第9話 天に花束を
『旧人ヲ抹殺スル形態ニ,自動変更シマス』
そう言った機械は,手から透明な液体を生成した。
何の変哲もない,ごく普通の水である。
しかしそれらは空中に幾つもの球となって浮遊し,機械の周りを取り囲む。
「何だ,コイツは……!?」
「アウグス! 下がって!」
直後,浮かんでいた水の球が鋭い槍状に姿を変え,投擲される。
狙いは当然,侵入者である旧人達だ。
真っ先に反応したエクトラが,膜状に展開していた電撃の範囲を拡大させ,それらを全て相殺する。
十数もの水が蒸発し,辺りに蒸気が巻き起こる。
三人の視界が白く閉ざされた。
「エクトラさん,一旦距離を取って!」
「分かった!」
アルカの進言通りに退避するが,蒸気の向こうから新たな水撃が襲い掛かる。
エクトラだけでなく,アウグスも右手を掲げて応戦した。
彼の腕には,イドリースが人間から奪ったスカラの腕輪がある。
念じるだけで光線を放つことが出来る武具。
大樹の里である程度練習していたからか,不自由なく使えているようだ。
雷撃と共に,光の弾丸がそれらを打ち落とす。
だがそれによって新たな蒸気が発生してしまう。
これでは一向に前が見えない。
動揺する三人に対して,光を放つ機械の目が,蒸気の向こうで一瞬だけ見えた。
「イオフィみたいに,聞く耳は持たないみたい……!」
「ああいう個体は,単調な命令しか聞かないんだろうさ!」
話し合いは不可能。
となれば,破壊する以外に手はない。
前線のエクトラとアウグスが,迎撃の構えを取る。
しかし,機械が生み出す手数も中々なものだった。
一撃一撃が弾丸のように飛来し,当たっただけでも無事では済まない。
加えて水の塊を次々と生み出し,雨あられの如く放出している。
即興で造られたような見た目と裏腹に,その戦闘力は非常に高く感じられた。
『侵入者ハ……排除,排除,排除……。ソレガ,私ノ役目……』
抑揚のない機械音声が,アルカ達の元まで届く。
現状エクトラが防壁を展開しているため,水撃の被害は受けていないが,それだけである。
アウグスが放った光線も,数が少なすぎて尽く相殺され,相手まで届いていない。
「一撃さえ当たれば倒せるのに……!」
「雷使いなら,地面に電撃を流してヤツの元まで届かせられないのか!?」
「出来るならやってる。でも……!」
エクトラが苦しそうにその場を見下ろす。
土は導体。
電撃を流せば,水流と相殺せずに機械に直接ダメージを与えられる。
だがその途中にはカモミールの花が咲いている。
そのまま流せば,あれらが全滅してしまう。
テウルギアが守り続けていたそれを,どうしても攻撃できない。
彼女の考えを読み取ったアルカが,大きく息を吸い込む。
「エクトラさんは攻撃に専念して! 私が防御に回るよっ!」
「アルカ!?」
アルカは全身から力を放出する。
生み出したのは空間の裂け目,裏世界へと導く門だった。
それはエクトラの防壁の上から展開され,大きく口を開ける。
機械が放っていた全ての攻撃を,裂け目の向こうへと飛ばしていく。
『空間断裂ヲ……確認……』
同時に,アルカは同じような亀裂をエクトラ達の頭上に生み出した。
その奥には,全てが銀色に染め上げられた花畑が広がっている。
更にもう一つ,機械の背後に新たな裂け目を生み出す。
「これって……」
「私の力で道を繋げます! ここを通り抜けて,攻撃して下さい!」
「別次元を利用したトンネルって訳か! とんでもない能力だぜ!」
アウグスが感嘆とした声を上げる。
機械はまだ,アルカの能力を把握し切れておらず,背後の裂け目にも気付いていない。
奇襲をかけるなら,今しかない。
「エクトラさん,お願い!」
「……! 分かった,やってみる!」
エクトラは頷き,裂け目の向こうへ電撃を放った。
銀色の世界で宙を舞ったそれは,彼女の意思で自在に動き出す。
相殺しないように空中で回り込み,奥で開かれた裂け目を目指す。
そうして機械の背後で切り開かれた狭間から,彼女の電撃が姿を現した。
『……!? 背後ニ攻撃……!』
「もう遅い!」
背後の亀裂に気付いた機械は,攻撃を打ち切り方向転換しようとしたが,それよりも先にエクトラが指先を動かす。
不死殺しの稲妻が,機械の全身を射抜いた。
ソレは痺れるように全身を硬直させて動きを止める。
今まで放っていた水の塊も,重力に従って地面に降り注ぐ。
『高圧電力ヲ確認……。対処……不能……不能……不能……』
エクトラの力には機械を乱す特殊能力がある。
それが効果を発揮したのだろう。
機械は自身に流れる電気を制御できず,機能不全に陥った。
瞳に灯っていた光が明滅を繰り返し,やがて消灯する。
直後に全身の駆動力が失われ,機械は音を立てて,花畑の中に倒れ伏した。
「やったか!?」
「何とか,ね」
アウグスがゆっくりと近づき,様子を確認する。
ソレは全身から煙を吐きながら動かない。
故障ないし,機能を停止したようだ。
花を荒らさずに事を成し遂げたエクトラは,息を吐きながらアルカの方を振り返った。
「アルカのお蔭で倒せた。ありがと」
「ううん。エクトラさんやアウグスさんが,守ってくれたからだよ」
謙遜するアルカ。
ともかく皆が無事で良かった,と言わんばかりの優しさが込められていた。
エクトラは申し訳なさそうに小さく笑うだけで,アウグスの元へと近寄る。
「それにしてもコイツ……。何の機械だったんだ……?」
「さぁ……あたし達を殺そうとしていたのは確かだけど……」
「まぁ,いいか。とにかく,さっきの物音はコイツが原因だったみたいだ。さっさと兄貴の所に戻ろう」
辺りを見ても,他に同型の機械はない。
起動時に感じた異変はなくなったと悟り,三人は早々にこの場から立ち去ろうとする。
だがそれと同時に,微かに動き出すモノがあった。
『非常用電源ニ切替マス……マス……マス……』
「な……!?」
『私ノ役目……ハ……守ル,守ル,守ルコト……!』
倒したはずの機械がゆっくりと立ち上がる。
まだ余力があったらしい。
消灯していた目に,力という名の光が灯る。
一番傍にいたアウグスが反射的に後退するが,思わず後ろにあったカモミールの花を踏みつけてしまう。
それが引き金となり,機械が鋭い眼光を飛ばした。
『守ル……! 私ノ存在理由……!』
予備動作なしに機械が水撃を放つ。
あまりに速い攻撃だったため,回避する暇もない。
アウグスは声すら上げられなかったが,割って入る形で新たな次元の裂け目が生まれ,水流を彼方へと収納する。
危機を察知したアルカが,彼を防御するよう能力を発動していたのだ。
「アウグスさん! こっちに!」
「た,助かった……!」
三人が一斉に距離を取ると,機械が声を張り上げる。
雑音が混じった本来の許容を超えた叫びだった。
『オオオオオオオオ!!!』
それは,自分を鼓舞するためのものだったのか。
機械が大量の水を吐き出し,全身が円球状の水流に纏われる。
大きさは次第に増し,直径10mに渡る水の結界と化す。
苦し紛れにアウグスが腕輪から光線を放つも,意味はなかった。
次から次へと水流が生み出され,殆ど削ることが出来ない。
「アイツ,水の中に……! これじゃあ,攻撃が届かないぞ……!」
水流の中は非常に強い渦が巻き,波のような音が常に発生している。
物理的な攻撃で突破するのは困難だ。
一旦退くべきではないか。
そんなアウグスの言葉にアルカが考えあぐねると,エクトラは何かに勘付いたのか,小さく口元を動かした。
「そういう,ことだったの……」
「エクトラさん……!?」
「分かったかもしれない。あの機械が,何のために此処にいるのか」
彼女は真っすぐに機械を見上げる。
この場で直接戦ったからこそ,分かるものがあったのだろう。
表情には,罪悪感と僅かな後悔があるように見えた。
「もしそうだとしても,皆に危害を加えるなら……!」
しかし,それも一瞬。
迷いを振り切ったエクトラは,二人に向けて自分の意志を示す。
「二人共,アレはあたしが倒す。突破口を開いてほしい」
「開くったって,ヤツの水はそう簡単には破れないぞ……!」
「なら,私がやります!」
辺りに細かな水飛沫が舞う中,アルカが再び進言する。
「裂け目を作って,水の流れを一瞬だけ止めます。アウグスさんは,私が塞き止めた場所に一点集中で攻撃をして下さい。そうすれば,水の防御が薄くなる筈です」
「わ,分かった。やってみよう……!」
最後の攻撃はエクトラに任せ,それまでの足掛かりを作る。
逃亡を考えていたアウグスも,彼女達の力を信じて留まることに決めた。
この花畑について,思う所があると理解したのだ。
すると水流を纏った機械が動き出す。
『旧人ハ,全テ排除スル……!』
目の光が強さを増す。
機械的な反応であるにも関わらず,そこには明確な意思があるようだった。
続いて水流の一部が,龍のように形を変える。
数は五つ。
それらは人が反応できるギリギリの高速度で襲い掛かり,寸前の所でアルカが再び裂け目を作り,すり抜けさせる。
「アルカ!」
「大丈夫! それよりもっ!」
アルカは片手で防御の形を維持しながら,もう片方の手に力を込める。
呼吸を落ち着かせ,力の均衡を保つため冷静に努める。
直後,巻き起こる水の結界に一筋の亀裂が生まれた。
たった一つの線,今までの空間切開とは異なり,単純な切れ目を作っただけのこと。
だがそれが,物理的攻撃を遮断する渦の流れを塞き止める。
内部の構成が乱れたことで,結界全体が大きく歪んだ。
『ナ……ゼ……』
機械は結界の効力が弱まった原因を理解できていない。
特定される前に速攻で終わらせなければ,戦況は悪化する。
「アウグスさん,お願いします!」
「おう! なるべく,削り切ってやる!」
攻撃の緩んだ隙を見て,歪みを引き起こした中心部へ,アウグスが腕輪の光線を放つ。
先程と同じように,水と相殺して蒸気が巻き起こるが,手ごたえは違う。
アルカの力によって水の層が薄くなったためだろう。
複数の相殺の果てに,守られていた機械の身体が僅かに見える。
「今だ!」
彼の言葉を聞いて,エクトラが両手から力を解き放つ。
青白い光が辺りを照らし,電流の音が波のそれを掻き消す。
見据えた彼女の目が相手と一瞬交差したが,それだけだった。
息を吸い込み,思い切り地を踏みしめる。
「撃ち抜けッッ!!」
水龍が新たに動き出すよりも先に,手中にあった電撃が一直線に放たれる。
躊躇いはない。
不死殺しの力が,薄くなった結界を抜け,防御を取ろうとした機械の胴体を再び貫いた。
同時に,舞っていた大量の水が,力を失い全て四散する。
それは勝負が決した事を意味していた。
電撃を再び浴びた機械は,崩壊した水の結界ごと地に堕ちる。
『誰モ,イナイ……。私ノ,使命ハ……』
倒れた機械は,再び立ち上がろうとした。
だが非常用電源を破壊された事で,もう余力は残っていない。
警戒する旧人の三人を見上げ,そして辺りの花々を見渡す。
『守ルコト……。ソレガ……私……ノ……』
それだけを発して,機械は地に伏した。
全ての機能がダウンし,二度と起き上がることはなかった。
意味深な言葉を並べる敵との戦闘に勝利し,アルカ達は肩の力を抜く。
ただエクトラは少しだけ頭を抑え,よろよろと後退した。
「エクトラさん!」
「お,おいおい! 大丈夫か!?」
「平気……ちょっと,眩んだだけだから……」
体力の問題ではない。
心理的な力の消耗のようだった。
だが取り繕ったエクトラは,花畑を背にしてアルカ達を見る。
「戻ろう。イドリースの所に」
機械を倒した今,この場に用はない。
アルカ達も彼女の言葉に従い,花畑を立ち去ることにする。
滴る水と蔓延する蒸気が徐々に晴れていく。
彼女達が去る中,相変わらずカモミールの花は咲き続けていた。
操縦室に戻ると,イドリースが扉の前まで出迎えていた。
今までとは違う戦闘音を耳にして,心配していたらしい。
イオフィは未だコンピュータと接続したままだったが,要塞の起動は殆ど完了している。
目立った異変もなく,滞りなく行われたようだ。
アルカ達は,花畑で起きた騒動を彼に明かした。
「花畑に機械が? そうか……要塞と一緒に動き出したのか……」
「そうなんです。問答無用で襲ってきたので,私達も応戦して……」
「誰か怪我は?」
「あ,大丈夫です。皆,無傷です」
「そうか……良かった……」
ホッと胸を撫で下ろすイドリース。
割と冷静沈着な彼にしては,珍しい反応だった。
自分達で確認に行くと言ったものの,それが彼を余計に心配させてしまったのかもしれない。
アルカは少しだけ心苦しさを覚えた。
『件の機械について,データヒットしました』
「何か分かったのか?」
『はい。機動要塞の内部データに,対象の情報がありました』
一部始終を聞いていたイオフィが,良かれと思って打倒した機械の正体を明かす。
内部記憶を検索した結果,要塞内の住人として登録されていたようだ。
『正式名称,I/O_M15。通称,イオエム。水質の管理に特化した機械です』
「水質の管理?」
『イオエムの役目は,与えられた特定の場所を守護すること。再起動前は充電期間としてスリープモードに移行していましたが,それが回復した今,その役目を果たしていたのだと思われます』
水を操る能力を秘めていたため,頷ける点はある。
しかし,特定の場所を守護することには不可解さが残った。
一体,何を守っていたのか。
イオフィにはそこまで分からなかったようだが,察しのついていたエクトラが小さく呟く。
「あの花畑……」
「え?」
「きっと,テウルギアの花畑を守るためにいたんだ」
イドリースやアウグスは,意外そうに目を丸くする。
何となくだが勘付いていたアルカは,少しだけ俯く。
例の機械,イオエムはカモミールの花畑を管理する役目を持っていた。
戦闘へ移行する前,花達に水やりをしていたような跡もあった。
恐らくテウルギアが倒され,人間が全て撤退したことを知らないまま,今もその場所を守り続けていたのだろう。
「仮にそうだとしても,それには俺達を殺す役目があった。話が通じない以上,戦いは避けられなかったと思う」
「同じ機械でも,姉貴とは違うってことなんだな……」
『個々が異なるように,機械も行動原理が異なる場合はあります。例えそれが同型機であっても,です』
イオエムは,イオフィ程に物分かりの良い機械ではなかった。
旧人を抹殺対象として認識していたこともあり,説得は通じなかったろう。
痛ましい戦いだったかもしれないが,倒す以外に手はなかった。
それは全員が理解していることだった。
すると暫しの沈黙の後,エクトラが意を決しイドリースに頼み込んだ。
「イドリース。お願いがある」
「ん……?」
「あの花畑を,降ろせない?」
「降ろす? ここに置いていく,ってことか?」
彼女は頷いた。
「分かり合ったつもりはないし,間違っているなんて思わない。それでも,あの場所が悪いとは思わないから」
ただそこに有り,そこに咲き乱れているだけ。
テウルギア戦を経験したエクトラに,無残な形に変える程の非情さはなかった。
そして人間領に侵入し争いが起きれば,あの花畑もどうなるか分からない。
自然に還すのが一番であると考えたのだ。
意志を汲み取ったイドリースは,イオフィの方へ振り返る。
「イオフィ,出来るか?」
『特定箇所の分離……可能です。少々お待ちください』
彼らの思いは一致した。
有るべき場所に還す。
花達がより綺麗に,美しく咲くことの出来る自然へと。
それが今出来る,最大限の鎮魂だった。
「エクトラさん……」
「大丈夫。これで,踏ん切りはつけるから」
アルカは心配そうに声を掛けたが,エクトラは笑う。
その笑みは少しだけ悲しそうに見えた。




