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第2話 元英雄の状況報告




日差しの強い昼下がり。

旧人が隠れ住む大樹の里は,変わらずそこにあった。

緑が覆い尽くすその場所では,旧人達が日常的な仕事ばかりをこなしていた。

機動要塞ゲインの戦いから数日が経ったが,特に目立った変化はない。

幼い子供達も静かながら,仲睦まじく遊んでいる。

そんな大樹の一角。

小屋の一室で胡坐を組んで座っていたイドリースは,静かに目を閉じたまま,手中に己の炎を宿していた。

風もない中で炎が揺らぎ,その動きを正確に読み取る。


「反応はなし,か」


胸を撫で下ろすようにふうっと息を吐くと,彼の元にとある人物がやって来る。

やけにボロボロなマフラーを首に巻き,帽子を深く被る女性。

大樹の里に住まう服屋のエモだった。


「イド。今良いかな?」

「ん,エモか。どうしたんだ?」

「えーと,また洗った服の乾燥を頼みたくてねー」

「精が出るなぁ。そこに置いといてくれ」


彼女は木製の大きな籠に,濡れた衣服を詰め込んでいた。

他里の者達が着ていたものを手分けして洗い,ここまで持ってきたのだ。

衣服の乾燥は,以前イドリースがアルカの服を乾かした時と何も変わらない。

自然に干すのも良いが,完全に乾くには時間が掛かる。

それを一瞬で可能に出来るのなら,手伝ってもらうしかない。

塵灰の炎にも,このような使い方が出来るとアルカが意見したことで,結果としてイドリースは衣服乾かす役割を担っていた。


「あれ? アルカちゃんとエクトラちゃんは?」

「アルカは,エクトラの畑仕事を手伝いに行ったよ。今も,あっちにいるんじゃないか?」

「成程ぉ。まさかエクトラちゃんが,誰かを連れて行くなんて。あの二人,何だか仲良くなったよね」

「まぁ,色々あったからな」


イドリースは手中の炎を打ち消して,数日前のことを思い返す。

テウルギア戦を経て,命を絶とうとしたエクトラをイドリース達は助け出した。

生き続けて,未来が切り開く瞬間を見届けることが,彼女に与えられた役目だと諭したのだ。

結局エクトラはそれを受け入れ,申し訳なさそうな表情で,二人と共に里に帰還する。

どうせ,誰も自分のことなど構いはしないと思っていたようだが,帰ってきた彼女を里の皆は迎えた。

生きて帰ってきて良かった,そう言ったのだ。


呆気に取られるエクトラだったが,彼女は勘違いをしていたのだ。

人間を打ち倒す稲妻は,何も畏怖の象徴だけではない。

皆を守る力になり,事実彼女はずっと里を守り続けていた。

虐げられる理由は一切ない。

距離感が分からなかったエクトラは,そこでようやく自分が受け入れられていることを知り,少しだけ笑顔が戻る。

それを見たイドリースとアルカも,お互いに強く頷いたものだった。


「全く,お姉ちゃん妬けちゃうわぁ」

「どうして?」

「エクトラちゃんが笑う所,久しぶりに見たからね。勿論私も,あの子が誰かと打ち解けられて嬉しいよ。でもアルカちゃんと私とで,一体何が違ったんだろうって思ってね? 清楚さかな? それとも奥ゆかしさ? ねぇ,どう思う?」

「それを俺に聞くのか……。別にエモが何もしてなかったって話でもないと思うけど。エモが常に気に掛けてくれていたから,里を失った彼女もここにいられたし,戻って来られたんじゃないか?」


率直な意見を言う。

今までエモは,両親を失って傷心するエクトラの話し相手になっていた。

会話は毎度少しだけだったかもしれないが,それが心の支えになっていたことは否めない。

孤独は人を殺す。

エモがいたからこそ,彼女は今ここに生きている。

イドリースがそう言うと,エモは帽子を深く被り直した。


「そう言われると,何だか照れるわねぇ。お礼に服を作ってあげようかな?」

「それは有難い。是非是非」


イドリースは調子よく頷く。

千年前の衣服一着しか持たず,毎日洗って毎日乾かしている身としては,割と深刻な問題である。

破けてしまえば,裸で過ごさなければならなくなる。

エモは事情を察して快く引き受け,同時に彼の動向を気に掛けた。


「よーし。服は前に見せてもらったし,それを参考にするとして……。それで,一人で黙々と何をしていたの?」

「さっきのヤツか? あれは,里全体の結界を制御していたんだ。ゲイン戦で里の場所がバレていないのは分かったけど,細心の注意は払っておきたくて」


今まで彼がしていたことは単純明快。

里を覆っていた炎の結界の調整である。

敵意を持って侵入した者を迎撃する不可視の守り。

十傑の一人が倒されたこともあって,人間達による広範囲の炙り出しが行われる可能性がある。

里が発見される恐れもあり,イドリースは常に結界の維持を保っていた。

しかし,奇襲の気配は一切ない。

単純に見つかっていないのか,向こう側でも何かしらの策があるのか。

目的地もないまま下手にこちらから乗り出す訳にもいかないので,現状イドリース達に動きようはない。


「何から何まで,背中を預けっぱなしね」

「これは俺の本分なんだから,預けてもらわないと寧ろ困るかな。そうじゃないと,俺は洗濯物を乾かすだけの乾かし屋だ」

「別に良いんじゃない? 結構助かっているんだけど?」

「それ,励ましてるのか?」

「あらあら,そのつもりだったんだけど,お気に召さなかった?」

「いや,別に悪くはないけどね。前にもこんなことはあったし」


英雄時代の頃も,服の乾燥は仲間内から頼まれていた。

戦い以外のことで頼られるのも良いことだ。

若きキューレや仲間を思い出し,イドリースは笑みをこぼす。

外から微かに子供たちの遊ぶ声が聞こえ,沈黙が流れていく。

すると一転して複雑な顔をしたエモが,躊躇うように再び声を掛ける。


「……皆の反応はどうだった?」

「様々って感じかな。一部の人だけにしておいたのが,功を奏したよ」


そう言われた彼も,少しだけ声量を落とす。

二人が仄めかしているのは,旧人の正体について。

テウルギアとの戦いで真実を知ったイドリース達は,里の帰還した後でそれを告げるつもりでいた。

何故人間が旧人を忌み嫌うのか,彼らには知る権利があったのだ。

先にそれを知ったエモは,当初は皆に告げることに否定的だった。

人間を滅ぼしかけた種族の末裔などと言われてしまえば,罪の意識に苛まれ,押し潰されてしまうかもしれない。

多感な子供達にはあまりに残酷だった。

だからこそ,自ら知りたいと欲し,己を自制できる一部の大人達だけに明かした。

結果は会話の通りである。

困惑する者もいたが,少なくとも狂乱する者はいなかった。

ある種の諦観,そういう事だったのかという妙な納得。

だがそれを良しとして受け入れる者は少なかった。


「エモはずっとこの里で暮らしていたんだっけ? 皆の中で誰か,正気を失った人はいるか,覚えているか?」

「……そんな事には,一度もなってないかな。皆ちゃんと自分を持って,自分で行動していたわ」


エモは首を振る。

彼女だけでなく,里の最高齢者が知る限りでは,900年前のように暴走する者は誰一人いなかったという。

全員が自我を失うことなく,人間からの脅威に怯えるだけ。

その話を聞いて,イドリースは一つの仮説に辿り着いていた。


「俺は思うんだ。900年前の人達と,今いる人達は違う。テウルギアの言う通り,角や体内の構造は,確かに共通しているんだろうけど,そこにある意志は同じじゃない。もしかしたら,例のウィルスを克服した別の種族なのかもしれない」

「別……?」

「勿論,確証はない。でも,今まで誰も暴走していないのなら,その説も全くの暴論じゃない筈だ」

「……そう割り切って,私達を守ってくれているのね。過去に起きた事も,全部受け入れた上で」

「割り切ると言うか何と言うか。先祖の罪が子孫にあるか,と言われたら違うと思うんだ。その人の罪は,その人だけのものだ。人間から虐げられる理由にはならない。だから俺は,こっちの側にいることにしたんだ」


彼に迷いはなかった。

ただ同情した訳ではない。

彼女達の在り方が,危険だと言われ続けた一生が,どうしてもイドリース自身と重なっていたからだ。

友との絆で乗り越えた過去があったからこそ,古の英雄は今この場にいる。

キューレもこうなることを予期して,イドリースやアルカをペンタゴンから逃がしたのかもしれない。


「これから,どうするの?」

「里の人達とも話し合ったけど,一番の目的は人間の打倒じゃない。ここにいる皆が,自由を獲得できる場所を作ることだ。人間ひいては十傑達に,皆の存在を認めさせる」


そして目下の目的は,旧人が安全に暮らせる場を作る事。

全土を統治する人間,所謂王であるエリヤに,一定の和解を認めさせることにある。

だがそれが簡単に出来る筈もない。

イドリースが活動していた千年前でも,敵国との協定には武力で制さなければ叶わないものだった。

これ以上,塵灰の炎を敵に回せば存続が危うくなる。

それだけの脅威を理解させて,ようやく実現できた平和だった。


「テウルギアを倒した以上,向こうも俺達の脅威を知った。話す余地のない相手が,一転して力を持ったんだ。看過は出来ないと思う。だからそれを利用して,話し合いのテーブルに引き摺り下ろす」

「彼らと交渉するってこと……?」

「そうなる。でも,どうやってその場を作るか。そこが問題かな」


相手が交渉に応じなければ意味はない。

他の十傑を倒せば,それだけ協定への道は近づくが,新たな犠牲を払うことになりかねない。

何処か多数の人間に対して,言明が出来る場が必要だ。

今の場には,それを可能とするものはない。

何か策を考えなければならないだろう。

すると真面目に聞いていたエモが,彼をジッと見つめながらもう一度問う。

それはイドリースにとっても,里の者達にとっても,重要な問題の一つだった。


「こんなことを聞くのはどうかと思うけど」

「?」

「身体は大丈夫? 本当に私達の中に,ウィルスが眠っているなら……」

「俺に感染する,か」

「あっ,不安にさせるつもりはなかったんだけど……!」

「いや,当然の反応だよ。里の人からも,アルカ達にも,それを一番心配された」


未知のウィルスへの対抗手段。

魂の物質化によって不老不死となった人間は,既に感染することはない。

旧人に関しても,現状で暴走した記録は残されていない。

ただ旧世代の人間であるイドリースだけは話が別だ。

感染すれば,900年前の惨劇と同じように理性を失くした獣と化すかもしれない。

彼自身も,事の重大さはよく理解していた。


「感染は十傑以上に危険だ。塵灰の炎が正気を失うなんて,何とかに刃物ってヤツだ。でも,直ぐに症状が現れるモノらしいし,今の所その予兆はない。現状は大丈夫,だと思う。付け焼刃だけど,体に害する細菌は排除するよう炎は宿している」

「そう……。ごめんね,勝手なことばかり言って……」

「謝る必要はないよ。ええと,それで,この洗い物を乾かせばいいのか?」

「え? あ,うん」

「よし,任せろ。いい感じに,フワフワに乾かそう」


感染は何よりも避けなければならない。

だが深刻に考え過ぎて,周りを不安にさせてはならない。

暗い表情は避け,気丈に振る舞うイドリース。

その考えを読み取ったのか,エモは羨ましそうな視線を送った。


「貴方は本当に,英雄って感じね」

「何だそれ」

「だってそうじゃない? まるで,弱点一つないように見えるもの」

「失礼な。俺にだって苦手なものくらいある」


否定する元英雄の言葉に,彼女は酷く驚いた様子だった。

瞼を何度か瞬き,聞き間違えかと言わんばかりに身を乗り出す。


「え? 本当に?」

「そこまで驚かなくても。エモの中の俺は,一体どういう人間なんだ?」

「……完璧超人?」

「いやいや,買い被りが過ぎるよ……。俺は完璧でも何でもないさ……」


イドリースは自分を完全だと思ったことはなかった。

寧ろ,弱い部類の人間。

誰かのためにしか存在できない脆弱な者。

エクトラは里で生きる意味を見つけたが,未だに彼は過去に縛られたままだった。

そして強さで言うなら,彼女達の方がよっぽど優れているだろうと,彼は理解していた。


「今を生きているアルカ達の方が,俺なんかよりもよっぽど強い。そういう意味じゃ,俺は常に負けっぱなしだ」


そう呟く彼を見て,エモは何とも言えない表情をするのだった。




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