第二十四話「神樹の槌」
「タ……タスケテ……」
突如現われた鎧武者は、ぬらりと光る赤い鎧をカタカタと震わせながら、ゆっくりと苑紅たちの方へと近付き、苦しげに手を伸ばす。
「助けて……? なんなんだこいつ……」
苑紅は駆け寄ってきた福丸と顔を見合わせた。困惑した互いの顔には焦りの色が見て取れる。試験開始までもう、十分を切っていた。
立ちはだかる鎧武者の隙を突き、廊下をすり抜けるしかない。
苑紅が指示を出そうとした、その時だった。鎧武者は体中から勢いよく赤い瘴気を吹きあげ、そして、腰に携えた刀に迷いなく手をかけた。
「……コロス」
「マジか!!」
苑紅はとっさに福丸を突き飛ばす。
機械的な声ではあったが、鎧武者は先ほどまでのたどたどしい喋りではなく、はっきりと「殺す」と言ったのだ。
「あたしがアイツを食い止める。みんなは隙を見て聡詠館に向かって!」
「だ……だめです! みんな揃ってないと、失格になっちゃいます!」
琴葉は赤い瘴気を放つ鎧武者と距離を取りながら声をあげる。
「クソッ」
強い詠力を纏い、苑紅は懐から扇子を取り出した。
「一人も辿り着けないんじゃ、ソッコー失格だろ! この野郎、一分で終わらせてやるからな!」
詠力を察知したのか、鎧武者はおどろおどろしい詠力を纏った。
もったいぶるように刀を抜きながら、「コロス」と口にした時と同じ重低音で詠歌を始める。
『昔より敵討つ身の我なれば 火影となりて今ぞ報いん』
詠歌が終わると同時に刀をスラリと鞘から抜きとり、切っ先を苑紅に向ける。周囲を纏っていた赤い瘴気がその切っ先に集まり、五句体に変化した。
「避けろ! 僕が詠む!」
福丸の叫びを聞いて、苑紅はサッと身をかがめ、廊下の反対側へと躱した。
鎧武者に向けて十字のネックレスを伸ばした福丸が返歌を詠む。
『礼賛の光をそそぐ腕の中 頌歌「聖母被昇天」奏ぐ』
鎧武者の前に現われた五句体は渦を巻き、詠力陣が浮かびあがる。その中央に立ちのぼる赤い煙は次第に骸骨の武者となった。ドクロ武者は剥き出しの歯を震わせ、苑紅の方へと飛ぶように駆ける。
福丸の掌の前にも詠力陣が浮かびあがった。鮮烈な光は輪となり、一体を包みこむように広がる。
赤いドクロ武者は、聖母を思わせる、温かく優しい光に触れると、低い断末魔をあげながら蒸発した。
「蒼空、琴葉、全員でかかるぞ! さっさと終わらせて聡詠館に向かう!」
「了解っす!!」
後輩に指示出しをしている福丸に、苑紅は驚きを隠せなかった。
いつもべそをかきながら「紅ちゃん」と苑紅の背中に隠れていた福丸は、いつからこんなにも頼もしくなったのだろう。それは、嵐山でも、蒼空が甲賀に連れていかれたときにも感じたことだった。
昔、「ぼくが守る」と詠った短歌に偽りはない。福丸の詠った光の輪に包まれながら、苑紅は福丸の、陰の努力を感じずにはいられなかった。苑紅は、福丸、蒼空、琴葉が鎧武者と自分との間に壁を作ってくれているのを見て、肩の力が抜けるのを感じ、自分がこれまでいかに気負っていたか気づいた。
「よし、行くぞみんな!」
苑紅が立ちあがり、詠歌しようとしたときだった。
鎧武者の背後に何人もの靴音と、「いたぞ!」「捕らえろ!」というものものしい声が響く。
「今度はなんだ?!」
大声の主らしい数名の白衣を着た生徒たちが、後ろから鎧武者に猛然と飛びかかった。
詠力を纏った鎧武者は、手足にしがみつかれ、口にガムテープを貼られると、詠歌できずじたばたともがく。学生たちは髪を振り乱し、汗を滴らせながら死にものぐるいで鎧武者を羽交い締めにした。
「貴様! おとなしくしろッ!」
遅れてやってきた小さな女子生徒が地面を蹴り、宙を泳いだかと思うと、鎧武者の頭に飛び乗り肩車の体勢でしがみついた。
「天羽!」
天羽は呼ばれた方を向く余裕もなく、鎧武者の兜に片手でしがみついたまま、もう一方の手に握られたドライバーを兜の隙間に差し入れ、ガチャガチャと回した。
「ンー! ンー!!」
「黙れッ」
鎧武者は先ほどまでの機械音ではなく、中に入っている者の呻きを響かせる。苦しげな唸り声をあげる鎧武者を、白衣の生徒たちは力いっぱい抑えこみつづける。
「どうなってんだ……」
事態についていけないまま、苑紅は、いつまた鎧武者が詠歌してもいいように後輩たちの前に出て身構えた。
天羽は両脚を鎧武者の首に絡ませ、兜に差し入れたドライバーを両手で抑えこみ、詠歌する。
『傷つけて傷ついて身は錆びつけど 雨が過ぎれば天晴爛漫!』
ドライバーから無数の詠力紋が飛び散り、烈しい雨となって兜に詠力が注がれていく。兜はその雨を吸いこむことで、まるで頭を冷やしているようだった。
「ンー……」
拘束を解こうと暴れていた鎧武者は、次第に力ない息を漏らすようになり、突然、ガクリとうなだれ、脱力した。
「ふぅっ……まったく、手間をかけさせおってッ!」
天羽は深く突き刺さったドライバーを力任せに引っ張り抜き、鎧武者の肩からぴょんと飛び降りる。
「天羽! こいつはなんなんだ!?」
「おお、苑紅! いいところで出会ったな! 見るがいい、この勇姿をッ!」
勢いよく鎧武者に向き直り、天羽は満足げな顔をした。
さあ褒めろと言わんばかりの表情の先で、歩くこともままならない鎧武者が白衣の生徒たちに支えられ、がくがくしている。
「え……っと、……なに?」
「バッ、馬鹿者ッ! こやつは我が絡繰装具部の傑作甲冑、赤備之武者「YUKIMURA」だッ!」
「はぁ?! コイツあたしらに向かって「コロス」って言ったぞ」
苑紅のことを、クレーマーを見るような目で一瞥した天羽は、クルリと振り返り、おもむろに鎧武者の脚を蹴った。
「いだぁいっ」
それは、鎧と鎧の継ぎ目になっている、製作者にしかわからない弱点だった。
「いい加減、起きろッ!」
「……う~ん。あ……、副部長、おはようございますー」
「のんきな奴めッ! 間もなく設立試験開始だぞ! 寝ている暇などないッ!」
「ちょ、ちょっとごめん、そいつ、中に入ってるの、まさか籠持なのか?」
「あ、苑紅さんー、間に合ってよかったですー」
苑紅たちは一杯食わされたような気持ちで鎧武者を見た。
天羽の腕を引っ張り、苑紅は囁く。
「おい天羽、こいつ刀抜いて襲いかかってきたぞ」
「そうか、それはすまんな」
天羽は呵々と笑った。
「甲冑の調整をしていたら、装具のウタが逆流してしまったのだ。籠持は自我を失ったまま倭歌棟まで走ってきたらしいな。先刻のウタで調整が完了したから、何も問題はないッ!」
「さっき言ってた暴走ってこれのことかよ……」
「YUKIMURAは調整が難解なのだが、性能は折り紙つきだ! 存分に我が部の実力を見せてやるから、期待しておれッ!」
「ホントに大丈夫かよ……」
「苑紅! もう時間がない!」
福丸に肩を叩かれ、慌てて時計を見る。
「やばい! 行こうみんな!」
第三短歌部一同と絡繰装具部の面々は聡詠館に向かい、走り出した。
はっ、はっ、と小さく息を荒げ、鎧をガシャガシャ言わせながら、籠持は遅れを取るまいと必死で一行のあとを追っていく。
「籠持! その甲冑、すげーカッコいいじゃん!」
そんな籠持に気付いた蒼空はスピードを合わせ、キラキラした目で話しかけた。
「へへ、ありがとうっ、蒼空くんもっ、その、装束っ、かっこいいよっ」
途切れ途切れになりながら、籠持もまんざらでないらしい。
「まーな! ところで、さっき刀抜いて詠歌したのって、覚えてんの?」
「なんのこと? それより、お腹っ、すいたなぁー」
「たわけッ!」
前を走る天羽が振り返り、籠持に向かって言い捨てる。
「YUKIMURAの各武装の起動にはウタが必須となる! 聡詠館に着き次第、貴様にはただちに武装のウタを覚えてもらう! 飯など食う暇があると思うなッ!」
「ふえぇー」
二人のやりとりを聞きながら、苑紅は戸惑った笑いを浮かべた。
「まぁまぁ、試験終わったらさ、あたしのおごりでうまい飯たっぷり振る舞うから。試験までは頑張ってよ」
「本当ですかー! やったーー」
先ほどまでとは打って変わって、鎧武者はその重さを感じさせない身軽さで、両手を上げて無邪気に喜んだ。
しかし、試験前とは思えない朗らかな様子の一行も、聡詠館の建物が見えるとさすがに無駄口を叩くゆとりもなくなり、殺伐とした戦いの気配が漂いはじめる。
聡詠館に着くと、苑紅は息を整えてから、正面扉に手をかけ、勢いよく開けた。
「……はぁっ!? なんだこれ?!」
聡詠館の扉の先では、盛大なお祭りが繰り広げられていた。
壁際にはからあげ屋、金魚すくい、わたあめなど、壁が見えないほどの屋台が建ちならび、四面ある試合場のうちの一つは、周りを取り囲むようにひな壇状の観客席ができ、すでに半分以上の席に生徒が座っている。
「烹炊部の焼きおにぎり食べた? マジ美味いよ」
「焼き鳥、一本百円だよ~」
「この射的、ぜってーインチキだろ!」
いつもは厳粛な聡詠館の雰囲気はどこにもなく、大勢の生徒たちがワイワイと賑やかにしている。
「たったの一時間でここまで準備したのかよ……?」
「ははっ! すげー。お祭りだー」
蒼空は両手を頭の後ろに組み、のんきに笑った。
唖然とする苑紅の耳に、さらに思いがけない声が聞こえてくる。
「第三短歌部の勝利は五倍の配当だよ! 一攫千金のビッグドリームを掴みたいやつは第三短歌部に張った張った!」
威勢のいいかけ声は、屋台の奥にある薄暗がりから漏れ聞こえてくるものだった。
「あたしら、賭けにまでなってんのかよ!?」
「お~。ようやく主役の到着だ。お~い」
クレープを食べながら談笑していた男子生徒は、苑紅たちに気がつくと涼やかな笑顔で手を振った。
「天月さん! これ、どうなってんの?」
苑紅は天月に駆け寄り、周囲を見渡しながら尋ねる。
「僕はうちの寮生に声をかけただけなんだけどね。人の口に戸は立てられぬってことだね~」
「天月さん! 見に来てくれたんすね!」
蒼空が近付き、天月に笑顔を向ける。
「やぁ、蒼空君、歌装束よく似合ってるね。試験、楽しみにしているよ」
「へへ。任しといてください!」
「おう! 蒼空! 応援してるぜ!」
「天月の時みたいに油断するなよ!」
天月と話していた寮生たちが、蒼空の肩を抱きながらエールを送る。
「やれやれ……。天月が面白いものが見れるというので来てみれば……。またお前か、草凪」
「清治さん!」
人差し指でメガネのブリッジをあげながら声をかけてきた清治も、キツネのお面をつけてちゃっかり楽しんでいるようだ。
「よりによって第一短歌部に喧嘩を売るとはな。話題に事欠かんやつだ」
「ははっ、頑張るっす」
言葉とは裏腹ににやりと笑みを浮かべる清治に、蒼空も応じる。
「清治さーん、こんにちはー」
鎧武者が声をあげると、清治はもう一度、人差し指でメガネをあげた。
「……まさかこの甲冑、籠持なのか」
「はーい、そうでーす」
「まったく……。いくら編入生とはいえ、うちの寮から二人もあの生徒会長に楯突く者が出るとはな。困ったやつらだ」
清治はまたしても困っているようには見えない表情で言った。
隣で聞いている天月は、清治のそんな性格をよく知っているのか、にこにこしている。
「あははー。副部長の命令なんですー。ところでおやつに「輪た与」の「でっちん羊羹」持ってきたんですけど、清治さんもお一つどうですかー」
「いただこう」
籠持が甲冑の懐から、個包装された羊羹を取り出していると、天羽が割りこむ。
「籠持! いつまで油を売っているつもりだッ! 貴様にそんな悠長な時間はないッ!」
「ひぇえー、ごめんなさいー」
甲冑のせいで体の勝手がきかない籠持は、バラバラと床に羊羹を取りこぼした。
蒼空や清治が落ちた羊羹を拾いあげ、そのうちの一つをもらい受けながら、苑紅は天月に話しかける。
「……しっかし、相変わらずのお祭り騒ぎとはいえ、よくこの短時間でここまでの騒ぎになるもんだよね」
うんうんと頷きながら羊羹を食べる天月の前ににゅっと顔を出し、天羽が不敵な笑みを浮かべて言った。
「苑紅の伝歩を受けてすぐ、私が声をかけたのだッ!」
「どうりで工藝棟の生徒が多いと思ったよ」
天月は感心したように辺りを見渡した。
「昨日の設立届提出後、祭りの準備を万全にしておくようにと工藝棟の仲間に伝えておる。今日は憎っくき生徒会と第一短歌部の転覆に向けた記念すべき日となるのだから、歴史の証人は一人でも多い方がよかろうッ!」
「はははっ、それは大変な日だなぁ~」
自身の所属する短歌部の転覆を堂々と宣言されてなお、天月は笑みを絶やさない。
天羽は最後まで生徒会と短歌部への異議を唱えながら、鎧武者の首根っこを掴み、どこかへと去っていった。
「ところで、他の六歌席は……?」
「あ~、みんなは興味がないって言っていたよ」
苑紅の質問に、天月は少し困ったような笑顔で答える。
「そうかよ……」
悔しげな苑紅に、一同は何となく言葉少なになった。
「苑紅ィ!」
蒼空が「ろくかせき」について尋ねようとしたとき、弾けるような声がして全員が振り向く。
群衆の中でもひと際、大柄できらびやかな制服を着てこちらに手を振っているのは愛蘭だった。
「愛ネェさん! 来てくれたの!」
苑紅はパッと華やいだ顔になり、愛蘭に笑顔を見せる。
「当ったり前じゃないの! 苑紅の新しい門出なのヨっ! それに、可愛い後輩ちゃんたちの活躍も見なくちゃネ!」
愛蘭は琴葉に向けて、うふ、とウインクした。
その力強い声は、琴葉の心にかかっていた雨雲を払拭した。
「愛蘭さん! 私、この衣装に恥じないように、頑張りますから!」
「うふふ! 装束なんていいのヨ、自分のために頑張りなさい!」
愛蘭の傍らで、紫乃がりんご飴を舐めながら琴葉に向けてゆっくりと頷く。
琴葉も、愛蘭と紫乃に頷き返した。
「紫乃さんたち、もう大丈夫なの……?」
二人の後ろに控えている華奢な絢爛装束部の部員たちは、各々フルーツ飴を舐めて淑やかに微笑んでいる。しかしまだ少し顔色の優れない部員もいるのが気がかりだった。
「ひとまず糖分補給をしているところですわ。それに、甲賀先生がひと泡吹くところを見ないとどうしても気が済まなくて、みんなで来ましたの」
「ははっ! そういうことなら任しといてよ!」
苑紅は拳を力強く握り、闘志を見せた。
紫乃はそんな苑紅を見てニコリと微笑み、それから目線を天月に向けた。
「天月は、今日は敵ですのね?」
「ん? どうかな。僕はただの傍観者さ」
「まったく。あなたの部の顧問のおかげでわたくしたちクタクタですわ。ちょっとあの人に性格直したほうがいいって、言っておいてもらえません?」
「ふふ、伝えておくよ」
わぁっ! と、試合場の観客席から歓声があがった。
一同が声の方を向くと、たくましい体つきの男子生徒達が試合場を囲むように整列している。生徒たちは一様に、ふんどしと黒い腹掛け、ねじり鉢巻だけを身につけていた。
試合場の中央に、同じ姿の一人の生徒が腕組みをして仁王立ちしている。他の生徒と比べてもひと回り以上体が大きく、筋肉の盛りあがりも並外れていた。
だが、目に入るのは肉体ではなく、背負っている木槌の方だった。筋骨隆々のその男子生徒が少し脆弱に見えるほど、その木槌は大きく、何か異様なオーラを纏っている。
「苑紅さん。あれ、何ですか?」
「ああ。蒼空と琴葉は初めてか。あれは建立連のやつらさ。面白いもんが見られるよ」
琴葉と苑紅のやりとりを聞いて、蒼空もわくわくしながら試合場を注視する。
「開始めッ!」
中央の生徒が叫ぶと、周囲の生徒たちが合わせて強い詠力を纏い、一斉に詠歌を始めた。
『千早振る神の土俵に浸みこみし 穢を量る千重の形代』
生徒たちの詠歌が終わると、中央の生徒が一人で、腕組みをしたままさらに短歌を詠む。
『彼の神を宿す大樹の槌を打ち 天地四方の穢を祓う』
二つの短歌が詠まれると、試合場全体にまばゆく光る大きな詠力陣が発生した。詠力陣は光る粒子を巻きあげ、群れをなした小さな生きもののように蠢くと、試合場の真ん中に向かって集まりはじめる。
光の粒子がひとところに集まり、いっそう強い光りを放つ。
刺すような眩しさに、聡詠館にいる全ての生徒が目を眩ませた。
一瞬ののち、琴葉がうっすらと目を開くと、試合場の中央付近に、身の丈三メートルはあろう、白い巨人の姿が見えた。
「な、なんですか! あれ!?」
巨人の体は白い紙を幾重にも重ねてできたような造りをしている。多重構造のためか、紙とはいえ軽さを感じさせず、むしろ重々しい、巨体に見合った力強さを感じさせた。
琴葉が怯えるように身をすくませたのを見て、苑紅は笑って答える。
「大丈夫さ。ま、見てなって」
白い巨人は試合場中央に立つ木槌の生徒を見据え、咆哮をあげた。それは、聞いている者が苦しくなるような、重く、恐ろしい叫びだった。
目の前に立つ生徒はようやく腕組みを解き、咆哮をあげる巨人を鋭く睨み返し、そしてとうとう、背負っていた大きな槌を両手に構えた。
生徒の体から強い詠力紋の渦が発生したのを見計らったように、巨人は丸太のような両腕を真上に振りあげ、吼える。
「危ないっ!」
琴葉の悲鳴は生徒が大槌を振りかざす「憤ッ!!!」という声と、木槌が力いっぱい試合場の床に叩きつけられる音に掻き消される。
中空に巨大な詠力陣が描かれ、その中から現われた金色に輝く大槌が、巨人めがけてまっすぐに落ちた。
「ウゴオォオォォォ……ッ」
重い鳴き声が、ドォオオンッという巨人が試合場の地面に叩きつけられる音とともに轟いた。一瞬遅れて爆風にも似た凄まじい風が観客席を襲い、ひな壇からは悲鳴があがる。
暴風が過ぎ去ったあとの試合場には、宙に浮かぶ大槌と、その下で大の字に伸されている巨人の無残な姿があった。
巨人の体躯を遙かに上回る金の大槌は、役目を終えたとばかりに光の粒子となり、辺りに霧散した。
床に倒れた巨人の至るところから、鬼火のように青白い鎖の模様が浮かびあがる。鎖は四方八方に伸びたかと思うと、全身を包みこんだ。
おびただしい数の鎖模様に縛られた巨人は、綴じ目を解かれた書物のようにバラバラと形を崩し、大量の光る粒子と散った。その様子に、誰もが息を呑んだ。
巨人の最期を見守った男子生徒は冷淡な顔で木槌を背負い直し、再び腕組みをすると、腹から声を出して叫んだ。
「結界強度検査、これにて終了!」
試合場の周りに整列していたねじり鉢巻たちが「ハイッ!」と声を揃えて返事をすると、聡詠館じゅうから大歓声があがった。
「これより甲賀先生への報告を行う! あとの者はこれにて解散!」
「ハイッ!」
数名が木槌の生徒とともに聡詠館の奥へと向かい、他の者たちは場内の歓声を浴びながらザッザッと足並みを揃えて入り口に向かう。
そのうちの一人が蒼空に気付き、列を抜けて近付いた。
「蒼空!」
「おっ、梓弓! 何だよ今の!? すごかったな」
「俺の所属する建立連の部活さ。今のは試合場の結界が正常動作しているかの検査。公式試合前の義務だね。ま、俺はまだ合わせ歌要員のペーペーなんだけどな」
梓弓は熱気冷めやらぬという様子で顔を紅潮させていた。
「へー! 建立連ってこういう活動するんだな」
「まーな。今日は検査だったけど、本業は大工だ。そのうち俺が作ったもの、見せてやるからな」
素直に感心する蒼空に、梓弓は人差し指で鼻をこすり、誇らしげな顔をする。そしてふと気付いたのか、蒼空の姿を、目を丸くして見た。
「蒼空、それって歌装束だろ? まさかお前、今日の公式歌合に出るのか?」
「ああ、そうだよ。新しい部の設立試験なんだ」
「そうなのか。俺ももう部活は終わったし、お前が出るなら見ていくよ」
結界強度検査が終わり、祭りのボルテージが最高潮に達したとき、聡詠館の奥の扉が、ぎしり、と音を立てて開いた。その音はなぜか、賑やかに話していたはずの、場内の全ての生徒の耳に入った。静寂が訪れる。
暗がりから、攻撃的な詠力が押し寄せてくる。
苑紅は、その暗がりの中に、自分に対する悪意のある視線を感じとっていた。




