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三十一文字物語  作者: 京屋 月々
第二章 紅花栄
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第六話「煌きの湖」

 学院からバスで京都駅まで移動して、そこから比叡山のふもとまで二十分の伝車でんしゃ内。蒼空そら君は相変わらず車窓を流れる景色に夢中だった。


「すげー! 池? でっか! 何これ海? ちょ、みんな見てよ!」


 琵琶湖を見るのは初めてなのか、小学生みたいに大声ではしゃいでいる。

 そんな蒼空君を、苑紅そのべにさんも最初はぞんざいにあしらっていたけど、あまりのハイテンションに「いい加減にしろ!」と本気のトーンで怒った。


 今から私たちは、比叡山で賓客ひんかくを探す。

 嵐山で遭遇した賓客の、一切の容赦のない攻撃を思い出すと恐ろしかったけど、天羽あもうさんが貸してくれた装具が一抹の心のよりどころになっている。


「登山にまつわる歌心の増強と肉体的負担軽減の効果がある装具だッ! いざ賓客と対峙した際に戦う体力をたっぷり残さねばならんからなッ!」


 空想素材研究部の独自セキュリティが張られた部屋の中で、天羽さんは得意げに、登山靴やジャケット、サファリハットをテーブルの上にずらりと並べた。


「天羽、オーソドックスな登山コーデもありがたいが、対賓客用の装具はないのか……?」


 嵐山へ行く時も最後まで渋っていた福丸ふくまるさんは、藁にも縋る表情で天羽さんを見ている。


「馬鹿者ッ! そこに山があるから登り、登るから山が存在するのだッ! 鬼瓦にも化粧というだろうがッ!」

「それ、ブスでも化粧すれば、ひとまずどうにかはなるって意味だろうが!」

「これらの装具は吸水速乾性も抜群なんだぞッ! 備えは完璧だッ!」


 二人のやりとりに、福丸さんは深い溜め息を漏らした。


 そして私たちは今日、吸水速乾性抜群の装具を余すところなく身につけている。


「まもなく、比叡山坂本駅〜」


 この駅からケーブルカーに乗り換えて山頂を目指すそうだ。

 嵐山の時のように麓から登らなくていいため、その分の体力を温存できる。


「忘れ物ないようになー」

「はーい」


 駅構内を歩いていると、聞き覚えのあるぶっきらぼうな声が「おい」と私たちを呼び止めた。振り返ると、すべての駅に住むという小さな駅員さん、キッピーがいた。


「京都駅からおかしいとは思っていたが、お前ら比叡山の立ち入り禁止区域に入る気じゃねえだろうな」

「そんなわけないじゃん。キッピー。観光だよ観光」

「お前らが嵐山に登った時、賓客の詠力えいりょくを感じた。歌人かじん討伐隊とうばつたいでもないのに、賓客の詠力が漏れるなんて滅多にねえ。お前ら、俺に隠しごとしてたらタダじゃ済まさねえぞ」

「考えすぎだよキッピー。前回も今回も社会見学。賓客なんて会いたくないに決まってんじゃん」


 チッ、とキッピーが舌打ちをして、さらに何か言おうとした時、軽妙な声が響いた。


「キッピーさ〜〜〜ん? そちらの皆さん、うちのお客さんちゃいますの?」


 声の方向を見ると、キッピーと同じくらいの背丈をした、白いふわふわの歌儡かぐつがいた。


「皆さん、はじめまして〜! ワテは比叡山ケーブルカーのマスコット、ヒエイちゃん言います〜」


 二頭身の羊のような歌儡は、軽い口調で挨拶をした。


「おいヒエイ、俺はこいつらのためを思って言ってるんだ」

「さっっっすがキッピーさんや、どえらい人格者ですわ! せやけど、もうここ、うちの管轄ですねんわ」

「あーん?」

「先輩、ちょっと堅いっすわ〜。国営やから〜? 国営やから、ヨソの縄張りにも入ってきてもええ思てはるんですか〜?」

「縄張りの問題じゃなくだな」


 二匹の歌儡がやいやい揉めていると、「ちょっと! 兄さんら!」と女の子の声が聞こえた。


「うちの縄張りで何揉めてくれてますねん!」


 チャキチャキとした京都弁の主は、着物を着た馬の歌儡だった。

 カポカポとひづめの音を響かせながら、小さな馬の歌儡は二本足で小走りに近付いてくる。

 

「ミヤコ! 何の用やねん!」

「ヒエイ、ここはバスの縄張りどすえ!! あんたんとこのシマはケーブルカーどすやろ?」

「キッピーさんがギャーギャーとヤカラ放りこんできとんねん!」

「ヤカラってお前……。俺は縄張りの話はしてねぇよ!」

「キッピー! 親方日の丸で大きい顔してからに! 地方の交通サービスの邪魔せんとって!」

「してねぇだろうが! こいつらが賓客にちょっかいかけてんじゃねえかって問い詰めてんだよ!」

「やかましどすわ!」


 私たちは三匹の歌儡が口喧嘩する様子を見下ろしていたが、痺れを切らしたのか、苑紅さんが「はぁ~」と大きな溜め息をついた。


「わかったよ! バスにもケーブルカーにも乗るから喧嘩すんな!」

「ほんまどすか!? おおきに! バスもう着くえ! お客様五名様、ご案内や〜!」


ミヤコが、「ヒエイ! お客様、案内しーや!」と蹄を向けると、ヒエイも「オッケー!」と走り出した。

 キッピーは小さく息を吐き、ポケットに両手を入れて、ミヤコとヒエイの走り回る様子を見ている。


「お前ら、無茶だけはすんじゃねえぞ」

「わかってるよキッピー。あんがとね」


 ヒエイに先導されてバスに乗りこむと、最後部の広い席に苑紅さんがどかっと座った。

 私たちも近くの席にそれぞれ座る。

 坂本駅からケーブルカーの駅までは歩くつもりだったから、予定外のバス旅に蒼空君は目をキラキラさせ、降車ボタンを押そうとしてまた苑紅さんに叱られていた。


「ふぁー! 始まったとこなのにマジで疲れるな!」


 苑紅さんが首を鳴らしていると、私たちが座る席の少し前から、ミヤコとヒエイがぴょこっと顔を出した。


「あんたら、ほんまに賓客、見つけにいくんどすか?」

「嘘やろ? 比叡山の賓客らはマジでヤバいねんぞ。お前ら命何個持ってきてんねや?」


 苑紅さんは何も言わず顔を背けたが、私は天羽さんの言葉を思い出していた。


「全く貴様らは注文が多くて困るッ! これほど多彩な装具を用意しても物足りんのかッ!」

「吸水性とか速乾性が良くても、賓客に殺されたら意味ねぇだろうが!」

「何だ、そんな心配をしておったのか」

「はなからその心配しかしてねえよ……」

「なら、これを持っていけ」


 天羽さんが差し出したのは、手持ちサイズの打ち上げ花火の筒だった。


「花火……?」

「うむ。花火に見えるが、これは緊急離脱用の装具であるッ! 学院外で使うことも想定し、禁止装具基準も度外視したチート装具だッ! 命の危険があるような問題が起きた場合は、これを使うが良い」

「なぁーんだ、いいのあるじゃん!」

「貴様ッ! 山を舐めたら痛い目にあうぞッ!」

「舐めてねーから天羽に頼ってんじゃんか。じゃ、ひとまずこれは蒼空が持っといて」

「押ー忍」

「よしッ! 使用方法を説明するから耳を澄ませッ!」


 そんなことを思い出していると、黙ってしまった苑紅さんの代わりに蒼空君が席から乗り出した。


「なぁ、喋る賓客がいるって聞いたんだけど、マジでいるの?」


 二匹の歌儡は、その言葉に顔を見合わせた。


「あんたら、喋る賓客探しに来たんどすか?」

「あー、何つーか、そうじゃなくて! 人と会話できる、すごい賓客がいるって噂で聞いたから気になってるんだよ」


 蒼空君は至って真面目に話したのに、二匹の歌儡は目を丸くしてぷっと吹き出すと、けらけらと爆笑しはじめた。


「え、何か俺おかしいこと言った?」

「あはははは! ごめんごめん。ちゃいますねん。すごい賓客とか言わはるから」

「ユポポのことやろ! ははははは! まぁあれはホンマにすごい賓客やで!」

「知ってんの?」

「知ってんで。あいつ探しに来たんやったら、色々教えたんで」

「いや、別に探しにきたわけじゃ……」

「ええよ。ワテらはキッピーさんとごて民営やし、ええ感じに融通きかしたるわ。そん代わり、またケーブルカー使こてや」

「うちのバスも使こうてや〜」

「もちろんだよ! ありがとう!」

「よっしゃ、ほな、ちょっとみんな耳貸し」 


 ミヤコとヒエイのひそひそ話を聞いているうちに、バスは目的の停車場に着いた。


「あんたら、帰りもバス使いや〜!」


 私たちはミヤコに見送られると、今度はヒエイの案内でケーブルカーの駅に向かう。

 ケーブルカーは定刻になると動き出し、自然豊かな景色が広がった。


「すげぇー! 苑紅さん! またでっかい池が見える!」

「だから琵琶湖だろ! うっせぇーな! 原歌でも詠んでろよ!」



 「「おい、地球」と呼びかけた俺の顔もゆらり煌めくでけえ湖!」


「うっせ!! 爆音で詠むな!」


 雄大な湖を眺めているうちに、ケーブルカーが山頂に程近い駅に着いた。

 乗り継ぎの多い旅もようやく目的地に到着し、私たちは体を伸ばす。

 ミヤコたちは賓客の実体については「会えばわかる」としか言ってくれず、自ら会いに行くというのはやはり緊張感があった。


 ヒエイが改めて賓客の居場所を説明してくれる。


「さっき教えた山道がこれや。道の先の念乗寺ねんじょうじっていう小さい寺にユポポがおるわ」

「かなり険しそうだな〜。どれくらいかかるの?」

「三十分くらいやな。日頃あんまり使われへん道やから険しいで。気ぃつけや」

「わかった! ありがとな! ヒエイ!」

「「ちゃん」をつけろや、デコスケ野郎!」

「ははっ! ありがと! ヒエイちゃん!」

「おう。みんな、頑張りやー」


 手を振りながら去っていく小さな羊の歌儡を見送ると、苑紅さんが「さて」と仕切り直す。


「登るか」

「はーい」


 今回は山頂近くの駅からの登山ということもあり、山登りに関してはウタ無しにしようと事前に決めていた。目標ではない別の賓客が現れた場合など、予想していないトラブルが起こった場合に備えて、詠力を温存しておきたい。

 それに正直、いくら話が通じるとはいえ、賓客を説得して爪や毛を分けてもらえるということ自体、無謀な話だと思っていた。最終的には力で勝ち取るということもあり得る。


 苑紅さんはよく思いつきで無茶なことを言うけど、最終的な判断では私たちの身の安全を優先してくれる。自分が犠牲になってでも、と思わせるところがあって、そこは不安だけど。

 様々な想定外のことが起きた場合の立ち回りについて、第三短歌部として十分に打ち合わせたつもりだけど、嵐山のことを思い出すと身震いがした。


 その時、ガササッと茂みから物音がした。


「シッ」と苑紅さんがすぐさま腰から扇子を取り出し構える。皆が臨戦態勢になるのに合わせ、私も身構えた。

 私には詠力というものがよくわからないけど、賓客に出遭ったり、数十時間の短歌浸けで、少しは感度が良くなった。今のところ、死を感じるような絶望感はない。でも、山には何がいるかわからないから、油断はしない。


 しばらく身構えていたけど何も起こらず、蒼空君が茂みに近付いた。


「おい蒼空! 迂闊うかつに近付くな」


 福丸さんが囁くように注意喚起するのと同時に、「何だこれ?」という蒼空君の間の抜けた声が上がる。


「どーした蒼空」

「んー、何か、おやつ食べたあとみたいっす」

「はぁ?」


 蒼空君が手に持っていたのはおかきミックスの袋で、中身はすべて食べられ、袋全体に土がついていた。


「音がしたってことはまだ近くに食べた主がいるかもしれないぞ」

「獣とかっすか?」

「とりあえず賓客じゃないな。おかき食う賓客なんて聞いたことないし」


 そういえばそうか。山にいるのは賓客だけじゃないし、むしろ賓客に遭うより普通の獣とか哦獣がじゅうに遭う可能性の方が高い。

 色んなことが頭をめぐって、まだお昼前だというのに、すごく疲れを感じた。


「琴葉、何してんの……?」

「え、おやつ食べてます。ミニチョコクッキー」

「どこまで肝据わってんだよ」

「つーか、おやつ早くね?」

「緊張してるうえに色々考えちゃって、もうお腹ペコペコなんですよー」

「ははっ、おかき見ちゃったしな」

「てか、夜鹿よるしかもかよ。何食ってんだお前」

「おやつ昆布です」

「おやつ昆布……」


さすが夜鹿ちゃん、チョイスが渋い。

おかきミックスを食べた獣? は周辺から気配を消しており、私と夜鹿ちゃんは、左手にそれぞれのお菓子袋を持ち、おやつを食べながら山を登る。


「琴葉、それうまそうだな!」

「おいしいよ、ミニチョコクッキー」

「俺の、博多「通るもん」と一個交換しよ!」

「え、これ、すごいおいしいやつじゃない!」

「そうなの? 籠持みこもちにもらったんだよ」

「いいよ! 交換しよ! 三個あげる」

「私も、おやつ昆布五枚と交換して」


 私がクッキーを袋から出そうとした時、蒼空君と夜鹿ちゃんが突然、緊張した顔で周囲を警戒しはじめた。


「苑紅さん」

「わかってる。みんな、周り気をつけて」


 苑紅さんは再度、腰から扇子を取り出し臨戦態勢を取った。

 たしかに何か、周囲の雰囲気がおかしい。全員が背を向け合い、各方向に身構えた時、木の上から一つの影が現れ、一瞬で地表に降り立つと、高速で迫ってきた。


「わぁ!」


 小さな影は私が握っていたクッキーを奪い、あっという間に木の上に登ってしまった。


「猿だ!」


 見上げると、周囲の木々に無数の猿が集まり、こちらの様子を伺っていた。幹に枝に、猿たちは縦横無尽に蠢いている。

 続けざまに三匹の猿が木から下りてくると、みるみるうちに間合いを詰められ、左手のクッキーの袋ごと盗まれる。

 

「あっ! こらーーっ!」


 正直、私は動物のやることだからと、愛嬌のある猿たちの様子にどこかほっこりしていた。

 だけど、夜鹿ちゃんのおやつ昆布まで取られたらかわいそうだ。おやつ昆布だけは守らないとと思っていたのに、別の猿はじっと夜鹿ちゃんの持つ袋を見つめたかと思うと、そそらなかったのか、少し嫌そうな顔までして、すごすごと木の上に戻った。


「おめーら、琴葉のおやつ奪ったな……!」

「おやつ昆布、完全にスルーしたのね……」


 キキッと楽しげに嗤う猿たちに、二人は妖しげな笑顔を見せた。


「うちの山じゃ、行儀の悪い猿は俺がお仕置きしてたからな。お前らも許さねえぞ」

「おやつ昆布、食べてもないくせに、まずそうな顔するなんて許さない」


 蒼空君は荷物を下ろすと、猿が登る木に走り寄り、スルスルと登った。

 人が登ってくるのは想定外だったのか、猿たちは驚いた顔ですぐに逃げようとしたが、蒼空君が咄嗟にクッキーの袋を掴む。


「よし! 取った! っと……」


 しかし、猿の逃げざまに掴んだせいで手元が狂ったのか、袋はそのまま地面に落ちてしまった。

 ミニチョコクッキーに味を占めた猿が急いで袋を取りに降りようとした時、夜鹿ちゃんの鋭い詠力が辺りを包んだ。



 『かんなぎ 満ちては荒るる海草うみくさや 味わわずして何を語らん』


 夜鹿ちゃんはおやつ昆布の袋に手をかざしながら詠歌を行った。

 おやつ昆布の袋が、詠力の白い光に包まれる。


「こい! おやつ昆布」


 かけ声に従って、無数のおやつ昆布が意思を持ったように袋から飛び出し、夜鹿ちゃんの周りを囲むように空中で整列した。


「行け!」


 おやつ昆布は高速で飛び、猿たちの口に入っていった。

 猿たちは突然のことに取り乱したが、じわじわと旨みの染み出るおやつ昆布が気に入ったのか、すぐにおとなしくなり、うんうんと満足そうに味わっていた。

 

「ははっ! やるじゃん。夜鹿」

「すごいのは、おやつ昆布です」


 猿たちは、しばらく昆布の味を堪能すると、満足したのか笑顔を浮かべ、夜鹿ちゃんの方を向いて会釈し、木の上を跳ねながら去っていった。

 木の上で様子を伺っていた蒼空君も地面に飛び降りた。


「おやつ昆布すげーな。みんな夜鹿に感謝してたじゃん」

「そう。おやつ昆布はすごい」

「でも、あんなにあげちゃったら、もうなくなったんじゃねーのー?」

「まだ三袋ある」

「やっぱ夜鹿はすげーな! 琴葉のクッキーは大丈夫かな?」


 地面に落ちたクッキーの袋は、中身が少し飛び出した程度で問題はなかった。


「平気みたい! 蒼空君ありがとう!」

「いいさいいさ」


 蒼空君が袋を拾おうとした時、逃げなかったのか、一匹の猿が小走りに近付き、先に袋を拾いあげた。


「あっ! また性懲りもなく!」


 その猿は、さっきの猿とは見た目が随分違った。というか、生物的にも何か違うような……。

まるで人間の二歳児が猿の着ぐるみを着てるようだし、走り方も、敏捷びんしょうな猿の動きとは違って、二歳児がわちゃわちゃと足をもつれさせているみたいだった。

 そんなことを考えているうちに、猿は袋を持ったまま、短い足で逃げ出した。


「あ! てめ! 待て!」


 蒼空君が猿を追いはじめ、その後ろを全員で追いかける。蒼空君の荷物は私が担いだ。

 猿は短い足ながらスピードアップして、なかなかの速度で走りつづける。


「この! 待てつってんだろうが!」


 猿はくるりと振り向き、そばかすだらけの顔を見せると、あっかんべーした。え……。あっかんべーする猿、いるんだ。


「待てってゆわれて待つ猿いないし!」


 喋った!


「おい、あいつ喋ったぞ! 苑紅!」

「聞いたよ福丸! あいつ、まさか!」

 

「ユポポ!」と、苑紅さんが大声を出すと、猿はピタッと立ち止まった。


「……お前、ユポポだろ?」


 猿は、私のミニチョコクッキーを、二ついっぺんに口に放り投げる。


「違うし」

「いや、喋る猿の賓客ってお前のことじゃねーの?」

「違うし。猿じゃないし」

「いや、猿って言ってたじゃん。んで、喋ってんじゃん」

「喋ってないし!」

「喋ってんじゃん!」

「違うし!」


 猿は反抗期の女子高生みたいに、苑紅さんが言うことすべてを否定しながら、ミニチョコクッキーをボリボリ食べている。

 喋る猿の賓客が、こんなに早く見つけられるなんて……。

 本人は否定してるけど、きっと間違いないはず。


「違わないじゃん。すげー喋ってるし。お前がユポポなんだろ?」

「んーー!!!!!!」


 猿は顔を紅潮させ怒っているようだった。


「違うし!」


 その時、周囲が爆発するほどの勢いで、詠力が弾けた。


 別格。

 嵐山で出会った賓客すら、比にならない。

 私ですら、感じた。感じないでいられるレベルではなかった。


「うっ……わっ……!」

「違うしってゆってるし。しつこいし。お前ら嫌いだし……!」


 爆発的な詠力はさらに力を増し、渦を巻きはじめる。


「ヤバい! みんな逃げるぞ! 蒼空!」

「駄目っす! 緊急離脱装具は間に合わないっす! 俺が返歌します!」

「バカか! 死ぬぞ!」

「やるしかないっす!」


 蒼空君が構えたと同時に、猿は竜巻のような詠力を一気に体に吸いこみ、詠歌した。


 『バカ!』


 静寂が訪れる。

肌に張りつくような絶望感、針山に包まれたような死の恐怖。

死刑宣告を受けた気持ちで、私はつばを飲むこともできないままじっと目を見開いていた。

 蒼空君も「……っ」と息を止め、返歌を詠むことも許されず、じりじりと待たされている。

 

「え……?」


 私はつい、そう呟いていた。


「んー!!! バカバカ! お前ら嫌いだし!」


 再び、猿の周囲に強烈な詠力が集まりはじめる。普段は心の奥底にしまってある孤独や悲しみが襲ってくる。詠力だけで精神に支障をきたしそうだ。恐怖で歯がカチカチと鳴った。


「くそ! 何の時間差だよ! 来るぞ!」

 

 このままじゃいけない。「この先へ」と決めたんだ。

私はギリッと歯を噛みしめ、震えを強制的に止める。

 そして猿がまた詠力吸い込み、詠歌した。


 『バーーーカ!』


 二度目の静寂が辺りを包む。


「まさか、こいつ……」

「……短歌がすごく下手なのか……?」


 猿は赤い顔で地団駄を踏んだ。


「ハァ~~~~?? 下手じゃないしー! 違うしーー!」

 

 感極まったのか、猿はついに泣きはじめてしまった。


「ふぇーーーーーーーん」

「ヤバい! 泣かしちゃった!」


 蒼空君がすぐさま猿の近くに駆け寄る。


「おいユポポ。短歌なんて、すぐできるようになるんだから、大丈夫だよ。泣くなよ」


 猿は、ぐすんと鼻をすすりながら蒼空君の顔を見る。


「……ほんと?」

「本当だよ。俺が教えてやるよ」

「ほんと!? うれしい!」


 蒼空君はすごい。優しいだけじゃなく、どんな極限状態でも、ほとんど反射的に対応する。


「あたい、ユポポ」

「俺は、草凪蒼空! ユポポよろしくな」

「うん! あたい、蒼空好き!」

「やっぱユポポなんじゃねえかよ……」


 苑紅さんが近付いていくと、ユポポは蒼空君の体に隠れながら顔を小出しにした。


「ユポポじゃないし」

「今、お前が名乗ったんじゃん!」

「名乗ってないし! お前嫌いだし!」

「うぇー……。曳縵えかづらのヤツ、何が「話が通じる」だよ」


 その時、私たちの背後から重々しい声が響いた。


「ユポポ、何してるんだ」


全員がその声に振り向くと、そこには作務衣を着たお坊さんがいた。お坊さんはユポポを取り囲んでいる私たちに、突き刺すような鋭い視線を向けた。


「何だ、お前ら」



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