第6話 侵入,カーゴカルト研究所
エデンの大河を超えた二人は,待ち構えていた小山のような場所を上っていった。
依然として緑の芝生は何処までも続いており,直ぐに日向ぼっこをしても問題なさそうな清々しさを放っている。
次第に木々は消え,人影も減っていく。
後ろを振り返ると,今まで辿ってきた道が小さく見えた。
小山の頂上へと辿り着くと,その先の芝生が一部白色に変色していることに気付く。
よく見ると,それは文字を刻むようにわざと色が変えられており,一旦離れることでその意味を読み取る。
そこには,こう書かれていた。
『ここから先はエデンの領域外。関係者以外は立ち入りを禁ずる』
今まで見てきたものと違う,人工的かつ作為的な意思を感じる。
自然に生きる人々が安易に近づかないよう,わざとそうしているのかもしれない。
その文字を踏み越えると,アルカがイドリースに分かるよう,先の場所を指差す。
何もないように見えた所だったが,日の光が乱反射することで,微かに建物としての輪郭を帯び始める。
既に二人の前には,研究所と呼ばれる透明な建物が聳え立っていた。
「これは……周りの景色と同化しているのか……?」
「透明,といった方が正しいかもしれません。仕組みは分かりませんけど」
「ここまで凄いものを見ると,驚きもなくなってくるな……」
不可視の研究所は空高く伸び,どれだけの階層があるのか想像がつかない。
また,こんな有様では入り口が何処にあるのかも不明だ。
アルカの記憶を頼りに,二人で手分けして探そうとした瞬間,スッと静かな音が建物から鳴り響く。
視線を移すと,透明だった建物の一部が白い口を開けている。
それは真っ白な小部屋で,天井からは照明の明かりが降り注いでいた。
「これ,私が逃げてきた部屋と同じです……」
「そうなのか。でも,何処にも先に続く道がないな」
「この部屋は移動するんです。上下に動いて,上の階まで行ける乗り物なんです」
「部屋が乗り物なのか?」
「お,恐らく」
「それって,この世界的には常識ってこと?」
「私はペンタゴンのことしか知らないので,それが常識なのかは……」
「おぉ……。もう,なんか何も言えないな……」
イドリースは後ろ首を掻きながら,どうにか状況を整理する。
「とにかく,これは誘っている,ということなんだろうな。もしかしたら,俺達がここまで逃げてきたことも,バレてるかもしれない」
「ど,どうしましょう……」
「今更引き下がるわけにはいかないし,外への出口がこの中にある以上,行くしかないな。アルカは俺の傍から離れないでくれ。この先,戦いは避けられないと思う」
「は,はいっ」
頷いたアルカと共に,彼は待ち構える小部屋に侵入する。
同時に開いていた口が閉じ,部屋全体が小さく振動した。
思わず炎を生み出したイドリースだったが,それは今いる部屋が稼働する揺れだった。
得体の知れない力により,上昇する感覚が二人に纏わりつく。
その途中,壁に文字が浮かび上がる。
それは二人に向けたものではなく,研究所の者が戒めとして残した遺志のようだった。
『我々は,ついに不老不死となった。あらゆる脅威を打ち払う,絶対的な存在に』
真意を理解する前に,部屋が目的の階層に到着する。
先程と同じ場所の出入り口が開かれるも,先の光景はまるで違っていた。
清潔という印象が異常な程に感じられる真っ白な通路と,ガラス張りの部屋が両側に幾つも並んでいる。
ここは研究所の内部。
イドリースはアルカを庇いながら一歩一歩進み出るが,周囲に人影はいない。
無人のようで,辺りは物音一つせずに静まり返っている。
「聞いていた通り,見たこともない構造だな」
「っ……」
「ごめん,アルカ。無理をさせてばかりで」
「い,いえ……このまま進みましょう……」
アルカは緊張した面持ちで,彼の進行を妨げないよう努める。
彼女にとっては,長い期間を幽閉された恐ろしい場所に舞い戻ったわけだ。
恐怖心を抱かない筈がない。
イドリースはなるべく不安を煽らないように気に掛けつつ,目的の一つを叶えるべく行動に移す。
「先ずは他の人達の救助をしたい。それでもいい?」
「はいっ。どうか,皆を助けてくださいっ」
「よし。この先はアルカの記憶が頼りだ。途中で見かけた人達っていうのは,何処にいるか分かる?」
「確か,あっちの方だった気がします」
行き先の指示を受けながら,警戒を怠らずに進む。
通路の両側面にある部屋は,ガラス張りゆえに内部の構造が丸見えだったが,何一つ物らしきものが置かれていない。
何者かを監禁する牢獄で,今いる通路から内部の珍獣を観察するかのような意図を感じた。
また所々の部屋で,何かを引き摺った跡が床に残っている。
アルカ以外にも,誰かが閉じ込められていたのかもしれない。
しかしどの部屋を見ても,現状監禁されている者はいなかった。
数々の部屋を通り過ぎた後,通路の先に大きな扉が現れる。
そこに近づくと,扉は引き戸のように自動で横へスライド,二人を迎え入れた。
今までの小部屋とは違い,その奥は巨大な空間が広がっており,等間隔に真っ白なベッドが所狭しに置かれている。
「病室,のようには見えないな」
「なんだか,嫌な感じがします……」
「あぁ,この寝床にある拘束具からして,まともじゃないのは確かだ」
「拘束具?」
「相手をこの場所に縛り付ける,趣味の悪い仕掛けさ」
ベッドには両手両足を拘束するための,金属の輪が取り付けられている。
どう見ても,好意的に解釈することは出来ない。
加えて一部のベッドには,こびりついた赤黒い跡が残っていた。
イドリースはそれに触れてみるも,ベッドに染み込んでいるため取れる気配がない。
この部屋には,死が充満している。
戦場を知る英雄には,心当たりというものがあった。
「イドさん……! あそこに,皆が……!」
それらを理解しきれないアルカが,部屋の先に続くT字路を指差した。
見えるのは一つの巨大な試験管。
人一人を容易に詰め込むことが出来る容器が,縦に向けて設置されていた。
更には角を生やした女性が,そこに閉じ込められているのが微かに見える。
微動だにしないが,恐らく逃亡の際に見かけた人物なのだろう。
思わずと言った様子で,彼女がそこへ駆け寄る。
旧人を隔離した試験管が,距離を縮めることで徐々に大きさを増していく。
「ごめんなさいっ。私,一人だけ逃げようとして……。でも,今度は一緒に……!」
イドリースも後を追いかけると,その異変に気付いて足を早める。
先の試験管から感じられたのは強烈な胸騒ぎ。
始めはアルカも気付けなかったが,駆け出していた足の力と言葉を次第に失う。
目の前に広がる光景を,直ぐには理解できなかったのだ。
確かに旧人は,その容器の中にいた。
内部に注がれた得体の知れない液体に,全身を浸している。
しかしその代わりに,生命活動を維持しているとは思えない程,身体が欠損していた。
「うそ……」
「これは,まさか……!」
左半身を失ったその肉体には,命は宿っていない。
最悪ともいえる姿を目にして,二人はその場に立ち竦んだ。
女性は試験管に閉じ込められていたのではない。
何らかの経緯で死亡し,その遺体をホルマリン漬けのように保存されていたのだ。
「もう,死んでいたのか……。しかも,ずっと前に……」
「イドさん,おかしいです……。どうして,この人は……」
「っ! アルカ,これ以上は見るなッ!」
イドリースは呆然とするアルカの目を塞ぐように抱き寄せる。
今まで人の死体を見たことなどなかったに違いない。
そんな身に,この光景は凄惨がすぎる。
抱き寄せられた彼女は固まったままだったが,直ぐに全身を震わせていった。
直後水泡の弾ける音が響き,イドリースはその方向を振り返る。
照明に照らされた液体の乱反射を見て,思いがけず息を呑んだ。
このT字路,安置されていたのは一つだけではなかった。
左右に伸びる通路に広がっていたのは,同種試験管の数々。
その全てに欠損した旧人が保存されていた。
五体満足な者は誰一人おらず,生きている者もいない。
「こんな事が……」
イドリースも戦いの中で数々の遺体を超えてきた。
それは今ある旧人達より酷い死に様だったかもしれない。
しかし,ここにあるものとは様相が違う。
命を落としても尚,他者の見世物の様に飾られている。
眠りにつくことを許さない,尊厳すら踏みにじる行為だ。
イドリースは生きている者を探し出そうと,目を瞑るアルカと共に,試験管の群れの中を歩き出す。
四方から時折木霊する,液体の飛沫を上げる音が,純白の通路をより奇怪な空間へと染め上げる。
それでも僅かな可能性を考え,彼は視線を巡らせた。
だが,期待に適う者はいなかった。
息が詰まりそうな通路を進んだ先に見えたのは,巨大な研究室。
用途不明な機材が所狭しに配置され,奥の壁には大画面の液晶パネルが広がっている。
試験管の類はなく,旧人の姿もない。
それは捕えられた彼らが,あの場にいる者で全てだと意味しているようだった。
「駄目だ……。生きている人は,どこにも……」
「おやおや,予想よりも早いですね。もう少し,立ち竦んでいるかと思いましたが」
瞬間,しわがれた男の声が響く。
警戒心を尖らせイドリースが視線を戻すと,先程まで無人だった研究室中央に,仮面を被った人物が経っていた。
白衣を着た様は,研究者あるいは医者を連想させる。
彼は既に,仮面の男が只者ではないことに気付いていた。
二人が室内に入った時,この場には誰もいなかった。
辺りの光景に圧倒されていたとはいえ,声を出すその時まで,姿を現した気配を感じさせなかったのだ。
まさに神出鬼没という言葉が正しい。
「ぁ……」
「アルカ,貴方には呆れましたよ。無断で逃げ出したかと思えば,懲りずに帰って来るとは」
自身を閉じ込めていた元凶の声を聞いて,アルカが自覚なく身震いする。
続いてイドリースに向け,男は冷徹な声を響かせた。
「そしてようこそ。私の,カーゴカルトの研究所へ」
一切の抑揚なくペンタゴン統治者,カーゴカルトが相対する。