動けない場所で君と出会った【1】
初めて人を殺した日、オリバーは恐くて体中が震えたと言っていた。
恐くて、申し訳なくて、眠れなかったと。
「お帰りラウト! 今回は珍しく手こずってたな!」
「うるさい」
床に降り、ヘルメットを取って少しだけ首を振るう。
柔らかい金の髪がぱさりと散る。
すっと見開かれ前だけを見つめる眼に、辺りにいた整備士達は、どこか怯えたように顔を見合わせ離れて行く。
年上の同級生である彼も、本当はこの眼が苦手ではあった。
脇見も振らず白のパイロットスーツに身を包んだ、少年はしっかりとした歩調で更衣室へ進む。
「あ……待てよ、俺も着替えるよ」
「…………」
振り返って己を見る目の色は優しい翠なのに、彼が纏う雰囲気は近寄り難いもの。
しかし、わざわざ未だに人を殺す事に慣れず、先に帰ってきたのに足が震えて上手く歩けない自分を待っていてくれるところは優しいように思えた。
「ラウトは凄いなぁ……今日も一人でみんなやっつけちゃって。先輩達ちょっと引いてたぜ?」
「足手まといだ」
「………。……お前……」
「戦局を読めず、大した実力もないのに不似合いな作戦と配置で突っ込んだ結果があれだ。俺一人の方が早い」
「う、うーん……でもよ」
「うるさい腰抜け。特にお前が一番役に立たない! 母艦の守備もまともにで出来ないのか」
「う……っ」
「あの機体の様はなんだ? ネルソンが戻っていなければお前は死んでいた」
「……わ、分かってるよ……」
「お前は初めて戦場に出た時から数えて、もう四回は命拾いしているな。そろそろ自分の身は自分で守れるようにしたらどうだ?」
「…………」
返す言葉もなく、途中の道で立ち止まる。
「だって……、ラウトは……恐くないのかよ」
「…………」
足音が少し先で止まる。
恐る恐る手前に目線を上げると、心なしかほんの少し、唇を吊り上げて彼が微笑んでいるように見えた。
***
「お姉ちゃん、おうた歌って」
「いいよ。ほら、みんなこっちにおいでー」
それはなんの変哲もない、田舎町にある孤児院に住む子ども達の日常だった。
町のすぐ側にある森の近くの小丘で、ピクニックする。
お弁当を食べて最年長の少女に歌を歌ってもらい、それに合わせてみんなで歌う。
一番楽しくて無邪気な時間。
「〜〜♪ 〜〜♪」
歌声は純粋に楽しげに風に乗っていく。
だが、急に激しく、子ども達に襲い掛かる爆風と轟音と地響き。
歌は止み、森の方向に上がった煙りを子ども達は見つけてしまった。
「マーテルお姉ちゃん、なんだろう?」
「行ってみよう!」
「あたしも行くー」
「あ! 待ちなさい!?」
駆け出す子ども達。
それを追いかけて立ち上がった少女……マーテル
黒い髪を靡かせて、彼女もまた煙りの立つ森へ向かう。
「もう、危ないからダメよ! シスターにも怒られ……きゃあ!」
爆音が響く。
木々の隙間から吹き抜けた風。
地震かと思うほどの揺れ。
その正体が二足歩行型戦闘機同士の争いだと気付いた時にはもう遅い。
「まずいよこれっ!!」
「マーテル早く早く!」
「こっちこっち!」
「だからダメだったら! ……!?」
弟や妹に手を引かれ、無理やり連れてこられたのは戦闘があったであろう焼け焦げた場所。
子ども達が見せたかったらしいモノを目にした途端、『危ないから』とか『いけない事だから』なんて考えはすっかり頭から消えた。
木と木の狭間には白いなにかが横たわっている。
恐る恐る近付く。
人、だった。
「やだ! 大変!! 誰か呼んでこな、きゃ……!?」
慌てて倒れていた人物に近付く。
髪がかかってよく見えないが、頬に血が見えた。
ヘルメットを外した方がいい気がして手を伸ばし、本当にいいのか分からなくて一瞬止まる。
が、もし息をするのも苦しかったら……。
そう思って意を決し、ゆっくり手をかけた。
「……っ」
小さな吐息の後に頭を地面に置いた。
その振動で張り付いていた髪がさらりと落ちる。
どう見ても同い年くらいの、男の子だった。
「……………」
流れ落ちる髪も。
端正な顔形も。
無防備な表情も。
長い睫。
眼は何色だろう。
どんな声なんだろう。
とか――。
「マーテル姉さん! 早く逃げなきゃ危ないよ!!」
「はっ!」
弟の言葉に我に帰る。
なんだ、今の感覚は。
(やだ、なに? 今……私、もしかしなくても見とれてた……? よね?)
ああやだやだ、と首を振ってもう一度少年を見下ろす。
戦闘機が森の向こう側で戦っているのを思い出し、気を取り直して少年の腕を自分の肩に回し支え上げた。
反対側から同じように少年を抱え上げてくれたのは二つ下の弟だ。
「手伝うよ、姉さん。早くここから離れないと」
「ありがとう! 急ごっ」
「うん」
振動と轟音に、足がもつれそうになる。
しかし彼を……自分と歳の変わらなさそうな男の子、彼を助ける為と思えば踏ん張れた。
不思議だ。
(……きれいな子……私と歳、変わらなそうなのに……)
曇った空を見上げる。
そして思った事。
(名前……なんていうんだろう)
***
重い。
体中が鉛を括りつけられたように。
だが人の声が聴こえる。
うっすらと瞼を開く。
黄色と白のタイルの壁紙。
ぼんやりする頭で記憶を辿る。
確か、テロリストとの戦いで咄嗟にオリバーの機体を庇い……そしてコクピットハッチを傷付けられた。
その後は……。
(……敵が自爆して、吹き飛ばされた、か……)
生きているのが不思議だ。
どうして助かったのか。
しかし、それにしては気配がおかしいような……。
「あー! 兵隊さん起きたー」
「おや……」
「!!」
目を見開き声のした方を見る。
白衣の中年男性と白い服の女性。
そして子どもが数人。
「大丈夫か……」
「触るな!! ……ぐっ!」
触れようとした白衣の男性の手を振り払って、ベッドの端へ慌てて移動しようとする。
しかし途端、体中が激痛に襲わそれは叶わなかった。
睨み付けたまま目だけで辺りを探るが、身に付けていた武器は一切ない。
「なんだお前達は!」
「落ち着きなさい。私は街の医者だ。こちらは君を見付けてここまで運んでくれたこの家の人達だよ」
「…………」
「大丈夫、とにかく落ち着いて話を……」
「うるさい触るな!!」
子ども達が怯えて女性に縋り付く。
視界の端に見えた光景にイライラとした。
「……戦いの後だから混乱しているのかもしれないが、私達は敵ではないよ」
「黙れ!! 誰が混乱なんかするか! 俺に気安く触るな!! ……っ!」
起こそうとした身体は再び走った激痛によりベッドへ沈む。
あの爆発の距離、あの高さからの落下。
打ち所が悪ければ死んでいただろう怪我だった。
「仕方ない。シスター、軍の方々から連絡は?」
「それが戦いの後だから、また後で連絡して欲しいと言われてしまって……」
「そうですか。では少し後でまた連絡してみてください。出来るだけ安静にさせて」
「はい、ありがとうございました」
医師と名乗った男性とシスターと呼ばれた女性の会話に相変わらず厳しい表情のまま聞き耳を立てる。
医者が出ていくのと入れ違いで一人、少女が入ってきた。
「あ」
睨んでいると、少女はこちらを見て声を上げると嬉しそうな顔で小走りに近付いてきて……。
「良かった! 目が覚めたんですね」
「…………」
覗き込んできた笑顔に思わず絶句してしまう。
すぐ表情は敵を見るものになる。
しかし少女はまるで気にしない。
「私、マーテルっていいます! 貴方は?」
「……寄るな」
低い声で告げる。
悔しいが身体が動かない。
仕方なくそれだけ言って顔を背けた。
「マーテル、少し寝かせてあげなさい」
「え……」
「お話ならまた明日。今は少し休ませてあげないと」
「……。はいシスター。それじゃあお休みなさい」
出て行く足音に、ラウトはゆっくり目を閉じた。
強烈な睡魔に抗う事も出来ず、引きずり込まれていく。
肉体は素直に休息を必要としていたのだろう。
本当なら、すぐに状況を確認して軍に連絡を――。
疲れた。
真っ黒な中、微かな光が灯っていく。
一生懸命に走る脚が見える。
風が少し生暖かい日だった。
難民のおじさんがクッキーをくれて、母にも分けてあげようとキャンプの隙間を縫うように走っている子ども……あれは……。
地響きがして、辺りを見渡すとたくさんの歩行型戦闘機が、ゆっくりキャンプ地を囲むように降りてきたところだった。
恐くなり母の所に走る。
胸がすごくドキドキして、とにかく不安で……。
脚が絡まって、転んだのだ。
……転んだ……時に――――。
「──────……っ!!」
跳ね起きた。
途端に身体中が激痛に襲われる。
息が激しい。
腕を持ち上げて額を拭おうとしたが、痛くて途中で諦めた。
真っ暗な部屋はいつの間にかカーテンも閉められている。
いや、もしかしたら自分が最初に目覚めた時にはもう閉まっていたのかもしれないが……。
(……ダメだ、もう眠れないな……)
眼は冴えた。
部屋も暗い。
「くっ……!」
転んだ時、凄い砂埃が上がった。
皆死んだ。
あれほど大量の二足歩行型戦闘機など、使う必要があったのか?
あそこまで、何故されなきゃならなかったのか。
頭をどんなに振っても、引きずり出された記憶はより鮮明になるばかり。
「…………」
それは同時に痛みも消す程の憎しみに変わっていった。
ベッドから降り、扉を開ける。
壁を伝って進むとキッチンがあった。
流しの側から包丁を取るとまた、キッチンを出て壁伝いに外へ出ようとしたが……声が聞こえてきて、止まる。
「マーテルお姉ちゃん、トムが起きちゃった」
「うぅえぇん……ままぁ……」
「んー……? トム、どうしたの……?」
とくん。
と、心臓が鳴った。
静かにノブを握り、音もなく数センチ開ける。
青白い月光が差し込む部屋は、たくさんのベッドが並ぶ子ども部屋。
「仕方ないわねぇ」
マーテル、と名乗った少女が泣く子をあやす。
今、自身に意識というものがあるか。
ただ憎しみという本能が告げるのだ。
『殺せ』
『殺せ』
『殺せ!』
――殺したい。
「…………」
飛び込もうと柄を握り締めた。
ただ憎い。
憎いのだ!
「〜〜♪ 〜〜♪」
「—――――――」
開いた時と同じように、音もなく扉は閉まった。
壁を伝い、ある程度離れた場所で壁を背に座り込む。
背中が異様に熱い。
体が、傷が熱を持っているのだ。
「……はぁっ、はぁっ……! ……はぁっ……!」
だと言うのに指先が冷たい。
心臓がうるさい。
呼吸も、荒くなる。
痛み以外の理由で、息苦しい。
(あの、歌は……)
平和の象徴、中立国の歌姫。
小国の王女でありながら、世界へ平和を訴えた歌を発信した果敢な少女の歌。
歌い手の名前までは興味がなかったから知らない
ただ、一時期メイゼアで大変な話題になっていた。
───平和の歌。
それが、ただそれだけの事が……あまりにも衝撃だった。
重い体を引きずるようにして、キッチンに向かった。
包丁を投げるように流しに落とし、項垂れる。
(なんだ、なんで……っ)
嘲笑にも似た笑みを浮かべて頭を抱えてより先ほどの歌声、子守歌に混乱した。
八年前、凄惨の一時間によりラウトは家を失い母と共に避難民としてメイゼアを離れざるをえなかった。
あの頃の傷付いたメイゼアの民の心の支えとなったのがあの歌だ。
幼い歌姫の拙い歌声は、それでも温かな想いと勇気を人々に与えた。
それを真似たつもりか。
確かにあの頃は好きだった。
でも今、自分はあの歌が大嫌いだ。
現実を知らないお姫様には分からないだろう。
分かるはずもない!
あんな――。
「ふぁ……。……あ……」
「…………!!」
考え込んでいたせいで足音に気付けなかった。
夜だからと彼女が足音を忍ばせていたせいもあるだろう。
キッチンの入り口にはマーテルが立っていた。
すぐにまた、嬉しそうな笑みで近付いてくる。
「近付くな……っ」
「どうかしたんですか? 喉が渇いたんですか?」
「…………」
睨み付けるが、まるで気にしていないらしい少女はにこりと笑いコップを手にして、大きな水桶の蓋を開けた。
「私も、喉渇いちゃって。あ、今水道とか通ってなくて……地下水、汲んできたので良かったらはい、どうぞ」
「いらない」
「そうですか? でももう起きあがれるようになったんですね! 良かった」
「……お前」
「はい?」
「なんで知ってる……さっきの、歌……」
「えっ、あ……き、聞いてたんですか? うわぁ……恥ずかしいっ」
「なんで歌った」
「……え?」
真っ直ぐに睨む。
見つめてくる瞳に、何故か少女は顔をますますもって紅くする。
そこからぽつりぽつりと話し出す。
「……リ、リリファさんの歌は、初めて聴いた時から好きで……子ども達もテレビに映る度静かに聴き入っちゃうくらい大好きで、だから一生懸命覚えたんです!」
「………」
リリファ、ああ、そういえばそんな名前だった気がする。
あの歌以外、特に有名な曲はないはずだったが……。
「憧れちゃうなぁ! 可愛くて優しくて歌も上手くて……。最近全然テレビに出ないけど……あ、もしかして兵隊さんもリリファ姫が好きなんですか? そういえばまだ名前聞いてな……」
「嫌いだ」
「え?」
「───嫌いだ」
マーテルの横を通り過ぎて部屋に戻った。
もうどうせ眠れはしないからと、ただベッドに座るだけ。
意味もなく。
広げた手のひらをただ眺めて朝を待った。