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三十一文字物語  作者: 京屋 月々
第二章 紅花栄
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第五話「星の御子」

 灯籠の明かりがぽつりぽつりと浮かぶ石庭は、いつも凜として静かだった。

 歩くたびにきしむ床板の音を聞きながら、中庭を見るともなく見ていると、少しずつ、心が引き締まっていく。

 普段、開くことのないふすまの奥には、火鉢に向かい、胡座をかく父の背中がある。十二の私は、その大きな背中をじっと見つめた。


「お父さん」


 ゆっくりと振り返る父の顔をめがけ、私は正拳突きを叩きこむ。

 それを教えたのは他ならぬ父その人だ。

 一寸残して止めた拳の向こうに、父の強い眼が光った。


「私は、この先に行きたい」


 強くなった先に何があるのか、私は知らない。

 それでも、他の道なんて考えたこともなかった。


 ふぇ、ふぇ、ふぇ、と父は笑う。


「そうだな。頃合いだ」


―その先へ行け。


 父に導かれるように、私は京西高校附属中学へ進学し、極真空手部へ入部した。


「怪我や骨折はチャンスだと思え。お前はまだ強くなれる」

「はい!!」


 毎日が怪我の連続。痣の消えた日はない。

 それでも、強くなりたいという情熱だけで挑んでいった。


「一本! それまで!」


 もっと強く。

 それは、魂の叫びだ。


 万全の状態なんて一生来ない。父はそう言っていた。

 常に自分を追いこみ、生身の人間としての臨界に挑みつづける。

 来る日も来る日も稽古。

 嵐も雪も、厳しければ厳しいほど強くなるためのチャンスだと、私は一心に、道を極めることだけを求めていた。


 そして中学三年の時、ついに私はインターハイで個人優勝を果たした。

 表彰台に上り、大きなトロフィーを受け取る。

 それは、苦しい稽古に耐え忍び、自分の限界を超えてきた者にだけ贈られる努力の証だ。


どこへ向かっているのかもわからず突き進んでいた「この先」はここだったんだと、私はその時、皆の祝福の中で感じた。

私はここを、ずっと目指してきたんだ。

厳しい稽古のすべてが走馬灯のように駆け巡り、支えてくれた家族や師範、部員たちへの感謝が膨らむ。

 十五にして「強さ」を手に入れた私は、胸が熱いもので満たされていくのを、心地よく感じていた。


 両手に抱えたトロフィーの重みは、実際の重量以上のものだ。

 このトロフィーを見た時の両親の顔を想像しながら、私は帰路につく。


 空が割れるような悲鳴が聞こえたのはその時だった。

 声の方を見ると、叫び声をあげながら、人々が走ってくる。

 恐怖の貼りついた顔、言葉にならない悲鳴、動揺を増長させる靴音。


 彼らの後ろから、奇声が聞こえた。

 そこには、大きななたを振り回しながら、人々に襲いかかろうとする男の姿が見えた。

 ためらうこともなく、逃げ惑う人々の背中に鉈を振り下ろす男を見ても、私は目の前で起こっている事態を呑みこめない。体は強張り、足は地面に突き刺さったように動かなかった。


 何ができる……?


 ずっとずっと、「この先」を目指して、「強さ」を追い求めてきた。

 でも、それで? それで私に、何ができる?


 女性に手を引かれていた子どもが足をもつれさせ、その場に転がる。

 女性は慌てて子どもの元へ戻ろうとするが、それよりも早く、男が子どもに近付いた。


 ここで救えないなら……。


 トロフィーと荷物を投げ捨てた時には、金縛りのようになっていた全身に血が巡り、燃えるような速さで駆け出していた。


 私は何のために、強くなった……?


 男が鉈を振りあげる。

 

「わぁああああ!!!!!」


 一瞬でも男の気を引ければと、私は大声を出す。

 だが、男に声は届かない。

 振り下ろされる鉈がスローモーションのように見えて、私はもう、間に合わないことを知る。

 それは、必殺の間合いの中、刹那のやりとりをしつづけてきたからこそわかる、絶望だった。


 間に合わない。


 コマの少ないアニメーションのように、子どもに近付いていく鉈を見ながら、私は自分が「この先」を見誤っていたことを知る。


 それは、誰一人守れない強さだった。

 自分を誇示するためだけの強さだった。

 私は、道場を一歩出た瞬間から、無力だった。


「やめてぇぇ!!!」


 底知れぬ絶望の中、私が叫んだ時、周囲に雷が落ちたような轟音が鳴り響いた。

 地割れのような凄まじい揺れとつんざくような音の嵐の中、地面から無数の稲妻が走る。


 これって……詠力紋えいりょくもん……?


 男の足元が強く光り、無数の植物が生え出て、天に向かい一気に成長する。

 植物の中に身を置き、男は突然、生気を失ったような表情で静止した。

 鉈を持つ手がだらりと下がり、両膝を突く。


 植物は見せつけるように男の目の前へうねうねと成長し、一輪の月見草が咲く。

 月の光を反射したように白い、可憐な花を見ると、男は「かぁちゃん」としゃがれた声を出し、目から溢れるほどの涙を溜めて、がっくりと項垂れた。カランと乾いた音を立てて、手から落ちた鉈が地面に落ちる。


 『星の御子みこ 待てども夜は深まりて月見の花も咲ける頃かな』


 白い羽織を着た女性が、短歌を詠みながら男の前に歩み出た。


 歌人だ……。


 私はいつの間にか座りこんで、二人の様子を目で追っていた。

 歌人は瞬時に刀を抜くと、男の目の前で、首を取るように月見草の花を、茎と切り離す。

 ヒュッと、風を切る音が短く鳴った。

 周囲の植物は枯れ、月見草の花は宙を舞い、花の形を保ったまま、歌人の掌に落ちる。歌人が息を吹きかけると、花は雪のように粒子となり、大気中へと散った。


 耳栓を外したみたいに、音が溢れる。

 歌人の背後からバタバタと足音が聞こえ、黒い羽織を着た一群れが、脱力したままの男を取り押さえた。

 ざわめきの中、女性歌人は刀を鞘にしまう。どこにいたのか、子犬が歌人の周りをじゃれるように跳ねている。夢を見ているような気分で、私は一部始終を眺めていた。


 私には、何もできなかった。


 歌人は私が放心している間に、倒れていた子どもを優しく起こし、恐怖と安堵で混乱状態にある母親の胸に抱かせる。子どもが母親にしがみつき、大声をあげて泣き出すと、母親も一緒になって泣いた。

 歌人はその様子を見ると頷きながら微笑み、立ちあがる。


 『繕いの衣剥ぎたる大神は 彼方の空を悠々仰ぐ』


 短歌に呼応するように、子犬の体が不自然にねじれながら伸び、瞬く間に体高三メートルはあろうかという白狼となった。雄々しい顔と巨躯に似合わず、狼はじゃれつくように愛おしげに歌人にすり寄る。歌人はその顔を優しく撫でると、花びらのようにひらりと跳び、狼の頭の上に立った。

 その時、座りこんでいた私と、歌人の目が合った。

 歌人の女性は私を安心させるように笑いかけると、まっすぐに彼方を見据え、親指と人差し指で輪っかを作り、その中から空を覗きこむ。


「行け」 


 その言葉を合図に、巨大な狼は大通りの両サイドに並ぶビルの壁を交互に蹴りあげ、空の果てへと消えていった。

 夢見心地の私の脳裏には今見た光景が焼き付いていて、それはいつまでも残像となった。


「この先」に、行きたい……。

 道の隅に転がったトロフィーが目に入り、私は覚悟を決めた。


「私、歌人になる」





「ん? 琴葉ことは、何か言った?」

「え……。あっ! いえ。何でもないです」


 反省部屋から出た次の日、私たちは曳縵えかずら先輩の案内で、伝網連でんもうれんの秘密の部屋に来ていた。

 同じテーブルに座っている苑紅そのべにさんは、時間を持て余したように扇子で遊んでいる。

 私は再び、作文用紙に目を落とした。


「さっきも言ったけどさ、反省部屋で短歌漬けにされたのは琴葉にとって良い効果だったと思うんだけど、まぁひとまず反省癖を治さないとな」

「そうですね……。頑張ってみる、所存です」


 数十時間にわたる反省短歌だけを作る時間のせいで、私はどんな短歌にも反省要素が入る癖が付いてしまった。歌合うたあわせには向かないものの、これまでたくさん短歌を作る経験のなかった私には、良い特訓だったと自分でも思う。

 だけど、普通の会話も五七で話さないと違和感があるし、五文字で始まる文章はすべて短歌ではないかと感じるほど、言葉に対して敏感になってしまっていた。


「琴葉~。どんなの書いたか、ちょっと見せて」

「おい草凪くさなぎ、動くんじゃねえよ」


 曳縵先輩に叱られている蒼空そら君は、体中に配線を絡ませている。天羽あもうさんも、その隣で仁王立ちになって蒼空君を見据えていた。

 ちぇ~、と言いながら大人しくしている蒼空君を見ると、曳縵先輩はまたノート伝冊でんさくに目線を落とす。

 私たちは、蒼空君の賓客ひんかくとしての潜在能力を測るため、この部屋にやってきていた。

 ポテンシャル次第では戎具じゅうぐと装束の同時錬成に足る素材を蒼空君から得られるかもしれないらしい。


 それにしても、まさか蒼空君が賓客だったなんて。たしかに同級生の中でも飛び抜けてすごいけど……。だけど、嵐山で出会った鹿の賓客には、感情なんて呼べるようなものは感じられなかった。いつもあんなに優しい蒼空君が賓客だなんて。


「琴葉、手が止まってる」

「すみません!」


 たった100首でもおかしな癖が付いた私とは違い、1500首も書いた苑紅さんは普段通り、涼しい顔をしている。

 私は「すみません」の五文字に続く文字を当てはめながら、疑問を口にした。


「どうしてあんな、たくさんの、短歌書いても、平気なんです?」

「まぁ、生徒会の反省短歌は前にも何度かやってるから慣れてるのもあるけど。ただ今回は数が数だったからね。創作短歌の連作にして、いくらかは楽しくこなしてたんだよ」

「へぇすごい!どんな短歌に、なりました?」

「大酒飲みの山賊が、好きな女を殺してしまった過去に囚われて苦しむ話とか、雨の日にだけ乗る通学バスで会える男子に恋をして、結局告白できなかったことを悔やむ話とかだね」

「素敵です、面白そうで、読みたいな!」

「ふふっ。書籍化したら読ませてやるよ」


 連作の創作短歌にしても良いのか。

 というか、二度と反省短歌なんてやりたくないけど。あんなところに行くのは、本っ当に、二度と嫌だ。印波いんなみ先輩はまだ五年もあそこにいるのだと思うと背筋が寒くなる。

 私は100首も書いたのに、曳縵先輩と天羽さんはたったの十首で釈放されたらしい。いくら生徒会に睨まれてるとはいえ、こんなに桁違いに虐げられるとは思っていなかった。


 そういえば、絡繰装具部からくりそうぐぶでは禁止素材の話をしていただけで生徒会に取り押さえられたけど、本気で禁止素材を入手するために動いてるなんて、大丈夫なんだろうか?


「すみません、あの人たちが、また突入、してきたらどう、するんでしょうか……?」

「ここは大丈夫だ」


 蒼空君のことで忙しいせいか、私の五七癖に嫌気が差しているのか、曳縵先輩はぶっきらぼうに言う。


「昨日のガサ入れでお前らが生徒会に嫌われているのはよく分かったからな。ヤバい話をするためにはセキュリティを高める必要がある」

「この部屋は、安全という、ことですか?」

「ここは伝網連独自のセキュリティと、うちの部の独自のセキュリティも張り巡らされている」

「すごいです!伝網連って、そんなこと、できるんですね、尊敬します」

「お前、伝網連は新聞記者とかパパラッチとかそういうイメージ持ってるだろ。伝網連は情報を使うプロだからな。むしろこっちの方が本業だ。それと、尊敬なんてしてないくせに適当なこと言って文字を埋めるな」

「へーー! じゃあ生徒会の人たちは動きようがないってことっすね!」

「いや、動いてるようだな」

「え」


******


 ドカン! と扉を蹴破り、細雪ささめゆきはゆっくりと部屋の中に入った。背後からバタバタと特殊部隊員たちが入ってくる。


「副会長……」


 特殊部隊員の一人が銃を下げて細雪に声をかけた。


「わかっておる。もぬけの殻。また空振りじゃのう」


 細雪は足元の人形を拾いあげ、全体を調べる。


「ひらひらと童の笑う風が吹く谷に咲きいるカタクリの花 か……。なるほど、擬人法のウタじゃ」

「ソナーに感。人形から十以上の方向に詠力波えいりょくはが出ています」

「ジャミングじゃな。幻覚系の叙景歌や擬人法のウタで、容易には詠力えいりょくを辿れないようにしておる。巨大迷路にも似た学院内では、尋ね人の相聞歌そうもんかくらいでは足取りは掴めんの」


 細雪は人形を握りつぶし、床に捨てた。


「ようわかった。彼奴ら、生徒会と本気で事を構えるつもりじゃのう」


******


「何とも執拗に我々を探しているようだ。とんだ恨みを買っているようだな。苑紅」


 ノート伝冊の片隅に映る細雪たちを見ながら言う曳縵先輩に、苑紅さんは何でもないように笑いかけた。


「で、蒼空の件、どうかな?」

「ああ、たしかにこいつは賓客だが……」


 曳縵先輩は、ノート伝冊の画面が皆に見えるよう、くるりと回す。


「基本的に哦獣がじゅうや賓客といった生体素材は、本体から切り離すとただの物体となる。その物体は、本体の詠力波とは連動しなくなるのが通常だ。しかし」


眼鏡をくいっとあげ、曳縵先輩が続ける。


「草凪の髪の毛や爪は、こいつから切り離しても、草凪本人の詠力波にしか連動しない」

「封印の影響か……?」

「封印は何度か上書きされているようで、とても強固だ。いずれにしても、草凪から切り離したものが素材単体として使えない以上、装具に使うことはできない」


えー! っと、蒼空君は前のめりになって不服そうな声を上げる。


「おい、動くんじゃねえよ。配線が外れるだろうが」

「素材に使えないんすか!?」

「ああ、お前以外にはな」

「え?」

「お前自身の装束や戎具を錬成するのには問題ない。お前の詠力には連動するからな。ただ、お前以外の人間の装具には使えない」

「俺のには使えるのに、他の皆のには使えないんすか?」

「今までに、感情の強い揺れで詠力が強くなったこと、あるだろ?」


 私はふと思い出す。 

 私の原歌が書かれた短冊を、真砂経まさつね君がくしゃくしゃに丸めて捨てた時、蒼空君は別人のような空気を出していた。詠力を感じたことがない私でも、あの時の周囲の空気はピリピリと肌に刺さったのを覚えている。


「そっすね……」

「お前の髪の毛や爪は、切り離しているにも関わらず、お前の感情の起伏に同期してる。すなわち」

「すなわちッ! こやつの感情の揺れに同期させた装具が作れるというわけだなッ!」


 私にはよく分からなかったけど、天羽さんは理解したようで、雄叫びをあげながら頭をかきむしってどこかに行ってしまった。


「このケースの素材は俺も初めて見る。お前にかけられた封印がとてつもないか、もしくは」

「もしくは……?」

「お前が、大したことない賓客かだ」


 曳縵先輩がそう言った直後、パパパパン! と、壁際の棚に並べられた瓶が続けざまに弾けて割れた。

 皆が肩をすくめ、音がした棚の方向を見る。

 少し間があってから、まるで誰かが蹴飛ばしたように、ゴミ箱がバコンと音を立てて倒れた。

 曳縵先輩が、ゆっくりと蒼空君の顔をみる。


「おい。今のはお前がやったのか?」

「いや〜〜、俺じゃないすけど、何か、俺が原因な気がするっす」

「そうか。気をつけろ」

「押忍」


 さて、と、曳縵先輩がノート伝冊の画面を切り替え、苑紅さんに見せる。


「苑紅。草凪の素材は草凪自身にしか使えない。やはり生の賓客の素材が必要だ」

「ああ、わかった」

「このリストは京都の山に生息している賓客の一覧だ」

「こんなにいるのか……」

「様々だ。視界に入った瞬間に、相手を灰にするレベルのやつもいるが……」


 と言いながら、曳縵先輩は画面をスクロールする。


「今回の狙い目はこいつ。比叡山の猿の賓客だ」

「狙い目の理由は?」

「話が通じる」

「会話が出来るのか」

「っていう情報だ。実際に見たわけじゃねえが、京都で賓客素材を合意のもとに手に入れるなら、比叡山に棲むこいつが適していると考えた」


****


なるほどの。


ヘッドホンを片耳に当てた細雪がにやりと笑った。


「次は、比叡山で捕物とりものじゃ」


「じゃあ、夜鹿はどんな反省短歌書いたの?」

「私は、千年生きた呪いの日本人形の連作を書いた」

「えぇ! 面白そうだけど、それ反省要素あんの?」

「最後、人を呪うことの虚しさに気付き成仏していく」

「うわああ! ネタバレすんなよなああ!」

「……」


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