、その時。


「今日も雨かなぁ」


 拝殿の木格子の窓のところから、アイヌ民族のような衣装に身を包んだ少女が外を眺めながら言った。

 相撲部が突然の会敵かいてきに身構える。


「あ! お兄ちゃんたち! おかえり!」


 少女は屈託のない笑みを浮かべた。

 相撲部の一人が容赦なく、その笑顔に張り手を放つ。

 少女は張り手が激突する瞬間、ふわっと横に移動した。


「びっくりした〜〜。もう! お兄ちゃん! 心愛こころあはお相撲さんにはならへんって言うたでしょー!」


 少女はひらひらと拝殿の壁際に向かう。


「苑紅さん、今の!」

「いや、あの民族衣装の奴はバフ系の詠力を纏ってない。でも、あの動きは明らかにウタで強化してる。何でだ……?」

「それに、何か天満宮全体がおかしな詠力に包まれてるっす!」


 少女は壁際で、忙しそうに動き始めた。

 あれ、この動き、見覚えがある……。

 

「お兄ちゃんたち! ご飯にするね!」


 少女が右手に持つものは多分……包丁だ。まな板の上に野菜があって、それを切り始める。


 切り終えると棚の前に行き、並んだ食材の確認をする。一瞬、「しまった」という顔を浮かべたのは、きっと何か食材を切らしていたんだろうな。

 って、あれ……?


「これ何すか……!?」

「ウタじゃないぞ!」


「これは」と福丸が苑紅たちの背後から話し始めた。


「パントマイムだ。それもとんでもないハイレベルの」

「パントマイム? だって、今一瞬マジで野菜切ってんの見えたぞ!?」

「一流のパントマイムは、あるはずのないものを見せる。ウタも使わずにだ」

「マジかよ……」


 少女が台所で料理をする様子を、相撲部はただ眺めていた。


「痛!」


と、包丁で指を切ったらしい。


「おい、大丈夫か!?」


 春插と名乗りを上げた相撲部員が少女に駆け寄る。


「うん……。平気……」

「でも、泣いてるじゃないか……」


 少女の頬には一筋の雫が流れていた。


「ううん……。ほんまに何でもないねん……」


 様子がおかしい……。何だか、舞台でも見に来た気分だ……。


「苑紅さん! 何かおかしいっす!」

「あそこだ」


 苑紅が反物に映った映像を指差した。

 映像を見ると、灰色の衣装に羽付きの三角帽子を被った男が、渡り廊下の手すりに腰を掛けてリュートを弾いていた。


 『ひび割れて風に溶けいる死の花は

  終わる世界の冬をみる

  澄みたる木々のかすれ声

  灰の暗きの小夜の影

  赤焼あかやけの目を焦がして消えた』


 映像の中にいる吟遊詩人っぽい男子生徒を私が認識した時、長歌が聞こえてきた。

 この天眼カメラっていうやつはその人が見ている映像の音声のみ再生されるってことか! ウタの技術すげぇな!


「……長歌で舞台設定を作ってるんだ」

「マジすか……」

「多分、試合開始すぐに、短くまとめた幻覚系の長歌で、天満宮を演劇の舞台に作り変えたんだ。そして、継続的に長歌で上書き強化してるってことだな」


 拝殿の映像では、少女が俯き、涙をポタポタと落としている。


「心愛、明日には山のてっぺんで生贄いけにえにされるんやね……」


 はー。そういう物語なのか。


「心愛は、ちゃんと生贄になって、神様になれるのかなぁ……。神様になっても、心愛はお兄ちゃんたちに会えるのかなぁ……」

「心愛……」

「神様になる自信なんて、ないよ……」

「そんな……。心愛……」


 心愛は顔を上げると、涙でうるんだ瞳で春插を見つめた。


「お兄ちゃん、心愛みたいな頼りない子が神様になっても、ちゃんと神事相撲取ってくれるん!?」


 奥に控えていた相撲部員の一人、縵環が、拝殿の中央にゆっくりと移動した。


「心愛。兄ちゃんたちは、心愛が神様になっても、心愛のお兄ちゃんたちや! そんで、いつでも神事相撲取ったる!」


 春插と縵環が拝殿の中央に移動し、腰を深く落とした。


発気用意はっけようい!」


 二人が力強くぶつかる。

 同士討ちを狙う戦法なのか……。


 でも、そんなことなんてどうでもいいと思えるくらい、妹を思いやる兄二人の気持ちのぶつかりあいが、そこにはあった。


 熱気が伝わるほどのぶつかりあいの後、縵環が上手投げで投げ飛ばされ、地面に伏した。

 体のあちこちに青い鎖模様が出てるけど、まだ戦えるはず……。何で起きてこないんだ。

 

「苑紅さん、あの人、完全には封印されてないっすよね」

「長歌の効果だ。この舞台の物語において、出番が終わった扱いの奴は、戦闘不能になるんだ」


 マジで? 長歌すげーな。

 勝利した春插は息を切らしながら背筋を伸ばした。


「お兄ちゃんたち……。心愛、嬉しい……」


 その時、相撲部の最後の一人、百槻が腕組みをしながら前に出た。


「茶番か」


 舞台にはそぐわない百槻のセリフに、心愛の顔が強張る。

 やっぱりな。薄々感じていたけど、演劇部はさっきの農耕生活部と違って、自己洗脳してるわけじゃなく、あくまでも演技してるんだ。

 

 百槻が詠歌する。


 『荒振るるおのもおのもの罪咎を宿禰すくね祀りし潮路に流す』


 筋肉も脂肪も蓄えた百槻の巨体が詠力で輝く。

 そして、腕組みを解くと両膝に手を乗せ、片足を大きく挙げた。


「どすこい!」


 掛け声と同時に足を地面に力強く打ち付けると、拝殿の空間のそこら中にノイズが生じた。


「長歌の効果が薄れた!」


 それは、映像を見ている私たちにもはっきりとわかった。


 息を切らしていた春插の目つきが変わった。


「くそ……。お前、たばかったな……!」


 春插は少女との距離をあっという間に詰めると、強烈な張り手を放った。

 少女はありえないほどの大きなジャンプで張り手を躱す。

 その時、少女の腰を両手で掴み、空中に持ち上げている黒子の姿が一瞬見えた。


「やっぱ、何かいたっす!」

「あいつがバフの正体か! 隠蔽力の強い歌装束うたしょうぞくで心愛の影に紛れてたんだ!」


 少女が着地すると同時に、背後から黒子の影が高速で動き、春插を刀で斬り払うと、すかさず後方に飛び、再び少女の影に潜んだ。

 春插がゆっくり倒れると、少女は緊張した表情で、再び腕を組んでいる百槻に向かって身構えた。演技とバレた以上、素の状態で戦うのか?


 百槻は腕組みをしたまま、のしのしと拝殿の隅に向かって歩いていく。そして、少女の視線を意識しながら、どしんと腰を下ろした。


「飯や」

「え……?」


 百槻の目の前には、まさしくちゃぶ台があった。

 パントマイムとは呼べない動きだけど、そのセリフと所作によって、そこにちゃぶ台があると、客席に見せていた。


「う、うん!」


 心愛は急いで台所に向かい、料理を再開させた。


「苑紅さん、これ……」

「演劇部は、演劇をやるっていう歌心の中じゃないと強いウタの効果は望めないし、正面からは相撲部に勝てない。というか、歌合で戦うってよりも、演劇をやるっていう意志の方が強いはずだ。だから、あの相撲部が演劇をするなら合わせざるを得ないんだ」


 だとしても、あの相撲部の強そうな人は、長歌の幻覚に惑わされてなかったんだよね? じゃあ、演劇部を攻撃しちゃえばいいのに、何で?

 

 心愛がちゃぶ台の真ん中に鍋敷きを敷いて、その上に湯気の立つ土鍋を置いた。

 そして、兄の分を取り皿に取ってやると、百槻は満足げな顔でガツガツと平らげていく。


「おかわり」


 白ご飯にちゃんこ鍋。屈強な体を作りあげるための料理が、みるみるうちに減っていく。茶碗をドンとちゃぶ台に置く音が、「ご馳走様」の合図だった。

 ていうか、たしかに「ドン」と音が聞こえた気がしたけど、これも百槻のパントマイム……? もしかして、すごい演技の才能の持ち主なの……?


「心愛」

「……うん」


 百槻はそう言うと、片手を素早く心愛の背後に伸ばした。

 すると、影に潜んでいた黒子が、百槻に喉を掴まれ苦しそうに現れた。

 黒子は腕を払おうとするが、びくともしない。


「心愛、これがお前に取り憑いていた悪魔や。お兄ちゃんがやっつけたる」


 苑紅と蒼空、福丸が首を傾げた。


「もしかして……」

「あの相撲部員」

「誰よりも深く長歌の幻覚にハマってるのか?」


 百槻は立ち上がり、喉輪で掴んだ黒子を釣り上げる。


「生贄とか、現人神あらひとがみとか、わしはもううんざりやねん。わしはさっき見たんや、お前の影に潜る悪魔を。きっと神様を騙る悪いヤツがおるんや。わしがやっつけたる」


 長歌にかけられつつも、最初に心愛が、春插の攻撃を避けた時の違和感を見切っていたってことか!

 百槻は黒子を拝殿の壁に投げ飛ばした。

 黒子は壁に激突し、小さく嗚咽おえつを上げながらうずくまる。


 長歌による完全催眠にかかりつつ演劇の中で無双するなんて……。

 心愛はできるだけ顔色を変えないように努めながら、劇の流れに演技を合わせている。


「お兄ちゃん……」

「付いてこい」

 

 百槻はのしのしと中庭に進んでいく。

 中庭の中央には、吟遊詩人がリュートを携え、待ち構えていた。


「お前が悪魔の親玉やな」

「ふふ……。私が悪魔かどうかはわかりません。ただ……」


 吟遊詩人は邪悪な表情を浮かべて、高らかに笑った。


「その子どもは、生贄になって神になるんだよ!」


 吟遊詩人が詠歌する。


 『みつあみを大きなハサミで切り落とし こんな静かな発狂だった』


 すかさず百槻が返歌を行う。


 『荒魂あらたまの祟り打ち消す土俵際 ちり手水ちょうずにさめてゆくもの』


 吟遊詩人が両手を怪しげにかざすと、百槻の背後にいた心愛がビクンと体を硬直させた。

 みるみると両目が赤くなった心愛は、腰から短刀を取り出し百槻を狙った。


 百槻は素早く心愛に向き直ると、大きな柏手かしわでを一つ打った。

 天満宮全体に響くその大きな音で、心愛は静止し、両膝をついた。


 百槻は吟遊詩人に向き直り、腰を深く下ろした。


「幕引きや」

「……上等じゃあないか」


 百槻が詠歌する。


 『かちどきをよそに求むな我が道がまことの道ぞ横綱相撲』


 そして吟遊詩人が返歌を行う。


 『透明をあつめて出来た君だから、ひとつひとつをやさしく穢す』


 二人の体から詠力紋が弾け飛ぶ。

 吟遊詩人はリュートのヘッドを掴むと、刀を引き抜いた。その刀身には邪悪な黒い詠力紋が弾けている。

 百槻が吟遊詩人を見据えた時、両者を囲むように、地面に円が描かれた。


「あれ、土俵っす!」

「限定特化だ!」


 百槻が片手を地面に付けるやいなや、土俵の中央に強烈な詠力のぶつかりあいが生じた。

 

 それぞれの部のプライドを感じさせる強い光の駆け引きが収まると、場所が入れ替わり背中越しに立つ百槻と吟遊詩人が土俵にいた。


 百槻は体中が斬り刻まれており、青い鎖模様が体中に走っていた。大ダメージによろめき、今にも倒れそうだ。

 反対側では吟遊詩人が余裕の笑みを浮かべる。


「無骨で愚かしい人間よ……。神になることを拒み、人の道を選ぶとはな……」


 吟遊詩人はリュート本体に刀身をしまい終えると、背中越しに百槻に言った。


「見事だ……」


 直後、吟遊詩人は吐血し、地面に倒れた。

 百槻は今にも倒れそうななか、大声を放つ。

 

「心愛!」

「……う、うん!」

「何で、神社の本殿には鏡がまつってあるんかわかるか!?」

「え……。わ、わからん……」

「鏡は自分自身を映す。神様はな、わしらの中におるんや。あんな奴らとちゃう! せやから……」

「お兄ちゃんっ!」


 少しふらついた百槻に、心愛が駆け寄る。百槻は気丈な笑みを見せた。


「心愛。生贄になんてならんでええ! 今まで通り、兄弟で仲良う暮らそう!」

「う……」


 色んな感情でくしゃくしゃになった心愛の顔から涙がこぼれた。


「うん!」


 相撲部員と心愛が抱きあった時、幕を下ろすように天満宮が暗転していった。


「勝負あり! 勝者! 神事相撲部!」


 観客席から湧きあがるような拍手が起こった。

 私も拍手を送る。音は鳴らないけど。


「うおー! 苑紅さん! いいお話見れたっすね!」

「お話っつーか、歌合だけどさ。でも、すごく良かったな」

「演劇研究部は」


 福丸は暗転したままの天眼カメラを見て言う。


「神事相撲部と戦うためのシナリオを、色んな分岐を考え作っていたんだろう」

「長歌、隠密、幻覚と暗殺。部活対抗戦ルールの戦い方の最適解として、ほとんど完璧だったな」

「しかし、あの最後の相撲部員が舞台を荒らした」

「長歌の効果に乗っかって、脇役から主人公になっちゃったからなぁー」

「演劇部相手に、役に入り込み、完璧なパントマイムを繰り出していた。天然でな」


 百槻は純粋すぎて役に入り込みすぎたってことか。

 それこそ、天然で演劇のストーリーを変えるほどに。


 その時、軽快な音楽とともに、天眼カメラの暗転が晴れていった。

 そこには、中庭で神事相撲部と演劇研究部の六人が手を繋ぎ、横並びで踊っている様子が見えた。

 これ、まさか……。


「カーテンコールまでやるのか!」

「福丸さん、それ何すか?」

「まぁ、見てなって」


 相撲部の春插と縵環が前に出て、カメラに向かって手を振った。

 その後、壁に投げ飛ばされた黒子が、前に出て片手を挙げる。客席からは大きな拍手が起こった。

 次に、心愛と吟遊詩人が手を繋ぎ前に出ると、カメラに向かい優雅にお辞儀をして、大歓声に応えた。

 そして、主演の百槻が両手を広げ前に出た。

 右と左、そして正面の観客席に向かうカメラに手を伸ばし歓声に応えると、腰を下ろし片足を高く挙げた。


「どすこい!」


 天満宮が揺れるほどの強い四股しこを踏み雲龍型のポーズを取ると、天眼カメラは再び暗転していった。


 演者たちにこれだけのことをやらせるのも、長歌の効果ってことなんだろうな……。すごいな、長歌は。

 惜しみない拍手と歓声が天満宮に送られる。


「うぇーーい! 関取さいこーー!」

「いやーーー。面白かったな!」

「まさか、学院の歌合で、こんな良い舞台が見れるとはな」


 三人が賛辞のコメントを言い合ってると、あちらから怒りを孕んだ足音が聞こえてくる。 

 足音のする方を見ると、琴葉が険しい表情を浮かべながらガニ股で歩いてきていた。


「おー! 琴葉! お疲れ! 特訓終わったーー? って、うわ!?」


 琴葉は蒼空に近付くやいなや、その胸ぐらを力いっぱい掴む。


「あぁぁ〜〜ん? 草凪蒼空〜。おぉ〜〜〜ん?」

「えぇ……。琴葉、どうした……?」


 琴葉は地面に蒼空を投げ捨てると、ベンチにどかっと座った。


「あーしの酒が飲まれへんって、どういうことじゃー! ぼけー!」

「うぇぇ……、琴葉、どうしたんだよ……」


 どろどろの酔っぱらいのような琴葉に絡まれた蒼空を尻目に、夜鹿が苑紅の隣にそっと座った。


「夜鹿! これ、まさか……?」

「はい。療治酔いです」


 琴葉は前がよく見えていないのか、色んなものを蹴っ飛ばしながらわめき散らかしていた。


「出てこいオラー! 草凪蒼空ー! ぶちのめす!!!」

「えぇぇぇ……。苑紅さん、助けて……」

「あーー! 見つけたー! 草凪蒼空! てめ! オラー!!!」

「アッーーーー!!!」



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