第16話 星に願いを
機動要塞ゲイン,上層部。
結界が崩壊した拍子に,エクトラは元の場所へと弾き出されていた。
流れるよそ風を懐かしく感じながら,差し込む光に両目を瞑る。
あれだけの戦いを目の当たりにしながら,まだ自分に息があることに,彼女は驚きすら感じていた。
「戻って,これたの……?」
イドリースとアルカは,一体どうなったのだろう。
結界が崩れ去る直前に見た彼らの姿を思い,エクトラは目を擦った。
機動要塞に戻ってきたのなら,他の人間達から襲われるかもしれない。
まだ立ち上がる力がない中で,どうにか両足に力を込める。
だが,少しずつ視界が戻ってくると,彼女は目の前の光景に息を呑んだ。
そこは白い花ばかりが咲く花園だった。
壁も天井も,全てが夜空を模すように塗り固められている。
奥には木造の一軒家が見え,風に揺られて一斉に花達が首を傾ける。
そこでようやくエクトラは,今まで差し込んでいた光が,花が放つ乱反射だと気付く。
これは現実の世界。
機動要塞にある,室内庭園だった。
「白い花……」
「まさか旧人如きに,私の部屋を暴かれるなんて思わなかったよ……」
後ろから声が聞こえ,思わず振り返る。
息も絶え絶えなテウルギアが,片腕を掴みながら立ちはだかっていた。
「ここは,900年前の故郷を再現した場所。私が皆と,共に過ごした地だ」
「……」
「本当に美しかった。一面に花が咲いて,星のように輝いていたんだ」
遠い目をしながら呟く。
ここは,彼にとって全てが始まった場所なのだろう。
テウルギアが,旧人を許すことはない。
エクトラも,彼を許すことは出来ない。
両者に静かな空気が流れ始めた瞬間,何処からか機械音声が響いた。
「テウルギアさん! テウルギアさん,応答して下さい!」
「シャドウ君,か」
「あぁ,良かった! 急に通信が途絶えたので,何かがあったんじゃないかと思って! 攻め込んで来た旧人達は,殺したんですか!?」
通信機器による連絡手段。
秘書であるシャドウは,ここではない場所で,彼の安否を確認していたのだろう。
仲間を呼ばれるかもしれない。
そう思ったエクトラは,どうにか身構える。
その様を見たテウルギアは,少しだけ俯いて言った。
「ここを放棄する。撤退しなさい」
「な……!? どういうことですか!?」
「あの男,イドリースは私達人間に反逆した。この要塞も,じきに堕とされる」
「そんな! 彼は私達と同じ人間の筈です! どうして……!?」
「私と彼では,守るものが違っていたみたいだ……」
悲しそうに彼は答えた。
「でしたら,テウルギアさんも……!」
「私が殿を努める。君達が全員避難したら,私も離れよう」
イドリースを食い止め,ここから無事に脱出する。
彼にそんな力はない。
塵灰の炎を受けた身体は,既に崩壊が始まっている。
これ以上戦えば,命を落とす。
エクトラでも,それは察することが出来た。
「大丈夫だ。私は十傑の一人。そう簡単に倒れたりはしない」
「でも……!」
「相変わらず,君は心配性だな。そうだ。ここから帰ったら,前に約束した花の,カモミールの育て方を教えてあげよう」
「ほ,本当ですか……!?」
「この花には,逆境に耐えるという言葉が込められている。君ならきっと,美しく育てることが出来るよ」
カモミールは,この場に広がる花の名前。
今までに聞いたことがない位,彼は優しそうな声をしていた。
「分かりました! 動ける仲間と一緒に撤退します! ですから,必ず帰ってきて下さい!」
「あぁ……約束しよう……」
秘書も,その言葉を信用したようだった。
撤退の意志を固め,通信を遮断する。
仲間との最後の会話を終えたテウルギアは,エクトラと向き直る。
既にその顔には死相が浮かんでいた。
「始めようか……」
「どうして,あんなこと……」
「……それを聞く意味が,知る理由があるのかい?」
旧人に分かる筈もないと,彼は一歩踏み出す。
残された僅かな力で,手中に極小の流星を生み出す。
最早,立ち止まることは許されないのだ。
「立て。立てないのなら,そのまま死ね」
「っ……!」
放たれた流星が,エクトラの元に襲い掛かる。
極小とはいえ,人体を貫くだけの威力はある。
着弾した流星が起こした土煙から逃れ,後ろに跳躍した彼女は,白い花園に囲まれながら立ち上がる。
そして,己が何をしにここまで来たのか,もう一度思い出した。
「あたしは……あなたを……!」
エクトラは稲妻を生み出した。
残された願いに縋り,帯電したそれをテウルギアの四方へ解き放つ。
彼女の力に容赦はなかった。
テウルギアは流星の破片を複数個生み出し,その攻撃を相殺させる。
空気中を舞う電撃と流星の破片が,舞い散る白い花弁に混ざり合った。
「く……はは……。その,程度か……?」
嗤うテウルギアは,距離を取るエクトラに迫る。
新たに襲い掛かる電撃を防ぎ切れず,片腕を拘束されながらも,決して歩みを止めない。
それどころか拘束された片腕を引き千切り,光の欠片を放った。
半死半生とは思えない気迫。
避け切れず頭部を掠めたエクトラから赤い血が流れる。
「っ……!」
「所詮は,偽りの意志……! 私達人間の,本当の意志に……敵う筈がないんだ……!」
耐え切れずに,エクトラは雷光を放って地面を砕く。
土煙を巻き起こし,両者の視界を遮る。
彼女はそれを機に雷の槍を形成した。
それは,里に侵入したイドリースを迎撃した時と同じ戦法。
ただ,テウルギアにそれを対処するだけの余裕はない。
土煙を打ち払った彼の隙を狙い,その身体に稲妻の槍を突き刺した。
不死殺しの一撃が,彼の魂を貫く。
「ぐ……ぁ……」
槍から放たれた雷撃と共に,テウルギアは後方へと吹き飛ばされ,花園にあった木造の家に激突する。
それは彼が,900年前に人として暮らしていた我が家だったのだろう。
殺風景な空き家に,たった一人倒れ伏す。
だが,暫くして彼はゆっくりと立ち上がった。
致命傷を受け,全身が霧のように揺らぎながらも,戦意を失わない。
最後の命の灯が消えるまで,一歩一歩,エクトラに向かって歩き出す。
「絶対に……諦めない……」
もう,戦う力はない。
生み出そうとした流星も,砂に変わって崩れ落ちていく。
だというのに彼は弱弱しく,エクトラに向けて手を伸ばす。
死を間近にした姿に,カモミールの花達が儚く舞い続ける。
何故か,エクトラの視界が霞んだ。
「どうして……泣くんだ……」
「……!」
「旧人が涙を流すな……。それは……私達人間のもの……。お前達が全て……血も涙も奪ったんだ……」
テウルギアは虚空を見つめていた。
既に彼の目は,エクトラを捉えていなかった。
届かないものを掴み取るように。
失ったものを取り戻すように,手を伸ばし続ける。
「そう……3回だ……。3回,流れ星に……願いを伝えるんだ……」
星に願いを。
それが彼の根源。
父であった彼をテウルギア足らしめた,確かな望み。
「きっと……かなう……か……ら……」
手が届く瞬間,テウルギアは光の粒となって飛散する。
不死となって900年以上戦い続けた彼の命が,終わりを迎えた。
残されたのは,空を舞う白い花弁ばかり。
呆然とするエクトラは,全身を弛緩させ,その場で天を仰いだ。
夜を映し出した人工の天上が,彼女を見下ろしていた。
「お父さん,お母さん……やったよ……。あたし,皆の仇を取ったんだ……」
怨敵である十傑の打倒。
悲願を果たしたエクトラの表情に生気はなかった。
望みは叶えた。
恨みも晴らした。
彼女の理由は全て無くなってしまった。
「だから……。もう,いいよね……?」
上昇していた機動要塞が,制御を失い徐々に下降していく。
小さく呟いたエクトラは,揺れ動く場からゆっくりと歩き出す。
行き場などない。
彼女の目にはテウルギアと同じ,終わりの果てしか映っていなかった。
●
漆黒の結界を焼き切り,元の場所へと帰還したイドリース達が見たのは,一面の花畑だった。
不老不死を宿す人間とはかけ離れた,有限の命が束なる場所。
ここがテウルギアの守護する過去だと分かるには,少し時間が掛かった。
「この花園は……」
機動要塞全体が大きく揺れる中,イドリースは傍にあった砂の山に目を落とす。
それらを掬い上げ,サラサラと落としていく。
間違いなく,これはあの男が生み出した流星の欠片。
担い手を失った力の残骸だった。
「テウルギア……死んだのか……」
イドリースは十傑の死を悟る。
自身が死に追いやったことに,罪悪感はあれど後悔はなかった。
仮に生かしておいても,彼は旧人への怒りを抑えきれず,何度でも凶行に走っただろう。
里を守るには,倒す以外に手はなかった。
直後,辺りを見回すアルカが悲痛に叫んだ。
「イドさん! エクトラさんが,何処にもいません!」
「何だって!? まさか,ヤツに……!」
「エクトラさん,ここを出る前に言っていたんです! あの人を倒すまでは,絶対に死ねないって……!」
辺りにエクトラの姿は何処にもいない。
弱体化したテウルギアを倒したのが彼女であるなら,既に目的は達せられた。
今まで抱いていた,生きる意味を無くしたという事だ。
ハッとしたイドリースは,アルカを連れて花園を後にする。
降下していく機動要塞の中,二人はエクトラの姿を探し回った。
人間達は既に撤退した後のようで,もぬけの殻となっている。
時間だけが刻々と過ぎていくと,通りがかった半壊の機械に微かに残留する電気があった。
これは自然のものではない,彼女が消しそびれた力の一端。
導くように流れていくそれを,二人は頷き合って辿っていく。
そうして辿り着いたのは,何の障害物もない要塞の屋上。
一人の少女が,柵のない屋上の端に立ち,風が流れ込む高度数百ⅿの空を覗き込んでいた。
「エクトラッ!」
エクトラはゆっくりと二人を見返す。
その瞳には,何も映っていなかった。
「まさか,身投げするつもりか!?」
「……」
「止めてくれ! 俺はそんなことのために,助けた訳じゃない!」
風が強まる中,イドリースはどうにか呼び止める。
本来なら声を掛ける前に連れ戻していたが,彼の体力はテウルギアとの戦闘で著しく消耗していた。
この場で飛び降りをされてしまうと,助け切れるか分からない。
「あたしは,あの男を倒すためだけに,今まで生きてきたの。イドリース,本当はあなたも同じなんでしょ?」
「!?」
「家族を奪われた恨み。それを晴らした後なんて,何もない。もう,何もないんだよ。だって,あたしは一人なんだから……」
彼女は表情を変えずに視線を落とした。
イドリースが即座に答えられなかったのは,自身も同じ立場だったからだ。
親友のキューレを殺され,その無念を晴らすために今を戦い続けている。
だが,その後はどうだろうか。
彼の思いを果たした後,イドリースは何処へ行くというのか。
また,千年前と同じように永遠の眠りにつくのかもしれない。
自覚はしていたが,自分の言葉が自分に返ってきたことを知り,躊躇いを抱く。
しかし次の瞬間,エクトラに駆け寄りその手を引く人物がいた。
銀髪を風に流しながら,悲しい表情をするアルカがそこにいた。
「アルカ!?」
「離さないもん……!」
「止めて! あたしを止める理由が,何処にあるの!?」
「理由がないと,止めちゃいけないの!? 黙って見てろって言うの!? そんなの,やだよっ!」
エクトラは,その手を振りほどこうとする。
アルカも戦いの消耗で引き止められるだけの力は残っていない。
だが,それでも決して離そうとはしなかった。
「イドさんが言ったことを思い出して! 生きる意味を見つけろって,恨みを晴らしてそこで終わりじゃないって,ちゃんと言ったよ!」
「……!」
「何もなければ,見つければいいんだよ! 自分がここにいる理由を,探せばいいんだよ!」
「でも……そんなの……。あたしは,この力のせいで里の皆からも……」
アルカの眼差しを受け止めきれず,エクトラは視線を逸らした。
不死殺しの雷を持っていた彼女は,里の者から距離を置かれている。
そして彼女自身,遠ざかるような態度を取っていた。
今更,里に戻っても何も変わりはしない。
するとアルカは,手を引く力を緩めて言った。
「なら,一緒に行こう」
「え……?」
「ここで終わりなんかじゃない。放っておけばエクトラさんが抱えていることと,同じことがまた起きちゃう。これ以上,悲しいことを生まないためにも。戦いを終わらせるためにも。まだまだ歩いて,先の未来を見なくちゃいけない。そう,思わない?」
「未来を……あたしが……」
同じ悲劇を繰り返さない。
それは900年前の惨劇ではなく,今この時代に起きている惨劇を指している。
後ろを見てばかりでは,前には進めない。
アルカは既に,エクトラ達に道を示していた。
背中を押されたイドリースは,ようやく迷いを払い,彼女達の元へと歩み寄る。
「アルカにここまで言わせたんだ。勝手に死ぬなんて,俺も許さない。その命は,もう自分だけのものじゃないんだ」
「イドリース……」
「それに,エモ達が朝飯を作って待ってる。一緒に帰って腹ごしらえをして,ゆっくり眠ればいい。そうすれば俺も君も,少しは何かが見えてくるんじゃないか?」
エクトラはようやく顔を上げる。
彼女の頬には,涙の流れた跡が僅かに残っていた。
直後,三人に光が差し込む。
それは夜明けを呼び,新しい朝の来訪を示す陽光だった。
「朝日が……」
夜空の星が,微かな輝きが,より大きな光に呑み込まれていく。
エクトラも,もうアルカの手を振り払うことはしなかった。
ただ二人と共に,温かな光に目を細めた。
「心を持つ人が淘汰されるべきなんて,俺は思わない。だから……」
イドリースは夜の更ける空を見上げ,確かな意思を言葉に変える。
「だから俺が,この負の連鎖を断ち切ってみせる」
それに呼応したのだろうか。
何者でもない一筋の流れ星が,空の彼方に流れていった。




