第15話 ぶつかり合う意志
テウルギアが生み出した結界は,疑似的とはいえ宇宙空間そのものだ。
先程までいた要塞とは切り離された異空間であり,足場さえも存在しない。
イドリースは炎を固めて足場を作ると共に,周囲数mを炎で覆い尽くしていた。
視界には何処までも続く暗闇と,無数に煌めく星達が舞っている。
「キューレが生み出した虚無空間と同じ,と考えればいいのか?」
「宇宙には重力も空気もありません……。もし,ここが同じなら……」
「そういうこと,か」
過去のペンタゴン戦において,キューレが生み出した無と同じ雰囲気を感じ取っていた彼は,周囲の環境を寸前で焼き止めていた。
それが幸いし,内部には活動可能な要素が残される。
一瞬でも遅れていれば,存命不可能な真空に呑まれていただろう。
孤立したこの状況を打破するために,イドリースは炎を宇宙へと伸ばすが手応えはない。
一度塗り替えられた空間は,どれだけ焼き戻しても自動で修復するようだ。
「術者を倒す以外に,手はないか」
結界を破壊するには,力の源であるテウルギアを止める以外にない。
「アルカ,エクトラと一緒に,そこを動かないでくれ」
「は,はい……!」
一部の空気だけを貰い,彼は先の宇宙へと踏み込む。
支えられたままのエクトラは,彼の行く末を見送った。
「イドリース……」
「大丈夫。必ず二人を元の場所に帰す」
炎を凝固させた地を蹴り,待ち構える強大な敵と同じ高さまで上り詰める。
見下ろすテウルギアは何一つ纏うことなく,この空間で存命していた。
元々不死となった人間に空気は不要。
更にこの空間を鳥のように自由に移動できるらしい。
言わばここは彼の箱庭。
圧倒的な地の利が,そこにはあった。
「生身の肉体なら,十数秒で血液が沸騰し,死に至る空間だというのに。やはり君には,私達十傑に匹敵する力があるのか」
「テウルギアさん。退いてはくれませんか。皆に手を掛けないなら,俺が応戦する理由もなくなる」
「くどい。私の目的は,たった一つ」
「……人間には,王の意志があると聞いた。まさか,貴方は」
人間を統制する王の意志。
イドリースが,それを最後まで問うことはなかった。
彼に向けて一つの流星が降り注ぎ,大きな衝突音を上げた。
今までとは比べ物にならない,地上に落ちればクレーターが起きて当然の大きさ。
散らばった破片の一つ一つですら,人が当たれば粉々に砕ける程の威力があった。
「他の誰でもない! これは私自身の意志だ!」
テウルギアが叫ぶと共に,流星が炎の刃によって縦に寸断される。
更なる衝撃音と共に,半球状の星の残骸が宙を舞い,イドリースはその片割れの上部へと着地する。
「やるしか,ないのか……ッ!」
崩壊していく流星の破片を足場に,苦心の思いでイドリースは跳躍する。
狙うはテウルギア本体。
暴走を止めるには,力の根源を絶つ他なかった。
天に座す十傑に挑むように,彼は手を伸ばしてその距離を縮めていく。
「まだだ! 一つの流星を凌いだだけでは足りない! ここには数千,数万の星達が流れている……!」
直後,テウルギアは腕を振るう。
同時に辺り一面の星が流れ出した。
数えてもきりがない程の星は,全て質量を持った物体。
四方八方,全ての方位から敵を押し潰そうと,互いに衝突を重ねながら襲い掛かる。
轟音が轟音を呼び,視界一面が砕かれた破片によって塞がれる。
どれだけ焼き消した所で,焼け石に水だった。
消し飛ばした所から,新たな流星が何十と叩き込まれていく。
そして,一つ一つが大地を割る程の巨大なもの。
当然,余波で散らばった破片の群れが,離れていたアルカ達の元にも飛来する。
しかし,それらは二人を守る炎の障壁に阻まれた。
「イドさんの炎が強まった!?」
「これって,あたし達のために……」
指一本触れさせないと言わんばかりに,炎があらゆる塵を遮断する。
イドリースはテウルギアの猛攻だけでなく,アルカ達の防御も同時にこなしていた。
だが,その両立はイドリースでも困難を極めた。
彼女達の安全を優先したことで,自身を纏っていた空気が薄くなり,苦しさを覚え始める。
「自分の身以上に,あの旧人共を守るために力を注いでいるのか……!?」
「当然だ……! 彼女達を,傷つけたりはしない……!」
イドリースは息を乱しながら,新たな炎を全身から生み出して,再び飛び立つ。
炎を纏った突進で,押し寄せる幾つもの星を貫通する。
視界が晴れたことで,先に浮かぶテウルギアの姿が見え,思わず声を荒げた。
「貴方も英雄の一人! 戦いの辛さを,苦しさを誰よりも理解している筈! だったら……!」
「そうさ! 理解しているとも! だからこそ,止められないんだ!」
それ以上にテウルギアは怒声を響かせる。
未だ傷一つ受けていないというのに,彼の表情は苦痛に満ちていた。
「戦いを止めて旧人と手を取り合う。過去を受け入れて,あの悪夢に怯えながら過ごす。はは,冗談も程々にしてくれ。そんなことを,私が許せると思っているのか?」
予備動作なしに新たな光の雫が襲い掛かる。
炎を打ち出したイドリースが,歯を食いしばりながら突破する。
「良いか,イドリース! 私を倒したところで何も変わりはしない! 今に思い知ることになる! カーゴカルトを殺した時点で,君は永遠に消えない罪を背負ったんだ!」
「そんなもの,とうの昔に犯しているさ! この終わらない戦いを終わらせるためにも,俺は戦うだけだ!」
「偽善者め……! 数年程度の戦場しか知らない君が,知ったような口を利くなッ……!」
互いに己の意志を譲りはしない。
直後,二人の頭上を舞う星達が光の道を生み出し,宇宙全体を覆う巨大な魔法陣を形成した。
テウルギアの新たな能力が発動したようだ。
地の利が向こうにある以上,相手に勢い付かせては増々不利になる。
時間が残されていないことを察したイドリースは,包囲網で敵を囲い込み退路を断とうと,手中の炎を変化させる。
しかしその瞬間,テウルギアが天へ舞い上がり,彼が従える星の動きが不規則に変わる。
今まで急降下してきたそれらが,イドリースを囲い込む軌道に変化し,包囲網を作り始めた。
イドリースが行おうとしていた策そのままの戦法だ。
まるで考えを読まれたかの行動に,彼は違和感を覚える。
「動きを読まれた!? いや,これは未来視……!」
そして理解する。
天上で発動した魔法陣は,配下の未来を読み取る占星術。
彼の僕である星達が,次に起きる未来を予知しているのだ。
「考えていることは,全て筒抜けか……!」
未来視がある限り,こちらの攻撃は全て読まれてしまう。
次の手を尽く潰され,イドリースの攻撃が緩んでいく。
あらゆる障害を焼き尽くす炎であっても,それが届かなければ意味がない。
「例え煉獄の炎が相手でも,宙に漂う一つの灯に過ぎない! 君一人の意志だけでは,変えられるモノはない!」
「……!」
「この果てのない闇夜に行き場など,逃げ場など,在りはしないんだ……! ここで消えろ,時代遅れの英雄……!」
テウルギア自身,既に手を下す必要はなかった。
イドリースが纏う空気,言わば生命線には限界が迫っている。
どれだけ星を焼き飛ばされようと,所詮は肉体のある人間。
消耗するのを待ち,酸欠にさせてしまえば,どんな生命であっても死に至る。
星の支配者は,その経過を見届ければ良いだけだった。
だが同時に何かを読み取ったようで,彼は驚愕の色を見せる。
「な,何だこれは!?」
何が起きたのか。
一面の宇宙空間が切り開かれ,銀色に染まった光景が現れる。
それらは何十何百という数にまで膨れ上がり,星達の輝きを遮っていく。
これはテウルギアの仕業ではない。
唯一この能力に覚えのあったイドリースは,思わず後方を振り返る。
「アルカ,何をしているの!?」
「イドさんの力になりたい……!」
炎の障壁に守られていたアルカが力を行使していた。
闇夜を照らす銀色のそれらは,まさしく彼女が生み出した鏡の世界。
体力の消耗が激しいというのに,エクトラの制止も構わずに奮い続ける。
周囲の流星を少しでも妨害しようと,イドリースを守るように狭間が生まれていく。
「私だって,もう誰も失いたくないんです!」
「アルカ,駄目だ! 力の使い過ぎで,気を失うぞ!」
それ以上は,体力が持たない。
イドリースは駆け寄ろうとするも,辺りの変転に気付く。
流星の動きが,天井の魔法陣の光が徐々に弱まっていく。
再び振り返ると,テウルギアの様子が一変していた。
「そんな……! 旧人が,どうしてその力を……!?」
見覚えがあるとでも言いたげな言動で,四方を見渡している。
それだけでなく,視界が見えなくなったかのように両手を持ち上げ,掌を見つめ始める。
一体どうしたのか,と考えたイドリースは思い当たった。
未来視を行う魔法陣は,周囲を舞う星の動きから,先の事象を予知する。
だがアルカが生み出した狭間の群れによって,星達の輝きは遮られた。
テウルギアからすれば,今まで視えていた未来視が突然奪われたようなもの。
そしてそれはイドリースにとって,好機となる大きな隙でもあった。
「今なら……ッ!」
反転したイドリースは,静止した星を足場に力強く飛び出す。
全身に炎を宿し,一瞬の内にテウルギアの元まで迫る。
「テウルギアッ!」
「っ!? しまった,未来視が破られ……!」
ようやく敵の接近に気付いて流星を動かしたが,既に遅い。
防御する形で現れた眼前の流星を突き破ったイドリースは,手中にあった巨大な炎塊を解き放つ。
闇に紛れたテウルギアの姿が,煌々と照らされる。
「その呪縛を,罪を,燃やし尽くす!」
炸裂した塵灰の炎が,テウルギアを呑み込む。
彼は目を見開き,声にならない声を上げて落下していく。
直後,力が途切れたことで結界が崩壊の兆しを見せた。
宇宙を模した光景が剥がれ落ち,元の機動要塞内部の光景が所々に見え始める。
真空状態も解放され,徐々に空気が送り込まれていく。
「ギリギリ,だったか……!」
酸欠寸前だったイドリースは,痛む胸を押さえつつ後退する。
もう周囲を炎で覆う必要もない。
自分だけでなく,アルカ達にも新しい空気を流し込む。
二人の場所へと戻ると,アルカは両膝を屈して息を切らしていた。
「アルカ,助かったよ。けど無茶をし過ぎだ。あんな広範囲に力を使うなんて……」
「良いんです……。私にできるのは,この位しか……」
開かれた狭間を元に戻して,彼女は少しだけ笑う。
笑顔を見せる余裕などない筈なのに,あくまで気丈に振る舞う。
今の助けがなければ,この戦いがどうなっていたか分からない。
身を挺して自分を救ってくれたことに,彼は感謝した。
すると傍にいたエクトラが息を呑み,空を見上げて指を差す。
「二人共,アレを見て……!」
彼女が指し示した方向には,星の残骸を足場にして這い上がるテウルギアがいた。
全身から煙を上げ,ボロボロになった姿のまま二本の足で立ち上がる。
不死とはいえ,あれだけの一撃を受けて無事でいられる筈がない。
それでも彼は激情に囚われたまま,三人を睨みつける。
「まだだ……まだ私は……!」
「もう,止めて下さい。結界もじき消滅する。それ以上動けば,貴方の命が……」
「旧人に命を案じられるとはね。でも,そんなものは惜しくない。言った筈だよ。私にあるのは,ただ一つの願いだと……!」
既に力の大半は失われている。
新しく結界を張り直すことも,流星を生み出すことも出来ない。
だがテウルギアの目的は,イドリースを倒すことではなかった。
エクトラの周りだけが,硝子が崩れるように崩壊していく。
恐らく彼が意図的に助長させたのだろう。
声を出す間もない。
結界から自然と抜け出すように,彼女の身体が元の場所へと引き寄せられる。
「あっ……」
「エクトラさん……!」
それだけではなく,テウルギアも同じように,二人を取り残したまま結界を脱出する。
彼の表情は陰りながらも,微かに笑みを浮かべていた。
「この結界を維持する力はない……。だが,君達の足止めには十分……」
エクトラとテウルギアが結界外に出た瞬間,崩壊しかけた結界が収縮し,イドリースとアルカを取り囲む。
言わば小宇宙の牢獄。
星の輝きすら消えた暗黒空間に,二人は取り残される。
「私達だけを残した……? どうして……」
「そうか! テウルギアは最後の力で旧人を,エクトラを倒すつもりだ!」
「そ,そんな……!」
勝目はないと悟ったのかもしれない。
テウルギアは元の機動要塞で,エクトラに最期の戦いを挑もうとしている。
命尽きるまでに,一人でも多くの旧人を殺す。
彼の意志はそれ程までに強固だった。
「この空間を焼き切る! アルカ,傍を離れるなよ!」
「イドさん……!?」
「クソッ! 間に合ってくれ……!」
イドリースは荒い息を繰り返しながら,再び炎を生み出す。
機動要塞ゲインの戦いは,終わりを迎えようとしていた。




