第3話 驚異の格差社会
得体の知れない者達を撃退したイドリースは,少女と共に洞窟の中を移動することにした。
あの場にいては,彼らが加勢を得て戻ってくるかもしれない。
少女にも疲れが見えていたため,明かりを灯しながら,身近で身を潜められそうな所を探す。
洞窟内部は広大かつ非常に入り組んでいた。
何処まで行っても地上の光すら見えない。
彼自身,このような場所に立ち入るのは始めてだった。
フェルグランデ王国でも,これだけの広さを持つ洞窟があるなど聞いたことがない。
「近くに気配はない,な」
後ろを付いて来る少女を気に掛けつつ,それなりに適した場所で腰を下ろし,一時的な休息を取ることにする。
彼も封印から解かれた直後ということもあって,本調子ではない。
しかし,置かれている状況を把握しておかないと,安心して休むことも出来ない。
一息ついた所で悪く思いながら,彼女にも質問に付き合ってもらうことにした。
「で,色々聞きたいことがあるんだ。いけるかな?」
「あ,大丈夫です」
「いい返事をありがとう。そうだな……取りあえず,名前を教えてくれない?」
「そ,そうでした。言ってなかったですね。私は多分,アルカだと思います」
「多分?」
「えっと……私,名前とか知らないんですが……そう何度か呼ばれているので,多分それが名前じゃないかな,と」
「そ,そうか。じゃあ,アルカってことで呼ばせてもらうよ」
「はい,お好きにどうぞです。イドリース様」
「……うん。その様付けはなしで」
「殿,ですか?」
「それもなしで」
「では,主様?」
「さん付けで頼む」
やたら崇めようとするアルカに軌道修正を掛ける。
様で呼ばれること自体,彼はあまり好まない。
それは封印される以前,畏怖された己の姿を思い出すためだ。
彼を人として扱う者は殆どいない。
ただ,数少ない親しい者からはイドと呼ばれていた。
自身の炎を見ても恐れを抱かなかった彼女になら,そう呼ばれても問題はないだろう。
「イド,さん?」
「うん。そっちの方が呼びやすくないか?」
「そうですけど,いいんですか……?」
「俺は気にしないから,問題なし。何なら,呼び捨てでもいいよ」
「そ,それはちょっと……じゃあ,イドさんで呼んでいきますね」
アルカも特に抵抗することなく順応する。
それを見て満足そうに頷いたイドリースは,そのまま状況の把握に取り掛かる。
「さっきのことを掘り返すけど,あの時の状況を察するに,アルカが俺の封印を解いてくれたってことでいいんだよな?」
「えっ,封印? されていたんですか?」
なのだが,初っ端から躓きそうになる。
目を丸くするアルカは,元々彼のことを知っているようには見えなかった。
そして,その推測は大よそ当たっていた。
「私は,あの人達に追われて逃げてきただけで,イドさんがいるなんて知らなかったんです」
「じゃあ,やっぱり俺の名前も?」
「初耳です」
「お,俺の知名度……。一応,英雄だったはずなのに……」
「あの時は追い掛けられて,どうしようもなくなって……。ただ誰か助けてほしい,そう思っただけで……」
「じゃあ俺が起きたのは,本当に偶然だったのか」
困惑するのは,アルカも同じだった。
彼女も突然現れたイドリースが何者なのか,分かりかねていたようだ。
それでも,あの男達が封印に関与していたとは到底思えない。
そして目覚める直前に聞こえた,助けを求める声。
これらを踏まえると,アルカが自覚なしにイドリースの拘束を解いたか,何か別の作用が働いて自然と消滅したかに限られる。
あれ程大掛かりな術式を彼女一人で破ったとは考え辛いが,可能性の一つとしては捨てきれない。
「追い付かれて,もう死んじゃうって思ってました。だから,助けてくれて,本当にありがとうございますっ」
イドリースがそんなことを考えているとも知らず,アルカは命の恩人に対して感謝の言葉を述べる。
頭を下げ,彼女の頭に生えている小さな角が向けられる。
銀色の髪に似た,可愛らしい白い角だ。
それを見た彼は顎に手を触れ,自分にはない代物に少しだけ興味を抱く。
「その角」
「?」
「飾り,じゃないよな? どうなっているんだ?」
「えぇっ!? ど,どうって,そのままですけど。そ,そういえばイドさんには,角がないんですね?」
「瘤を作った覚えは何度かあるけど,角は流石にないな。だからかな,少し気になる」
「!?」
彼の知的好奇心を知り,アルカは驚きながら両手で角を覆い隠す。
そこを意識されるのは恥ずかしいらしく,少し頬が紅潮しているようにも見える。
しかし,次第に神妙な面持ちで両腕を降ろした。
「そうですよね……。助けられた恩は返さないといけませんよね……」
「ん?」
「イドさんがそう言うのなら,仕方ないです」
「どゆこと?」
「ど,どうぞ。ご自由に確かめてください」
「いや,別に触るつもりはなかったんだけど」
「でも,その……出来るだけ優しくしてくださいね」
「自己完結激しくない?」
イドリースは気安く触るつもりなど毛頭なかったのだが,角は突き出されたままだ。
必要ないと言っても,抵抗する素振りがない。
意を決した少女の覚悟を無為にするつもりも悪い気がするので,彼は好奇心のまま角に触れることにする。
「んっ……」
「うーん。思った以上に滑らかな手触り。骨とはまた違うものなのか?」
「あ,あの,指で擦るのは」
「でも頭から生えてるなら,骨格の問題だよな……。生え際はどうなって……」
「え,あ……そ,そんな所まで……!?」
「やっぱり,頭蓋骨と繋がってそうだ。骨の一部ではあるけど,外気に触れても大丈夫な様に,ここだけ発達,適応しているって事か。さっきの連中の身体といい,中々興味深いな……」
イドリースは角の感触を確かめつつ,過去の記憶を思い出す。
彼が知る限り,人に角が生えているという記録は一切ない。
封印されている間に環境が変わり,それに応じて人体が変化したのか。
可能な限り丁重に扱った彼は,角から指を放しアルカに礼を言う。
「ありがとう,アルカ。もういいぞ」
「……」
「もしもーし?」
「は,はひっ!? あ,ありがとうございましゅっ!」
「……呂律回ってないけど,ホントに大丈夫か? やっぱり嫌だったんだろ? そういう時は,嫌ってはっきり言った方が良いよ」
「いえっ! 別にそんな事はっ! 寧ろ……」
「寧ろ?」
「んん!? な,何でもないです!?」
「そ,そっか。何でもないなら,別にいいんだけど」
顔を真っ赤にするアルカの真意を掴めないまま,彼はその様子を観察する。
頭部に角があるからといって,接し方が変わる訳ではない。
慌てる感情の変化や赤くなる頬を見ても,彼女は正真正銘の人であり,ごく普通の肉体を持っている。
ただ,そんな彼女を虐げていた男達にとっては,事情が違うようだった。
「あの連中は角が付いてること自体,毛嫌いしてるみたいだったな」
「こ,この角は,旧人の象徴ですから。あまり良いものではないんです」
「そうなのか?」
「はい。人間の皆さんには,角なんてありませんし」
「俺にも角はないけど……。じゃあ,その旧人っていう人には全員角がついてるのか」
コクリ,とアルカは一度頷く。
何となくイドリースは自分の頭部を擦ってみたが,角らしきものは何処にもなかった。
「イドさんは,人間と私のような旧人のことを,知らないんですか?」
「そう,だな。どうも俺の知っている人間とは,かけ離れている気がするんだ。その所,教えてくれると助かる」
「もしかして,記憶喪失?」
「眠っていた,の方が正しいかな。封印されていた間,俺に意識はなかったから」
滅多にないであろう,封印の実体験を分かり易く伝える。
アレは時の流れを止めるもので,対象者にその間の意識はない。
誰かが起こさない限り,その命をも現界させる。
アルカは彼が長い時から目覚めたことをようやく理解し,少しだけ目を伏せて語り始めた。
「人間は年を取ることもないですし,死ぬこともないんです。何もなくてもずっと生きていられる。でも,私は違うんです。身体の血や臓器がないと生きられない。食べ物や空気だって,足りないと死んじゃう。そんな不完全な生き物が旧人なんです」
「俺達のような身体のある奴が不完全で,骨もないあの男達のことを完全だっていうのか……」
「それが常識って,教えられたんです。命の枠を超えた人間は崇高な存在,それに囚われた旧人は唾棄すべき穢れた生物だって。だから,私は討伐の対象なんです」
「常識が非常識すぎるぞ……」
少しだけイドリースは頭を悩ませる。
確かに,彼らはアルカを始めとする旧人を汚らわしい存在として差別していた。
そこに疑いの余地はない。
しかしこれは最早,テラフォーミングに近いような変化である。
本来人と呼ばれていた者が下級種族として扱われ,別の生命体に取って代わられている。
冷静に考えて,それはとても恐ろしい事のように思えた。
「俺が封印される前は,血の通った人が人間って呼ばれていた筈なんだが……。まさか夢って訳でもないし,一体どうなって……」
「私達が人間? そんな時代があったんですか?」
そこへアルカが純粋な疑問を投げかける。
その言葉の違和感に気付き,イドリースは少しだけ動揺する。
強烈な悪い予感というものが,彼の全身に伝わった。
「いや,ちょっと待ってくれ? まるで俺が大昔の人みたいに聞こえてくるんだが。そうだ,今は一体何年なんだ?」
「は,はい。ええと,確か……」
彼女が戸惑いながらも正確な年を伝える。
差分するまでもなく,周囲に舞っていた炎が,感情の揺れに応じて何度か明滅を繰り返す。
目を見開いたイドリースは,そのままの表情で小さく呟く。
「千年……経ってないか……?」
「ええっ!? せ,千年!?」
アルカが口にした年は,彼が封印された時より千年経過したものだった。
時が流れたという話を超え,幾つもの時代が過ぎ去った後だったのだ。
流石のイドリースも,この事態は想定外で愕然とするしかない。
「じ,冗談が過ぎるな。二桁位,間違えてないか?」
「ふ,二桁ですか!?」
「あぁ。それ位なら,まだ現実味がある……」
「と,ということは,じゅう……」
「?」
「十万ですか!?」
「増えちゃ駄目だろう?」
始めは冗談か何かだと思ったが,同じく驚いていたアルカと,周りを照らす自分自身の炎がそれを否定する。
これは夢でなければ,幻でもない。
かつて塵芥の炎として恐れられたイドリースは,千年もの時を経て目覚めたということを,受け入れるしかなかった。