第十一話「文道の庭」
苑紅に詰め寄られた真砂経は、突如現れた背の高い男子生徒の後ろに身を隠した。取り巻き二人も慌ててそれに続く。
「詠力のぶつかりを感じたので来てみれば、貴様か苑紅。これ以上、愚行を重ねるのは感心できんな」
蔑んだ視線を向ける雪嶺に、苑紅は腕を組んで凛と立ち、火を宿した瞳で睨みかえす。
「あたしは、アンタのとこの一年が、ガキのイジメみたいな詠力を撒き散らしてたから様子を見に来ただけさ」
「威圧的な詠力も感じたが、貴様ではないと?」
冷たい表情で雪嶺は続ける。
「ガキの喧嘩じゃすまない詠力を纏ってたから押し潰しただけ。アンタの教育がなってないんじゃないの?」
「それは失礼したね」
苑紅の射るような視線を意に介さず、さらりと詫びると雪嶺は後ろを振り返る。
急に振り向いた雪嶺に、真砂経たち三人は背筋を正す。
「君たちは聡詠館に備品を届けに行くところだったんだろう。もう行きなさい」
「は、はい! おい、お前ら行くぞ!」
雪嶺に促されて、真砂経は廊下を足早に去っていった。その後ろを大きな箱を抱えた取り巻き二人が追いかけた。
三人がその場を離れると、雪嶺は再度苑紅を振り返る。
「さて、苑紅。勘違いだったようで悪かったね。しかし、元とはいえ、短歌部の名を汚すような行いは慎んでくれたまえよ」
「悪趣味な死装束着せて喜んでるやつに言われたくないね」
あからさまな不快感を示す苑紅に対して、雪嶺は表情を変えない。
「何のことだか、わからないが。白装束のことを言ってるのなら心外だな。白は穢れのない無垢の象徴だよ」
「何が無垢だ。一方的な嬲り殺しにするくせに」
吐き捨てるように言う苑紅を雪嶺は静かに諭す。
「彼らは優良種を育てるために、その身を捧げている」
「あいつらはそんなこと望んでなかっただろうがよ」
雪嶺は駄々をこねる子供に向ける目で、苑紅を見つめる。
「いつの時代も一部の優れた者が世界の仕組みを作る」
「アンタがその優れた者だっての?」
「この学院の短歌部は、将来トップに立つエリートを輩出する義務がある。エリートになるためには、自分が上に立つ存在だと自覚することが肝心なのだ。それには勝利を与えてやるのが手っとり早い。“教化”は最も有効な教育方法だよ」
「それじゃあ、噛ませ犬になる第二の奴らはどうなる」
愚問とばかりに雪嶺が鼻で笑う。
「教化には二つの側面がある。一流の歌人を育てる一方で、三流の者には身の程を教える。弱者には弱者の身の処し方がある。弱者にそれを教えるのも強者の務めだ」
「あぁ、そうかよ。やっぱあたしにはわかんねえわ。どうしたらそんなクソみたいな考えになんのか」
「理解できないのなら、仕方ない」
苑紅の拒絶の言葉を、雪嶺は鼻であしらった。
「では、私はこれで失礼するよ」
もう話すことはない、とばかりに雪嶺は背を向けると、廊下を去っていった。
雪嶺が立ち去った廊下で、苑紅は腕組みをしたまま俯いて、ふぅと大きく息を吐いた。
「あの……ありがとうございました」
おずおずと琴葉が疲れた様子の苑紅に声をかける。
「別に助けたわけじゃないさ。真砂経のやつが調子乗ってたから、ちょっとビビらせてやっただけ」
苑紅は先ほどとは打って変わった優しい目で笑った。そして、その隣に立つ蒼空に目を向ける。
「アンタでしょ? さっきの詠力」
「え、あー、はい」
苑紅は蒼空を射抜くように見つめる。蒼空はいつものように両手を頭の後ろで組んだ。
「誰かを守るためっていう強い想いが込められた詠力だったね。あたしはアンタの詠力好きだよ」
「どもっす!」
苑紅の言葉を聞いて蒼空は嬉しかった。麓の村のお婆さん達にも、よく詠力の質を褒められたのを思い出した。
そういえば、と横から琴葉が問う。
「苑紅さんは真砂経君と知りあいなんですか?」
「あぁ、真砂経なら初等部の頃から知ってるよ。中等部では同じ短歌部だったしね」
「へぇ〜、どおりで」
納得したように頷く二人に向けて、苑紅は困ったような笑顔を向けた。
「アンタたち、あいつに絡まれたんだろ? ごめんね。根は悪いやつじゃないんだけど、どうにも人を見下す癖があってね」
やれやれ、と苑紅が腰に手を置いて、溜め息まじりに言った。
「あの、さっきの人って誰なんですか? よくわからないけど、すごくヤな感じ……」
「ん、あー。アイツね」
琴葉が不安げな表情で問うが、苑紅は言葉を濁す。次いで蒼空も問いかける。
「苑紅さんが言ってた死装束って、道場で案内の人が着てた白い服のことっすか?」
「ん? あぁ、アンタたち、短歌部の見学に行ったんだ?」
蒼空の言葉を聞き留めて、おや、と苑紅が表情を変えた。
「はい、さっき行ってきたんすよ」
「短歌部の先輩や真砂経君も言ってたけど、第二って一体何なんですか……!?」
「嬲り殺しとか言って。なーんか穏やかじゃないっすねー?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
苑紅に止められて、二人は黙る。ふーっと大きく息を吐いて、苑紅は困った表情で二人を見た。
「あたしもさ、辞めた部のことをあんまり人にとやかく言いたくないんだよ」
それを聞いた琴葉が、申し訳なさげに言う。
「ごめんなさい……。私たち、短歌部に入ろうって話してたんです。でも、さっきの人の話や、第二短歌部の人の話を聞いてたら、いくつも疑問が湧いてきて……」
「だいたい、あたしの言うことが正しいかどうかだってわかんないだろ?」
すっかりしょげてしまった琴葉を見つめる苑紅の目は、困惑の色を映すがその奥は温かい。そんな苑紅を見て、蒼空が口を開いた。
「俺も苑紅さんの詠力、好きだなー」
「えぇ……?」
驚いて蒼空を見ると、蒼空はまっすぐに苑紅を見つめていた。
「さっき、苑紅さんが真砂経に向けた詠力は、悪さをした子供を叱る大人みたいで、厳しいけど優しい力だなーって感じたんすよ」
「ははっ! 詠力の質を読むなんて、アンタすげぇ新入生だね! ありがと」
感心して褒める苑紅に対して、返事をせずに蒼空は続ける。
「あんな詠力を持った人の言うことなら信用します。だから、短歌部のこと、聞かせてくださいよ」
真剣な顔で言い切る蒼空を見て苑紅は、少し迷ってから、ふと笑った。
「うーん、わかったよ。でも、ここじゃあなんだから。二人ともついておいで」
苑紅はそう言うと、ちょいちょいと手招きをして廊下を歩き出した。
「どこに行くんですか?」
「ひみつ。大人しくついてきな」
蒼空の問いかけにいたずらっぽく笑うと、苑紅は慣れた様子で大股でどんどん先へ進んでいく。蒼空と琴葉は、そのあとを小走りでついて行った。
何度か廊下を曲がると、人気のない静かな廊下に出た。時折、どこかの開いた窓から陸上競技の部員たちだろうか、活気のあるかけ声が遠くに聞こえる。
誰もいない廊下を苑紅はまっすぐに進み、廊下の端まで来ると、古めかしい扉の前で足を止めた。
「はい、とーちゃく」
扉の上にある表札は外されていて、何の部屋かはわからない。扉のレリーフには薄っすら埃が積もっていて、長く使われていない様子だ。何より、扉には厳しい鉄の南京錠がかかっていた。
「よしよし、今日もアンタはいい子だよ……」
苑紅は南京錠を指で撫でながら軽く呟き、目を閉じた。
『文道を守る法師が開く庭 学びの旅の遊子が憩う』
苑紅の指先に、ぽっと小さく光る詠力陣が浮かびあがった。詠力陣がゆっくり回転しながら小さくなってゆき、南京錠に吸いこまれるように消えると、ガチンと重い金属音を立てて錠が開いた。
「よしっ。開いた」
「えぇ!? ウタってそんなこともできるんですか!?」
琴葉が驚きの声をあげる。ウタに慣れ親しんでいる蒼空も、初めて見る使い方に驚いていた。
「まぁね。倭歌錠としてはよくある単純な作りだよ。でもこの鍵はちょっと特殊でね。その時のウタによっては、全然開かなくてさ。作ったやつが相当ひねくれてたんだろうね」
笑って言うと、苑紅はするりと錠前を外して扉を開いた。
「さぁ、どうぞ」
重そうな錠前を指に引っかけて、ぷらぷらと遊ばせながら苑紅は扉の中に入っていく。蒼空と琴葉もそれに続いた。