第15話 狂気に侵されし者
「これは,一本取られたかな?」
地下都市の地鳴りとイドリースの反応を見て,ダブラがしてやられたように後ろ首を掻く。
断片的な情報しかない中,彼は侵略者達の狙いに気付いたようだった。
「元々,君は囮。先陣を切って突入したように見せかけて,別のルートから仲間達を地下都市に潜り込ませたようだね。機動要塞ゲインに乗っていたのは,君だけじゃなかったという訳だ。考えてみれば,機械に詳しくない君がゲインを動かせる筈もない」
「……」
「最強の英雄が囮とは,奇抜な案だ。もしかして今までの問答も,ボクの気を引くための作戦だったのかな?」
イドリースは何も答えない。
だが内心,僅かな焦りを感じていた。
今,アルカ達の居所を知られるのは拙い。
彼女の力は少なくとも察知されないが,囚われている仲間達を救出する際には,必ず鏡の世界から姿を現さなくてはならない。
待ち伏せは,最も危惧しなければならない事態なのだ。
直後,ダブラの耳元から新たな声が聞こえる。
通信機を身に付けていたのだろう。
地下都市の振動を検知した部下たちが,彼に状況報告を行う。
『ダブラ様,ご無事ですか!? 地下都市の一部区画で爆発が!』
「直ぐにそこに向かってくれ。恐らくは」
ダブラはすぐさま指示を出そうとしたが,それを許す程にイドリースも悠長ではない。
手中から生み出した灰の塊を,上に向けて放った。
塊は天井を含む物質をすり抜け,監視塔の上空へと撃ち上がる。
そして花火のように破裂した後,塔全体に濃い灰を撒き散らした。
ただの煙幕ではない。
千年前の戦いでも行った事のある,妨害を目的とした術式。
それを応用した,機械の通信手段を絶つ暗雲。
ダブラが装備していた通信機は,その時点で雑音を流すだけとなった。
「通信障害。君の炎の仕業か……」
「今,下の状況を知られる訳にはいかないからな」
過去の英雄は,その場を動かなかった。
駆けつければ,ダブラも付いてきて余計に戦況が混乱する。
加えてこの最弱の男を対処できる者は,そうはいない。
アルカ達が術中に嵌れば,間違いなく無力化される。
ならば今出来ることは,エリコ最大戦力であるダブラを拘束する事。
囮としての役目は果たす。
後は彼女達の力を信じるしかない。
彼は辺りに蔓延する灰の中に,残火を灯した。
「お前を逃がさない。悪いが,付き合ってもらうぞ」
「全く……強引な人だね……」
イドリースの作戦を理解したダブラも新たな行動に出た。
大量の白紙の束を生みだし,辺りに漂わせる。
未だに彼の表情からは何も読み取れない。
作戦に嵌った事に対する後悔も感じられない。
元々の性格なのか,それとも未だに力を隠しているのか。
視線を鋭くしたイドリースが片手を振るうと同時に,ダブラもそれを迎え撃つ。
意志を灯した炎と,意志のない白紙が,正面からぶつかり合った。
●
時は遡り,イドリースがダブラと相対する以前のこと。
鏡の世界で裏側に侵入していたアルカ達は,ゲインの接近を期に監視塔へと乗り込んでいた。
当然,今いる世界に敵は一人もいない。
アルカが狭間を繋げない限り,誰もその存在には気付けない。
彼女の力は確かに強力だった。
そのまま監視塔を抜け,地下に繋がる都市へ足を踏み入れる。
エモから得た情報を元にアウグスが先行し続けていたが,ふとアルカが辺りを見ると,内部は奇怪な構造ばかりだった。
先ず目に付くのは,無味乾燥な都市。
あるのは同じ高さかつ同じ直方体型の建造物ばかりで,それぞれがどんな意図で造られたのかは分からない。
明確な看板も,道標らしきものも何一つ存在しない。
同じ外観の建物と同じ外観の道,これでは迷うのも当然だった。
それでも,三人はどうにか目当ての道を探し,仲間達の元へと向かう。
「今の所,順調なの?」
「あぁ! オレ達が捕まっていた場所までは,もう直ぐだ!」
「周りを見てて全然区別が付かないんだけど,よく分かるね」
「伊達に長い間,情報収集してた訳じゃないからな」
今の所,アウグスの的確な判断によって隔離場所への距離は縮まっている。
問題はなさそうだ。
次にエクトラは,最後尾にいるアルカを気に掛ける。
「アルカは大丈夫? こっちに入ってから,時間は経ってるけど」
「大丈夫だよ。心配しないで」
「そう? だったら,もう少しだけ頑張って」
要であるアルカの調子も良い。
疲労を感じている様子はなく,行って帰るだけの余裕も残されている。
一つ心残りなのは,イドリースの安否。
元の世界側が,どの様な状況になっているのかは分からない。
ただ彼が囮になっているので,相当な騒ぎになっているのは間違いない。
言い換えるなら一種の防波堤。
押し寄せるエリコの戦力を,彼が一身に受けているのだ。
最強の英雄でも,片手間で行えるようなものではない。
だが,彼女達は引き返さない。
今最も優先すべき事は,同族である旧人の救助。
作戦の通り,お互いの役割と立場を決めてここまでやって来たのだ。
例えイドリースが窮地に陥っていたとしても,戻ってしまえば全てが水の泡になる。
それはこの場にいる三人全員が理解していることだった。
すると不意にアウグスが,振り返らずにアルカに言葉を投げ掛ける。
「なぁ,一つ聞きたい事があるんだ」
「どうかしたんですか?」
「君は,ユーリエとは姉妹だったりしないのか?」
「ユーリエさん……? ええと,私は一人っ子ですけど……」
急な質問に反射的に答えると,彼は残念そうに俯く。
「やっぱり気のせいだよな……。君とユーリエが似ている,なんて……」
「似てる? 私と……?」
「いや,何でもないんだ。忘れてくれ」
アルカは何故,そんな事を聞かれたのか分からなかった。
だが彼は確かに,ユーリエと似ていると言った。
今まで彼女については断片的な情報しか知らされていない。
同じように,初耳だったエクトラと一緒に顔を見合わせる。
容姿が似ているのか,性格が似ているのか。
結局アウグスは,それ以上語らなかったので追及のしようがなかった。
背を向けて歩き出す彼に,付いていく事しか出来ない。
そうして暫らくすると,一つの建物に辿り着いた。
「この建物なの?」
「間違いない! ここに,俺の仲間達が捕まっているんだ! 行こう!」
アウグスにとっては忌まわしくもある隔離施設。
人間と旧人の境目を決定付ける,差別の具現化。
そこに三人は,迷わずに飛び込んだ。
内部は剥き出しの鉄材ばかりで構築された,冷たい空間だった。
それ以外に余計なものは一切ない。
銀色に染められた鏡の世界からも,遠ざけられている印象が拭えない。
アルカとエクトラは覚悟を決めて,彼の後に続いた。
鏡の世界とは言え,こちらの物質はある程度操作できる。
力の消耗に目を瞑れば,鍵の掛かった扉を開ける事も可能だ。
そしてこの建物は,幾つもの巨大な隔壁で通路の殆どが閉鎖されていた。
まるで僅かな空気すら外へ漏れ出さないように,密閉されている。
900年前に蔓延したウィルスを危惧しているのかもしれない。
そんな中,アルカは手を翳して堅牢な隔壁を開錠していく。
大掛かりな仕組みが解かれていくと共に,皆の緊迫感が高まっていく。
着いたのは,強化ガラスで仕分けられた巨大な空間だった。
今までの金属丸出しな場所とは違い,ドーム状で覆われた広大な隔離室。
アルカは少しだけ見覚えがある気がして,辺りを見渡した。
監視カメラらしきものが,至る所に設置されている。
鏡の世界故に同族は何処にも見当たらないが,元の場所に戻れば,囚われた仲間達全員が揃っている筈だ。
息を吐いたアウグスが声を荒げつつ,振り返った。
「ここだ! きっと向こう側に仲間達がいる!」
「分かりました! じゃあ,狭間を開きますね!」
元の世界を繋げれば,監視カメラがあることもあって発覚は免れない。
だからこそ,一瞬の内に終わらせる。
イドリースが攻め込み,騒ぎになっていることは既に気付いているだろう。
混乱に乗じて皆に声を掛け,雪崩れ込むように鏡の世界に押し込む。
三人共が意を決し,アルカが力を振るう。
強化ガラスを裂くように狭間を繋げ,アウグスが先陣を切って元の世界に帰還した。
「待たせたな! 皆,助けに来た……ぞ……?」
だが,次第に力がなくなっていく。
何事かと思ったアルカ達も,直ぐに異変に気付いた。
元の隔離室は,完全な暗闇に覆われていた。
周りの照明が落ちているようだ。
加えて人の気配も一切ない。
アウグスの声に返答する者は一つもなく,隔離室はもぬけの殻だった。
「誰もいない……ですね……」
「場所を間違えたんじゃ?」
「そんな筈はない! ここは俺達が隔離されていた場所だ! なのに,どうして誰もいないんだ!?」
アウグスは否定する。
長年閉じ込められていたのだから,間違いはない。
彼の言葉には確信めいたものと,焦燥が入り混じっていた。
本当にこの場所で正しいのなら,皆は何処に行ったのか。
何処に連れて行かれたのか。
ゾクリ,と寒気を感じたアルカは小声ながらも二人を呼び止める。
「何だか,嫌な予感がします。二人共,一度こっちに戻って……」
しかしその瞬間,闇の奥から何者かの影が動く。
旧人ではない。
獣のように獰猛な気配が伝わり,三人全員が息を呑む。
「シュゥゥゥ……シュゥゥゥ……」
現れたのは一人の人間だった。
秘書のような出で立ちをした青年,シャドウである。
だがその表情は知的さの欠片も残っていない,狂気じみたものだった。
憎しみに染まったギラついた瞳で,三人を睨めつける。
それを見て,真っ先にエクトラが身構えた。
「敵!?」
「イドリース……イドリースは,どいつだ……?」
シャドウは腹の底から出た様な声で,アルカ達に問う。
明らかに友好的な態度ではない。
イドリースに向けた強烈な殺意がそこにはあった。
何故,と考える理由もない。
彼の纏う服装に,アルカとエクトラの二人は見覚えがあったのだ。
「あの服装……確かテウルギアの部下の……」
「テウルギア,さん……ウグゥゥゥ……アアアァァァ……!」
瞬間,シャドウは思い出したように頭を抱え,大声で唸り始めた。
心の底から湧き上がる感情を抑え切れず,全身を震わせる。
今まで見て来た人間とは,まるで違う。
異様な雰囲気に圧されまいと,アウグスが両手に力を込めた。
「おいッ! ここにいた奴らは……俺の仲間は何処に行ったんだッ!」
「どうして……あの人が何をしたって言うんだ……! 何を……なにをなにをなにを……!」
だが何も返って来ない。
そもそもの会話が成立していない。
既にシャドウは一種の錯乱状態に陥っていた。
「何故なんだァァァ!!!」
直後,闇の中から大量の茨が発生する。
ただの茨ではない,影から生み出された漆黒の刃。
闇に蠢く影を操る,これがシャドウの能力なのだろう。
直ぐに理解したアルカは,急いで二人に後退するよう伝える。
「二人共! こっちに!」
闇は彼の領域。
そして他にも迎え撃ってくる人間がいるかもしれない。
一度鏡の世界に戻り,体勢を立て直した方が良い。
エクトラとアウグスも彼女の言葉に従い,三人で即座に来た道を戻る。
開いたままだった狭間の向こうへ帰還し,それを閉じようとアルカが力を行使する。
だが閉じる瞬間,黒い物体が通り抜ける。
逃げる敵を逃がすまいと,シャドウが鏡の世界に飛び込んで来たのだ。
「コイツ……! 単身で飛び込んでくるなんて……!」
特攻じみた行動には皆が驚いたが,シャドウにとって鏡の世界など恐怖に値しない。
理解する気もない。
ただ,執念を燃やしながら目の前の下級種族を屠る。
それだけが頭の中に渦巻いていた。
「イドリース……ッ! よくもあの人を殺したな……! 許さない……ゆるさない……!」
鏡の世界にも影は存在する。
そしてその影をシャドウは操ることが出来る。
新たな漆黒の茨が生成され,アルカの世界を侵食せんとする。
最早戦いは避けられそうになかった。
「オレ達に気付いているのはコイツだけ! やるしかないみたいだぞ!」
ただし敵は一人だけ。
こちら側の世界に侵入してきたことで,新たな加勢を心配する必要はない。
するとエクトラがアルカ達を庇うように,一歩前に踏み出した。
「……あたしがやる」
「エクトラさん!?」
「一人で大丈夫なのか!?」
「任せて。元々,こういう時の為にあたしが来たんだから。二人はここから離れて」
彼女がシャドウと対面するのは初めてだ。
相手の能力も未だ漠然としている。
だが一つだけ分かることがあった。
この男が何故,ここまでの狂気に苛まれているのかを。
恨みの連鎖。
終わることのない悔恨。
エクトラは身を以て,それを断ち切って来た。
だからこそ自分が此処で戦わなければならないと,直ぐに理解したのだ。
アルカ達は滲み出る思いを悟り,無言の内に頷く。
ゆっくりと距離を離し,消えた仲間達の行方を追うために走り出す。
二人の背中を見届けたエクトラは,狂気を纏うシャドウへこう言った。
「テウルギアに止めを刺したのは,あたし」
「なん……だとッ……!?」
「弱った彼を,あたしの稲妻で突き刺した」
故意に相手の注意を引き付ける。
事実ではあるのだが,この場では致命的な一言でもある。
絶句したシャドウの表情が,一転して邪悪な笑みを浮かべた。
「クッ……ヒャハハハッ……! そうか! お前があの人を殺したのか! だったら……だったら,殺してやるよ! あの人が受けた痛み以上の! 殺してくれと懇願したくなる位の痛みを与えて! その果てに八つ裂きにしてやるッ!」
ようやく見つけた怨敵。
思考の定まらない彼には,もう何も見えていない。
苦々しく思いながら,エクトラは身体中に稲妻を纏わせた。
「……アンタには,あたしを殺す権利がある」
静かにエクトラは呟く。
例え聞こえていなくとも,己の覚悟を決めるために,はっきりと言葉にする。
「でも,まだやらなきゃいけないことがある。見届けなくちゃいけないものがある。だから,あたしはまだ死ねない」
「旧人の分際で! 殺すッ! ブチ殺してやるッッ!!」
銀色に輝く鏡の世界に,白い雷光と黒い影が広がった。




