動けない場所で君と出会った【7】
「コロニーは全壊。民間人、基地内の兵の半分が死亡……何か申し開きはあるかしら」
「……別に」
「そう。じゃあ上から処遇についての指示があるまで、そこで頭を冷やしなさい」
女艦長の冷たい声も脳に大して響かなかった。
ただの音に過ぎない。
イクフと出会った場所に閉じ込められたラウトは、何も考えられなくなっていた。
見間違いでなければ自分は、あの少女を骨も残さず消した。
別に、嫌いだったはずなのだ。
鬱陶しくて馴れ馴れしくて。
平和を想う歌なんか楽しそうに歌って、嫌いだった。
本当に気持ちが悪い女だった。
なのに何故だろう。
「ちゃんと反省出来てるみてぇじゃねぇの」
初めて出会った時とは逆の立場で、イクフとラウトは視線を交わした。
相変わらず飄々とした男をラウトは睨む。
「……痛いか? 罪のない人間を殺して」
「……別に……」
「坊主、痛みを忘れないのは悪い事じゃない。だが痛みに囚われれば、その痛みを無関係な人間にも与えちまう。本当ならお前みたいな思いをしなくて済んだ奴にまで、お前の知っているその痛みを植え付ける」
「…………」
「なぁ、痛いよな……戦争やってりゃ痛いんだ。みんなな。痛いのは……嫌だよなぁ……」
「…………」
「なんで止められないんだろうなぁ、痛いのに。痛いのなんかみんな嫌だろうに……なぁ?」
「……そんなもの……」
「ん?」
「俺には、関係ない」
本当は分かっていた。
それでもこの時ラウトはそう答えるしか出来なかった。
他に答えが思い付かなかったからだ。
何故止められないのか。
そんな事を考えた事もなかったし、それを考えて自分から憎しみが減っていく事が怖かった。
憎しみのない自分なんて気持ち悪い。
憎しみでしか自分は生きていけない。
それを取り上げられたら、きっと何も残らない。
自己中心な嫌悪感に浸るのは気持ちが良かった。
復讐心に身を委ね、圧倒的な力で自分以外の何もかも全てを否定する心地よさ、
自分だけが正しいという独り善がり。
子どもらしく、大人の意見に反発して自己の主張を繰り返す。
そうする事でしか自己主張出来ない。
この先この自己主張が成長に繋がっていくかどうかは分からないが、ラウト・セレンテージという少年にとって今回の出来事は確かに“痛み”になった。
何故痛んだのだろう。
その理由を考えようとしたが、すぐに止めてしまった。
考えた結果、もし今より憎しみが減る事があれば一大事だ。
少なくとも、自分自身すら憎いと思える事になりそうだったから。
もしそうなったら多分、ラウト・セレンテージという少年は、世界の全てが憎くなってしまう。
大好きだった自分を生んでくれた母を、父をも憎んで、憎んで、憎んで、憎んで。
どうして自分を産んだのかと地獄の底まで聞こえる程に恨みつらみをぶちまけて吐き捨てるだろう。
自分の生すら憎くて、その先の、触れてはいけない憎悪にまで触れそうで怖かった。
翌日ラウトに告げられた処遇は『一週間の謹慎処分』。
実質なんのお咎めもなし。
ガリッツ達は不平不満をエマに堂々と口にしていたが、上からの命令でありエマ自身も納得のいく内容ではなかったらしい。
当たり前だ、あれだけの被害と損害に一週間謹慎なんてありえない。
「……ラウト、君には本国に戻り矯正プログラムを受けてもらうよ。これは私の提案だ」
「………………」
ガーディラもまた納得はいっていないらしく、それだけ言って牢から立ち去って行った。
***
「ふーん、地上に降りて、アスメジスア本土に行くのか」
「予定はそう聞いている。しかし人格矯正プログラムなど本当に効果があるものなのか。俺はあまりいい事だと思わん」
「そうだな。ギア・フィーネのパイロットには……あんまやらかさん方がいい。つかお前さん、さっきから何やってんだ?」
ベッドから起き上がると、イクフはデスクトップでなにか打ち込んでいるディアスへと近付いた。
虫の集団のような細かい文字の羅列と複数のグラフ、遺伝子を表す螺旋の図。
左右違いの眼の色が、画面から離れる事はなく、
「別に、趣味だ」
「趣味?」
「民間技術研究機関で遺伝学を専攻していた。遺伝学は面白い。今遺伝性の病気について論文を書いているから……その資料製作中だ」
「お前もしかしてインテリ?」
「うむ、完璧にインテリだぞ」
「無欠の紅獅子の甥っ子がインテリとぁねぇ……」
イクフには眼に痛い程の細かい文字。
つらつら流れているそれは画面を埋め尽くしている。
専門用語の数々は、画面から眼を逸らす理由には十分だろう。
別に老眼ではないぞ、そんな歳ではない……はず。
しかしそうなると分からないのは彼が軍に志願した理由か。
いくら『無欠の紅獅子』の身内といえ民間技術研究機関に所属する程ならばわざわざ軍に入る事もなかっただろう。
「父上の命令でな」
「うん? 親父さん?」
「うむ、俺の父はアレバン・ゼシュ・ロス。武力推進派の渦中の者だ」
「あの過激派か!? 婿入りだったのか……」
「うむ、伯父上は母の兄だ。父上は俺の知識も、戦争に使わせたいらしい。俺はそのつもりはないがな」
「……戦争は嫌いか?」
「武力は嫌いだ。俺はそもそも医学部だった」
「医者志望だったのか……」
「遺伝学は面白かったし、遺伝子は人間の設計図。より良い人類の未来に遺伝学の進歩は絶対に必要だ」
手は絶対に休めずに言う。
それは、遺伝性の病に冒されて、死へ秒読みの自分にとって余りにも残酷で眩しい言葉。
「そういう訳で細胞を採取したい」
「俺の!?」
「ああ、お前遺伝性だろう?」
「………………」
あっさりと微笑まれた。
顔に出ていたか、と頬を摘む。
「俺は遺伝学の権威だぞ。舐めるな。でなくばお前の世話などとうの昔にやめている。ゴルディバイトに引き渡した後は本土に帰還して構わんと言われていたからな」
「……っ」
「共和主義連合国群のノーティス制度には欠陥があると聞いた事がある。お前もノーティスなんだろう?」
「……参ったねこりゃ」
そこまで見抜かれていた事に驚いた。
どうやらディアスを見くびり過ぎていたらしい。
やはり血は争えないのか、無欠の紅獅子の身内なだけはあるようだ。
私物の鞄から色々と細かい機材を取り出したディアスはイクフに腕を出せと言う。
薬を飲まなくなり随分経つ。
自分の死が近いのは変えられないだろうが……。
袖を捲り腕を差し出しながら、イクフはポツリとダメ元で口にしてみる事にした。
彼は、ディアス・ロスというこの青年は信用してもいいと思った。
「……弟が居るって言ったの、覚えてるか」
「うむ、俺も弟が居る」
「うん。俺と同じでな……母親からの遺伝性の病気なんだ。強化ノーティス特有の」
「ほう、そうなのか。じゃあお前の弟も発症しているのだな」
「多分な……いっ!」
ブスッと容赦なく何かの機材は腕に挟まって突き刺さった。
見た事はない丸い形の、カスタネットに取っ手がついたようなその機材はしばらくイクフの腕に突き刺さったままにされる。
円状の部分になにやら細かい数値や文字が浮かび、ディアスはその機材をパソコンに繋ぐ。
キーボードを叩くと、画面には新しいウィンドウが開いた。
それはまた小難しい文字の羅列。
「ふむ……これは難しい病だな。内臓細胞が分裂を停止している。心臓はまだ無事だが肺が随分弱っているな」
「そんな事まで分かるのか? ……ま、急激に細胞を強化し人間の限界の力を無理に引き出してきたからな……ガタも早めに来てんのさ。つか、痛い痛い痛い! そろそろ外してくれこれ!」
「大の大人が泣くな」
「泣くほど痛いんだよ!」
「うむ、知っている」
「鬼なの!?」
容赦がない。
頼めば引き抜かれ、ガーゼを押し当ててくれる。
血がやはり出ていた。
カツカツと、ディアスは表情一つ変えずに黙々と手を動かす。
くるくる変わる画面を見てもイクフが分かる事は少なすぎて。
「あ~……で、どうなんだ? それでなんか分かんのか?」
「そうだな。ちょっと待て」
腕のガーゼをイクフに押し付けると、ディアスは両手でキーボードに向き合う。
その後は唖然だ。
凄まじいスピードで処理されていく情報。
本当に全ての文字を見ているとは思えない。
(……まさか……こいつには見えてるのか? これ全部分かってんの? うそぉ)
遺伝学の権威と自分自身で言うだけはあるらしい、ディアスの手腕。
最後にエンターを押したディアスは背もたれに身を沈める。
「お前の身体は改善の余地はないな。助かるには移植しない」
「……ああ、うん、それもうミシアの医者にも言われたわ」
「進行を遅らせる薬なら作れそうだが」
「……ああ、ミシアに居た頃は飲んでたんだが……」
「なら俺が作って処方してやる。同じものにはならないだろうが……」
「え? お前……」
「安心しろ、薬剤師の資格は十二の時取得済みだ」
「…………はい?」
今幾つだよ、と聞くと十八だと答えられる。
確かに一回り以上歳は違うようだが問題はそこではない。
「お前遺伝学の権威って言ったよな? いくつから遺伝学なんてもんやってんだ?」
「六つの時からだが?」
「………………………」
「なんだ、共和主義連合国群は学問の自由がないのか?」
「いや、六歳のガキが好き好んで遺伝学になんか手は出さないだろうと思ってな……」
「そうか? まぁ、母上が宇宙学者だったから、その影響が大きいかもしれないな」
「宇宙学ぅ? それと遺伝学がなんの関係あんだよ?」
「何を言う、宇宙学と遺伝学は複雑な関係性があるのだぞ。まず宇宙学の基礎となるダークマターは……」
「いい、別にいい聞きたくないそんな難しそうな話」
「……面白いのに……」
なるほど、とイクフは横目でディアスを見やる。
宇宙学なんてここ近年で確立された新しい分野の学問にも精通しているのであれば、間違いなく彼は典型的な学者肌だろう。
嘘を吐くタイプではないので最初からそれほど疑ってはなかったが、彼は表立って前線に立つべき人間でもない。
(ホント、お偉方ってのは分かってないねぇ)
弟、シズフに然り、シズフの友人懐に然り、このディアスに然り。
人には適材適所というものがある。
自分達の利益の為に始めた戦争の為に、若者の未来を摘むのはなんと不利益な事だろうか。
かく言う自分は、軍人でなければ何になりたかっただろう。
軍人にならなければ彼女には出会えなかったし、婚約も出来なかった。
(……会いたいな……)
趣味の悪いぬいぐるみを抱いた中性的な悪女。
でも褒めれば真っ赤になる。
触れれば柔らかく、手を握れば握り返してくれた
本当に好きで愛している、今でも。
いや、これからも。
「……ディアス」
「うむ?」
「……頼みがある。俺の病気の治療法をどうか見つけ出してくれ」
「……弟の為だな?」
「頼む」
弟、シズフはミシアのギア・フィーネ登録者。
知れたその名と、同じファミリーネームの自分。
賢い彼ならば敵国の最強最大の敵の命を救うなど、当然考えられない事だろう。
そう、放っておけばあと数年でシズフもイクフと同じ病を発症し死ぬ。
ミシア軍は焦りを覚え始めているのだ。
だから新たに発見されたギア・フィーネ『ブレイク・ゼロ』をあれほど強引に欲した。
シズフではアスメジスア基国との、今後何年かかるか分からない戦争を、戦ってはいけないだろうと。
それは分かっている。
だがそれとは別に、イクフにとってシズフはただ一人……もう本当にたった一人の家族なのだ。
父親は憎い。
家族などとは考えていない。
きっと向こうも。
シズフだけがイクフにとって最後の家族。
たった一人の弟。
その弟を助けたいと望むのは、家族なら当たり前の事だった。
だから迷わず年下の敵国の青年に頭を下げた。
本気で、縋った。
「うむ、全力を尽くそう。完全に助けると約束は出来ぬがな」
「…………」
即答されて柄にもなく泣くかと思った、年甲斐もない。
相変わらず真っ直ぐ見てくる左右色違いの瞳。
その口約束の為ならいくらでも実験に付き合う。
弟を助ける手助けが出来るなら。
そこまで口にすると……。
「兄貴なら死に急ぐな。みっともなく生き延びるところを弟に見せろ」
「……は、ははは……きっびし〜い」
彼の言葉は、自分には眩しすぎた。