第14話 最強 vs 最弱
「君は最強の英雄。そしてかつて起きたのは人類史上最大の危機だ。それ程の天災に対抗できるのは,それ相応の力を持った者だけ。本来なら,塵灰の炎と呼ばれる君に,打って付けの舞台だった」
ダブラは少し声のトーンを落とし,語った。
それらはイドリースが微かに抱いていた疑問の数々。
当時がどんな惨状だったのかは,テウルギアの有様が全てを語ってくれた。
ならば何故,封印が解かれなかったのか。
元々イドリースが封印された表向きの理由は,最強と呼ばれる力を維持し,他国への圧力とするため。
既にその均衡は,例のウィルス発生によって崩壊している。
「……訳を知っているのか?」
「ある程度は。君は何だと思う?」
「キューレが,カーゴカルトが拒否したのかと……」
「いや。聞いた話だと,寧ろあの人は君を解放しようとしたらしいよ。彼がいれば,必ずこの危機を救ってくれるとね」
「……!」
「でも封印は解かれなかった。それに反対する人々がいたからだ」
反対する人々。
塵灰の炎を危険視する者だろう。
危機的状況下であっても,人は強大過ぎる力を信じ切れないものだ。
故に千年前にも,イドリースはその力を恐れられ封印された。
解放した所で御し切れるものではないと判断されたのなら,ある程度の納得は出来る。
だがダブラが並べた言葉は,少々予想と異なるものだった。
「実は例のウィルスが始めて発生したのはね。旧フェルグランデ王国の王都中心部だったんだ」
「何だって……!?」
「そう,君が封印された場所。そこが発生源だったんだ」
ウィルスの発祥地。
そこがまさに,フェルグランデ王国であったことが明かされた。
理由は分からない。
少なくとも,イドリース自身が関与した記憶はない。
ただ,一つだけ確かな可能性を知った。
「言いたいことは,分かったかな?」
「つまり……俺は既に感染している可能性があった……」
「ご名答。封印を解くこと自体に問題はなかった。誰もが君を解き放とうと思ったよ。でも,出来なかった。君の身体が既に汚染されているかもしれない。その最悪のケースを拭えなかったからだ」
ウィルスは周囲に存在する人体に感染し,人格を暴走させる。
封印されたイドリースが侵されていない,という確証がなかった。
何せ相手は正体不明の病原菌なのだから,誰も正確な判断が下せなかったのだ。
「希望の星と思って封印を解いた瞬間,君は感染体になって人類の敵と化す。最強と呼ばれた男が寝返るんだ。そうなれば,確実に人類は終わる。だから,大半の人々は君の開放に反対した」
「……」
「次元拘束術。アレは対象の時を止める術式だ。発動している限り,感染体の症状が進行することもない」
封印されている以上,目覚めることはない。
塵灰の炎に対抗できる力がないのなら,解放は危険すぎる。
それが過去の人類が下した結論だった。
自分の身に起きている変化を知って,イドリースは思わずその身体を見下ろす。
「触らぬ神に祟りなし,とはよく言ったものだよ。その時点で,君は過去の人となったんだ」
体調に変化はない。
だが自覚症状がないだけだとしたら,どうなるか。
封印によって止まっていたウィルスの侵攻が,刻一刻と迫っている。
確かにその可能性はゼロではない。
視線を元に戻した彼は,冷静な態度を崩さずにダブラへ問う。
「それで……そこまで言い切って,俺に何をさせたいんだ?」
「分かるかい? だったら単刀直入に言おう」
一つの間を置いて,ゆっくりとダブラは手を差し出した。
「ボクと共に来てほしい」
嘘偽りではない。
今までの試すような言動は鳴りを潜める。
彼なりの,強い意志を感じさせる声が部屋中に響いた。
第九席のダブララサは,塵灰の炎を人間側に引き入れようとしているのだ。
「君は間違いなく感染している。自覚はないだろうけど,何れ暴走することは目に見えている。その前に,ボク達の手で君を不老不死にしてみせよう」
「エリヤの意思を組み込んだ,ただの人形にするつもりか?」
「言い得て妙だね。でも,冷静になって考えてごらん?」
警戒を解かないイドリースに対して,優しく諭すように彼は続ける。
「件のウィルスを免れる方法は一つだけ。肉体を捨てて魂だけの存在に,不老不死になることだけだ。それ以外に回避する手段はない。あったらボク達は,こんな有様になっていない」
「……」
「不老不死となって生き永らえるか。そのままの肉体で暴走し,旧人諸共ボク達の手で討伐されるか。聡明な英雄ならば,選択肢はないと分かる筈だよ。それに君が協力してくれるのなら,ボクの仕事もずっと楽になる」
ダブラの言い分は正論に近い。
イドリースは医者ではない。
自身が感染しているのかどうかも分からない。
今まで体内に有害となるものは全て除去するよう炎を宿していたが,所詮は付け焼刃。
知らぬ間に末期状態に陥っていても,不思議ではない。
最悪の事態を回避するには,肉体を捨てる以外にない。
それだけは理解できた。
「俺は……」
辺りに沈黙が訪れる。
生か,死か。
微かな迷いを抱いたが,イドリースは大きく深呼吸をした後,もう一度十傑を見据えた。
既にその瞳に戸惑いはなかった。
「俺はそっちには行かない」
「……何故? まさか,旧人に入れ込んでいるのかい?」
わざとらしく驚いた様子で,ダブラは目を丸くした。
「自分の境遇と重ねている訳じゃないだろうね? 旧人は,人間とは全く異なる種族だ」
「そんなことは分かっている。それでも,俺は不老不死になる気はない」
「自滅する未来が待っていたとしても?」
核心を突く言葉にも,殆ど動じなかった。
ただ僅かな静寂の後に,彼は右手を眼前に持ち上げてゆっくりと広げた。
己の身体を見つめ,そこに宿る思いを見通す。
「本当に俺が感染して,何れ周りの全てを呑み込むなら。キューレは,封印されていた俺を殺していたと思う」
かつての友に向けて,容赦なく言った。
「アイツとは戦場を駆けた。そうすることが出来るだけの数を。それに,脱出する俺を是が非でも止めようとした筈。何よりも先に,俺が感染している事実を明かした筈なんだ。でも,アイツは喋らなかった。閉ざされた世界を救ってくれ,とそう言っただけ。死に際に王の意志を話したことも,新しい命を託したことも,本当に俺が危険なら言う筈がないんだ」
守るべきものも何もなければ,ダブラの言葉を呑み込んだかもしれない。
だが,今の彼にはそれがある。
託されたアルカだけでなく,虐げられる旧人の人々。
彼女達が自由に生きられる場所を造ってみせる。
それが国を救えなかった,キューレ達も救えなかった,せめてもの罪滅ぼしなのだと,彼は固く心に決めていた。
「俺は親友を信じる。託されたものを手放す気はない」
「……君は酷く歪だ。その決心も,その意志も,カーゴカルトのそれを受け継いでいるだけ。君自身の欲求が全く感じられない。これが千年前に人々が抱いていた,君への恐れなのかもしれないね」
ダブラは少し落胆したようだった。
千年前に何故イドリースが恐れられたのか。
それは塵灰の炎だけでない。
何事にも動じない,自己犠牲の極致。
自分を犠牲にする余地のない平和が訪れた時,彼は一体何を思うのか。
予測できない心の在り方が,誰にも理解できなかったからだろう。
「真っ直ぐに見えて,グチャグチャだ。一体どうして,そこまで壊れてしまったのかな」
「そんなことを話す意味が,今あるのか?」
イドリースは何も明かさない。
灰色の炎を纏い,ダブラに突き付ける。
「話を戻させてもらうぞ。俺は囚われている仲間達を解放しに来た。そして,エリコを占拠する。お前達が協定を結ぶ気になるまで,俺はここで抗戦を主張する」
「全ては旧人……いや,友のために,かい。なら,ボクに出来ることは一つだけだ」
そして十傑もまた,退こうとはしなかった。
ゆっくりと指が持ち上がる。
しかし直後,僅かな塵灰が四方に発生し,敵を取り囲んだ。
ダブラを中心として,ほの暗く半球状に展開された結界が,動きを止める。
それは敵を拘束するための炎の結界だった。
「へぇ……あんな会話をしている最中に,ボクの周りに罠を仕掛けていたのか。お見事だよ。やっぱり君は,最強と呼ばれるに相応しい」
「抵抗はしないでくれ。先ずはアンタを追い払う」
宣告した通り,イドリースに殺意はない。
エリヤを管轄するダブラを抑えてしまえば,この場の制圧は容易になる。
他の所属員達も抵抗を止めるだろう。
イドリースは結界内の空間を焼き付けることで固定させ,完全に動きを止めようとする。
「それはどうかな?」
「……!」
だがその瞬間,ダブラの身体が崩れ去った。
炎の仕業ではない。
不老不死である肉体が,複数の紙の束に変貌し,辺りに散乱したのだ。
まるで紙で構成されていた分身であるかのように。
「白紙の束……」
「あくまで君が与しないと言うなら,ボクの力を以て君を捕らえる」
声のする方へと振り返ると,ダブラは空中を浮遊しながらイドリースを見下ろしていた。
持ち上がっていた指先が動き,微かな光が灯る。
「弱界・視」
一瞬,全ての光景が白紙にすり替わった気がした。
その正体を知るよりも先に,辺りの光景が徐々に揺らいでいく。
霧だろうか。
イドリースは目を凝らすも,より一層濃くなっていく。
視界を遮る気かと思い,炎で周囲の水蒸気を焼き消そうとする。
だが何一つ変わらない。
どれだけ炎を撒いた所で,一向に辺りの光景は晴れない。
「辺りに霞んで? いや,これは違う……!」
そこでイドリースは気付く。
これは霧ではない。
周囲は何も変化していない。
変わったのは己が見ている光景,己の視界。
彼は一回だけ目を擦り,息を荒げた。
「俺の視力を奪っているのか!」
「そう。ボクは最弱の十傑。その意味は,最弱へ至らせる者」
ダブラは直接的な攻撃力を持たない。
殺傷する術すらなく,まさに最弱と呼ぶべきもの。
しかし,その代わりに扱えるのは力の減退。
彼の前では,強弱の観念があるモノは最弱にまで堕とされる。
故にイドリースの瞳は,既に何も映さなくなっていた。
「君の最強とボクの最弱。どちらが上か,答え合わせをしよう」
「チッ! 塵灰よ……!」
冷酷に響く十傑の声に対して,イドリースは力を込めた。
完全に光を失った視力に動じることもなく,彼は周囲に纏わせた炎の火力を上げる。
これ以上に他の感覚を奪われたら,手出しができなくなる。
己の状態を固定させ,監視室内を眩く照らした。
照らされた周りの物体が,光を反射してイドリースを照り付ける。
その感覚を,光の強弱を受け取り,即座に脳内に立体図を構築する。
そして,その中に人影らしきものを判別した。
イドリースが見上げた視線は,真っすぐにダブラを捉える。
「……視力を失っても尚,ボクの姿を見通すのか」
「失ったものは,すぐに取り戻す! 今は,お前を捕まえるだけだ!」
最弱化は厄介だが,相手側も殺し切れるだけの手段を持たない。
その隙を狙い,拘束するしかない。
彼は新たな炎を生み出し,ダブラがいる場所へと即座に放つ。
今度こそ確実に捕らえ,余計な真似をさせないように。
だが確かに包み込んだはずの敵の感触がない。
今まで感じていた彼の気配も,一瞬にして消失する。
「手応えがない……!?」
「今のボクはそこにいるけど,そこにはいない。君の傍かもしれないし,君よりもずっと遠くの場所にいるかもしれない」
声は確かに響いているが,ダブラの気配が消え去っている。
言葉通り,そこにいるようでそこにいないような曖昧な状態。
視力を奪われたことを踏まえて,その正体に気付く。
「まさか距離を!」
「……流石だね。ボクの力を瞬時に見抜くなんて」
距離にも遠い近いという強弱がある。
そこにある差を操作されたのだろう。
互いが互いを捉え切れない不確定な空間が,二人を呑み込む。
「君と真正面から戦おうなんて思わない。ボクは最弱だから,そんなことをしたら速攻で叩き潰されてしまう。だから,徐々に締め上げていく。外堀を埋めるように,ゆっくり,じっくりとね」
これが第九席,ダブラの戦い方。
今までの十傑とは異なり,相手を弱らせることだけに特化している。
闇雲に飛び込んでも,事態は悪化するだけだろう。
炎を自分の周りを収束させながら,イドリースは問う。
「何故お前は,エリヤの意志を許容できる!? 望んでもいない意志に縛られて,何を求める気だ!?」
「何も。元々ボクは,生まれた時点でこの姿になっていた。意志の選択なんてものは,始めから存在しないんだよ」
「……!」
「知っているかい? 人間は,900年前から定期的に造られているんだ。当初は100人程度だった人口が,今では500倍にまで膨れ上がった。そしてボクは,その途中で生み出された一人に過ぎない」
そこには何の感慨もなかった。
生み出されたことへの怒りも,意思を操作されていることへの悲しみも。
元より何も抱いていなかった。
「何もない白紙。だからボクは君を捕らえる。それだけだよ」
「だったら……俺がその過ちを正す……!」
力を込めたイドリースは,収縮した炎を一気に解き放った。
辺りを埋め尽くすほどの大量の残火が,監視塔へ広がっていく。
狙いなどない。
ダブラが歪ませた空間では,方角さえもあべこべになっている。
だがそれは,距離を失った空間全てを呑み込んでいく。
「な……!」
「例え居場所が分からなくても,周囲を焼き尽くせばどうなるか,答えは出る筈だ!」
直後,埋め尽くされた炎が一気に膨張し爆発した。
塔内を揺るがす衝撃と共に,監視塔の一角が爆ぜ,大きな灰色の煙を吐き出す。
辺りは全て残火にまみれ,燻ぶっている。
相手の居所が掴めないのなら,掴めるだけの広範囲に及べばいい。
イドリースは目の前の煙を払うと同時に,自身の視力が戻っていることに気付く。
「最弱化も焼き払えたか……」
瞳の力を取り戻したイドリースは,煙の向こうから現れたダブラを視認する。
距離の操作も元に戻ったのだろうか。
彼の衣服は少し焼け焦げていたが,気にすることなく不敵に笑っていた。
「何て男だ。監視塔を塵灰に変えるつもりかい……?」
「人払いをしてくれたお陰だ。余計な犠牲が出ずに済んだ」
「ハハハ……素晴らしい……素晴らしいよ……」
最弱化を無効にされたことに,怒りも焦りもない。
代わりにあるのは,微かな高揚感。
ダブラは自身の能力を打ち消されたことに,心なしか期待を持ったようだった。
「君なら,本当に出来るかもしれない。エリヤの意志に打ち勝つことが」
イドリースを不老不死に変えた後のことを言っているのか。
或いは人間に植え付けられた意志に対して言っているのか。
正確な意味は分からない。
それを考えるよりも先に,監視塔に届くほどの大きな揺れが発生する。
イドリース達の仕業ではない。
別の要因で,地下から何かしらの振動が起きたのだ。
二人共,思わず自身の足元を見下ろす。
「今の地鳴りは,地下都市から?」
「まさかッ……!」
ダブラは,はてと言うように首を傾げるが,イドリースは違った。
地下都市で起きた物騒な衝撃。
そして今,イドリースを囮としてアルカ達が地下都市に先行している。
まさか,彼女達の身に何かがあったのでは。
彼は自然と拳を握りしめた。




