第十三話「無情の神炎」
苑紅と出会った翌日、蒼空と琴葉は苑紅からの連絡を待ちながら授業を受けていた。昼過ぎになっても苑紅から連絡が来る気配はなく、その日最後の授業になった。
教室で琴葉は席についたまま、蒼空を振り返って話しかける。
「蒼空君、今日の最後の授業は“短歌実践”だって。実践って、短歌部で見た歌合みたいなやつかな?」
琴葉はワクワクした表情で伝冊に表示された時間割を見ている。蒼空たちが所属する短歌連は、普通教科の合間に短歌に特化した授業がある。
次の短歌実践は、昨日の短歌基礎以来、初めての短歌に関する授業だった。
「どうだろな? ウタは歌合だけじゃなくて、色々使えるからな〜。でも、苑紅さんみたいにこっそり隠れ家の鍵を開けるみたいなことは教えてくんねーかも」
「あはは、そうだね」
二人は昨日の放課後のことを思い出して笑った。
話している間に六限目開始の鐘が鳴り、クラスメイトたちはガタガタと自分の席に戻った。
鐘が鳴り終わると同時に教室の前の扉が、突然バンと大きな音を立てて開いた。
のそりと現れたのは、四角い顔に角刈り頭が印象的な、がっしりと逞しい体格の男性教諭だった。
ゆっくりと教壇の前まで行くと、手に持っていた教科書を教壇に叩きつけるように置いた。そして、ダンッと音を立てて教壇に両手をついた。生徒たちは驚いて姿勢を正す。
男性教諭は教室を厳しい目で見渡した。
「俺は、“短歌実践”を指導する角田だ。お前らのような軟弱なやつらでも立派な歌人になれるよう、厳しく指導していくからな!」
角田の威圧的な挨拶に、教室全体の空気が張り詰める。角田は緊張した面持ちの生徒たちをゆっくりと見回すと、教壇に置いた出席簿を手に取って、教室を歩きはじめた。
「この授業は短歌実践! つまり、ウタを使った実技を教える!」
角田は話しながら、机と机の間をゆっくりと歩く。
「ウタの用途は様々だが、まずは歌合での戦い方を身につける。なぜか!」
角田はそう言うと、真横の生徒の机に出席簿をバンッと叩きつけた。目の前に突然出席簿を叩きつけられた男子生徒はビクリと身を強張らせた。
「千登世ノ毀律の後、人類は科学を失った。そして、世界は混乱の極みに陥り、暴力が支配する世界となった。街にはならず者が跋扈し、好き放題やらかした」
角田はまるでその様子を見てきたかのように、憎々《にくにく》しげに語る。
「その薄汚いならず者達を! ウタでねじ伏せてきたのが歌人なのだ!」
弁舌により一層熱が入る。
「歌人はただの公人ではない! 社会の秩序を守るという大義を以て、正義を行使する聖職者である!」
力強く言い切ると、角田は再びゆっくりと歩きはじめた。
「お前らが歌人を目指すならば、三年間で十分に戦える強さを身につけろ! たった三年だ、余裕はないぞ! 覚悟してこの授業を受けるように!」
生徒たちは身動きの音一つ立てずに、シンと静まりかえる。その中で歩き回る角田の足音と、出席簿の角で机をコツンコツンと叩く音が響く。
「さて、歌合では、まず攻めのウタが起点となる。当然、授業では様々な攻めのウタを習う」
語りながら角田は教室の前まで行くと、クルッと向きを変えて生徒たちを見渡した。
「しかーしッ! 実戦で自由に詠えると思うな!」
再度、バンッと出席簿で机を叩く。
「歌合で最も大事なのは、相手に自由に詠ませないことだ。距離が近ければ、詠いはじめを攻撃して潰すこともできる!」
角田は出席簿を剣のように振るう。
「しかし、それは相手もわかっているからな。そんな状況には滅多にならん! ゆえに有効なのは、相手のウタに即座に対応すること! つまり返歌だ!」
出席簿で一番前の席の男子生徒を指し示す。指された少年はヘビに睨まれた蛙のように身を固くする。
「そこのお前! 返歌とは何か答えてみろ!」
角田は鋭く質問した。
「は、はい! 相手が詠んだ歌に対する返答の歌のことです!」
「違う!!」
少年に向けた出席簿をそのままバンと机に叩きつけた。少年はヒッと小さく悲鳴をあげて肩を竦めた。
「その答えが通用するのは中等部までだ! 返歌とは盾! そして刃だ! 相手のウタから身を守り、攻撃に転じるための牙だ!」
角田は教室の中央まで進み、ふいと立ちどまると、そこにいた男子生徒に片手をかざした。
「憤り心に満ちた明王は、火界の炎で愚図を滅する」
突然、目の前に手をかざされた少年はウタの攻撃が来ると思い、ヒィと両腕で顔を庇った。
「なっとらん! 今のは原歌だ! だが、もし今のがウタならば、お前は焼け死んでいたぞ!」
再び、角田は教室内をのそりと歩きはじめる。角田の突然の原歌に、教室内により強い緊張感が漂う。特に角田の近くにいる生徒たちは、表情を強張らせて、角田の挙動に注目していた。
「百パーセントの返歌ができるヤツは、この学院の三年でもほとんどいない。せいぜい五割といったところだな」
角田はそう言うと、目の前に座っていた女子生徒に片手をかざした。
「闘鶏神の氷室に眠る氷刃は帝を護る刃とならん」
いきなり手を向けられた少女は、アワアワと口ごもり何とか返そうとするが、なかなか言葉が出てこない。
「え……えっと……。ひょ……氷刃を、内なる熱で……」
「遅い!!」
少女の辿々しい詠歌を、角田の荒々しい声が掻き消した。
「いいか! 相手のウタを無効化、および反射するには制限時間がある! 相手が詠い終わってから二秒だ! いち、に! これだけだ! 肝に銘じておけ!」
角田は、怒気を含んだ声で説明を続ける。
「この二秒間に返歌を詠みはじめれば、相手のウタはこちらの返歌が終わるまでは発動しない! これを“返歌ノ理”という! 試験に出るぞ!」
角田の言葉を生徒たちは一斉にノートに書きつける。
「初等部のように十分間で一首考えましょう、なんてチンタラしてる時間は歌合にはないのだ!」
角田は、机に向かって懸命にノートを取る生徒たちの中で、一人顔を上げて角田を見つめる蒼空に目をつけた。
窓際に座る蒼空の席までツカツカと歩いてくると、蒼空の目の前に片手をかざした。
「伊邪那美の朝霧払う神風は刃文となりて邪を打ち祓う」
蒼空は落ち着いた表情で、瞬時に角田に片手を向けた。
「朝霧を払う息吹は級長戸の旋に飲まれ凪に還りし」
教室内の生徒全員が、目を丸くして一斉に蒼空を見た。
蒼空は突然振られた角田の短歌に、一瞬で完璧な歌を返したのだ。
しかし、誰よりも驚いていたのが、当の角田だった。まさか返されるとは思わず、目を剥いて蒼空の顔を凝視していた。だが、角田はすぐに険しい表情に戻ると、かざした手はそのままに、さらに詠歌する。
「赤々と燃ゆる炎は迦具土の悲哀に満ちた無情の神炎」
先ほどと変わらず、蒼空はまっすぐに角田を見つめたままに返歌する。
「迦具土の火を鎮めるは伊邪那岐の怒り纏いし天之尾羽張」
おぉ! と教室がどよめく。
じっと蒼空を見つめたままの角田は、手をかざした状態で、ぐっと目に力を入れると、不意に全身に詠力を纏った。
目の前で詠力を纏った角田に反応して、即座に蒼空もフッと詠力を纏う。
しばしの間、角田は蒼空を睨みつけていたが、フッと纏った詠力を霧散させると、蒼空にかざした右手を下ろした。それを見て、蒼空も右手を下ろして詠力を散らし、ヘヘッと角田に微笑んだ。
「ほう。なかなか、筋のいい生徒もいるようだな」
角田は感心した声で言うと、蒼空の席から離れた。
その後も、何人かの生徒が角田に返歌を促されたが、誰一人として返せた者はいなかった。
そして、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「今後、この短歌実践では歌合の模擬戦も行うからな。模擬戦は主に第四体育館で行う! 集合場所は随時伝冊で確認するように! 以上!」
角田は教科書類をまとめて掴むと教室をあとにした。扉が閉められて、角田の姿が消えると、生徒たちはほっと息をついて教室にざわめきが戻った。
「何だよあれ。マジ怖えー」
「やっと放課後だー」
わいわいと雑談が響く中、蒼空が教科書を鞄にしまっていると、一人のクラスメイトが近寄ってきて蒼空に話しかけた。
「草凪君?」
「ん?」
蒼空が鞄から顔を上げると、少年は蒼空を見つめて、もじもじと恥ずかしそうにしていた。
「あ、あのさ。さっきの草凪君の返歌すごかったよ」
突然の褒め言葉に、蒼空はニカッと笑い、胸を張って宣言した。
「まーな! 俺、歌人になりてーんだ」
「ぼ、ぼくも!」
少年の顔に笑みが咲く。蒼空と少年が話しているのを見て、周りにいた生徒たちが集まって机の周りを取り囲んだ。
「ねぇねぇ! どうしたら、あんな風に簡単に短歌が詠めるの?」
「お前すげぇな! どうやって覚えたんだ?」
「どこの塾に通ってるの?」
答える間もなく、次々に質問をぶつけられて、蒼空は困惑する。
「んー、あのな」
蒼空が穏やかに答えようとすると、クラスメイトたちは一旦黙り、蒼空の言葉を待つ。
「簡単ってわけじゃねーのよ」
「でも、簡単に返してたじゃない。どうしてあんなすぐに返歌できるの?」
「そうそう。二秒しかないのに無理じゃね?」
クラスメイトの言葉に、蒼空は微笑む。
「二秒じゃ俺も返歌できねーって」
蒼空の言葉に、クラスメイトたちは一斉に疑いの目を向ける。
「えぇ? じゃあ何で!?」
「相手が詠みはじめた時、歌を聞きながらすぐに返歌を考えるのさ。一首詠むのに大体四秒くらいかかるだろ? それに二秒足して、実質は六秒の猶予があるってわけさ」
蒼空の説明に、なるほど、とクラスメイトたちが声をあげる。
重ねてクラスメイトたちが蒼空に質問しようとしたところに、前の席から琴葉が急いだ声で呼びかけてきた。
「蒼空君!」
琴葉は蒼空を囲むクラスメイトたちの間から顔を覗かせると、蒼空に話しかける。
「苑紅さんから伝歩が来てた! 終業の鐘が鳴ったらすぐに、短歌連二階の二年三組に来いって! これってさっきの鐘のことじゃない!?」
「おー、そっか。悪りぃ、みんな、俺行くわ」
蒼空は荷物を鞄にしまうと、琴葉とともに教室を飛び出した。
残されたクラスメイト達は呆気に取られた顔で二人を見送った。
「もう、苑紅さん急だよー!」
蒼空と琴葉は大急ぎで階段を駆けあがり、二年三組の札を探して二階の廊下を人を避けながら全速力で走った。
教室を二つ通りすぎたところで、廊下の壁に寄りかかって立つ不機嫌顔の苑紅を見つけた。
「おっせーな!」
「無茶ですよ! 苑紅さん!」
蒼空と琴葉は軽く息を切らしながら、苑紅を見上げる。周りの人が何事かと三人を見ながら通りすぎる。
「おいで! これから四人目のとこ行くよ!」
不機嫌な苑紅に先導されて、蒼空と琴葉は二階の廊下を奥へと進んで行く。




