第四話「初めの一歩」
列車がガタンと大きく揺れた振動で、蒼空は目を覚ました。車窓から光が入り、座席に横たわった蒼空の顔を照らした。むくりと起きあがり、窓の外を見ると、朝日が昇り明るくなっていた。
「もう朝か。何時間ぐらい寝てたんだろ」
昨晩は疲れてすぐに寝入ってしまった。だいぶ長い時間寝てしまったようだ。固いシートに横たわっていたので、身体のあちこちが痛んだ。座ったまま大きく伸びをしたら欠伸が出た。
「もうすぐ着くのかなー」
外に目を向けると、もう蒼空の見慣れた山の風景ではなく、田畑が広がり合間にちらほらと家や建物が見える。特に珍しくもない郊外の景色だが、山から出たことがない蒼空には面白くて堪らなかった。生まれ育った景色とまるで違うそれを、蒼空はしばらく眺めていた。
「こんにちは。切符を拝見致します」
声をかけられ振り向くと、通路に柔和な顔をした車掌が立っていた。
蒼空は、いそいそと財布から切符を取り出し手渡した。車掌は切符を受けとるとスタンプを押して蒼空に返す。
「あのー。京都ってあとどんくらいで着きます?」
「そうですね。あと一時間ほどになります」
「一時間で京都かぁ」
刻々と変わっていく景色を見ていると、気持ちが踊った。車窓では段々と田畑が少なくなり、代わりに家が増えていた。
電車がトンネルに入り、車窓が暗くなる。ごおおと低い音を立てて列車は進み、不意にトンネルを抜けると、明るい日差しと、都会に様変わりした風景が目に飛びこんできた。背の高い建物や家々が、車窓を埋め尽くす。
「おぉっ」
山の中で生まれ育ち、「街」というものを写真でしか見たことのない蒼空は、その風景に圧倒された。
『まもなく京都駅に到着します。窓を閉め、座席にご着席ください』
車内放送が流れ、外から列車を牽く哦獣の雄叫びが聞こえてきた。
蒼空は放送に従って窓を閉めると、座席に座った。車内にちりりんという鈴の音が鳴り響いたのを合図に座席が一斉に光りはじめ、詠力陣が浮かびあがった。何だと思っていると、座席からにょっきりとベルトが現れ、蒼空の身体に巻きつき固定した。
「うぉっ! 何だこれ!」
身動きが取れず、蒼空がジタバタと踠く。列車は駅に入ると徐々に減速し、ガタガタと大きく揺れ、止まった。車内がシンと静まり、ベルトが勝手にスルスルとほどけて消えた。
蒼空が目を白黒させていると、京都到着を告げる放送が聞こえた。慌てて蒼空はリュックを背負い、他の乗客達に紛れて列車を降りた。
ホームに降り立つと、蒼空はその光景に言葉を失った。アーチ状の高い天井に覆われた駅舎はいくつもの列車が並び、ホームは先にいる人が見えないほど長い。ホームはまだ早朝にも関わらず大勢の人が忙しく行き交っていた。
そのだだっ広い駅のホームで、蒼空はどうしたらいいかわからず周囲をキョロキョロと見回した。
ちょうどその時、蒼空が乗ってきた列車の後方のドアが開き、車掌が降りてきた。
「すみませーん。雲雀倭歌学院にはどう行けばいいですか?」
「あぁ、君は雲雀の新入生かい?」
やや疲れた様子の車掌は蒼空を見ると、得心して続ける。
「長旅ご苦労さまだったね。雲雀へは路面電車が出ているよ。歩いても行けるがちょっと遠いかな」
「ふーん。じゃ、歩こっかなー」
新しい街をじっくり見たいと思い、蒼空は好奇心に任せて答えた。
車掌は元気な蒼空を見て微笑んだ。
「そうかい。じゃあ地図をあげよう」
「ち、地図……」
咄嗟に初日に父親から渡された地図を思い出したが、車掌が懐から出したのは、何のことはない普通の地図だった。
車掌は赤いペンで地図に経路を描きこむと、蒼空に渡した。
「方角のウタは使えるかい? この地図を見て行くといいよ」
「使えます!」
「駅の北口から出るんだよ。気をつけてね」
「わかりました。ありがとうございます!」
蒼空は地図を受けとると、ぺこりと頭を下げて、北口と書いてある階段に向かって駆け出した。車掌は去っていく蒼空を見送りながら声をあげた。
「おーい。駅の中は走ったらダメだよー」
「はーい!」
蒼空は車掌に言われた通り、迷いながらも何とか表示板を辿って北口から外に出た。駅の外に出ると、列車の窓から見た風景が目の前に現れた。広い道がまっすぐに伸びて、その両側を建物が隙間なく埋め尽くしていた。
整備された道路も、行き交う車も、都会的な建物も、蒼空には何もかもが目新しかった。
「すげー! 京都ってこんななのか!」
衝動に突き動かされ、蒼空は自然に駆け出した。
「こらあああぁあ!!!!!!」
その時、耳をつんざく大声が背中に降りかかり、蒼空は急ブレーキをかけ、足を止める。目を丸くしながら振り返ると、そこにはかくしゃくとした小さな老婆が水桶と柄杓を持って仁王立ちしていた。
「赤信号を渡るんじゃあないよ」
「あ……ご、ごめんなさい」
交通ルールは村の学校で習った程度の知識しかなく、実際に信号を見るのは初めてだった。道路を横切る横断歩道の前で、蒼空は真剣な眼差しで信号を見つめて待った。信号が赤から青に変わると、そろりと老婆を窺った。
「……もう渡っていいすか?」
「お行き」
「っしゃ! いってきまーーーす!」
蒼空は矢のような速さで駆け出すと、あっという間にその場から消えた。老婆はそれを見届けると柄杓で道路に水を撒いた。
もらった地図を頼りに道を進むと、建物ばかりだった景色にぽつりぽつりと緑が増えた。そのまま歩きつづけると、長く続く塀に行き当たった。地図によるとこの塀の向こうが学院のはず。蒼空は塀を見上げながら、地図が示す正門に向かう。塀に沿ってしばらく行くと、不意に塀が途切れて豪壮な朱門が現れた。
重厚な瓦屋根に、それを支える朱塗りの太い柱。何万人もの学徒を受けいれてきた門は、何千年も生きる古木のような厳さでそこに建っていた。
『雲雀倭歌学院 一ノ門』
扁額に刻まれた文字は、重々しく歴史を感じさせた。蒼空はその門を見上げる。
「おー、ここかー」
扉は固く閉ざされていた。まだ早朝のせいか、辺りは蒼空以外に誰もおらず、静まりかえっている。
不意に門の遠く向こうから、長い鐘の音が三回響いた。鐘の音に応えるように、門の内側からズズズと木の擦れる音がした。ガコンと大きな音を立てて閂が外されると、門がゆっくりと内側に開いた。
開け放たれた門からは、広い道がまっすぐに奥へと続いていた。道はどこまで続くのか、先は見えない。蒼空は眼前に広がる景色に興奮が抑えられなかった。
はじめの一歩だ! と門をくぐろうとして、思い留まる。どうやら学生の中では自分が一番乗りのようだ。誰よりも早く学院の門をくぐる誇らしさと、新たな生活が始まる期待を込めて原歌を詠もうと思い立った。
この世界でウタの力を使うには、詠力を纏い、効果をイメージしながら詠歌する必要がある。
力を生じさせない歌は『原歌』と呼ばれる。強い詠力を纏うには、日常から原歌を詠み、『歌心』を高めることが重要だと言われている。もちろん、歌の良し悪しでも効果の強さが変わるため、歌人を目指す者は日々『原歌』を詠み、歌に慣れ親しむようにしていた。
蒼空は門を見上げて詠みあげる。
「東雲の下に鎮座す朱の門 初めの一歩 静かに……」
「はじめのいーーーっぽっ!」
蒼空の声をかき消して、一つの影が横を追い越した。影は門の前で踏み切ると大きく跳躍した。高く弧を描いて、門を一足飛びにくぐると、軽い音を立てて着地した。
「やったー! 一番乗り!」
両手を上げて綺麗に着地を決めた影は、くるりと門を振り返る。そこには髪を短く切り揃えた活発そうな少女が立っていた。
蒼空は呆気に取られて立ちすくむ。
「あれ? 君ってもしかして新入生?」
笑顔の少女が蒼空に気付いて声をかけた。
「え? あぁ、うん。君は?」
「私も新入生だよ!」
少女は蒼空の様子を見て何かに気付いた。
「そっか、本当は君が一番だったんだね! ごめんね、先越しちゃって」
「いや、まー、いいよ」
「じゃ、早く入ろう! 二番も取られちゃうよ!」
少女は足早に門をくぐり戻ってくると、蒼空の手を掴んで引っ張った。少女に手を引かれ、二人で門をくぐった。
「おぉ」
「はい、二番乗り! 入学おめでとう!」
強引に蒼空を引っ張った少女の屈託のない笑みに、蒼空も自然と笑顔になった。
「ありがとう、君も入学おめでとう!」
視線があうと可笑しくて、二人でプッと吹き出した。ちょっと強引な少女に戸惑いもしたが、その明るさにすっかり打ち解けた。ひとしきり笑った後に少女が思い出したように問う。
「ところで、あんなところに立ちどまって何をしてたの?」
「原歌を詠んでたのさ」
「あんなところで原歌!? さすがウタの学校だね!」
少女はキラキラとした目で、尊敬するように蒼空を見つめる。
「君はウタを詠まないの?」
「えへへ、私はまだウタにあまり慣れてないんだ」
少女は誤魔化すように笑う。へぇ、と蒼空は相槌を打った。
山での生活にはウタが欠かせない。ウタは火を焚き、風を起こし、水を操る。村の人たちも当たり前にウタを使っていた。時には、一緒に原歌を詠み、遊ぶこともあった。蒼空にとってウタは生きることと同義であるため、ウタに慣れていないという都会の人の感覚の違いに驚いていた。
「そうだ、自己紹介遅れちゃった! 初めまして、私は小野 琴葉! 君は?」
蒼空はニコッと笑うと、琴葉の前に掌を上に向けて差し伸べた。
『春告げし 友に名を刺す群雲は大志を抱く雲雀となりし』
蒼空が短歌を詠唱すると、掌上に五句体が生まれた。五句体はもやもやと形を変え、『草凪蒼空』の四文字となった。
「俺は草凪蒼空! よろしく!」
「わぁ、すごい! ウタの自己紹介だ!」
琴葉は手を叩いて喜んだ。
蒼空が手の上の文字を握りこみ、ぱっと開くと、掌に小さな鳥の歌儡が現れた。白い小鳥は、蒼空の手の上で幾度か羽を動かすと、門に向かって飛び立った。
「すごい……」
琴葉はその光景に言葉を失い、飛んでいく小鳥を目で追った。
門をくぐり外に出た小鳥は、突如、飛んできた矢に射られて霧散した。矢もまた小鳥とともに消えた。
目の前の光景に驚いた二人は、門の外にいる少年に気付いた。鋭い目をした少年は、二人を睨むようにしてそこに立っていた。
「お前ら、新入生か?」
少年の高圧的な問いかけに、琴葉は動じることなく答える。
「そうだよ。鳥を射たのはあなた?」
「ハッ! あのゴミみたいな歌儡のことか?」
その言葉に思わず琴葉の顔が歪む。
「……どうしてあんなことしたの?」
「邪魔だったからだ。お前ら、中等部じゃ見かけなかったな。編入生だろ」
少年は二人を見下した表情で言う。琴葉は質問の意図がわからず、訝しげに答えた。
「そうだけど。あなたも新入生なの?」
「そうだ。編入組のお前らは知らないだろうから教えてやる。俺は中等部を首席で卒業した中務真砂経だ。この学院に入ったのなら、俺の名前を覚えておくんだな」
琴葉がきょとんと真砂経を見つめる。
「ええと、終わり?」
「何がだ?」
琴葉は、眉をひそめた真砂経と蒼空の顔を交互に見比べた。
「そっかぁ。皆がウタで自己紹介するわけじゃないんだね。蒼空君の自己紹介がすごかったから、勘違いしちゃった」
その言葉に真砂経はさっと顔色を変え気色ばむ。
「なんだと……。お前、俺の自己紹介が普通だとでも言うのか?」
「普通だったなぁ」
のんきに言う琴葉を見て、真砂経の表情は険しくなるばかりだった。
「編入組が虚仮にしやがって」
両手を頭の後ろで組んで二人を見守っていた蒼空が、真砂経に歩み寄る。
「真砂経、よろしく! 俺は草凪蒼空!」
蒼空は、真砂経の怒気を気にせずに手を差し出した。しかし、その手は強く払われた。
「お前ら、先に門をくぐったからって調子に乗るなよ!」
その言葉を聞くと、蒼空は得心した様子で真砂経を見た。
「もしかして。真砂経、一番に学校に入りたかったのか?」
「なっ……!」
「なんだー。私達に先を越されて怒ってるんだ」
「おまっ! な、なに言って!……ちっ、違う!」
振り払われた手をまじまじと見ていた蒼空は、真砂経を見ると、力強くその手を取った。
「なっ、おまっ! 何をする!」
ぐいっと強く手を引かれ、真砂経は蒼空とともに門をくぐった。
「はい。三番乗り! 入学おめでとう!」
蒼空がにっこり笑って言うと、真砂経の顔は見る見るうちに赤くなった。握られた手を乱暴に振りほどく。
「クソが! この俺に気安く触るな!」
怒りの訳がわからず、蒼空は戸惑う。真砂経は蒼空を睨みつけると、さらに怒鳴りつけた。
「華麗なる俺の第一歩をよくも汚してくれたな!」
「あれ? 一緒に入りたかったんじゃないの?」
真砂経は侮蔑した様子で蒼空を見た。
「まぁいい、そのうち思い知らせてやるよ」
平静さを取り戻すように襟を正すと、真砂経はそのまま歩き去って行った。
蒼空と琴葉はぽかんとその後ろ姿を見送った。
「なんだーあいつ?」
「ヒドイよね! 鳥を射抜くなんて! それにすっごく偉そうだし! 大体なんなの「編入組」ってさ。私だってすっごい受験頑張って入ったのに!」
琴葉は真砂経の去った方向を見ながら怒っていた。
「受験……?」
「まぁ、いっか。気にしない! 行こ行こ!」
スタスタと先へ歩き出した琴葉を追って、蒼空は門から続く長い道へと駆け出した。




