第4話 元英雄,膝枕をする
「だ,大丈夫ですか,イドさん?」
「まぁ,ちょっとしたカルチャーショックってヤツだから,気にしないでくれ」
イドリースは痛みを発しそうな頭を片手で抑える。
千年もの時の格差を実感して,彼自身が忽ちどうにかなることはない。
しかしそれは,元いた時代には戻れないことを意味していた。
かつての仲間達も,弟分のキューレすらも,生きている筈がない。
遠回しに彼らの死を伝えられ,不屈の英雄も少しだけ気落ちする。
「千年か。王国の話をしても通じない訳だ」
今の時代の人々と,話が噛み合わないのは当然だった。
それだけの時が経っていれば,フェルグランデ王国だけでなく,イドリースの存在も風化していておかしくはない。
既に彼を知る者は何処にもいない。
恐れられ続けた側から一転したことを知り,暗闇に閉ざされた天を仰ぐ。
するとその視界にアルカの姿が映る。
心配そうに見つめる彼女を見て,イドリースは一度深呼吸をした後,自嘲気味に笑った。
「まぁ,こうなったら仕方ないか」
「切り替え早いですね?」
「思い切りの良さは,俺の得意技だからな。こんな薄暗いところで考え込んでも,余計気分が落ち込むだけだし。それでアルカを不安にさせても,意味ないしな」
「イドさん……」
「千年前の英雄じゃあ心許ないかもしれないけど,塵芥の炎は伊達じゃない。少し休んだら,一緒に地上を目指そう」
「は,はいっ。私もイドさんを信じますっ」
元英雄である自分が悩むなど,情けなさしか残らない。
何より,アルカを怖がらせてはいけない。
今出来るのは,非力な少女を守ること。
かつての仲間達も同じように選択する筈だ。
そう思ったイドリースは,元気よく答える彼女に対して優しい声で語りかけた。
「というわけで,少し寝て良いよ」
「えっ? でも……」
「隠してるつもりだろうけど,眠そうなのが丸分かりだ。途中で倒れると危ないし,俺がずっと見張ってる。心配はいらないよ」
アルカは人間から追われ,未だ疲労を背負い込んだままだ。
これから行動に支障が出るかもしれず,少しくらいの仮眠ならば問題ない。
イドリース自身は長年の眠りから覚めたばかりで,眠気は一切なかった。
見張り程度の役割ならば何時間でもこなせる。
「じゃ,じゃあ,一つお願いを聞いてくれますか?」
「ん? いいよ?」
「突然で困るかも,ですけど……。ひ,膝枕……してください……」
両手をまごつかせながら,元英雄に対して膝枕を要求する。
岩肌で横になることに寝辛さを感じるのかもしれない。
何とも想定外なお願いに,彼は少しだけ目を丸くした。
「なんだ。改まって言うから,もっと危ないことを頼まれるのかと思った」
「危ない!? そ,そんなこと頼みません!」
「そんなことって?」
「!?」
「いや,茶化して悪かったよ。膝枕をするなんて今までなかったから,ちょっと驚いたんだ。柔らかさに自信はないけど,それでも良ければどうぞ」
少女に膝枕をする機会などなかったので,特に断る理由もない。
座り方を変えつつ,イドリースは快く引き受ける。
すると彼女もおずおずと身体を乗り出す。
角が当たらないよう角度を調整しつつ,意を決したように,頭を彼の太ももへ乗せる。
間近で見ると華奢な身体で,今まで過酷な生活を送っていたことを物語っていた。
横になったアルカは暫らくして,小さな声で語り始める。
「私,今まで何を話しても無視されるばかりで。こんなに誰かと話したの,始めてなんです。だから……今は傍に,いて下さい」
「大丈夫。俺は,ここにいる」
その言葉に安心したのか,アルカはゆっくりと目蓋を降ろす。
人肌の温かさを感じながら,次第に静かな寝息を立て始める。
これこそ,彼の知る人間の姿だった。
周囲に舞う己の炎を見つめながら,イドリースはかつての光景に思いを馳せる。
「キューレ……皆……。ごめん……」
誰にも聞こえる事なく,彼は悲しそうに呟いた。
●
「ペンタゴン?」
「はい。この真上にある居住区のことを,人間の皆はそう呼んでいます」
アルカが眠りから覚めた後,二人は地上を目指して洞窟の中を進んでいた。
イドリースにとっては始めての場所なので道順は分からなかったが,男達が退却したであろう足跡を見つけ,それを頼りに辿っていく。
途中,彼女が洞窟を抜けた先にある,人間達の居住区の存在を明かす。
地上に造られた五角形の巨大ドーム。
通称,ペンタゴン。
そこでは不老不死の者達が,永遠の楽園として暮らしているのだという。
「じゃあ,外に出るにはそこを抜けないといけないな」
「はい。私もずっとそこで捕まっていて,隙を見て外に出ようとしたんです。でも,道を間違えて」
「こんな所まで来たって訳か。凄い方向音痴だなぁ」
「うぅ……」
「でも,それが切っ掛けで目が覚めたかもしれないんだ。ありがとう」
イドリースが少しだけ笑うと,アルカは俯きながら両手で角を隠した。
聞く限り,ペンタゴンは人間のみが暮らす場所のようだが,彼女のように旧人が捕えられているケースもあるようだ。
虐げられている者達が,同じように囚われている可能性はある。
「そのペンタゴンには,アルカの他にも仲間がいたのか?」
「分かりません。私はずっと白い部屋に閉じ込められていたので,人間以外の人には誰も……。でもあの部屋を抜け出した途中に,一瞬だけ私と同じ,角の生えた人を見かけました」
「じゃあ,やっぱり捕まっている人がいるってことだな」
「あの時は逃げることに必死で,誰かに声を掛ける事も出来ませんでした……」
「あんまり気にしなくて良いさ。これから助けに行けばいいだけだ」
アルカは仲間を助けずに逃げたことを気に病んでいるようだが,彼女を責める筈もない。
寧ろ不老不死の男達相手に地下深くまで逃げてきたことは,健闘に値する。
ただ,一見して普通の少女にそこまでのことが出来るとは思えない。
塵芥の炎と同じく,何か固有能力を持っているのかもしれない。
「アルカは,何か特別な力を持っているのか?」
「特別……ないことはないですけど,見ますか?」
「嫌じゃなければ」
その提案にイドリースが頷くと,アルカは一旦立ち止まる。
何もない虚空を指差し,そのまま真下へ指を降ろした。
すると跡を残すように銀色の線が引かれ,そのままその線が楕円状に開かれる。
こじ開けられた空間の向こう側には,こちらの世界を銀色一色に染め上げた異様な光景が広がっていた。
「これは一体?」
「鏡の世界みたいなもので,このまま入ることも出来ます。あちらの空間は,こっちの世界と繋がっているので,ここに入れば誰にも気付かれず,行きたい所まで移動できるんです」
「へぇ。奴ら相手に逃げてこれたのも,これが理由なんだな」
「でも,生きている人が入ると消耗が激しくて……結局,逃げ切れませんでした」
アルカは逃亡の際,銀色の世界に身を隠しながら移動を続けた。
どのタイミングであっても,彼女が指を動かすだけで二つの世界を繋げることが可能らしい。
しかし体力の消耗が著しく,先程の逃亡では最終的に元の世界へ吐き出されたようだ。
彼女の力を見たイドリースは,何処か納得したように頷いた。
「これは,相当強い力みたいだなぁ」
「そ,そんなことないです。イドさんの方がよっぽど凄いです」
「いやいや,こういうのは適材適所ってヤツでね。ただ燃やす事しか能のない俺の炎よりも,よっぽど優れている」
「そうなんですか?」
「うむ。英雄のお墨付きだ」
アルカに自覚はないが,これ程の力は1000年前では片手で数える位の希少さだ。
直接的な攻撃力はなくとも,やり様によっては不老不死を倒す鍵にもなる。
彼女が封印を解いたという線も,あながち間違いではないかもしれないと,イドリースは心の中で思うのだった。
少しの時間と,幾つかの険しい道を超える。
体力的に消耗しそうな大きな坂道や崖は,イドリースがアルカを抱えながら易々と登っていった。
英雄と呼ばれた彼の身は,何も炎だけが全てではない。
どれだけの動かしても疲れを知らない強靭な肉体も,その一助となっている。
この程度の高低差は,彼にとって準備運動のようなものだった。
そして地上に近い場所まで辿り着いた時,イドリースは先の道に潜む複数の気配に気付く。
背後から付いてくる彼女に合図を送りながら,その場に立ち止まる。
ここからでは何も見えないが,彼の勘と経験が連中の敵意を感じ取っていた。
「この先に,人間の人達がいるんですか?」
「間違いない。ここは適材適所だ,俺が出た方がいいだろうな」
「じゃあ,私の力で裏の世界から通り抜ければ……」
「生きている人を入れると,かなり疲れるんだろう? 出来るだけアルカの力は温存しておきたいんだ。それに……」
イドリースは視線を変え,聳える洞窟の壁に意識を向ける。
物言わぬ岩肌ばかりが広がっていたが,徐々にその内部から妙な金属音が聞こえてくる。
「あっちもそこまで馬鹿じゃないみたいだ」
瞬間,彼はアルカを抱きかかえ跳躍する。
突然のことに彼女は小さな悲鳴を上げたが,それは抱えられたことだけが原因ではない。
洞窟の壁を突き破るように飛来した黒い鎖。
金属音を鳴らすそれらが,二人を捕えるように何本も放たれた。
イドリースはその鎖に一切触れる事なく,己の跳躍力だけで避け切る。
その勢いのまま前線へと飛び出ると,そこには見覚えのある者達が待ち構えていた。
「ほ,本当に旧人がもう一人いたのか!?」
「さっきの奴らが言っていた事は,本当だったのか!」
統一された制服を着た彼らは,何かの部隊のように見えた。
恐らく旧人討伐用に組まれた者達なのだろう。
動揺する彼らに対して,表情を変えないイドリースが,そのままの調子で歩き出す。
「そこを通してほしい。可能な限り被害は抑えたいんだ」
「馬鹿が! この先はカーゴカルト様の管轄,ペンタゴンの領域だ! 貴様らを通す訳にはいかん!」
「カーゴカルト?」
「ペンタゴンを造った,創設者の名前です。私も,何度か会った事があります」
アルカの説明を聞いて,地上の施設にはカーゴカルトなる親玉がいることを知る。
ペンタゴンにも同じような不老不死者ばかりがいるとなると,そう簡単に外の世界に出ることは出来なさそうだ。
道は中々に厳しいかもしれないと理解しつつ,彼は男達に向き直る。
「でも,お前達は俺達を殺すつもりなんだろう? 悪いけど,むざむざ死ぬつもりなんてないんだよ」
「く,クソッ! この汚れた下級種族め!」
「汚れていても結構。俺は元々,そういった類の英雄だからな。だから,余計な話はナシにしよう。退く気がないなら,後はこの塵芥の炎が相手をする」
イドリースは警告すると同時に,周囲に灰の炎を発生させる。
不老不死の身体を焼き殺す業火が,音を鳴らしながら巻き上がる。
それを体感した男達が,恐れるように後退していく。
だがその直後,新たな声が進もうとする二人を制止した。
「待てよ。なら,この俺を倒してからにしな」
「チェイン!? だ,大丈夫なのか!?」
「任せなって。特殊な個体相手の捕縛が,俺の専門だからよぉ」
柄の悪そうな金髪の青年が,男達の群れから一歩前に出る。
自信に溢れた表情をしながら,周囲に金属音を鳴らす鎖を浮かばせている。
それは先程,イドリース達を奇襲した黒鎖に間違いなかった。
「黒い鎖。さっきの奇襲はお前がやったんだな」
「そうさ。まさか,あそこまで綺麗に避けられるとは思わなかったぜ。先行隊をしばき倒したって話も,あながち間違いじゃあなさそうだな」
「もう一度聞くけど,通してはくれないのか?」
「悪ぃな。お前らはここで倒れてくれ。黒鎖のチェインの前でなぁ……!」
直後,チェインの鎖が一直線にイドリース達に向かって発射される。
鎖の先端は鋭い爪状になっており,岩すらも易々と貫く威力を誇っていた。
同時に,塵芥の炎がそれら全てを迎撃し。
金属を叩く大きな音と共に,互いの力が弾かれた。
少しだけイドリースの眉が動くと,身を守る為に炎を自分の元へと寄せ集める。
通常ならば蒸発する筈の黒鎖は,熱による蒸気を発するだけでその原形を保っていた。
「ただの鎖じゃないんだな」
「当然だ。俺の鎖は,触れた力を吸収・拘束する。触れたら最後,お前達の体力は一瞬で吸い上げられる。例えお前がどんな炎を操ろうと,それすらも縛り上げる。人間と旧人の,格の違いってヤツを教えてやるぜ」
炎の膜を展開し,襲い掛かる鎖の群れを弾き飛ばす。
攻勢に出る事なく,イドリースは鞭のようにしなる鎖の攻撃を防御し続ける。
どうやら彼の言葉は本当のようで,あっさりと燃やせるものではないようだ。
「確かに強いな。今のままじゃ,倒せそうにない」
「ハッ! 拮抗するなら疲れを知らない俺達人間の方が,分はある! この勝負,もらったな!」
「イドさん……!」
不利を察したアルカが切迫した声を出すも,それは直ぐに杞憂に終わる。
二人を覆っていた炎の防壁が更に深みを増した。
「だったら,少し火力を上げよう」
「は……?」
「不死の体現者が,生い先ある若い芽を摘むなんて……。俺が言うのもアレだけど,笑い話にもならないぞ」
巻き上がる灰がドス黒く染まり始め,それに伴い残火の灯も激しさを増す。
それは彼の力の一部が現れた証拠だった。
チェインは舌打ちをしながら,先程の倍近くある鎖の群れを生みだし,炎の防壁を破らんと襲わせる。
だがそれらがイドリース達の元に届くことはなかった。
今まで蒸気を上げるだけだった黒鎖が,彼の炎に触れた瞬間,断面を赤く染まらせながら消失した。
「馬鹿な……! 俺の鎖が焼き切れただとぉ……!?」
「格の違いってヤツを教えてやる。その勇気があるなら,乗り越えてみせろッ!」
イドリースはアルカを抱えたまま,攻めに転じる。
焼き飛ばされた黒鎖の隙を見て,灰の黒炎を飛ばし,チェイン達の頭上の岩石を砕く。
天井一帯に罅が入り,それらが次第に音を立てて砂埃を溢していく。
彼らもその意味をようやく理解したが,既に遅かった。
砕かれた衝撃で洞窟の天井が落盤し,多数の岩がチェインを含めた人間達の頭上に落下したのだ。
「うわああぁッ!」
彼らの悲鳴と落盤の轟音が洞窟に響き渡る。
イドリースは立ち込める砂や岩の断片を炎で除去しながら,自分達への被害を無に変える。
目の前には埋め尽くされた岩の瓦礫だけが残っており,男たち全員が生き埋めになった事を表していた。
「だ,大丈夫なんですか?」
「仮にも不老不死なら,この程度じゃ死なないだろうさ。それよりも,さっさとここを抜けてしまおう。っと……そうだアルカ,これを着てくれ」
「これは……さっきの人達の制服ですね」
「流石に今の格好で出歩くとすぐ見つかりそうだし,気休め程度にはなるんじゃないかな」
アルカを降ろしたイドリースは瓦礫の中に埋もれていた,男達の制服を探り当てた。
地上の楽園がどうなっているのかは分からないが,このまま向かえば確実に騒ぎになる。
正体を隠すという意味でも,ないよりはマシだろう。
アルカも彼と同じように,服に着いた砂を落としながら重ね着をし,角を隠すように帽子を深く被る。
しかしあることに気付いて,申し訳なさそうな顔をする。
「あのぉ。これ,ダボダボです……」
「そうなるかぁ」
流石に彼女に合せた服は調達できない。
余分な袖を捲くることで帳尻を合わせ,二人は洞窟を抜け,人間達の楽園へと足を踏み入れるのだった。