第三十二話「夕風のしだれ柳」
婆さんの一言で場内の空気は一変した。
観客席で悲鳴を上げ、青ざめる女子。予想外の展開にうろたえる甲賀。犯罪者を見るような目付きで俺を見据える茅野。緊張と怒りに満ちた苑紅。こいつら全員に向けて、ぶっ放してやれたら最高だ。
脳天一発じゃつまらねえから、まずは足を潰して身動きを取れなくさせて。存分にいたぶって内側から破壊してやったら楽しいだろうな。ま、今回は苑紅だけで勘弁してやろう。
「ごめんなさいね。一つ空けてくれるかしら?」
触れることもなくあの拳銃を科学戎具と断じやがった化け物婆さんは、客席の前列中央に近付く。声をかけられた生徒たちがさっと詰めると、婆さんは腰かけた。その膝に化け猫が乗る。
「あらあら、試合は途中でしょう? さ、続きを始めてちょうだい」
「学長! これは科学戎具だと、今ご自身が仰ったではないですか!?」
「それがどうかしましたか?」
婆さんの空とぼけた返しに、茅野が狼狽していやがる。こいつら何のつもりでここに来やがった?
「学長! 禁忌の技術ですよ! 本来であれば科学兵器は倭歌神の力で分解されるはずですが、これはその理を無効化しています! 即刻試合を中止し、武器の出所を……」
白逢、と婆さんが静かに言うと、茅野は口をつぐんだ。キンキンと甲高く耳障りな声が止んでせいせいする。
「白逢、あなたは戦場でも同じことが言えますか? こんな武器は認められない! と言ったところで、相手が素直に従うと思っているわけではないでしょう?」
「なっ……」
俺は心の中で大笑いする。話のわかる化け物婆さんだ。無論、俺も同意見だ。
「さぁ、続きをやりますよ。伊勢さん、問題はないですね」
「……はい。問題ないです」
苑紅もやる気だ。それでいい。
ところでこの婆さん、生徒全員の名前を覚えているのか? さすがは化け物だ。
さぁさぁお立ち会い、学長公認、科学戎具による嬲り殺しショーの始まりだ。
婆さんは感情の読めない笑みを浮かべてりんご飴を舐めている。その膝の上で胡座をかいている化け猫にはイチゴ飴をあてがっているらしい。相変わらず気味の悪い猫だ。器用に前足を使ってイチゴ飴を舐めていやがる。
苑紅も俺もすでに開始線に戻っているのに、茅野だけがいつまでも戸惑った表情をしている。使えねえ新人だ。
「……わかりました。両者、前へ……」
そうだ、それでいい。さっさと号令をかけろよ。
渋々といった様子の茅野から拳銃を奪うと、俺はもう一度、懐にしまう。
「開始めっ!」
号令がかかると、苑紅は思い出したように苦悶の表情を浮かべた。療治班の鎮痛のウタが切れて壮絶な痛みを感じなおしたらしい。
俺はすぐさま錬成のウタを詠んだ。
『六芒の籠目が結ぶ天と地に人は見上げる神の高きを』
両手に持った六角棒が詠力を纏って形を変える。
『夕風のしだれ柳が頬に触れ 風は優しく哀しく淡く』
苑紅は俺の拳銃を警戒していたようだが、錬成のウタと見るや、即座に詠歌した。
痛みに耐えられず降参されても面白くねぇからな。鎮痛のウタならこっちも願ったりだ。
俺の歌戎具・六鏖は、六角棒の先に有刺鉄線が乱雑に巻かれた特製だ。
色々と試した結果、こいつが一番相手を苦しめてくれるってことに行き着いた。
苑紅、お前もこいつが容赦なく牙を剥くところ、見たことあるだろ? 今日はお前がこいつの餌食になる。想像しただけで身震いがする。
苑紅はウタの効果で痛みが和らいだらしく、猛然と距離を詰めて鉄扇で攻撃をしかけてくる。ま、距離があると飛び道具の方が有利だからな。戦法としちゃ悪くない。
鉄扇による連撃を六鏖で受ける。いい動きだが、俺にその攻撃は通らねえ。この拳銃がなかったとしても、俺はお前に負けた試しがないからな。武器の差の前に、技量の差でお前の敗北は決定だ。
上段からの鉄扇を六鏖で受け止め、鍔迫り合いになる。
即座に六鏖の有刺鉄線がくねくねと動き出し、鉄扇を絡め取ろうとする。すんでの所で苑紅が鉄扇を引き、後方に回避する。
やっぱりこいつは馬鹿だ。六鏖が近接武器を絡め取って、打つ手をなくした相手を滅多打ちにするところ、何度も部活で見ただろうに。
すかさず懐に手を入れると、苑紅はハッとした顔になり、鉄扇を開いて防御姿勢を取った。
はっ! このビビりが。銃を使うと思ったか? クソだせぇ!
『研ぎ水となりし若江に落つ涙 十字に裂けど御魂は死なず』
開始直後の一発は祝砲みたいなもんだ。痛みと恐怖を植えつければ、懐に手を入れるだけでその感覚を呼び覚ますことができる。想像できる痛みほど怖いもんはねぇからな。
ま、二発目以降はとっておきのお楽しみだ。まずはウタの刃で切り刻んでやる。
『心観に吹く清らかな八尾風は三好の御魂 讃え鎮める』
苑紅が返歌を詠み、互いの眼前に詠力陣が生じた。
俺の詠力陣から放たれた無数の刃は、渦を巻く苑紅の詠力陣に吸いこまれていく。
まだまだ冷静なようだな。
なら、一発撃ちこんで、乱してやるのもいい。
拳銃を構えた瞬間、苑紅は横走りを始める。
乾いた銃声が響いたが、弾は苑紅には届かず、試合場の床にめりこんだ。
この武器が直線にしか進まないことに気付かれたか。的が横に動くと狙いが定まらねぇ。
苑紅は少し距離を取って、様子を窺うようにして俺を見ている。
「衡也」
「苑紅。衡也「さん」だろ?」
「アンタ、そんな武器、どこで手に入れたんだよ」
相変わらず口の利き方を知らねぇ女だな。苦しくても死ねないようにして、二度と同じ口を利けないように躾けてやろうか。
銃をどこで手に入れたかって? ははっ、そんなことお前に教えて、俺に何の得があるんだ?
ん? ところで俺はこれをどこで手に入れたんだっけ。
ガサ……
あぁ……。何か。すげぇ気持ちいい……。
何だっけ? まぁ、いいか。
それよりも、
「苑紅、そのふざけたドテラ、お前の婆さんの形見なんだってな」
「……は? 質問の答えになってないんだけど。つーか、そんなこと何で知ってんの」
「伝網連に調べさせれば一瞬だろうがバーカ」
嫌悪感丸出しの顔になったな。マジでわかりやすい馬鹿だ。
「甲賀をぶん殴って短歌部をクビ。そんで新たに第三短歌部を作る? 俺の武器にビビって手も足も出ねぇくせに息巻いてんじゃねぇよ。お前みてぇな典型落伍者が孫で、婆さん天国で泣いてるぜ? ははは! ま、お前の婆さんだからお前に似てロクでなしだろうがな。二人揃って地獄にでも落ちとけ、カス」
俺の一言一句に反応して、みるみるうちに顔が紅潮していく。扱いやすくて助かるわ。
それより何で茅野、お前まで怒ったみてぇな顔してんだよ。審判は中立でいろよボケが。
「……っざけんな!」
いいねぇ。このイノシシみてぇにまっすぐに向かってくるところ。
三発目はまだ勿体ねぇな。散々いたぶってメンタル崩壊させてやる。
『夕凪の鬼火のごとき庭燎焚き 明けの六つまで舞いし御神楽』
苑紅は停止し、返歌を詠んだ。
『神楽火は波間に消えて住吉の筒男三神禊ぎて現る』
ははは! 悪い癖が出やがった。
乱れた詠力に、音の悪い字余り。それじゃ効果半減だろうぜ。だからお前は俺に勝てねぇんだよ。
俺の詠力陣から、極大の火球が放出された。
苑紅の詠力陣は水の渦となり、俺の火球を受ける。水渦は火球を削り取るが、
「中途半端な返歌で相殺できるほど、俺の炎はぬるくねぇよ」
削り取れなかった火球の残りが肩に直撃し、苑紅は後方へ弾け飛んだ。すぐに体勢を整えたようだが、その顔を見るにダメージは小さくないらしい。
「お前らマジでウケるわ。先鋒はウタもろくに使えない初心者。次鋒は装具だけ立派なピカピカの一年生。中堅は豆腐メンタルの優男。副将はお前ですら馬鹿認定するほどの馬鹿。で、極めつけのお山の大将が、煽り耐性ゼロのお前。馬鹿同士、寄り集まって馴れあうのは好きにすりゃいいけどよ、俺ら第一に絡んでくんじゃねぇよ、ザコが」
おーおー、その顔だ。その顔。怒りに任せて声だけでかくなるタイプの馬鹿の顔な。
おら、俺の前で跪いて泣かせてやるよ。許してくださいって無様にすがっても嬲りつづけてやる。
『神功の六叉の鉾に怨火染む 七つの枝に刻む業印』
『七枝の銘は錆び消え八方に 神功拓く地祇の鼓行路』
んだこいつ。
苑紅は開いた鉄扇をかざす。
鉄扇の羽根がバラバラになって、一枚ずつ勢いよく飛び出し、苑紅の周囲を守る。
俺の詠力陣から生み出された七本の刃は、高速で飛び回る鉄扇の羽根によって叩き落された。
きっちり返歌決めてきやがったか。
まあいい、ムラッ気の強い苑紅のことだ。次で崩してやる。
『八幡の軍旗を薙げば蒼天に白星光る斧立の杣』
『蒼天を扇げば軍旗 方違え 葉傘でしのぐ雨の行軍』
詠力陣から巨大な白斧が生み出されると、俺の手の動きに連動し、苑紅めがけて横薙ぎに払う。苑紅の周囲を飛んでいた鉄扇の羽根は集合し、重量感のある斧の斬撃を受け止めた。金属と金属が競りあう音が試合場にこだまする。
俺はすかさず、懐から取り出した銃の引き金に手をかける。今度はお遊びじゃねぇ。確実に命中させて、馬鹿面を拝ませてもらう。
パンッ。パンッ。
銃声が響いた時には着弾しているはずだが、苑紅の前には詠力でできた二つの扇が出現し、弾丸を防いでいた。
いつだ?
いつ、そんなウタを詠んだ?
まさか、一首目の「神功拓く地祇の鼓行路」で扇の下地を作り、二首目の「葉傘でしのぐ雨の行軍」で防御の命令を与えたのか? 俺のウタを防御しながら? ここに来て「行軍」をテーマに連作で詠んだ!?
こいつ、キレすぎて脳内麻薬でも出てんのか?
苑紅は手元に戻った鉄扇を構えなおし、突進しながら詠歌する。
『願わくは他力を奉る僻人に閃く扇の震の奔流』
クソ、歌戎具への衝撃属性付与のウタか。これは食らうわけにはいかねえ。
どうせあいつはイノシシだから、直線でしか攻撃してこねえ。
ははっ、苑紅、お前はよく頑張ったよ。でも、お遊びは終わりだ。
俺は構えた銃の照準を合わせ、引き金に力を込める。
死ね!
一発は苑紅の顔をかすめた。チリッと皮が弾けたのか、青い鎖が頬に走る。
二発目は左肩に命中した。封印の青い鎖が苑紅の肩を縛りあげる。どうだ? 苦しいだろ? 泣いても許してやらねぇぞ。
なのに、苑紅は止まらない。
遅れて撃った三発目が腹にめりこんだ。
何でだ?! 死ねよ!
何で苑紅は死なない?! それどころか、何故走りつづけられる?
鎮痛効果はとっくに切れているはずなのに、そして新たに食らった弾丸の痛みはその比ではないはずなのに、何故あいつはこっちへ向かって猛然と走ってくる!?
歩く屍のように鎖だらけの苑紅は、それでも怒りを秘めた目で俺を睨みつけ、歩測を緩めることを知らない。
死ね! 死ねよ!
四発目を撃つ。
カチリ
カチ、カチカチカチ……
……弾が、ねぇ。
「そ、苑紅、お前、何で止まらねえんだ!」
「……我慢してんだよ馬鹿野郎!」
苑紅の充血した瞳がもうすぐそこまで来ていた。
防御だ! 六鏖で防御しないと!
拳銃を捨てて六鏖を両手で構える時間はない!
完全な防御はできなくても、直撃よりはマシだ!
俺は片手に持った六角棒を、苑紅が振り下ろす鉄扇の動きに合わせた。
間に合え!
『百千の羈束の茨は浅薄な木偶に激する神罰となる』
この短歌は結構気に入っている。
相手の動きを無数のイバラで封じこめ、嬲り殺すために作ったオリジナルだ。
次は第二のカスを、どんなふうに殺してやろうか。
……ん? 苑紅の声? そういえば俺、歌合の途中だったか……?
「衡也。あたしさっき、我慢してるって言ったけど、あれ、違うわ。アンタがロクでなしって言った婆ちゃんのおかげ。最初に詠った鎮痛のウタ、えらく効果が持続すると思ったけど、このドテラには防御系のウタを増強する効果があるんだよ。ま、とはいえ、もう立ってるだけでもやっとだけどね」
そうそう、お前の婆さんはロクでなしの地獄行きだ。
二人揃って、さっさとくたばりやがれ、
「アンタに皆の悪口言われて、気付いたんだ。感情的になっちゃいけない。結果を残すためには、怒りを正しくコントロールしないとってね」
ははっ、お前、そんなこと言って……あれ、俺は。
俺は、苑紅の一撃を……受けた……?
『扇は舞い蘇芳の槌は地を祓い 雷乃発声』
俺が目を覚ましたのと同時に、苑紅の詠歌が耳に入った。
危ねぇ。こんなザコに負けるとこだった。
苑紅は俺が目覚めるのを予期して詠ったのか。
ひとまず距離を。……っ!? クソ、動けねぇ。
「どうなってんだ!?」
「アンタの十八番、詠わせてもらったよ」
苑紅はそう言うと、詠力で出来た巨大なハンマーを振り上げる。
何だと!? さっきの俺のウタは、苑紅に詠われてたのか!
無数の曲がりくねった鉄釘で押さえつけられるように、身動きを取ろうとすればするほど、俺の体は締めつけられていく。
「待て! 待て! 苑紅!」
もう勝負はついてるじゃねぇか! 何で今さらそんなでけぇハンマーが必要なんだよ!?
イヤだ!
「待って! 待ってください! こ、降参するから!」
「俺との試合で降参はなしって、お前がいつも言ってんだろうがよ!」
燃えるように赤い巨大なハンマーが俺の脳天にめがけて振り下ろされる。
やめろ! 怖い! イヤだ! 痛いのはイヤだ!
俺は歯を食いしばり、意識を手放した。
「勝負ありっ! 勝者、伊勢苑紅!」