第11話 スパゲティ・チェイン
「クソッ! 頭がモヤモヤして来やがった……!」
純白の病室で,黒鎖のチェインは喚く。
彼は幸福の箱と呼ばれるカプセルに入れられ,治療を受けていた。
この装置は損傷した魂の自然治癒を早める,現在の人間にとって唯一の治療手段。
室内には他にも何台も設置されていたが,今使用しているのはチェインのみ。
先の戦いで深手を負いながらも,生き延びたのは彼一人だったからだ。
「先輩,知恵熱っすか?」
「うるせーぞ,トムゥ! 人間は熱なんて出さねーっての!」
見舞いに現れたファントムに,チェインはカプセルの蓋を開けつつ乱暴な返答をする。
それでも後輩が無傷であることをもう一度確認し,内心安堵した。
ここは反転外壁エリコの地下都市内。
機動要塞ゲインから撤退した彼らは,救助要請を受け入れたエリコへと避難した。
そして事情を説明する。
数人の旧人が攻め入り,ゲインが堕とされたということを。
当初は誰もが信じられない様子だった。
力を持たない旧人が,たった数人で旧人殲滅を担う要塞を壊滅できる筈がないと。
だがその後,彼らは思い知る。
最後まで残ったテウルギアが,旧人達によって倒されたのだ。
逃げ延びたチェイン達も,彼の死を知り動揺を抑えられなかった。
しかし何も出来ない。
十傑を倒した者相手に,無策で飛び込むほど愚かではない。
結局,チェイン達はエリコ内に留まることとなった。
「大分回復してきたみたいっすね。暫くすれば,普通に動けるようになりますよ?」
「ったく,この有様……敗残兵の気分だぜ」
「助かっただけ,良かったと思うんすけど」
「馬鹿言え。結局俺は,イドリースを倒せなかった。それだけじゃねぇ。あのテウルギアを失うことになったんだ」
チェインは悔しそうに表情を歪める。
彼ら二人は,テウルギアと殆ど面識がなかった。
だが要塞で語り合った旧人の生い立ちは,今でも鮮明に覚えている。
あの時の恨みは,片時も忘れたことがない。
そう言うテウルギアを,チェイン達は悪だと断言できなかった。
だからこそ,攻め込んで来たイドリースらを止めようとした。
「そうだ。テウルギアが間違っていたなんて,俺は思わねぇ」
「先輩……」
「旧人の真実を伝えれば,奴も俺達の側に来ると思っていた。でもよぉ,俺の考えは甘かったってことなのか?」
イドリースはそれを知っても尚,旧人達の側で戦うことを選んだ。
かつて人間と呼ばれた最後の生き残りは,人の姿をした別のモノに加担したのだ。
一体彼は,何を信じて今を生きているのか。
チェインには分からなくなっていた。
何が正義で,何が悪なのか。
「少しは自分の立場を理解できたようだな,死神」
すると,病室に別の男がやって来る。
エリコ内に常駐する職員の一人だった。
男は苛立ち気に,遠目に二人を見つめていた。
明らかに歓迎する態度ではない。
聞き慣れない言葉に,チェインは起き上がりつつ問う。
「死神? まさか,俺達の事を言っているのか?」
「あぁ。この反転外壁エリコにまで伝わっているぞ。お前達に関わった人間は尽く死んでいく,疫病神だとな」
「何だと……!?」
挑発する物言いに,思わずチェインは視線を鋭くする。
ファントムも戸惑うように双方を見比べた。
「事実じゃないか。ペンタゴンを追われたお前達は,機動要塞ゲインに逃げ込み,そこをも壊滅させた。ゲインの陥落など,今まで一度もなかったのに」
当然,チェイン達がゲインを堕とした訳ではない。
この男を含め,人間達に蔓延するやり場のない怒りが,生き延びてしまったチェイン達に向けられていた。
「カーゴカルト様に,テウルギア様……次は誰を道連れにするつもりだ?」
「テメェ……!」
「せ,先輩! 今動いちゃ駄目っすよ!」
無理にでも能力を行使するチェインを,ファントムが止めに掛かる。
その様子を見て,男は鼻で笑った。
「今のお前達は,ダブラ様の恩情でこの場に安置されている。勝手な真似をすれば,容赦はしない」
「おい,トムは関係ねぇだろ! 無茶を通すのは俺だけにしろ!」
此処に運ばれた時点で,彼は嫌な予感を抱いていた。
周囲の連中は,チェイン達に対して侮蔑の態度を取っている。
ペンタゴンでもあった,責任の擦り付け合い。
無意味で無価値な,堂々巡りの争い。
これが,テウルギアがそして自分達が守ろうとした人間なのか。
チェインが握り拳を震わせると,直後に病室へ新たな人物が現れる。
「まぁまぁ,皆。そう熱くならずに深呼吸。って,ボク達に呼吸はないけど」
「ダブラ様!?」
振り返った職員は,驚きながら身を低くする。
現れたのはチェイン達と見た目変わらない位の青年だった。
燃え尽きた様な灰色の髪。
膝下まである旅人のようなコートを上着に羽織り,首には得体の知れない錆びた首輪が嵌められている。
長身だが虚弱そうな優男,そんな印象を受ける。
彼は息巻いていた職員に近づき,その肩に触れた。
「君は皆のために怒ってくれているんだね。ありがとう」
「いえ……別に自分は……」
「でもね。ボクは人間同士の争いなんて,見たくないんだ。同じ不老不死,終わりもない揶揄が延々と続くなんて,これ程無駄なことはないじゃないか」
「は……はい……」
「大丈夫。君達が死に恐れる必要はないよ。だって此処には,最弱のボクがいるからね」
青年が安心させるように言うと,男職員は否定できずに頭を下げ,逃げるように立ち去った。
険悪だった雰囲気は,一転して穏やかなものへと変わる。
どうやらこの青年は,チェイン達に対して悪感情を持っていないらしい。
「悪かったね。でも十傑が次々に倒されるなんて,前代未聞なんだ。皆,感情の整理が出来ていない不安定な状態だ。どうか,許してほしい」
「まぁ,良いけどな……。っていうか,アンタ誰だ?」
「ちょっ!? 先輩,失礼過ぎっすよ! この方は十傑! 第九席,ダブララサ様っす!」
「第九席……そうだったのか……」
慌てるファントムから素性を聞いて,チェインは納得する。
反転外壁エリコを統括する第九席,僅かなるダブララサ。
序列上,第十席であるエリヤに最も近い場所にいる人物。
唯一王に反論できる者と,聞いたことがある。
あれだけの言葉で職員を黙らせることが出来たのも,その権威あってこそだ。
しかし,十傑のダブラは困ったように笑う。
「いやぁ,記憶から忘れられるのも当然だ。なんせボクは十傑最弱。脆弱で惰弱で情弱な男さ。空気過ぎて名前も出てこない筈だよ」
「せ,先輩……! 謝りましょう……! ね? ね?」
大変失礼なことをしてしまった,と言わんばかりにチェインを揺さぶるファントム。
彼も相手が友好的な人物と理解して頭を下げた。
「いや,悪かったです。元々,ペンタゴン以外の事は疎くて。俺はチェイン,こっちはファントム。今回は俺達を引き入れてくれて,ありがとうございます」
「いやいや,困ったときはお互い様さ。改めて,ボクは十傑のダブララサ。こんなボクでも,記憶の片隅に置いてくれると嬉しいよ」
ダブラは謙遜を絵に描いたような人物だった。
十傑らしい威厳はなく,対等な関係で対話を臨んでいる。
しかしわざわざ十傑の一翼がやって来るとなると,それなりの理由がある筈だ。
一瞬考えたチェインは,先の戦いの事を思い出す。
「で,俺を責めに来たんすか?」
「まさか。寧ろボクは君達を称えたいんだ。あの塵灰の炎,イドリースに戦いを挑み,二度も生き延びた勇姿。邪険にする理由はないよ」
第九席の彼は,本心からそう言っているようだった。
そしてイドリースを知っているその物言いに,ファントムが疑問を抱く。
「イドリース……あの人の事を詳しく知っているんですか?」
「今回の騒動が起きる前から,ある程度は。彼好きの同僚から,色々文献を貰ってね。読んでみたけれど,中々興味深かったよ」
ダブラは腕を組みつつ,何度か頷く。
イドリースは千年前の英雄だ。
人間界に歴史書はあって当然であるし,そこに今までの顛末が書かれていても,何ら不思議ではない。
しかし,二人は彼がどのように語られているのかまでは知らない。
迷いを抱くチェインが独り言のように呟く。
「俺には分からない。奴が何を考えて,反逆しているのか」
自ら茨の道へ飛び込むような真似を,何故いとも簡単に出来るのだろう。
英雄だからこそ,常人では考えもつかない行動を取れるのだろうか。
チェインの疑問にダブラはふむ,と言いそうな視線で組んでいた腕を解いた。
「彼,元々自分の力を使いこなせていなかったらしい。そのせいで,周りからは煙たがられる,生みの親には殺されかけると,酷い目に遭っていたみたいだ」
「……」
「力を制御した後も,それは続いたようだよ。どれだけ戦っても,何の成果も報酬も与えられず,別の人の手柄にされた。それどころか,国家転覆罪を擦り付けられて,三日三晩拷問されたこともあるとか。まぁ,古い文献に書いてあることだから,何処まで本当か分からないけれどね」
「つまり……?」
「イドリースという英雄は,とうの昔に狂っている」
ダブラはハッキリとそう言った。
「彼が何故最強と呼ばれていたか。最強は言わば,理解されない超常的なモノ。それだけの目に遭っても,利益を求めない。見返りも求めない。何を考えているのか分からない。そんな思いもあったから,当時の人々は彼を封印したんだ」
「奴は狂人だから,理解しても意味がないって?」
「ボクは直接会っていないから,そこまでは断言できないけれど。ただ,イドリースを理解する。それは彼と何度も戦った君が,一番近い所にいると思うんだ」
「俺が……奴を……」
「本当ならカーゴカルトに直接聞きたかったんだけど,彼は何も喋ってくれなかったからね。ボクが最弱過ぎて,相手をする気になれなかったのかなぁ」
残念そうな言葉を聞いて,チェインは思い返す。
カーゴカルト。
十傑の第五席,ペンタゴンの創立者。
彼はチェインに対して,イドリースの事を一切語らなかった。
語ったのは一つ,彼が封印されている地に足を踏み入れないこと。
不死殺しの体現であり,自分を殺すかもしれない男を,地底深くに眠らせていたのには理由がある筈だった。
「カーゴカルトは……どうして奴を……」
複雑な表情をするファントムが,もう一度ダブラに尋ねる。
「貴方は,あの人の事を敵だと思っていますか? 旧人と同じ,撃ち滅ぼす敵だと」
「降りかかる火の粉は払わなくちゃいけない。彼がボク達を殺す脅威になるなら,ボクは十傑としての役目を果たすだけだよ。でもね。仮に,仮に彼がボク達の味方になるのなら,それ程嬉しいことはないよ」
「味方,ですか」
「そう。最強と謳われた英雄が手を貸してくれる。とても素敵なことじゃないか。ボクのような無能と違って,すぐさま十傑入りさ。丁度,空席になっている場所が一つあるしね」
ダブラは何処か嬉しそうだった。
十傑を二人失っても尚,塵灰の炎を仲間にしようとしているらしい。
しかし,あれ程の力を持つ者を配下に加えることなど出来るのだろうか。
チェイン達は少々不安を抱くも,ダブラは彼らに一歩近づいた。
「だから,君達に聞きたい。イドリースとはどんな男だった? 主観で構わない。君達が思うままを,ボクに教えてくれないかな?」
十傑からの願い出を拒否することは出来ない。
互いに見合わせたチェイン達は,今まで起きた事を彼に明かした。
ペンタゴン地下から現れたイドリースと相対し,機動要塞ゲインを撤退したことまで。
言われた通り,有りのままを語る。
ダブラは,手を顎に触れながら何度か頷くばかりだった。
話を遮ることもなく,言われたままに全てを呑み込む。
大抵のことを伝え終えると,暫くして彼は満足したように笑った。
「成程ね。ありがとう。何となくだけど,彼の能力と素性が分かってきた。俄然興味がわいてきたよ」
「どうする気ですか?」
「どうすると言うか,安全のためにね。このエリコには,旧人達を隔離している場所があるから,そこが狙われないとは限らないんだ」
「旧人を……隔離……?」
「あれ? 知らなかったのかい? だったら,丁度良い。少し見学に行ってみたらどうかな? まぁ,今は逃亡者が出たこともあって,少しソワソワしているけれど」
軽く見に行くか,とでも言いたそうな雰囲気に彼らは疑問を覚える。
何故旧人を自らの手の内に収めているのか。
今まで会ってきた一部の者がそうだったように,人間には拭い切れない過去がある。
故に,些かその現状が不可解に感じられた。
「何だか意外そうだね。まぁ,旧人を隔離しているのはエリコだけだ。変に思うかもしれない。でもボクは別に,テウルギアのような極端な殲滅派じゃないよ。彼らには隠された謎がある。それを解明するためにも,彼らの存在は必要だと思っている。カーゴカルトも,それは同じだったんじゃないかな?」
そこまで言われて,二人は何も言えなかった。
彼らも此処に来て聞かされていたのだ。
カーゴカルトが旧人を利用し,様々な実験を企てていたことを。
話すことも終わり,礼を言いつつ背を向けて立ち去るダブラに,チェインは一度呼び止めた。
「俺からも,一つ聞きたいことが」
「何だい?」
「ダブラさん。アンタはどうして,自分を最弱と言っているんです?」
突拍子もない質問。
それでも彼は振り返って,残念そうな顔をした。
「ボクが,自分のことを理解できていない若輩者だからさ」
そう言って,ダブラは病室から出ていった。
残された二人の間に沈黙が流れたが,不意にファントムが声を上げた。
「先輩,僕は思うんです」
「ん?」
「人間と旧人,分かり合うことは出来ないのかって」
「お前……」
「分かってるっす。旧人がどんな種族かってこと位は。でも,先輩も言ったじゃないっすか。俺達は何のために戦っているのかって」
「……」
「僕には本質を見失っているように見えるんです。900年前の惨劇に引き摺られているだけ。もしそうなら,今の差別に道理なんてないっす」
「無茶を通しているだけ,か」
人間達が忌み嫌う理由もわかる。
ただ,反逆を行うイドリース達が憎むべき悪だとも思い込めない。
互いの正義がぶつかり合っているだけで,元より悪はない。
チェインが今抱いているモヤモヤは,そこにあるのだろう。
「まぁ,それはそれとして。今は出来る所から」
「?」
「無茶な先輩を放っておくわけにもいかないっす。今はしっかり,先輩に付いていくっすよ」
自分の道を決めかねる中,ファントムは明るくそう言った。
励ましているつもりなのだろうか。
いつもなら適当にあしらうチェインだったが,後輩の言葉に少しだけ驚いた後,微かに笑う。
「……ありがとよ」
「んん!? 今,ありがとうって言ったんすか!? 先輩の口からそんな言葉が出るなんて! 聞き間違えじゃないっすよね!?」
「う,うるせーぞ,トムゥ!! 今度おちょくったら,縛り上げるからなァ!?」
だが,いつものように怒声が飛ぶ。
色々なことが分かっても,彼らの関係が変わることはなかった。
●
反転外壁エリコのとある一室。
蛍光灯も灯さず薄暗いままの個室で,一人の男が頭を抱えていた。
寒気も痛みを感じない筈の身体を,凍えるように震わせる。
「テウルギアさん……どうして……どうしてあんな嘘をついたんですか……」
テウルギアの秘書,シャドウだった。
ゲインから撤退する際,直接その命令を聞き入れた人物。
彼はテウルギアの帰還を信じて,エリコまで辿り着いた。
だがその後で知らされたのは,信頼する上官の死。
長年付き従ってきた恩人を失い,誰とも関わろうとせず,何日も部屋の端で蹲っていた。
「カモミールの花を……教えてくれると……約束したのに……」
シャドウは以前,テウルギアから花畑を見せてもらったことがある。
白く揺れる花々が,咲き乱れる鮮やかな場所。
本来,人間は寿命の短い花を愛でることがない。
直ぐに散る命を,不老不死である身体が生理的に避けていたのだ。
だがそこは,今まで見たどんなモノよりも美しく,儚げな場所だった。
その光景を見たからこそ,シャドウは彼の元で,彼のために戦うことを選んだ。
愛する妻を,愛する娘を目の前で奪われた。
どれだけ時が経っても,瞼を閉じると,あの時の光景が悪夢のように蘇る。
かつて,テウルギアはそう言った。
あの人の力になりたい。
一人,孤独に自分を責め続ける彼を,少しでも支えたい。
そんな思いが,シャドウをゲインに属させるに至った。
だがそれは全て,忌まわしい旧人達に奪われてしまった。
あの人が何をしたと言うんだ。
何故,あの人が殺されなければならない。
何故,こんな苦しい思いを抱かなければならない。
涙は流れなかったが,次第にそれは怒りへと変貌する。
「許さない……許さない……許さない……! 英雄のクセに……! 同じ人間のクセに……!」
力のなかった両手が,ゆっくりと握り拳を作る。
「イドリース……! この手で八つ裂きにしてやるッ……!」
穏やかだったシャドウの目に,強烈な殺意が宿った。




