第10話 それぞれの思い
既にイオフィは,要塞内の解析を殆ど終わらせていたため,花畑の移設は順調に行われた。
要塞の一部を完全に切り離し,宵闇の空に漂わせながら,隣接する森の中へと移動させる。
置き場所は考えても仕方がない。
少々手荒かもしれないが,ある程度広さがあり,陽の光も当たるだろう所に目星を付けることにした。
破壊したイオエムも一緒に,である。
エクトラは要塞から外に出て,切り離された花畑を遠目から見続けた。
傍に近づくことはなく, 一人その場に残る。
心の整理がつくまでは,そっとしておいた方が良い。
イドリース達は取りあえず操縦室まで戻り,要塞内の状況をイオフィに確認した。
聞く所によると,要塞は稼働状態に入っている。
分離していた上層と下層の連結も,直ぐに出来るとのことだ。
しかし移動できる状態になるには,二,三時間猶予が必要らしい。
「動けるまで,そんなに時間が掛かるのか?」
『心臓部が一定温度以上に達しない限り,この要塞は動きません。それに要する時間と考えて下さい』
「つまり……こればかりは,どうしようもないってことだな」
『そうです。高性能のワタシでも,どうにも出来ません』
「やたら自慢気だなぁ」
そこは胸を張る所ではない。
イオフィにツッコミを入れながら,イドリースはアルカの方へ振り返る。
「それで,エクトラは?」
「花畑を少しだけ見ているって,言ってました」
「そうか……」
「あ,直ぐに戻るらしいんで,大丈夫だと思いますよ」
エクトラも必要以上に引き摺ることはない。
気にしなくて良い,と彼女は手を小さく振る。
ただ時間が余っていることもあって,皆が手持ち無沙汰になっている。
「……私は,どうしましょうか?」
「時間が来るまで,ここで休んでくれ。結構力を使ったんだろう? 休める内に,休んでおいてほしい」
「イドさんは?」
「暫く要塞内の様子を見て回る。念のためにね」
まだイオエムのような機械がいるかもしれない。
イオフィの報告だけでなく,自分の目で判断するためにも,イドリースは空き時間で要塞内の安全を確認することにした。
待機せざるを得ないアウグスは,少しだけ悔しそうだった。
「やっぱり兄貴達の言う通り,ここで待つしかないか……」
「悪い,アウグス。急きたい気持ちも分かるけど」
「いや,オレは大丈夫だ! 気を遣ってくれてすまない。代わりと言っては何だが,俺も兄貴と一緒に,この中を見て回りたい」
「それは,別に構わないけど……」
「よし! じゃあ,よろしく頼む!」
どうやら彼も身体が疼いて仕方がないようだ。
拒否する理由もなく,共に同行することにする。
するとアルカがおずおずと切り出した。
「あの,イドさんは休まないんですか?」
「え? 俺が?」
「そうです。里に戻ってから,全然休んでる気がしないんですけど……」
全く休息を取る素振りを見せないことが,気掛かりらしい。
確かにイドリースは,今まで殆ど眠っていない。
彼自身寝ることが苦手であるし,里にいた時も結界の調整で二の次になっていた。
だが特に問題はない。
何でもないように振る舞うことにする。
「別に俺は休まなくても大丈夫だ」
「駄目ですよっ。しっかり休息しないと,いざって時に動けなくなっちゃいます」
「い,いや,千年前も三日三晩寝なくてもいけたし」
「それは無理をしてるからです。無理と平気は違うんですよ?」
「……」
「アウグスさんからも,何か言ってあげて下さい。イドさんってば,無茶ばかりで……」
少しだけ頬を膨らませながら,アルカはアウグスに同調を求める。
彼は少しだけ笑い,イドリースに語り掛けた。
「兄貴,彼女の気持ちを汲んであげようぜ。見回りが終わったら,大人しく休む。それで良いんじゃないか?」
「わ,分かった……休んでみるよ……」
戦いに必要なのは士気。
互いの結束を固めるためにも,一人が輪を乱してはならない。
根負けしたイドリースは小さく頷く。
するとアルカは,一転して笑みをこぼした。
「……何でそんなに嬉しそうなんだ?」
「嬉しくしちゃ,駄目なんですか?」
まるで自分の事のような反応。
千年前,イドリースの身を案じたのは,キューレや数少ない仲間達だけだった。
確かに心配してくれるのは有難いが,やはり物好きな少女である。
それでも悪い気はしないので,彼は彼女の忠告を受け入れるのだった。
アルカとイオフィを操縦室に残して,イドリースとアウグスは,宣告通り要塞内の設備を見て回った。
起動時の喧騒は無くなり,今は何処も電気が通っていながら閑散としている。
妙な兵器もなければ,見覚えのある人影もない。
一応のつもりで見回りはしていたが,やはり杞憂に終わりそうだ。
階層を移動する途中,今まで考え込んでいたアウグスが不意に唸る。
「しっかし,やっぱりあの子は妙に似てるな」
「似てる? アルカの事が?」
「い,いや,気のせいだとは思うんだが……」
一瞬躊躇うも,彼はイドリースに打ち明けた。
「彼女,ユーリエと何処となーく似てる気がするんだ」
「ユーリエ……アウグスが探している女の子だったよな?」
「あぁ,その通りさ」
「具体的には,どの辺が?」
「それがハッキリと言えないんだ」
「うん?」
「性格や姿がっていうよりは,そこにある雰囲気が似てると言うか……。うーむ,オレにも断言が出来なくてな……」
アウグスは腕を組みつつ,首を捻り続ける。
何か違和感があるらしい。
だがイドリースはユーリエを知らないので,同感も出来ない。
一先ず,その少女の素性を聞いてみることにした。
「ユーリエさんは,どんな人だったんだ?」
「勝気や強気って言葉が似合うヤツさ。オレ達がエリコで囚われていた時も,絶対に逃げ出そうって言って,皆を鼓舞してた。まぁ,リーダー的な存在ってことかな」
「確か,アウグスとパートナーだったとか?」
「そう。オレ達は二人一組のペアを割り当てられていた。そこで一緒になったのが,ユーリエさ」
彼は懐かしむように虚空を見上げた。
「昔はオレも,出られる訳がないって塞ぎ込んでいた。でもアイツは,ユーリエは最後まで諦めなかった。人間からの圧力に耐えながら,必ず外の世界を見るって意気込んでいたんだ。だからオレも,彼女に協力するようになった」
「……信頼できる仲間だったんだな」
「仲間,か。オレと彼女の関係は,少し違っていた気もするけど,な」
若しくは信頼以上の関係だったのかもしれない。
呟きからは,そう取れなくもなかった。
「なのに,アイツは突然姿を消した。何も言わずに,急にオレ達の前からいなくなったんだ。勿論,全員で探せるところは探したさ。でも見つからなかった。人間達が連れ出したのかと思ったけど,連中は何も知らなかった。それが知らないフリなのか,何なのか……」
突然のユーリエの失踪。
リーダー的存在だった彼女が消えたことで,皆に動揺が走ったのは間違いない。
代わりにアウグスが先導し,全員を引っ張った。
結果としてここまで逃げ延び,イドリース達と合流できたのだ。
当然目的は全員の解放だが,ユーリエの事を忘れた訳ではない。
彼は降ろしていた拳を小さく震わせる。
「もし,ユーリエが人間達の手に掛かっていたなら,オレは絶対に奴らを許せない」
「……」
「分かっている。兄貴達が,人間と協定を結ぶために動いていることも。それでも,割り切れないものはあるんだ」
「過去は振り払えない,か」
イドリースはアウグスを見ながら,かつての光景を思い浮かべる。
親しい者を奪われる気持ちが,どれだけ辛く残酷なものかは知っている。
戦場で敵国の兵士から,恨みの塊をぶつけられたことも。
それらを容赦なく燃やし尽くしたことも覚えている。
要塞内部を歩きながら,少し間を置いてイドリースは問う。
「ユーリエさんが消えたのは,今から行く地下都市エリコで良いんだよな?」
「あぁ,そうだ……」
「だったら,そこにいる連中が必ず知っている筈だ。彼女の動向を知っている奴を探し出して,問い詰めよう」
「れ,連中が簡単に口を割るとは思えないぞ?」
「そこは大丈夫だ。俺がいる」
かつての英雄は,軽く自分の胸を叩いた。
「塵灰の炎の名前は伊達じゃない。俺が必ず口を割らせてみせる」
「兄貴……」
「協定と言っても,相手が応じてくれないと意味がない。あくまで抵抗をするなら,俺はアウグスの意志を尊重する」
「……すまない,兄貴! 恩に着る!」
その思いは皆の行動とは反するかもしれない。
それでも無暗に否定しなかったことに,アウグスは感謝し安堵した。
イドリースも今はここまでの事しか言えなかった。
ユーリエは必ず生きている。
生きてまた会える。
それを信じて進むしかない。
「それにしても……」
「ん?」
少しだけ吹っ切れたのか,唐突にアウグスは話を変える。
「兄貴には伴侶はいたのかい?」
「え?」
急な質問だったので,イドリースは少し間の向けた返答をしてしまう。
「急にどうしたんだ……?」
「純粋な疑問さ。千年前の英雄,しかも最強と謳われていた兄貴なら,そう言った話もあるのかなぁ,と思ってさ」
救国の英雄ならば,そういった関係の者がいても不思議はない。
不老不死となった人間に男女の関係は不要でも,唯一残された純正の人間は違う。
しかしイドリースは複雑そうな顔をしながら首を振った。
「あの時の仲間達を,国を守ることだけを考えていた。確かに,そう言った話がない訳じゃなかったけど,期待しているようなものは何も」
「な,何故?」
「遠かったんだと思う。お互いに」
千年前,イドリースの手綱を握るため,政略結婚を狙う者もいない訳ではなかった。
形式上の結婚もないことはなかった。
ただ,彼は人格を持った兵器として見なされていた。
一人の人間として見ていたものは,ごく僅かな者だけ。
寂しそうなアウグスに背を向けつつ,彼は先に進むだけだった。
何層にも分かれた要塞内を見回ったが,結局異常は見られなかった。
妙な動きをしている機械も,斥候らしき潜伏者もいない。
問題はないと互いに示し合わせ,二人は探索を終える。
そうして例の操縦室まで戻ると,アルカはイオフィと語り合っていた。
先に休むことが出来なかったのだろう。
彼らが戻ってくると,彼女は明るい表情で出迎えた。
「では,休みましょう!」
「……一つの兵器,ね」
「ええと,あの……?」
「いや,何でもないよ」
イドリースは少しだけ笑った。
愛想笑いではない,純粋な笑顔である。
これ以上は突っ撥ねても仕方がないので,彼女の言う通り大人しく休息を取ることにする。
要塞内の設備も把握し終えていたのか,イオフィが奥の部屋を指差す。
『操縦室の奥に仮眠室があります』
「仮眠室? 不老不死の人間にも,そういうのがあるんだな」
『彼らにも休息は必要なようです』
誰もいないのなら,使ってしまっても問題はない。
案内される仮眠室に向かうと,その内部は妙な機具が揃っていた。
横向きに置かれた巨大なカプセルが,幾つも置かれている。
カプセルには何本ものケーブルが繋がっており,電気的に動く仕組みのようだ。
「このカプセルは?」
『幸福の箱,と呼ばれるモノです。中に入ることで,心身ともに幸福に満たされるとか』
「そ,それって大丈夫なのか?」
『人間が主に使用する仮眠用設備のようです。安全性は……明記されていません』
「よし,止めておこう」
真っ当なものではないのは確かなので,イドリースは即決する。
『でしたら,数は少ないですがベッドも用意されています。こちらをどうぞ』
よく見ると,部屋の端にベッドらしきものがある。
カプセルに比べたら二つしかないが,それなりに大きく,清潔度も保たれている。
軽く触ってみたが,妙なものは見当たらない。
「これは普通の寝床,だな」
特に気にせず使えそうである。
ただ数が少ないので一人一つ,という訳にもいかない。
何人かは同じベッドで寝る必要があるだろう。
「アウグスは? どうせなら,一緒に休もうか?」
イドリースは取りあえず,アウグスの意見を聞こうとする。
すると彼は少し考えた後,からかうような顔をした。
「いやはや,お二人さんの邪魔をしちゃあ悪いかなと。なぁ,姉貴?」
「あ,アウグスさん!?」
アルカは驚きと羞恥の入り混じった表情をし,同意を求められたイオフィは不思議そうに反論する。
『そうなのですか? 目的が一致しているのなら,全員で仮眠を取った方が効率的……』
「いいからいいから,俺達は向こうで休もう。それと,エクトラさんを迎えに行こうじゃないか」
何か勘違いをしているらしい。
イオフィの話を遮りつつ,アウグスは彼女を引き連れて操縦室へと戻っていく。
ごゆっくりと言わんばかりである。
扉が閉められ,仮眠室にはイドリースとアルカだけが残される。
振り返ると,アルカは焦りつつも落ち着いて言った。
「私は,イドさんに休んでもらいたいだけなんです。ホントです」
「分かってるさ」
誤解であることは知っている。
そして休むとも約束したので,彼は従ってベッドに腰かける。
横になることに抵抗がありながらも,ゆっくりと背中を預ける。
千年前にもベッドは存在していたが,それよりも上質なものだ。
身体が沈んでいく感覚が纏わりつく。
それでも,直ぐに寝られなかった。
眠気がない訳ではないが,妙な不安に駆られる。
何度か瞼を開け閉めしていると,不意にアルカの方が気になって視線を横に向ける。
彼女はもう一つのベッドに腰かけたまま,彼を見ていた。
「……眠れませんか?」
「やっぱり苦手だからかな。どうも落ち着かなくて」
「じゃあ,ここにいます」
「?」
「イドさんが安心して眠れるまで。遠くても,ここに」
優しい声が聞こえる。
イドリースは不意を突かれた顔をしつつ,微かに口元を緩ませた。
「……0歳の割に,ませ過ぎじゃないか?」
「ね,年齢の話は良いじゃないですかっ」
「そうそう。そんな顔をしていた方が,よっぽどらしく見える」
「もう……イドさんまで,からかうなんて……」
「でも,ありがとう」
そう言って,彼はゆっくりと瞼を閉じた。
「お蔭でまた,目を瞑っていられる」
それからは何も言わなかった。
アルカも,何も問い掛けなかった。
互いに黙し,静かな場の空気が時間と共に流れていく。
イドリースは後押しされながら,浅い息を繰り返す。
徐々に意識が遠くなっていく。
暫くして,瞼の向こうに誰かの後姿がぼんやりと見えた。
白衣を着た老爺。
ペンタゴンで相対したカーゴカルト,もといキューレ・レイフォードだった。
「キューレ……」
ここは自ら光を閉ざした闇。
既に夢現の中なのだろう。
イドリースは振り返らない彼の姿を目で捉えた。
「俺を化け物でも,兵器でもないと言ってくれたのは,お前が初めてだったな」
キューレは微かに俯くだけで,何も言わない。
相手が幻であることは,薄れる意識の中で悟っていた。
しかし彼は,今傍にいる者達を思い返す。
「俺を一つの命として見てくれる人は,まだここにいる。だから,俺は進み続ける。これ以上,失わせない」
そう言い切ると,幻影は徐々に闇の中へ溶けていく。
ただ,最後に指を差した。
進み続ける彼に道を示したかったのか。
何かが来ることを気付かせるように,真っ直ぐに彼の見る先に手を伸ばす。
直後,ハッとするような感覚と同時に,イドリースは目を覚まして起き上がる。
少しだけ疲れが取れたようだった。
ただ殆ど時間が経っていないようで,早すぎる起床にアルカが驚く。
「あれ,もう良いんですか? まだ10分くらいしか……」
「いや,十分休んだよ。それに少し,外の様子が気になって」
先程の光景が気掛かりで,イドリースは仮眠室から出ていくことにする。
何か変わったことが起きているかもしれない。
操縦室に足を踏み入れると,イオフィとアウグスが意味深に話し合っていた。
『成程。やはり貴方も気掛かりでしたか』
「いやいや,一人でこんな所まで来るなんて,危ないだろう? って,オレが言えたことじゃないが……」
相談し合っているような様子だったので,不思議に思ったイドリースが二人に近づく。
アウグス達も彼が起きてきたことに気付き,助力を乞うような目をする。
妙なことが起きているらしい。
事情を聞こうとしたが,それよりも先に,花畑から戻ってきていたエクトラが彼の前に姿を現す。
何故か少し浮かない顔をしていた。
「エクトラ? どうしたんだ?」
「それがその……」
言い出しにくそうに,視線を逸らす。
マズいことが起きた,というよりはどう対処していいか分からない,といった様子だった。
同時に,エクトラの背後から新たな人物が出てくる。
イドリースだけでなく,後ろからついてきたアルカも,それを見てあっと驚く。
見覚えのある帽子とマフラーを纏う姿は,大樹の里で何度も会った服屋の女性,エモその人だった。
「エモ!? どうしてここに!?」
「え~と……何と言うか,来ちゃった……」
申し訳なさそうに彼女は笑った。




