動けない場所で君と出会った【11】
からん、と崩れた鉄骨が、コンクリートに当たり小気味良い音を鳴らす。
振り返ったラウトは、口元を押さえ咳き込む男を不思議なものを見るように見つめた。
先程まで飄々と余計なお喋りをしていた男、イクフのその余計な口からは血が溢れ、手のひらに収まらなくなったそれは床に散らばる。
……ラウトの、死ぬほど嫌いな色。
「お、おいお前……!?」
「…………」
さすがに驚いたシドレスがイクフに駆け寄る。
吐血による脱力に震える手でイクフはピルケースを取り出し、ディアスに処方されたものを五、六個飲み込む。
ぜぇぜぇ激しい呼吸を繰り返したが、薬を飲んだ安心感からか……ゆっくり落ち着いていく。
ただ口端に垂れる血の量はただ事ではない。
それが分かるから、二人ともイクフが落ち着くのを待って口を開く事にした。
瓦礫に背を預けさせ、呼吸が楽に出来る姿勢を取らせてから……。
「悪いな、少し……休ませてくれや……」
「構わねーけどよ……」
「死ぬのか?」
淡々とした問い掛けにシドレスがギョッと振り返る。
ラウトは表情もなく聞いた。
イクフは口許に笑みを浮かべ「ああ」と言った。
「……ノーティス制度って、知ってるか……? 連合国で実施されている、特殊なナノマシンを胎児に取り込ませる事で、ふう……闘争本能を遺伝子レベルから抑制させる、処置の事だ……。勿論国民全員がやってるわけじゃあねぇが……これをしてないと、社会的に、はぶられちまう。……でも俺の家は……はあ……一般家庭じゃあなくってな……逆に肉体強化しやすい……まぁ……言うなれば、兵士にさせやすい、ノーティスを造る……つー……被験者の一家でよ……強化手術を受けてからの反動が……すげぇんだな、これが……ふう……」
「…………」
「……俺は今、内臓の細胞分裂が……ほとんど起こらなくなっている。……細胞は日々死んでくばっかりで……特に肺がな、もう……あんまり、機能してねぇんだ……」
ヒュゥ、という弱々しい呼吸。
息を飲むシドレス。
ラウトは吐き気を感じた。
無論おくびにも出さなかったけれど。
「…………」
くり貫かれたように破壊され尽くした建物は天井もなく。
だからこそ見上げられた空。
この空の下、そして宇宙で……人は生まれ、争い、愛し、死んでいく。
綺麗で残酷な世界。
「死にたくねぇなぁ……」
「…………」
涙が一筋だけ流れたが、呼吸が苦しいからだ、きっと。
きっと……。
多分、この世界で……ラウトが男の視線を追って見上げた空の下で、そう思いながら、そう叫びながら、そう呟きながら、一体どれほどの命が奪われているのかと考えて……。
自分が奪った命を、考えて、そして考える事をラウトは止める。
吐き気のする世界。
こんな世界壊れてしまえばいい。
それでいいのだ、絶対に。
PPP……PPP……。
電子音が思考の海から現実に引き戻す。
端末を開くとガーディラが些か焦ったよう叫ぶ。
『すぐ艦に戻れ! 連合軍の艦が近海に居る!』
「!? 了解した、直ちに帰投する」
シドレス、とラウトが名を呼べば隊長に任じられた若い兵士は、イクフの腕を自らの肩に掛け立ち上がる。
いかに元が敵とはいえ今は味方。
だからと言ってこれでは足手まといだろうに。
「……連れ帰るつもりか」
「見捨てるつもりだったのかよ」
軽蔑を含む声。
ラウトは目を細めると二人を一瞥した。
「どうせすぐ死体だろ」
「てめぇ!」
「止せ……冷静になれ、シドレス……」
「っ」
「今のお前は隊長なんだ。……冷静に……今しなきゃならねぇ事をするんだ……出来るな……?」
「…………」
苦虫を噛み潰したようなシドレス。
すぐにディアス・ガリッツの両名にも帰投指示を伝える。
先に進むラウトへ敵意に満ちた眼差しを向けながらもシドレスはイクフを絶対に見捨てようとはしなかった。
そんな彼にイクフは「お前は本当にいい隊長になる」と呟く。
一階に移動し、乗ってきた小型ヘリに近付こうと一歩踏み出した時。
巨大な揺れに三人は床に倒れ込む事になった
慌ててシドレスが解けた窓の外を見れば……。
そこには真紅の機体……ギア・フィーネ『ディプライヴ』がガーディラのガンナイトを圧倒している最中であった。
***
アスメジスア基国領に入って比較的すぐに、光学迷彩に覆われたフェレンツェはアスメジスアの最新鋭艦を捕捉した。
「最新鋭艦かぁ。もうロールアウトされてるの?」
「恐らく。メイゼア所属の新型艦でしょうか……」
「GFは見つからなかったけど、代わりに面白いもの見つけたねぇー」
艦橋でのんびりとした声と凛とした声がそんなやり取りを経て、フェレンツェの艦長を向く。
「どうするキザマ艦長、ちょっかい出してみようか?」
「……」
真壁の楽しげな声にフェレンツェの艦長、ヴィーニー・キザマは不機嫌そうに眉を寄せる。
彼らの任務はギア・フィーネ三号機の捕獲、およびアスメジスア基国に現れたギア・フィーネの調査・鹵獲である。
新造艦など放って置きたいに違いない。
しかし真壁としては、放って置く訳にもいかないのだ。
現場で命を懸ける最前線兵にとって未知の新型程怖い物はない。
いかに最重要視されている任務がギア・フィーネであっても見つけてしまった新造戦艦をみすみす見逃し、他部隊に甚大な被害が出ては戦況としてもよろしくないだろう。
そもそも対艦隊戦でぶつかってなんの情報もなけるば、困るのは艦長だろうに。
どうもこのキザマ艦長はその辺りの認識がおかしいように思われた。
(イヤだねぇ、親の七光りだけで上がってきた無能艦長は……)
しみじみ思う。
しかしそこにマクナッドが口添えをする。
「艦長、自分も真壁大尉のご意見には賛成です。ギア・フィーネ三号機捕獲が滞っている今、敵新造戦艦の情報を収集しておく事は今後の戦況を大いに左右するものになります。見たところ大気圏と宇宙の両用艦のようですから、サグヴァージ防衛の要として新造された可能性もあります。調査し本部に報告したとしても悪い顔はされないでしょう」
「う……確かに」
「一応本部には暗号通信で新造艦の事は報告しておきます」
「あ……ああ! 頼んだぞっ」
さくさくと仕事を始めるマクナッドには艦橋のメンバーも真壁も含み笑いを隠せない。
艦長より遥かに艦長らしい彼の仕事ぶりはミシア、大和関係なく賞賛物であった。
中にはレネエルから引き抜きたいと語る者も居た程だ。
実際真壁も、戦闘部隊元副隊長のイクフも彼を是非自国に招きたいと何度か口説いた事がある。
父が為政者で、彼自身が国に妻子ある身なのであっさり断られるのが目に見えているのだが、それでもついついそんな話を持ち掛けてしまう。
ただ座っているだけの使えない艦長よりよほど優秀な彼には、艦長以上に艦橋メンバーの信頼が集まっているのを、真壁も気付いていた。
―――『フェレンツェ』のクルーは二十代~三十代の若者が多く、艦長も二十九歳……しかも実戦経験はほぼ無いに等しい。
かく言う真壁も部隊を率いるには大分若人だろう
だがマクナッドを筆頭に艦長以外は存外優秀なクルーが多い。
おかげで隊長があんな感じなのに大分楽に仕事が出来ている。
だからこそ何故艦長を……ある意味一番大事なところにアレを座らせたのかが分からない。
ミシアの外交官の息子だかなんだか知らないが、選ミスも甚だしい。
艦長があんなだからクルーが優秀なのか、クルーが優秀だから艦長があんななのか。
……難しいところである。
「さて、じゃあどうしよう。ある程度武装使わせて、新型とか搭載してないか炙り出して……やれそうだったら墜としちゃおうかな」
「さすが黎明の遊鷲、余裕ですね……」
「まー、ボクのメノウは防御系の機体だから多少の無茶が利くしね~。危なくなったらしーちゃんに助けてもらうから大丈夫」
戦艦相手を二人でどうにかしようと言っている時点でむちゃくちゃだ。
だが真壁も自身の実力は自負出来る。
ギア・フィーネの背を護る者として、部隊の現副隊長として。
しかしのほほんとのんびり出撃の準備をし、部下二名には艦内待機を命じて単独で出る気満々で愛機『メノウ』に乗り込んだ。
――大和軍製二足歩行戦闘機『メノウ』。
現在たった五機がロールアウトされ、全て隊長機として名手に託されている。
共和主義連合国群中最もMS開発が進んでいる大和は、マテラスという光学機能が搭載された特殊な機体を作り出した。
それらの一部はビーム兵器として他国に技術提供され、現在普及が進んでいる。
だがその中で、メノウという最新鋭機は光学機能を光学迷彩や光学防衛という特殊な形で使用可能にした最先端技術の機体なのだ。
その技術は未だ研究中、実用実験中などという名目の元、他国への提供は避けられている。
理由を考える事は、今はまだしないようにしている。
少なくとも真壁にとってまだミシアもレネエルも同志であるのだから。
「あり?」
機体に乗り込んでからギア・フィーネに乗り込む人影に目を丸くする。
直ぐに通信入れると案の定、友人がパイロットスーツを着込んで発進準備を行っていた。
「出んの?」と聞くと寝ぼけ眼で頷かれる。
……大丈夫かこの人は。
「キザマ艦長になんか言われたの?」
『……』
「しーちゃ~ん? 起きてる?」
俯いているシズフ隊長。
突如前を見据えたその目は……何故か据わっている。
ビクッとする真壁。
この眼は希に見ぬイラッとしているシズフの顔だ
彼は感情の起伏が異様に少ない。
その為たまに見せる険しい表情はちょっぴりイラッとしている時のものなのだ。本当にちょっぴり。
これは無理に起こされたか、と頭を抱えたい気分になる。
ところが……。
『……キザマの話はしばらくするな……』
「んぅ?」
『…………』
あ、これはマジで怒ってるな、と確信する。
あの感情に疎い彼が完全に“不快感”を示した。
これは実に珍しい。
彼がこんな態度を示すのは彼の父親のみだと思っていた。
『真壁大尉?』
「おっ、まーくんではないかぁ! どうかしたの~?」
『……発進して大丈夫ですよ……?』
「あり?」
逆のサブモニターに映し出されたマクナッドの困惑気味な表情。
目の前には開いたカタパルトとオールグリーンを示す標識。
シズフと話していてつい聞き逃し見逃ししてしまったらしい。
ごめーん、とやんわり断りを入れた後、操縦桿を握る。
「ボク先行するけど、いい?」
一応隊長殿にお伺いを立ててみる。
案の定頷かれたのでアクセルを一気に踏み込んだ。
「懐、真壁、メノウ出るよ」




