第6話 幸福を測る両天秤
エクトラの報告を聞いて,イドリースとイオフィが彼の看病されている場所へと移動する。
大樹の枝を渡りつつ,それなりの広さがある円状の木製家屋の入り口をくぐる。
室内には里の者達が複数人集まり,中心に分厚い獣の皮が敷かれ,そこに横たわる筋肉質の男がいた。
イオフィが連れて来た旧人で間違いない。
男はイオフィらの姿を見た瞬間,その場から起き上がった。
「おい! 急に動いたら……!」
里の者達が注意するも,彼は目を輝かせつつ彼女を見上げる。
「姉貴! 無事だったんだな!」
「姉貴?」
イドリースが不自然そうな声を上げる。
男が姉貴と呼んだのは,機械人形であるイオフィに対してだった。
信頼や尊敬の込められた言葉であり,冗談で言っている様子はない。
だが比べるまでもなく,二人に血縁関係がある筈もない。
姉と呼ばれた彼女は両目を閉じつつ,首を振った。
『何度も言っていますが,機体違いです。ワタシはイオフィ。あなたの姉ではありません』
「確かに血は繋がっていないし,というか人でもない……。でも,アンタはオレを助けてくれた。姉貴と呼んでも良いだろう?」
『姉貴……再検索完了。年上の女性を敬う言葉。確かにワタシは,あなたより製造年齢が上かもしれませんが,その言葉には違和感を覚えます』
どうやら,男の言う姉貴とは言葉通りの意味ではないらしい。
イオフィの意志に関係なく,勝手に呼んでいるようだ。
何とも我の強そうな人物である。
次いで男は彼女に隣にいたイドリースに気付き,明るい顔をした。
「おぉ! そこのアンタがオレを,ここに招き入れてくれたんだな?」
「あ,あぁ。名前はイドリース。よろしく」
「助かった! オレはアウグス! あのまま彷徨ったままだったら,どうなっていたか! 本当に感謝する!」
「いや,こっちとしても見つけられたのは幸運だったよ。無事で良かった」
イドリースは彼の元に近づき,その場に腰を下ろす。
やたら声が大きく,先程までの衰弱が嘘のようだ。
屈強な肉体をしていることもあり,ある程度の環境にも耐えられるのかもしれない。
アウグスは周りの旧人を含め,珍しそうに視界を巡らせる。
「旧人の皆がこうやって隠れ里を作っているなんて……しかも,飯や水も美味いと来た。飯の作り方も知らないあそことは,大違いだ」
「何だか凄い元気じゃないか。少し前までは,とても弱っていたのに」
「そりゃあそうさ! 皆が今も帰りを待っているって言うのに,オレだけダウンしてちゃ駄目だからな!」
「帰りを待つ……?」
そこまで聞いて,イドリースは彼の素性を気に掛けた。
収容所に捕らえられていた,というのはイオフィから既に聞いている。
しかしどうやって,何のために脱走してきたのか,不明な点が多い。
彼は身を乗り出しつつ,アウグスに神妙な面持ちで問う。
「話せる元気があるなら,聞いておきたい。一体,何があったんだ?」
「そうだな。長くなるし,複雑なんだが……その前にオレも聞きたいことがある。イドリースさん。アンタは本当に,あの十傑を倒したのか?」
「……まぁ,戦って生き延びたのは確かだよ」
「凄い……。まさか,あの絶対者達に相対できる人がいるなんて……」
里の者達からイドリースの素性を聞かされていたのだろう。
十傑を倒した彼の存在に,アウグスは希望の光を見たように目をする。
そして地に付けんばかりに頭を下げた。
「頼む! どうかオレに力を貸してほしい……! 皆を助け出したいんだ……!」
やはり彼が里までやって来たのには,それなりの理由があるようだ。
イドリースはこの場にいる同志やイオフィに目を合わせつつ,小さく頷く。
肯定と受け取ったアウグスが,経緯を語り始める。
「収容所から逃げて来たって話は,姉貴から聞いているかい?」
「ある程度は」
「だったら話が早い! そこにはオレ以外にも,仲間達が大勢捕まっているんだ!」
多数の旧人が捕えられているという収容所の存在。
それと聞いてイドリースが思い浮かべたのは,ペンタゴンの研究所だ。
あの施設では旧人達が拉致され,実験材料として利用される惨状があった。
「まさか,実験に利用されているんじゃ……」
「実験? 確かに,血を取られることは何度かあったが,単純に管理されているんだ。強制労働っていうのかもしれない。人間達の命令には絶対服従で,酷い環境で働かされている」
「管理……」
『正確に表現するなら,奴隷という言葉が当てはまります。人権を許されない,本来ならば存在してはいけない社会制度です』
イオフィが余談とばかりに付け加える。
生殺与奪ほどではないにしろ,その場所にまともな自由は存在しないらしい。
アウグスの手が,次第に握り拳へと変わっていく。
「あいつらは,本来殺処分されるべき中で生きていられるのだから感謝しろ,と何度も言っていた。でも,あんなものは生きていると言わない。ただ閉じ込められて,虐げられ続ける酷い場所だ。だから,あの場所から抜け出そうと思ったんだ」
「もしかして,アウグスはずっとそこで捕まっていたのか?」
「物心つく頃からずっと,だな。今思えば,よく生きていていられたと思うよ」
「収容所って言う位だから,かなり厳重だったんだろう? 一体どうやって,不老不死相手に逃げたんだ? 簡単に出来ることじゃない筈だ」
「それはアンタのお蔭なんだ,イドリースさん」
「俺が?」
直接関与していないことに感謝され,疑問を抱く以外にない。
一体何が起きたのだろうか。
誰かが尋ねるよりも先にアウグスが答える。
「十傑のカーゴカルト,そしてテウルギア。二人が倒されたって話は,オレ達の所まで届いてきた。今まで絶対者と言われていた二人が,アンタの力に負けたんだ。そのお陰で,連中も戸惑い始めた。集中力が切れたって言うのかもしれないな。監視の目が杜撰になったんだよ。オレ達だって,何も考えずに言いなりになっていた訳じゃない。隙を狙って輸送船に飛び乗って,どうにか逃げ切れたんだ」
元々アウグス達は,収容所から抜け出すための手段を模索していたのだ。
希望を失わず,閉ざされた状況を切り抜けようと皆で力を合わせたのだろう。
そこに訪れた転機。
死の恐怖を忘却しつつあった人間達に向けられた,不死殺しの力。
今まで反逆らしい反逆も出来なかった旧人の中に,その力を持った者が現れたのだから,動揺が広がるのは当然とも言える。
「と言っても,奇跡に近かった。殆ど誰にも見つからなかったし,途中で姉貴にも出会った。そのお陰で今も五体満足のままだ。あんな偶然の重なりは,一生に一度だけだったと思う」
「そうだったのか。よく,ここまで……」
「いや,オレだけの力じゃないんだ。全ては協力してくれた皆がいたからこそ,だ」
皆を解放するため,必ず帰ってくると約束したのだろう。
アウグスは仲間達との決意を胸に,ここまで逃げ切ったのだ。
彼はイドリースに近づき,四肢を地に付けたまま見上げる。
「だから頼む! 収容所にいる皆を助け出してくれ! オレ一人の力じゃ,どうにもならないんだ!」
必死な様子から切迫した状況であることは分かる。
しかし,イドリースも独断では救助に向かえない。
彼の仲間を助けるということは,収容所を襲撃するということに他ならない。
新たな危機を呼び込むリスクを考え,里の者達と話し合う必要があった。
「人間達に管理されている同志達がいるなんて……!」
「皆,今の話を取り次いでもらえませんか? 俺の判断だけじゃ動けないので」
「わ,分かった! このことを伝えてみよう!」
イドリースの言葉に,里の者達が次々に動き出す。
話を聞く静かな空気から一変し,慌ただしくなっていく。
皆の後ろ姿を見送りつつ,彼は収容所の詳細を聞くことにする。
「ちなみに,その収容所って言うのは?」
「正式な名前は,反転外壁エリコ。大瀑布にある地下都市だ。この里からだと,かなりの距離があるはず」
『以前収集したアウグスの証言を元にすると,里からの距離は大よそ100㎞。この森を抜け,砂漠を越え,大河を上流に向かってようやく辿り着ける場所です』
「100だって? 歩いていくには不可能な距離だな……」
仮に徒歩で向かうとすれば,数日は掛かってしまう。
往復することも考えると,現実的な距離ではない。
アウグス自身も,イオフィに担がれて移動してきたため,どれだけの労力が掛かるかは分からないだろう。
「行くにしても,何か移動手段を考えないといけないな」
このままでは,助けに行くことも出来ない。
すると再度アウグスが,躊躇いがちに問い掛ける。
「イドリースさん,もう一つ聞いておきたいことがあるんだが,いいか?」
「ん,構わないけど。何か?」
「仲間を一人探している。ユーリエ……黒い髪の女を知らないか……?」
彼以外にも収容所を脱出した同志がいるのだろうか。
少なくとも,黒髪の女性は里に何人かいるがユーリエという名前ではない。
「ユーリエ……そういった名前の人は,この里にはいなかった筈だ」
「そう,か。そうだよな……」
「知り合いなのか?」
「エリコで一緒にコンビを組んでいたんだ。でもオレが脱出するよりも前に,急に姿を消したんだ……。もしかしたら,と思ってたんだが……」
アウグスは残念そうな顔をしたまま俯く。
会話が途切れ,沈黙が流れ始める。
すると里の者達と入れ替わりで,銀髪の少女が家屋に入ってきた。
「し,失礼しまーす」
「お,アルカ。服の一件は終わったのか?」
「終わりましたよぉ。何も言わずに置いて行くなんて……」
「楽しそうだったし,邪魔しちゃ悪いかなと思って」
「そんなぁ。私はただ,空回りしてただけなのに……」
イドリースの茶化す言葉に,アルカは少しだけ頬を膨らませる。
以前に比べて感情豊かになっている証拠だ。
そんな中で彼女はアウグスに気付き,にっこりと微笑む。
「あっ,イオフィさんに運ばれてきた人,ですよね? 私,アルカと言います。よろしくお願いしますね」
警戒心を与えない柔らかな対応だった。
だが当のアウグスは彼女を見て,虚を突かれたような表情をしていた。
何処か自分の目を疑っているようにすら見える。
「えっと……どうしたんですか?」
「あ,いや,何でもない。オレはアウグス,よろしく頼む」
我に返った彼は,気を取り直して名を明かす。
今の一瞬の間は何だったのか。
気のせいだろうかとイドリースが思っていると,傍らでイオフィが目の奥を光らせた。
『一つ進言します。アウグスは,旧人と人間の成り立ちを知りません。先程ワタシに話された内容を,彼にも話すべきと考えます』
「そうか。今まで収容所にいたんだ。知らないのも当然だな……」
900年前に突如現れたウィルスによる災厄。
アウグス自身,何を言っているのか分からないようだった。
「一体,何の話を……?」
「アウグス。俺達はどうして人間が旧人を虐げているのか,理由を知っている。その上で,皆が人間に反逆しようとしているんだ。先ずはこの事実を知って,それから考えてほしい。俺達と協力するかどうかを」
人間と相対する以上,知らないままでいる訳にはいかない。
そうしてイドリース達は,彼に旧人の正体を告げることとなった。
●
陽が落ち,里全体を覆う夜が深まり出した頃。
イドリースは自室の小屋で火を灯しつつ,今までの状況を整理していた。
旧人の歴史を知ったアウグスは,金槌で殴られたような衝撃を受け,少し考えさせて欲しいと言った。
旧人は存在そのものが罪である。
そんな人間達の思いを,簡単に割り切れる筈もない。
だがそれでも尚,敵対するイドリース達がいることも理解し,取り乱すような真似はしなかった。
彼は,意外と冷静に物事を見定められる人物だったようだ。
気になるのは,脱出してきた反転外壁エリコという場所。
聞く限り,人間達が旧人の自由を奪い,強制的に皆を従わせている。
「どうして,わざわざ隔離する必要があるんだ?」
イドリースが気掛かりなのは,その点だった。
テウルギアがそうだったように,人間側には旧人を殲滅する機関が存在する。
言わばそれは,相容れることのない殺意を証明しているようなもの。
隔離し従わせるエリコの現状とは,少しだけズレている。
「何か意味があるんだろうか」
『残念ながら,ワタシにも推測のしようがありません』
「だろうな……」
横で正座していたイオフィにも,解析は出来ないようだ。
人間の中にも,旧人に対する考え方の違いがあるのかもしれない。
堂々巡りの思考を打ち切ると,丁度良いタイミングでアルカが顔を覗かせる。
「失礼します。今良いですか?」
「ん,どうしたんだ?」
「あの,ご飯持って来たんですけど」
「あぁ,もうそんな時間だったんだ」
彼女の両手に抱えられた料理の香りで,イドリースは空腹を自覚する。
立ち上がって歩き寄ると,焼いた魚や木の実のスープが見えた。
それらを載せる食器は不揃いだが,技術力の乏しい里では精巧とも言えるものだった。
「ええと,イオフィさんは」
『ワタシは機械なので食べられません。お気になさらず』
「ごめんなさい……。じゃあ,取りあえずイドさんの分だけ……」
残念そうなアルカが,彼の分だけを取り寄せる。
よく見ると,魚には塩らしきものが振りかけられている。
塩は里では非常に希少なものだと聞いている。
更に言えば,スープも調味料を掛け合わせたものだ。
簡単に出せる物ではなく,お湯に木の実などを浸して食べるのが里の常識である。
貧民街育ちのイドリース的には,あまり気乗りがしない。
「これ,数少ない調味料だろう? わざわざ,ここまでしてくれなくても良いのに」
「皆さんの厚意です。里の恩人なんですから,ちゃんとしたご飯を食べないと駄目ですよ? イドさんって採れたての素材をそのまま食べようとするんだから」
「そのままじゃあないさ。ちゃんと焼いて食べてる」
「本当に焼いてるだけじゃないですか。味付けをしたら,もっと美味しくなるのに」
「むむ。アルカも味に拘るようになったのか。やっぱり女子だなぁ」
「別に女子とか関係ないと思いますけど……?」
料理を持ったアルカは,イドリースに向かって進み,一歩一歩追い込んでいく。
彼が拒否しようとも逃がすつもりはないらしい。
「食べたくなくても,口に入れますよ~。はい,ど~ぞ」
「わ,分かった分かった。食べるから……」
そのまま口の中に突っ込みそうな勢いだったので,観念して料理を受け取る。
恐縮ではあるが,これは命を救われた里の者達の,せめてもの礼である。
皆が了承して作ったものを,断るのは逆に失礼に当たる。
元いた場所に座り直した彼は,頂きますと一言入れてから,一口ずつ喉に通していく。
魚は見た目通り塩加減が効いていたが,スープの方はほんのり甘い不思議な味だった。
泥水から高級食材まで食したことのあるイドリースでも,少しだけ目を丸くする。
その様子を何故かアルカは嬉しそうに見つめており,傍にいたイオフィも物珍しそうに凝視していた。
どうにも落ち着かない。
「どうですか?」
「何だか,今までにない味だな。でも美味しいよ。もしかして,アルカが?」
「はい。皆さんに教えてもらいながら作ったんです」
「へぇ,やるじゃないか」
食した反応を窺っていたのは,これが理由だった。
知らない所で,いつの間にか調理の技術を学んでいたようだ。
納得したイドリースは,手を止めずに食べていく。
少々甘かったのは,恐らく彼女の趣向も入っているのだろう。
「ごちそうさま」
「はい,お粗末さまでした」
「そういえば,アルカは食べたのか?」
「いえ,今からですよ」
「何だ。別に俺が食べ終わるまで,待ってなくても良かったのに」
空になった食器くらいは自分で持っていく。
そう言いかけた彼に,アルカはにっこりと笑う。
「イドさんが食べる所,最後まで見たかったんです」
「……物好きだなぁ」
食べている所を見ていて,何か面白いのだろうか。
少しだけむず痒く感じるイドリースだったが,今まで沈黙していたイオフィが急に二人を交互に見比べる。
『食べる,がどういうものなのか,ワタシには分かりません。ですが,食欲を満たすことが,人に与えられる幸福の一つであると認識しています』
「うーん。腹が減っては何とやら,って言葉もあるからな」
『なので,ワタシは疑問を抱きます』
「?」
『不老不死となった人間は,何を幸福としているのでしょうか?』
不老不死ではない二人は,直ぐには答えられなかった。
彼らは肉体の概念を捨てた存在だ。
元の人間が持っていた欲から切り離されている。
だが,欲がなければ人は動けない。
千年生き続け,そして守り続けたキューレがそうだったように,確固とした願いがあるのは間違いない。
「アウグスさん,あの話はかなり悩んでました。でもやっぱり皆を置いていけない,助けに行きたいって言ってました」
「そうか……」
アウグスは,自分にとって何が大切なのかを今一度思い出したようだった。
そして彼の助力を乞う声も,里の者達はある程度理解していた。
「皆も,それほど否定的な意見を言う人はいなかった。となると,やっぱり問題なのは物理的な距離だな。乗り物のような移動手段がないと,どうしようもない」
救助へ向かうこと自体はイドリースも賛成だった。
しかし距離の問題を解決する手段がなく,考え込むように片手で顎に触れる。
まだ人間達に見つかっていないものの,里を長期間空けることには抵抗がある。
異変を感じても直ぐに戻れるような迅速性が必要だ。
馬でも生息していればよかったが,この付近には移動に特化した動物はいない。
割と八方塞がりな所に,イオフィが続けて目を光らせながら呟く。
『移動手段……再検索完了。該当する機体が一機存在します』
「あぁ,あのバイクってヤツだろう? 確かに使えないことはないけど,乗れる人数が少なすぎる」
『いえ,それとは別にもう一機存在します。少々距離はありますが,ここから北東に進んだ場所で沈黙するものがあります』
「え?」
不意に告げられた移動手段の存在。
北東に向かった場所に一体何があるのか。
アルカは首を傾げるばかりだったが,以前の戦いを思い出したイドリースは片手を顎から離した。
「そういうことか……」
「イドさん?」
「テウルギアの一件。彼らは大きな忘れ物をしていった。それを使わせてもらおう」
「……! それって,もしかして……!」
彼女もようやくその存在に気付いたようで,イドリースはゆっくりと頷いた。
「機動要塞ゲイン。アレを奪取する」




