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三十一文字物語  作者: 京屋 月々
第一章 雷乃発声
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第十五話「優美の愛」

 いきなり、装束連しょうぞくれんへ行くと言い出した苑紅そのべにを先頭に、蒼空そら琴葉ことは、そして福丸ふくまるの四人は倭歌やまとうた棟から外へ出て、工藝こうげい棟に向かっていた。

 学内の敷地は広く、倭歌棟から工藝棟までは歩いて十分以上かかるらしい。大股でズカズカと歩く苑紅の歩調は速く、蒼空と琴葉は自然と急ぎ足になる。その少し後ろを福丸が、気乗りしない様子でとぼとぼとついてきていた。


「福丸先輩、大丈夫ですか?」

「大丈夫だからほっといてくれ……」


 振り返った琴葉が心配して尋ねると、福丸は億劫おっくうそうに答えた。

 自らのウタで降らせた雨に濡れた福丸は、春の陽気とはいえ、時折吹く風に寒そうに身を震わせていた。しかし、歩く足が重いのはそれだけが理由ではなさそうだ。


「苑紅さん、装束連へは何をしに?」

「うん?」


 蒼空の問いかけに、苑紅は歩を緩めず少しだけ顔を向けた。


歌合うたあわせの準備だよ。部の設立試験で歌合をするって、ふくよか先生が言ってたろ?」

「あー。そーいや、何で福岡先生が?」


 先ほど二年生の教室に現れた福岡は、部の申請について詳しく教えてくれた。あの時の口ぶりだと、苑紅を訪ねてわざわざ来てくれたようだった。


「福岡先生はあたしの一年の時の担任なんだよ。だから、部の申請について聞きにいってたの。あの先生、あぁ見えて古株だから顔が広いし学内の事情にも詳しいんだ。しかも、とびきり優しいしな」

「なるほどー」

「アンタたちの担任だって聞いたときは、ちょっと驚いたよ」


 ラッキーだったな、と言って笑う苑紅に、琴葉が横からひょいと顔を出した。


「でも歌合の準備って、まだ部の申請もしてないのにですか?」

「相手は“あの”甲賀こうがだからな。一筋縄じゃいかないだろう。こっちの準備が整う前に仕掛けてくることも十分ありえる」


 苑紅はグッと握ったこぶしを手のひらにパンッと打ちつけた。


「だから念には念を入れて準備するのさ」


 神妙な顔をして頷く一年生二人に、苑紅は安心させるようにフッと笑った。


「まずは、アンタたちの歌装束うたしょうぞくを作んなきゃな。まだ持ってないだろ?」

「歌装束……?」


 初めて聞く単語に琴葉が疑問の表情を浮かべる隣で、蒼空は短歌部見学の時の光景を思い出す。


「歌装束って、短歌部の人たちが着てた藍色の服っすか?」

「いや、あれは基装束もといしょうぞくつって、授業とか部活で着る練習着だな」

「ふんふん」

「歌装束は正式な歌合をする時の正装さ。歌装束にはウタが織りこまれているから、自分が詠むウタの効果を高めて、相手のウタを防いでくれるんだ。これがあるとないとじゃ、随分変わっちまうんだよ」


 へぇ〜と声を揃えて感心する二人に、苑紅はさらに続ける。


「本当は装束連との合同授業で作るんだけどね。今はそんな悠長なことも言ってられないから、あたしの知りあいに頼みに行こうってわけだ」

「わぁ、すっごく楽しみです!」


 足取り軽く、琴葉が嬉しそうにくるっと回った。


「歌装束は腕のいい仕立て屋が作れば、それだけ効果がでかい。歌合の結果すら左右することだってあるんだ。信頼の置けるやつに頼まないとね」


 腕のいい仕立て屋、と聞いて福丸がブルッと一度大きく身を震わせたが、前を行く三人は気付いていなかった。


 倭歌棟を出てからしばらく歩くと、次第に辺りの風景が変わってきた。道の左右に大小様々な建物が立ち並び、煙突がついた建物からは蒸気や黒煙が昇っていた。辺りは開いた窓から聞こえてくる金属音や、人の声で騒がしい。

 道ですれ違う人は皆、急ぎ足でどこかに向かっているようだ。大きな荷物を抱えた人も多い。全体が活気づいていて、倭歌棟とはまったく違う印象だった。

 蒼空と琴葉はその景色が珍しく、キョロキョロと周りを見回しながら苑紅の後をついていく。


「オラァッ! どけどけーっ!」

「おっと」


 前からガラガラと大きな音を立てて走って来た荷車にぶつかりそうになって、蒼空はさっと横に避けた。


「危ねーな! ぼやっとしてんじゃねーぞ!」

「わりぃわりぃ」


 ツナギ姿の男に叱られ、蒼空は頭を掻く。大量の木材を乗せた荷車はそのまま走り去っていった。


「工藝棟のやつらは荒っぽいから気をつけな」


 少し先を行く苑紅がこちらを振り返り、立ちどまっていた。蒼空と琴葉は小走りで駆け寄った。


「ここが工藝棟ですか?」

「うん、中心部はもっと奥で、ここは入り口あたり。工藝棟は建物が多くて入り組んでるから、迷わないようについてくるんだよ」

「はいっ!」

「了解っす!」


 苑紅は二人の元気な返事に頷くと、先ほどよりペースを落として歩き出す。


「倭歌棟とは全然違うんですね」

「そうだね。工藝棟は倭歌棟に比べて学連も多いし、人も多いからね。敷地なんか倍以上の広さがあるよ」

「そうなんですね、迷っちゃいそう」


 建物の間の狭い路地を覗きこんで琴葉が呟く。


「工藝棟では、毎年数人の新入生が道に迷って消えてしまうらしいよ〜」


 顔半分を前髪で隠した福丸が、背後からぬるっと現れて蒼空と琴葉をおどす。


「うぉ! マジっすか?」

「あははっ。福丸先輩おもしろーい」


 蒼空は青ざめた表情で福丸に言い、琴葉は怖がるどころか楽しそうに笑った。


「ほらっ。遊んでないでとっとと行くよ」


 苑紅は完璧に道を覚えているのか、分かれ道でも迷わず進んでいく。

 奥に進むにつれて人の往来が多くなり、乱雑さが増していく。道端にはガラクタなのか資材なのか、判別つかないものが山のように積まれていたり、作りかけの作品らしきものが転がっている。

 道には、前が見えない量の荷物を抱えた人まで歩いているので、気をつけて歩かないとぶつかってしまいそうだった。

 スイスイと歩いて行く苑紅の後について、いくつか大きな建物を通りすぎたところで、横に細長く伸びた平屋の建物の前に出た。

 外に面した廊下に向かって、等間隔に扉が並ぶ。その内の一つの扉の前まで歩いていくと、ようやく苑紅は立ちどまった。


「ほい、着いたよ」


 扉の横には“絢爛装束部けんらんしょうぞくぶ”の札がかかっているが、窓がないため中の様子は窺いしれない。苑紅は拳でドンドンと扉を叩くと、返事を待たずにガチャリと開けた。


「こんちわーっ!」


 呼びかけながら部屋に入っていく苑紅の後について、蒼空と琴葉も部屋の中に入った。

 一歩室内に入ると、部屋を埋め尽くす極彩色が目に飛びこんできた。

 広めの室内には、そこかしこを埋め尽くすように布の束が置かれて、四つある大きな机には、いくつもの布の小山が築かれていた。机の間には、きらびやかな衣装を纏ったトルソーが立ち並び、その間を部員と思われる生徒達が、せわしく動き回っていた。


「どうもー」


 苑紅がもう一度声をかけると、せかせかと動き回っていた少女の一人がクルッとこちらを振り返った。釣られて頭の両側で結ばれたツインテールがぴょこんと跳ねる。入り口に立つ苑紅を見つけると、トトッと軽い仕草で駆け寄ってきた。


「あらぁ、苑紅ちゃん。お久しぶりですわぁ」


 少女は嬉しそうにふんわりと笑った。たっぷりのフリルで飾られた制服は、少女のやわらかい雰囲気によく似合っていた。


紫乃しのさん、ご無沙汰ぶさたしてます。愛蘭あいらんネェさんはいるかな?」

「部長ですかぁ? いるにはいますけどぉ。ちょっとお待ちになってくださいねぇ」


 紫乃と呼ばれた少女は、そこらじゅうに置かれた荷を避けて部屋の奥へと入っていく。


「部長ぉー。お客さんですよぉ」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ン゛?」


 紫乃の呼びかけに地響きのような声がしたと思ったら、布の小山の一つがもぞもぞと動いた。


愛蘭あいらん部長ぉー。苑紅ちゃんが来ましたよぉ?」

「ウ゛ェ゛ェ゛ッ!?」


 再度紫乃が呼びかけると、布の山がグイっと盛りあがり、そのまま勢いよく立ちあがった。


「ソッ、苑紅ィッ!?」


 布の山と思われたものは、派手な色合いの制服を着込んだ山のように大きな人物だった。

 一見、大柄な女性にも見えるが、けばけばしい羽織の下に見える衣は、ぴったりと身体の線に沿い、その下にある筋骨隆々とした肉体を強調していた。

 腰まで伸びた豊かな金髪は大きく波打ち、濃い化粧を施された顔を引き立てる。濃いめのアイシャドウで囲まれた目を大きく見開いて、こちらを凝視しながら猛烈な勢いでドスドスと向かってくる。 


「ちょっとアンタ! 何してたのヨっ!」

「やぁ! 愛ネェさん、久しぶり!」


 苑紅の目の前まで来ると、その鼻先にまで顔を近付ける。その迫力にも動じず、苑紅は軽い調子で笑った。愛蘭はしばらく間近で苑紅を凝視すると、不意にバッサバサのつけまつ毛に縁取られた目を潤ませた。


「久しぶり、じゃないわヨ! 連絡も寄越さないで、ヒドイじゃないの!」


 涙声で言うと、苑紅を太く逞しい腕でひしっと抱きしめた。


「あぁー、ごめんごめん」

「んもうっ! 心配したのヨっ!」


 長身の苑紅よりも、遥かに大きな愛蘭の抱擁ほうように、苑紅の顔はぶ厚い胸板に埋もれて、ぎゅうぎゅうと締めつけられた。


「ネ゛、ネ゛ェさん。ぐるじぃ……」


 胸元から聞こえる苦しげな声に、愛蘭はハッと気付くと、腕を緩めて苑紅を解放した。


「あら、アタシったら。ごめんなさいね」


 ホホホと口に手を当ててしとやかに笑うと、愛蘭は太い指で軽く目元を拭った。


「それにしても、苑紅。アンタどうしてたのヨ? 短歌部辞めたって伝歩でんぽで送ってきたっきり、連絡つかないし。ホントに心配したのヨっ!?」

「ネェさん、ごめんね。何か、色々面倒になっちゃってさ……」

「……もうっ! バカっ!」


 愛蘭はむくれて苑紅を責めるが、元気そうに笑う苑紅を見て嬉しそうだった。


「でも、よかったワ。思ったより元気そうで」

「うん、まぁね。心配かけて悪かったよ」


 殊勝な態度で謝る苑紅に、愛蘭はいいのよ、と笑いかけた。


「それで、今日はどうしたの?」

「そうそう、聞いて! あたしさ、やりたいことができたんだ!」

「アラッ、いいじゃない! で、今度は何すんのヨ?」


 愛蘭の問いかけに苑紅はニヤリと不敵に笑うと、指を三本立てて愛蘭に向けた。


「新しい短歌部を作るよ! 第三短歌部!」

「まぁっ! ステキッ!」


 愛蘭は両手を自分の頬に当てて大仰に喜んだが、すぐに、はたと気付いた顔をした。


「でも、アンタ大丈夫なの? 新しい短歌部ってことはアノ生徒会長を敵に回すってことでしょう?」

「うん、そうなんだ。けど、あたしやるよ」


 苑紅は情熱を映す瞳で強く言い切った。対して、愛蘭の双眸そうぼうは涙が溢れんばかりに潤んでいた。


「さすがよ……苑紅。やっぱりアンタはそうじゃなきゃダメヨっ!」


 感極まったように言うと、苑紅の手をガシッと掴んでクルクルっと回して引き寄せた。その瞬間、周りにいた部員たちがさっと集まり、愛蘭たちの側にあった物品を端に寄せて空間を開けた。

 愛蘭は、ソレッというかけ声をかけて苑紅と組んだ手を高く挙げると、その場で踊るように苑紅を回転させた。蒼空たちは突然始まったダンスに呆気に取られたが、当の苑紅は慣れっこなのか、自然に身を任せたままだ。

 そして、二人は情熱的なポーズを決めた。愛蘭は満面の笑みを浮かべて、大粒の涙をほとばしらせる。対して苑紅は困ったように笑っていた。

 一時のダンスを堪能して、愛蘭は優雅な仕草で手を離した。


「もぉー、愛ネェさん大袈裟だよー」

「いいじゃない! だって嬉しいンだものっ!」


 大きな身体をくねらせる愛蘭に、苑紅は苦笑する。


「それでさ、新しい部を作るのに、ネェさんにちょっと頼みたいことがあるんだ」

「何よ、水臭いわね。さっさと言いなさいヨっ」

「こいつらの歌装束を作って欲しいんだ」


 背後を指差す苑紅越しに愛蘭が目を向けると、蒼空と琴葉が二人揃って姿勢正しく頭を下げた。


「あっらぁ〜! カワイイ子たちっ! 新入生かしらっ!?」

「こいつらが新しい部を作るのに協力してくれるやつらだよ」


 苑紅は一歩横に避けると、一年生二人を前に出した。


「初めまして、短歌連一年の小野おの琴葉ことはです!」

「ちわっす。同じく草凪くさなぎ蒼空そらっす!」


「んっまぁぁー!?」


 満面の笑みを称えた愛蘭は、二人に近付くとグワッと大きく両腕を広げて、二人を抱きしめた。


蒼空そらちゃんと、琴葉ことはちゃんね! 苑紅のことをよろしく頼むわねっ!」


 高校生としては平均的な二人の重さをものともせず、愛蘭はまとめて抱えあげると、その場でクルクルと回った。


「わわっ!」

「きゃあっ!」


 愛蘭はそのまましばらく回った後、満足したように二人を降ろすと、何かに気付いたように琴葉の顔を覗きこんだ。


「……アラ? ちょっとアナタ、どこかで会ったことあるかしら?」

「え、私ですか? 多分ないと思いますけど?」


 自分の顔を指差して小首を傾げる琴葉を、愛蘭はまじまじと見つめる。


「ン、うーん? どこかで見たようなー?」

「あはっ! どこにでもいるような顔だってよく言われます!」

「んー? そういうんじゃない気がするんだけどぉ。どこだったかしらぁ?」


 愛蘭はしばし考えこむが思い出せなかったようで、まぁいいわ、と諦めて苑紅に視線を合わせた。


「それで、苑紅。この子達の歌装束ってどういうことなの?」

「うん、それがさ。新しい部を作るのに設立試験があるんだよ。試験の内容は歌合うたあわせ。そんで、その試験を仕切るのが……甲賀なんだ」


 まぁ、と口の動きだけで言うと、愛蘭は真面目な顔になる。


「そうなの……。じゃあ、もちろん生徒会長も関わってくるでしょうね」

「あぁ。だから準備には万全を期したいんだ」

「フーン、なるほどね。たしかにあの二人が相手なら、用心するに越したことはないわね」


 真剣な顔で訴える苑紅を前に、愛蘭はあごに手を当てて考えこむようにしていたが、すぐに顔を上げると自らの胸をバシンと叩いた。


「わかったわ! アタシに任せなさいヨ。一着でも二着でも、ド派手なやつをバーンッと作ってやるわヨ!」

「おぉ! やった!」


 愛蘭の頼もしい言葉に、苑紅は指をパチリと鳴らして歓声をあげた。しかし、喜んだのもつかの間、後ろからひやりとした声がかかる。


「あらぁ。いけませんわぁ、部長」


 話を聞きつけてきたのか、いつの間にか愛蘭の後ろに困り顔の紫乃が立っていた。


「ショーまでもう時間がない中で、皆さん休まないで動いているんですよ? 歌装束を二着も作る余裕なんて、どこにもありませんわ」

「ちょっと、お紫乃しのぉ〜。他ならぬ苑紅の頼みよぉ? 助けてあげたいじゃないのぉ」


 たしかに、部屋では十名ほどの部員たちがひっきりなしに動き回り、作業に没頭していた。よく見ると、部員たちはあまり寝ていないのか疲れた様子で、目元には濃いくまこさえていた。


「ごめんなさいね。苑紅ちゃんの事情もわかるけど、私たちにとってはショーが最優先ですの。いくら苑紅ちゃんの頼みでも、こればかりは譲れませんわ」

「うぅーん、そうよネぇ……」


 苑紅を助けてやりたいが、紫乃の言うとおり、月末にもよおされる校内ショーの準備で、愛蘭はもちろん部員全員が手一杯の状態だった。部と苑紅に挟まれて、愛蘭は頭を抱える。

 苑紅も愛蘭の苦悩がわかるのか、口を一文字いちもんじに結び、ただ立っている。


「あっ、そうだわっ!」


 しばらくウンウンと唸っていた愛蘭が、急に顔を上げて手をパンッと叩いた。


「良いコト思いついちゃった。紫乃、明日は皆で買い出しに行く予定だったでしょう?」

「えぇ、明日は足りない材料を買いに市場を回る予定ですわね」

「それをこの子らに頼めないかしら?」

「えっ?」


 紫乃は少し考えこむと口を開いた。


「買うものは決まってるし、頼めないこともない……ですわ」

「じゃあ、そうしましょうヨ! そしたら多少なりとも手が空くから、この子たちの歌装束を作る余裕もできるでしょう?」

「でも、歌装束を二着も……」


 両手を組んで目を潤ませる愛蘭と、真剣な目をした苑紅たちに囲まれて、紫乃はフゥと小さく溜め息をついた。


「わかりましたわ」

「やった……!」

「でもっ! 一つ条件がありますわ!」


 ピシリと紫乃は苑紅達の喜びを押し留める。そして、入り口の方を指差した。


「そこのアナタ!」


 入り口近くで身を縮ませてコソコソと隠れていた福丸が、ビクッと身を震わせる。

 苑紅のことばかりでその背後に気付いてなかった愛蘭が、福丸を見つけて目を輝かせた。


「アラ、福ちゃん! アンタいたのねっ!」


 ドシドシと一直線に福丸の元へ近寄ると、ヒィという福丸の小さな悲鳴もろともに力一杯ギュゥゥッと抱きしめた。


「ギニィエェェェッ!」

「アンタは苑紅の一番の味方だもんね! 美しい友情だわ! ステキよ!」


 紫乃はたわむれる二人を気にせずに、苑紅に向かって語りかける。


「福丸さんに前々から依頼しているショーのモデル! 歌装束二着の代わりにお願いしたいですわ」

「あぁ、そんなことか。もちろんいいよ!」


 福丸の意向を確認することなく、苑紅は快諾かいだくしてしまった。


「イヤだぁぁぁー!」


 愛蘭にもみくちゃにされている福丸の叫びを尻目に、紫乃はにっこり笑う。


「それでは、私はお買い物リストを作って参りますわねぇ」


 そう残すと優雅に身を翻して、部屋の奥へと引っこんでいった。


「さってと。じゃあ、アタシたちも始めるわヨっ」


 ぐったりした福丸を解放して戻ってきた愛蘭は、ほくほくと満たされた顔で、蒼空と琴葉の前に立った。


「まずは、アナタからよ。蒼空ちゃん」

「うっす」


 愛蘭は、蒼空の肩にポンと大きな手を置いて促すと、大きな鏡の前に立たせた。そして、側にある机の上のノートを引き寄せて、蒼空に向き直った。


「採寸するから、こっちを向いてまっすぐに立ってちょうだい。身体の力は抜いて、リラックスしてね」


 蒼空から少し距離を空け、向かい合う形で愛蘭が立った。そして、愛蘭は足を大きく広げて腰を落とすと、そのまま目をつぶり、両手を顔の横で大きく広げた。


「じゃあ、いくわヨっ!」


 『ヴェロニカの優美な愛に包まれて赤裸々な身と心晒して』


 声高に詠歌えいかすると、愛蘭の顔の前に五句体ごくたいが浮かびあがった。五句体は煙のように宙に溶けると、スルスルと愛蘭の閉じた両眼に吸いこまれて消えた。


羅武採寸らぶさいすん!」


 叫んだ愛蘭がカッと目を開くと、その双眸そうぼうから、蒼空に向かって扇状の光がレーザー光線のように照射された。


「うぉっ」

「動かないで」


 軽く身じろぎした蒼空を、愛蘭の厳しい声がぴしゃりと押し留める。

 愛蘭の目から放射される平たく横に伸びた光は、顔の動きに合わせてゆっくりと蒼空の頭頂から下に下がっていく。


「フンフン……フーン。……はいはい。あらやだ、意外と……」


 そんなことを呟きながら、光が足先まで到達すると、愛蘭はノートを手に取って素早く何事かを書きつけた。

 いくつか書きいれると、できた、と言って顔を上げた。両目から出ていた光は消えて元の瞳に戻っていた。


「はい、お疲れさま。もういいわヨ」


 言われて蒼空はふぅ、と息を吐く。体の感覚をたしかめると、どこにも変化はないらしい。


「ハーイ、じゃあ次は琴葉ちゃんね」

「えぇぇ!? 私も今のやるんですか!?」


 身を隠すように抱いて、恥ずかしげなそぶりを見せる琴葉を見て苑紅が笑う。


「心配すんなって。何も透けて見えてるわけじゃないんだから」

「そうヨぉ。早くしなさいヨぉ」


 二人に説得されて琴葉はおずおずと愛蘭の前に立った。

 そして、蒼空と同じく琴葉の採寸が終わると、愛蘭はノートを取りあげてパンと勢いよく閉じた。


「うんっ、寸法はこれでオッケーよ。できるだけ早めに仕上げるわネ」

「ありがとう! 愛ネェさん!」


 苑紅の感謝の言葉に、愛蘭は長いまつ毛でバチンとウィンクして返した。


「じゃあ、あとは戎具じゅうぐだな。アンタたち、武器は何を使いたい?」


 苑紅が蒼空と琴葉に向かって問うと、二人は少し考えこんだ。


「ええと……。私は素手です!」

「俺も素手っすね」


 それを聞いて苑紅は思わず眉根を寄せた。


「はぁ? 空拳くうけんの授業もまだなのに、そりゃ無理だろ。初心者はまず扱いやすい武器から入るもんだ。例えば……」

「ちょっと待って、苑紅っ!」


 苑紅が続けようとするのを止めて、愛蘭が割りこんできた。


「あのね、採寸したときにわかったんだけど。その子たちの身体、ホントにスゴイのよ」


 うっとりとした顔つきで、一年生二人を見つめながら愛蘭は続ける。


「二人とも、全身バランスよく鍛えあげられてるの。しなやかでやわらかい筋肉に、柔軟性のある肉体。とても一年生とは思えない、まるで一流アスリートのような身体からだだわ」


 愛蘭の手放しの賛辞に、苑紅が思わず二人を見ると、琴葉はもじもじと照れくさそうにし、蒼空は両手を頭の後ろに組みニコッと笑った。


「こんなの、一朝一夕で身につくものじゃないわ。きっと長い間、何らかの修練を積んでるはずヨ。本人達が素手がいいと言うなら、そうするべきヨ」

「うーん、そっか。ネェさんがそういうなら任せるよ」


 やや不安もあったが、愛蘭が確信を持ったように頷くのを見て、苑紅はすんなりと引きさがった。

 そこへ、ちょうど紫乃が大きな箱を抱えて戻ってきた。


「お待たせしましたぁ」


 紫乃は机の上に持っていた箱を置くと、その上に乗っていた紙束を苑紅に手渡した。


「はい。これがお願いするお買い物一覧ですわ」

「おぉ~っと……。こりゃ、かなりの量ですね」


 紙束をパラパラめくると、そこにはびっしりとメモ書きが並んでいた。書かれている内容はさっぱりわからなかったが、それぞれに品番や種類などがこと細かく指定されていた。


「大体の物は、新京極しんきょうごく市場で揃いますわ。お店ごとに書いておきましたから、わからなかったら店員さんに見せてくださいねぇ」

「おっけー。任せてください」


 軽快に答える苑紅の前に、紫乃は先ほど持ってきた箱を差し出した。


「じゃあこれ。買ったものを入れる鞄ですわ」


 紫乃は箱を開けると、中から見たことのないような大きさのリュックサック二つと、これまた大きな肩掛けかばんを二つ取り出して机の上に置いた。

 渡された鞄の大きさから考えると、とんでもない量のお使いだと思われた。


「こりゃまた、随分でっかい鞄ですね……」

「そうなのヨぉ! うちの部って、か弱い女子ばかりでしょう? だから力仕事を頼めるなんて、すっごくありがたいのヨぉ」

「か弱い女子……」


 ウフフ、と笑う愛蘭の後ろでぐったりと倒れこんだ福丸が呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。


「じゃあ、ネェさん、紫乃さん色々ありがと!」

「いいのヨぉ」

「どういたしましてぇ」


 絢爛装束部を出た四人を見送りに、愛蘭と紫乃が扉まで出てきてくれた。はんなりと微笑む紫乃の横で、愛蘭がキッと真剣な眼差しで苑紅を見つめる。


「苑紅、アンタやるんなら絶対勝ちなさいヨ!」

「任しといて!」


 苑紅は拳を突き出して満面の笑みで返す。それを見て満足そうに頷くと、愛蘭は部室に戻っていった。

 さて、と苑紅は三人を振り向く。


「じゃあ、明日は買い物だ! 祇園四条ぎおんしじょう緋波座前ひなみざまえに九時集合!」

「はいっ!」

「了解っす!」


 拳を振りあげて気合いを入れる苑紅に、元気よく蒼空と琴葉が返事をする。


「リュックはアンタたち二人に渡しとく。あたしらはこっちのバッグを持ってくよ」


 そういって大きなリュックを蒼空と琴葉に渡して、肩掛けバッグの一つを福丸に手渡した。


「よしっ! 明日は絶対遅刻すんなよ!」


 絢爛装束部の部室を出て、じゃあな、と別れる苑紅たち四人を遠くから見つめる小さな影があった。木の枝に止まった影は、葉を揺らす風の音に身を紛らわせてどこかへと去っていった。



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