動けない場所で君と出会った【8】
アスメジスア基国本土に戻る少し前に時間を貰い、ラウトは脱出挺が辿り着いた民間支援機関医療研究科支部のあるフィオリーナ社所有コロニー『カトレア』を訪れていた。
ラウトはそこに、小さな荷を抱えて降り立つ。
気分が悪かった。
謹慎期間が終わった後もずっと。
喉に魚の骨でも突っかかったままであるかのような不快感。
微重力区域を通り過ぎ、目的の『少年』が収容されたという医療機関の受付で事情を説明すると、思いの外すんなり部屋の番号を教えてもらえた。
背後に感じる数人の兵の視線に不快感を拭えぬまま、教えてもらった部屋へと向かう。
部屋は思いの外あっさりと見つける事が出来た。
……その部屋の主の少年は、自分が全てを奪った孤児院の生き残り。
自分を『好き』などと宣った少女の、血の繋がった弟の部屋だった。
扉に手を掛けようとしてやはり戸惑う。
荷を渡すだけ。
それだけを済ませばもう用はない。
すぐに挺に戻り本土帰還すればいい。
人格矯正プログラムがどんなものかは分からないが、それで連中にとっての“まともな人間”になるとは思っていなかった。
矯正プログラムなど興味はない。
怖いとも思わない。
この憎しみが消えるはずがないのだ。
なら、何故戸惑うのだろう。
荷さえ置いて、それで終わる。
それで――――。
「!」
人の話し声が近付いてきてハッと頭を上げる。
赤毛の白衣を纏った男と、青紫の髪の、作り物ではないかと思うほど顔の整った青年がラウトを見ていた。
「なんだ? お前、この部屋に何か用か?」
「……あ……その……、先日の……コロニーの事故で……生き残った孤児院の少年がいると伺って……」
「ああ。……因みにどちらさん?」
「! ……失礼しました、自分はアスメジスア基国メイゼア基地所属のラウト・セレンテージと申します。今回の件で貴社には大変ご迷惑をおかけ致しました。本日は遺留品らしきものが幾つか回収されましたので、生存者である彼に確認して頂きたくお伺いさせて頂きました」
「なるほど、事情は分かった。……遺留品の方はオレの方から渡しとくよ」
「え……?」
「命に別状はないがまだ眼を覚まさないんだ。まぁそのうち起きるとは思うが……」
「………………」
納得は出来なかったが、返答そのものは当然の内容だった。
加害者を被害者に会わせられる訳もない。
いや、実際まだ目覚めていないのかもしれない。
荷を白衣の男に渡し、一礼した。
手元から荷がなくなると、これで良かったのではないか、いや、きっとこれが正しい事だったのだと思えた。
そうだ、これで良かったのだろう。
(そうだ、これで良かったんだ)
自分が苦い顔をしている自覚はなかった。
港に戻り、連絡挺に乗り込む。
すぐ監視の兵に囲まれ、連絡挺は『カトレア』のレーダーに引っ掛からないギリギリの場所に碇泊していたゴルディバイトへと戻っていく。
鑑に降りるとすぐにメルサが声を掛けてきたが無視した。
人と関わりたくはなかった。
関わるつもりがなかったのに、一言二言でも言葉を交わせばこんな思いをする事になる。
不快で堪らない。
苛立ち、気分が悪くなった。
事務的な会話以外、誰とも話したくはない。
これ以外他人と関わるのは、嫌だ。
だというのに――。
「オイ、ラウト・セレンテージ」
「…………」
モカ色の髪の左右色違いの瞳の青年。
ゴルディバイトの正式なクルーではなく、ベイギルートの国色の制服を纏った、あの不快な男の部下。
用件だけ言えばいいものを睨めば首を傾げてくる。
「ラウト・セレンテージ」
「なんだ」
「うむ、体を診せろ。診察する」
「何故貴様がそんな事をする」
「一応レオ・スミスに許可は取った。先日の一件、貴様の体調不良も要因ではないかとイクフが心配していたからな。言っておくが拒否権は貴様に存在せんぞ」
「っ……」
いちいち人をフルネームで呼ぶ。
『カトレア』に居た青紫の髪の青年も綺麗な顔をしていたが、このディアス・ロスという男も、あの男とは違った美しさのある青年だった。
もちろんだからといってどうという事もない。
ただ他人と関わりたくはないのに、と苛立ちを感じた。
拒否権がないなどというのにも腹が立った。
無視して部屋に戻ろうとした時……。
「なんだ無視か? 診察も嫌とはお前子どもだな」
「!」
違う、という意味で睨む。
仕方無さそうな溜息に、より苛立つ。
それ以上文句を言うのも憚られる気がして、黙ってディアスの部屋に歩いていけばまた溜息が聞こえた。
「栄養失調気味だ」
「なんだと!?」
「……おいおい軍人なのになんで栄養失調になんだよ坊主。国民の税金で飯が食える立場なのになんでんな事になってんだよ」
「だ、黙れ! おい貴様いい加減な診断するな! 俺はちゃんと食べている!」
「……食べて吐いていれば栄養は吸収されんぞ」
「…………………………」
「否定しねぇのな。背、伸びなくなんぞー」
「……本当にうるさいマジで黙れ……」
ディアス・ロスにあてがわれた部屋には捕虜であり寝返った事から監視中に昇格したイクフ・エフォロンが居座っていた。
このイクフという男はなかなかに神出鬼没で、たまに鍵をかけておいたラウトの部屋の中に入り込んでいる事もある。
ベッドの上で、はしたなく胡座をかいていたイクフがラウトの痩せ細った身体に眉を寄せた。
白く、軍人らしく筋肉の程良くついたような腕はそれでも年齢の割にはかなり細いだろう。
「栄養剤を少し点滴しておこう。イクフ、邪魔だ退け」
「へいよっと」
「別に必要な……」
「なんだまさか注射が怖いのか?」
「そんなはずあるかっ」
「ならそのまま横になって待っていろ。大丈夫だ、俺は上手いぞ」
手早く点滴の準備を済ませ、鞄の中から点滴剤を取り出したディアスにラウトは背中が冷えた。
何故この男の部屋に、ここまで本格的な医療器具が揃っているのか……意味が分からない。
医務室であるならばむしろ納得のいくそれらを、個人の部屋で見るとは。
しかし慣れた手付きで全ての準備を整えるとラウトの左腕を持ち上げ肘の部分を揉みほぐす。
点滴は、もちろん初めてではない。
だが針を刺す瞬間は、何度見ても嫌なものだし緊張する。
「ダイエットでもしているのか?」
「なんだそれは」
「お前の痩せ方……いや、拒食症のようでな。ダイエットをやり過ぎた女子のようだと思った」
「ふざけるな、誰がっ」
「どちらにしても食事はきちんと消化するまで体内に入れておけ」
「…………」
目を逸らし、横になる。
髪を撫でる手を振り払おうと左手を上げるが、点滴が邪魔をした。
右手で払う。
払われた当人であるイクフは甘く微笑んで見せた。
「危険なものはなにもない。ゆっくり休んでいけばいい」
「だとよ。ちゃんと寝てけ」
「…………」
睨みつけても二人は優しげな眼差しでラウトを見下ろしていた。
その優しい眼にまた吐き気がする。
一睡もしなかった。
この暖かな空気は、あの時の感じに似ている。
あの、孤児院で目覚めた時に――……。




