第12話 絶海を目指せ
「エモ,それは本当なのか!?」
「えぇ……。ずっと言い出せなかったけど……」
ゲイン内の操縦室で,エモは委縮しながらも頷く。
イドリースだけでなく,皆も今の話を聞いて驚きを隠せない。
それは彼女が以前,反転外壁エリコに囚われていたことがある,というものだった。
今まで同じ里にいながら,事情を知らなかったエクトラが,最初に言葉を発する。
「エモさんがエリコにいたなんて,初耳なんだけど……」
「エクトラちゃんにも,言ってなかったからね。10年以上も前の話だけど,私はアウグスさんと違って,逃がされたの」
「逃がされた?」
「そう。私を気に掛けていた人間の女性がいてね。その人にエリコの外に放り出されたの。その後は結局行き倒れて,大樹の里長さんに拾われたのよ」
以前,イドリースがエモに対して,ずっと里で暮らしていたのかという質問をした事がある。
結局それは流されてしまったが,エリコに向かう彼らに対して,妙な態度を取っていたのはこれが原因のようだ。
つまりはアウグスと同期。
しかし,彼はエモの存在を知らないようだった。
「10年前……オレはアンタみたいな同志がいるなんて,初めて聞いたんだが……」
「私は一人で捕まっていたのよ。だから,他の同志さんには誰も会わなかったわ。多分,アウグスさんとは別の場所に隔離されていたんじゃないかな」
エリコ内では,特別扱いをされていたのだろう。
丁重に扱われていたかどうかはともかく,アルカと同じ境遇を思わせる。
「それで……話は戻るけど,どうしてここまで?」
「……見過ごせなかったよ」
「えっ?」
俯いていたエモは,イドリースと目を合わせる。
「エリコは,私が捨てた場所。他の同志さんのことも,私は目を瞑って生きて来た。私一人じゃどうにも出来ない。助け出せる筈がないって,心の中で思い込んでいたのよ。でも,イオフィちゃんに言われて気付いたわ」
『ちゃん? ワタシのことですか?』
「そう,イオフィちゃん」
はて,と小首を傾けるイオフィに彼女は微かに笑った。
「貴方に誘われてから,あの時とは違うって分かったの。一人で蹲っている時間は終わり。里の皆が言ったように,今こそ行動するときなのよ。だから私も行かせてほしい。エリコは,私の過去を断ち切るためにも必要な場所なの」
イドリース達の元にやって来たのは,罪の意識。
自分だけが助かったという思いを10年以上抱えていたからこそ,里に留まることが出来なかった。
とは言え,イドリースは少々頷き難かった。
彼女は非戦闘員。
服屋としての才能はあるが,戦闘技術があるとは思えない。
「仮にそうだとして,エモには何が出来るんだ? エクトラのように,人間相手に戦えるとは思えないけど」
「……エリコの内部の事は,ある程度知っているわ。何処に同志さん達が囚われているのか,人間達が何処を見張っているのか,大よその場所をね」
「マジか……!? オレ達でも分からなかったことを,どうして……?」
「私を逃がしてくれた人が,あの時に色々なことを教えてくれたわ。それと,昔と体制が変わっていないなら,エリコには十傑がいるの」
エモは,エリコを管轄する者の存在を明かした。
十傑と言う単語を聞き,皆が固唾を呑む。
「第九席,僅かなるダブララサ。最弱の十傑よ」
「最弱? 一番弱いんですか?」
「アルカちゃんも気になるよね。でも,結局は自称らしいから,あまり当てにしない方がいいかも」
「……強いんですか?」
「それが分からないの。序列上,王のエリヤに一番近い所にいる十傑と言われていたみたい」
ダブラの能力は不明。
表立った戦闘を行わないこともあって,人間の中でも正体を知る者は少ない。
最弱を自称するという変わり者らしいが,今まで戦ってきた十傑,カーゴカルトとテウルギアは,どちらも難敵だった。
その人物も,同等の力を有していると考えた方が良い。
「アウグス。エリコにいたなら,その十傑について何か知らないの?」
「いや,生憎オレも全然知らなくてな。統括している奴がいることは聞いていたが,十傑で,しかもダブララサって名前だってことも,今始めて知ったよ」
エクトラに問われたアウグスも,首を振る。
情報規制をされていたのか,十傑に関しては殆ど知らないようだ。
「最弱の十傑,か」
最強と呼ばれたイドリースは,最弱のダブラに対照的な印象を抱く。
「エモ。そのダブラという十傑が,エリヤに一番近いというのは本当なのか?」
「えぇ。十傑の中でも,かなりの発言力があるとか……」
恐らく王の信頼を最も受けている人物なのだろう。
敵対種族である旧人の管理を任されていることが,その証拠である。
今から占拠する地にそんな男がいると理解した彼は,一回頷いた。
「だったら,丁度良いかもしれない」
「どういうこと……?」
「今から俺達はエリコに乗り込む。そこで,交渉するカードを手に入れようと思っていた。ただ占拠しただけじゃ,エリヤの耳にまで届かないからな」
エモだけでなく,この場にいる皆に説明する。
優先すべきは囚われた旧人達の解放だが,それだけではない。
旧人に対して一定の生存権を承諾させることが,最終的な目的である。
そのためには,エリコを占拠しただけでは足りない。
人間を統括する者に,騒動が知られなければ内々で処理されてしまう。
『つまり,ダブララサという男に交渉を持ち掛けるのですね』
「そう。王に一番近いと言われているなら,話を通す事さえ出来れば,必ず何らかのアクションは起こせる」
「大丈夫,ですか……?」
「倒したりなんてしない。ここで王の側近を倒せば,それこそ俺達の話を聞いてくれずに,徹底抗戦を構えられてしまう。可能な限り,被害はゼロで抑える」
「その……大丈夫って言うのは,イドさんが十傑の人を抑えるって意味で……」
「こういうことは,俺が先陣を切らないと。他の誰にも任せるつもりはないんだ」
最高戦力である十傑との対峙。
アルカはイドリースが再び彼らと戦うことに不安を抱いていた。
彼の敗北を想像しているのではない。
以前も予期した,手も声も届かない,遠くへ消えてしまうような既視感があったのだ。
「こればっかりは,心配しても仕方ないよ」
「エクトラさん……」
「イドリースはイドリースにしか出来ないことをする。なら,あたし達はあたし達にしか出来ないことをしよう」
「うん……そうだね……」
しかし,残された道は一つ。
今は心配するだけでなく,自分の持てる力で彼を支えるだけだ。
エクトラから励まされ,アルカも少しだけ心持を取り戻した。
それから時間を置かずに,機動要塞の稼働が全て完了する。
心臓部への温度供給も済み,移動するだけの準備が整う。
それを検知したイオフィは,再び周囲の機械と接続し,要塞の移動を試みた。
行き先は反転外壁エリコ。
止める者は誰もいない。
『機動要塞ゲイン,離陸します』
少々の揺れと共に要塞が動き出す。
操縦室にある防弾ガラスの窓から,ゆっくりと流れていく景色が見える。
アウグスの情報を頼りに目的地を定めると,距離は以前聞いた通りの100㎞。
今から数時間後には到着する見込みらしい。
やるべきことは殆ど決まっていたが,もう一度皆で方針を再確認する。
「イオフィはそのままゲインを操作してくれ。言っておくけど,要塞内の武装は使用しないように。今回の目的は侵略じゃない」
『畏まりました』
「それで兄貴,どういう作戦で行くんだ?」
「作戦と言っても,突撃するだけだからな。この要塞も大き過ぎて,接近するだけで確実にバレるだろうし」
「だったら私の力で隠しちゃう,というのは?」
アルカが一つ提案する。
目立ちすぎる要塞を狭間に押し込み,その中を移動するというものだった。
「向こう側に閉じ込めて移動しちゃえば,誰にも気付かれません」
「確かにそうだけど……規模が大き過ぎないか? 今までこれだけ大きなものを閉じ込めたことはないだろう? 力の消耗が激しいから,止めた方が良い」
「そうですか……」
最近は力の制御が出来るようになっているが,何百ⅿもある要塞を収納するとなると,今まで以上に負担が掛かる。
エリコに到達してから行うべき事も多く,今の時点で彼女に全力を出してもらうのは危険だ。
多少の騒動があっても,押し切る以外にないと考える。
すると,アウグスが横から新たに助言する。
「じゃあ兄貴,こういうのはどうだ? 彼女の力でオレ達がエリコ内に侵入する。その間に兄貴達は,表立ってエリコに突撃して皆の気を引く。その間に,オレ達で仲間を解放すれば,被害は最小限に抑えられる」
「成程……囮役と潜入役に分散させるんだな」
アルカの力は,未だ人間側には知られていない。
狭間を駆使して潜入されるなど,夢にも思わないだろう。
イドリースが正面から人間達を引き寄せ,内部で戸惑っている間に囚われた旧人達を救い出す。
潜入する側は少数精鋭で行くのだから,個人の負担も少なくなる筈だ。
「そうするなら,俺は囮になるとして,イオフィも要塞を動かすために残るしかないか。潜入するチームとしては,アルカと……」
「あたしも行かせて。潜入と言っても,戦力は多い方が良いから」
「分かった。じゃあ,エクトラとアウグスを入れて三人か」
イドリースの次に戦い慣れしているのは,エクトラである。
万が一のためにも,彼女をアルカ達と同じ潜入役に抜擢する。
奇しくも,イオエムを打倒したメンバーと同じ形になった。
「オレも内部の状況は,正確には分からないんだ。だから……」
「そこは私が覚えている限り説明するわ。10年前の話だけど,あれだけ大きな都市だもの。ガラリと変わっていることはない筈」
「有難い! 同期として,頼りにする!」
エモは戦闘経験皆無のためイオフィの傍,要塞内部に留まることになる。
エリコの正確な内部情報は彼女にしか分からないため,アウグス経由で伝える方針になった。
旧人達が囚われている場所や位置が分かれば,これ以上に有益なものはない。
しかし,イドリースには気掛かりなことがあった。
それは信憑性である。
彼女が10年以上前,エリコに囚われていたのは分かった。
ただ,拭い切れない違和感を抱く。
妙に都合が良すぎる。
逃亡してきたアウグスはさておき,迷い込んで来たイオフィの時点で,思いのほか事が進んでいる予感はあった。
だが,エモの介入は全くの予想外だった。
彼女がエリコの出身だったとは,里の者は一度も語っていない。
エクトラがそうだったように,里の人々も,そのことを知らなかったのではないか。
「イド,どうかしたの?」
「……いや,何でもない」
問うべきかと思ったが,その考えはすぐに過ぎ去った。
まるで何かに押し流されるように,別の思考へと切り替わる。
一先ず,彼はアウグスの方針に乗り,個人の役割分担を行った。
「それじゃあ,アウグスの作戦で事を動かそうと思う。潜入役の三人には負担が大きいかもしれないけど,頼めるか?」
「任せてくれ! 仲間達を,そしてユーリエの居所を,必ず掴んで見せるさ!」
「皆の状況を変えるためにも,ここが踏ん張り時。頑張らないとね」
「私も,精一杯役に立ちます!」
各々が戦いへの決意を示す。
アルカ達に潜入を任せるのは少々不安ではあるが,この役目は彼女達にしか出来ないことである。
共に戦う仲間として信頼を預ける。
唯一自分のことがあやふやであるイオフィが,周りの鼓舞を見て,独り言のように呟く。
『ワタシは未だに自分の事が分かりません。エリコに向かえば,何かしらの情報が分かるでしょうか?』
「……どうだろうな。でも人間に造られたのなら,イオフィを知っている人もいるかもしれない」
生まれである900年前には,既に不老不死は完成していた。
彼女を生み出した製造者が存命している可能性はある。
イオフィ自身は,ついでに分かれば良いと思っているようで,急を要している素振りは見せなかった。
そもそも機械なので,素振りを見せるのかも怪しいが。
明確なことが言えないイドリースは,要塞を操縦しながら考え事を始める彼女に,何とも言えない視線を注ぐだけだった。
100㎞もの道のりは,要塞で移動することで殆ど労力を使わなかった。
数時間という合間も,戦いの心構えを抱くまでの僅かな猶予になるだけだった。
夜が更け,地平線の向こうから日が見え始める。
冷たい砂漠は,いつの間にか周囲に木々を纏わせた大河へと変わっていた。
要塞が横切るたびに,目を覚ました鳥たちが微かに動き始める。
慎重に移動しているものの,その巨大さは簡単に隠せるものではない。
アルカの力なく,気付かれずにエリコに侵入するのは不可能だろう。
巨大な大河を昇って暫くすると,更に川幅が増し,深い青色を伸ばす海が現れた。
澄み渡る程ではないが,一定以上の清潔さが感じられる。
一度人類が滅びかけようとも,自然は再生する。
今まで一望するという経験はなかったため,広がる海の光景にイドリースは少しだけ目を細めた。
「海が見えて来たな」
「間違いない,この先だ。周りが海だけになった時,一面に大瀑布が見えてくる。そこにエリコがあるんだ」
アウグスが緊張した声を出す。
海が見えてきたということは,エリコのある大瀑布が近い。
イドリースは海の先だけでなく,その一帯を注視した。
依然周囲の状況は変わっていないが,万が一の可能性は考えなければならない。
彼はガラス張りの窓を一部開放し,要塞の外へと身を乗り出した。
微かな波の音と強い風の音が混じり合い,操縦室にまで及ぶ。
「どうする気?」
「ここはもう,人間の領土だ。いつどこから攻撃か来るか分からない。俺は外で迎撃する。確かエクトラは,稲妻を物理的な形に変異できたな?」
「槍を作る感覚でやれば,出来るけど」
「今の内にアルカの力へ退避してくれ。エリコとの距離は,こっちでギリギリまで狭める。自力で渡れるくらいになったら,稲妻で道を造って,エリコに潜入してほしい」
「道を造る……分かった,やってみるよ。代わりに,エモさんをお願い」
「あぁ,任された」
こちら側の要塞が近づかない限り,彼女達も潜入できない。
自分が行うべきは,囮となってエリコ内の人間を引き付けつつ,この要塞を出来る限り無傷で接近させることだ。
朝日を受けるイドリースは,一瞬だけ後ろを振り返る。
不安があるようには感じられない,アルカ達の姿が見えた。
「三人共,武運を祈る!」
余計な言葉は言わない。
彼女達は強く頷き,狭間の向こうへと消えていった。
後は囚われた皆を連れ出し,この要塞に戻ってくるのを待つのみ。
狭間が閉じ,残されたイオフィとエモに彼は指示を出していく。
「イオフィは要塞の移動だけに注力してくれ。エリコに接近したら,徐々に減速して止まってほしい」
『相手の猛攻が激しく,近づけない場合は?』
「猛攻は俺が防ぐ。近づけさせるさ」
周囲に灰と残火を纏わせながら,そう言う。
囮と防衛線を一人で成し得るなど,本来はあり得ない話だが,彼だけはその例に当てはまらない。
塵灰の炎には,それを可能にする力がある。
「エモはここから離れないで」
「わ,分かったわ」
緊張しているのか,エモもいつもとは違う雰囲気で皆を見送る。
頷いた彼女を見て,イドリースは視線を元に戻した。
操縦室から要塞の外へと飛び出し,海の風を一身に受ける。
「さぁ……どう来るか……」
譲るつもりはない。
ただ人間側の出方によっては,自分の身の振り方も考えなければならない。
イドリースは見えてくるであろうエリコを,険しい表情で見据える。
エリコ潜入作戦が,今始まろうとしていた。




