第三十四話「天つみ空の玉兎」
草凪蒼空の発動させた異常な「今際ノ歌」。
加藤衡也が持ち出した科学武器。
伊勢苑紅が呪詛により命の危機に瀕していた時でさえも。
結局、私は何もできなかった。
板野清治が適切な療治を終え、試合場から降りていく。観客席からは鳴りやまぬ喝采が降り注いでいる。学長も朗らかな笑顔で彼を見送っていた。
教師として、私はこれで良かったのだろうか。苦い思いが胸に渦巻く。
だが、私に何ができた? そうも思う。
学長から直々に審判を任せられたというのに、試合中も感情的になったり狼狽したり。第一に、生徒たち一人ひとりの適正を把握することすらできていない。学長ならば、状況も人材も見極め、生徒に極限まで任せる。だがそれは、万が一、対処できない問題が起きたとしても、あっという間に解決できるという自信と、その自信を裏打ちするだけの強大な力があるからこそだ。
自分の力不足に嫌気が差すが、弱点を明確化させられたと考えることもできる。
私に審判を任せた時点で、学長は私に気付きを与えることすらも見越していたのだろうか。一体この方には、世界がどんなふうに見えているというのだろう。
駆け寄った仲間たちの肩を借り、哦獣化から元の姿に戻った伊勢さんが立ちあがる。場内は賑わいに満ちており、第三短歌部の健闘を讃えるかのように、惜しみない拍手が送られた。
「伊勢さん、見事な歌合でした」
「へへ……。ありがとうございます」
学長の賛辞を聞いて思う、本当に見事な歌合だったと。
詠歌もなく強力な弾を撃ち出す科学武器を前に、呪詛を食らいながらも立ちあがり、連作短歌を詠む。雲雀の生徒のなかで、これだけの戦いができる者がどれほどいるだろう。
「貴方たちは、強い意志と勇気を持って大きな困難に立ち向かい、見事に勝利しました。誇るべき素晴らしい成果です」
学長はゆっくりとした足取りで試合場に立つと、伊勢苑紅、在原福丸、草凪蒼空、小野琴葉の四人を抱くように両手を広げた。
「雲雀倭歌学院学長、月島吉乃の名において、ここに第三短歌部の設立を宣言します」
聡詠館が、割れんばかりの拍手に包まれた。
勇敢に戦った彼らに、私も拍手を送る。
永田刈薦、中務真砂経、橋本洲鳥、九条夜鹿。第一短歌部陣営として戦った四名は、それぞれが複雑な表情で第三短歌部の設立に立ち会っている。ほかの第一短歌部部員たちは、加藤君のことを噂しているのか、ヒソヒソと話すものもあれば、白けたように第三短歌部陣営を睨む者もいた。
第一短歌部らしからぬ統率の取れていなさのなかで、甲賀先生が正座したまま、うなだれている。プライドの高い彼のことだ。心中穏やかではないのだろう。
「さて」
学長が歩みを進めた先には、気を失い倒れたままの加藤君がいた。
伊勢さんよりもダメージが軽く、後回しにされていた療治が先程、始まったところだった。
「ちょっとごめんなさいね」
声かけに、療治班が慌てたように身を引く。そして学長は加藤君に手をかざした。
詠歌されるのか?
『ひわひわと夜が囁く 己がために 天津空の玉兎を仰ぐ』
詠力陣が現れ、黒いモヤが立ちのぼる。直立不動となった加藤君は中空を見つめ、どこか虚ろな目をしている。モヤは粘菌のように、彼の体に絡みついていき、覆われたところから、みるみるうちに傷が治癒していった。その後、黒いモヤは加登君の体に宿るように吸収され、跡形もなく消えた。
たった一首の短歌で、療治と支配。相変わらず、高難度のウタを軽々と行うお方だ。別の詠力も混じっているように感じるが、それ以上は私にはわからない。
「加藤君。その銃は没収です」
「はい」
加藤君は虚ろな目のまま懐の銃を取り出し、従順な様子で学長に手渡す。
「少しじっとしていてくださいね」
「はい」
学長はそう言うと、彼の耳に人差し指をねじこむ。
第一関節が入ったかと思うと、そのまま奥まで……って、え、その深さ、脳みそに到達していませんか……!?
「あっ、あっ、あっ」
学長は表情を少しも変えず、ぐりぐりと指を動かす。その動きに連動するように、加藤君は感情のない声を漏らし、頭を小刻みに揺すった。
ぐちゅぐちゅと脳内をかき回すような音が聞こえる。
一体、何をなさっているのでしょうか……?
実況解説の生徒たちですら声を出すこともできず、息を呑むような音だけがあちこちでしている。
ちゅぽん、と音を立てて指が抜かれる。その指に絡みつくように、ビチビチと蠢く白い何かがついてきていた。足元から全身に、悪寒が上がっていく。
その何かは、加藤君の耳からズルズルと、徐々にその巨体を表した。この体のどこに……と思うほどの長さと太さをした白いムカデが、ビチッと跳ねて耳から尾を出す。学長に頭を抑えられると、ムカデはその巨躯で加藤君を絞め殺そうとするように体に巻きつきはじめた。
虚ろな目の彼は、追い払うでも怖がるでもなくされるがままだ。あんなに大きなムカデを取り出したというのに、彼の耳はすでに治癒したというのか。
「が、学長……。それは……?」
「加藤君はこれに寄生されていたようですね」
長歌で制御された、歌、儡……?
学長の詠力の影響を受けてか、殺意を表していたムカデは加藤君に絡みつくのを諦め、詠力を分解させはじめる。分解したところから、白い足が粒子となって霧散していく。
「あらあら、逃しませんよ」
『棺閉ずる 蝋色になりてしまいたる吾子よ無常の念知らねども』
学長が詠歌すると、分解しかかっていた詠力が収束し、ふたたびムカデの体が構築されていった。それと同時にムカデは脱力し、意思を失う。
詠み手の詠力を一切感じさせないことに気付き、さらに悪寒が背骨に走る。効果範囲も無視、おそらく永続的に活動する歌儡ということか。こんなものを発動するには、相当大掛かりなウタの仕掛けが必要だろう。
このムカデの詠み手と、世界の理を無効化し、分解されずに使用できる科学武器の関係を考えると、血の気が引いた。
「加藤君、これはあなたが運びなさい」
「はい」
動かなくなったムカデを、加藤君は無造作に持ちあげる。
「さて、甲賀先生」
「は、はい!」
悶々とされていたのか、これだけの現場を見てもいなかったらしい甲賀先生は、突然名前を呼ばれ、慌てている。学長と向き合うとき、加藤君の姿が目に入ったらしく、一瞬、愕然とした表情になった。
「では、締めのご挨拶をお願い致します」
科学武器のことは、甲賀先生のあずかり知らぬところで巻き起こったことだろう。とはいえ、自分の管轄の生徒がこれだけの事件を起こし、その上、学長の目の前で、謀反を起こした生徒たちに敗北するなど、甲賀先生にとっては気が狂いそうなほどの出来事に違いない。
甲賀先生は苦々しい顔で立ち上がり、試合場へと歩を進める。
試合場の中央まで来ると肩を震わせ、正式に部として認められた第三短歌部部員たちに対峙した。
「ぐぅぅ……」
聡詠館中が静まり、甲賀先生の口からどんな言葉が飛び出すのか待っていた。
第三短歌部部員たちも、その動向を見つめている。
「んんんーーッ!!! 苑紅!」
「へっ!? は、はい!」
名指しで呼ばれ、伊勢さんは少し驚いたように返事をした。
「いずれ吠え面をかかせてやる! 覚えていろ!!」
えっ?
まさか、私怨の捨て台詞?
学長は甲賀先生の信じがたいご挨拶に、にっこり笑い小さく拍手している。
これで、良いんですか……?
「日本ナンバーワンの短歌部を率いる最高顧問! 甲賀先生! ここでまさかの、教科書通りの捨て台詞だ! 痛烈な魂の叫びがここ、聡詠館に響き渡りました!」
「”吠え面”って言葉をマジのトーンで言う人、はじめて見ましたね」
実況解説の二人が会場を煽ると、客席からは大歓声があがった。
口笛を鳴らす者、お祭りの余韻を楽しもうとエアガンを撃つ者、わたあめを分けあう者。
大事件の連発した歌合だったというのに、胆力があるという言葉で済ませていいのだろうか、まったく、ここの生徒たちは……。
「貴様らぁッ!」
観客席を振り向き、甲賀先生がさらに吠える。場内はシンと静まりかえり、続きを待った。
「ぐぅぅぅ……! ちゃんと、後片付けしていけよっ!!!」
甲賀先生に向けて、爆笑と拍手が巻き起こった。
第一・第二短歌部部員を引き連れ、甲賀先生は奥之院へと退場した。
怒りと悔しさに満ちた表情は、いつもの不器用な甲賀先生のもので、日常が時間を取り戻したような気がして、私は安心する。
「む! 何だ!? 終わったのかッ!」
「副部長~~。とっくに終わってるって言ったじゃないですか~~?」
絡繰装具部の面々か。試合場下の隅で何やら熱心に会議をしていたのを見かけたが、試合が終わったと聞いて駆けつけたのだろう。
「馬鹿者ッ! YUKIMURAに関する貴様の質疑応答の歯切れが悪いからだッ!」
「いだっー!」
山部籠持のよく肥えた尻に、源天羽が蹴りを入れる。反動でふくよかな尻はぷるんと震えた。
禁止基準ギリギリに調整された鎧装具。あれも見事な出来栄えだった。
「では、皆さん。後は任せましたよ。加藤君。おいでなさい」
「はい」
学長は愛猫・おとどを抱き抱えると踵を返し、聡詠館の入り口へと向かう。学長にも、大きな拍手が送られた。加藤君は、ムカデを携えたまま、いびつな歩き方でその後ろを追う。
世界の理を無効化した科学の力や、背後に大きな組織を感じさせる歌儡。
学長はこれから彼に話を聞くのだろう。
今回、無力さを一番痛感したのはきっと私だ。教師としてもっと成長しなければ、生徒たちをこの世界で守っていくことができない。
「第三短歌部の皆さん」
まだまだ勝利の喜びに浸っている面々が、輝くような笑顔のまま振り向いた。
「とても良い歌合でした。審判を通じて、私も成長が必要だと感じました。感謝しています」
彼らは顔を見合わせる。水を差しただろうか。
「いや~~、それほどでもありますけど~~~」
「俺の死ぬトリガーのやつ、ヤバかったっすよね??」
「ふっ……。敗北しても尚美しい僕の姿を見て、心が動いたわけですね」
「わ、わたしも頑張りました!」
先程までの死闘が嘘だったかのような無邪気さに、思わず私も笑ってしまう。
「ええ。君たちの活躍に期待しています」
「はい!」
「では、これで解散とします」
去る私の背後から、有終の美を飾った生徒たちの声が追って聞こえた。
「いや~~。白逢先生、カッコいいな」
「美人っすね。あの先生」
「あれ、そういえば角田先生は?」
「客席にいたように思ったが……?」
「んーー? いないな。いつの間に消えたんだ? ……ま、いいか。角田なんて」
「ははっ。そうっすね!」
愚直に学ばなければ。
彼らの姿に鼓舞され、私は決意を新たに、聡詠館を後にした。




