第14話 ある男の顛末
下層の機動要塞。
辺り一帯を消し飛ばされた広間の真ん中で,チェインは大の字になって倒れていた。
能力を使う様子もなく,複雑な目で上層の要塞を見上げている。
するとそこへ,慌ただしくやって来る者がいた。
「先輩……ってうわぁ! 大丈夫っすか!? 生きてますよねぇ!?」
「生きてるっつーの。あんまり大声出すな」
神出鬼没のように現れたファントムが,その容体を見て狼狽える。
身体は割と焦げているが,致命傷を受けた訳ではない。
暫くすれば,その不死性から回復するだろう。
頼りなさそうな後輩を諫めつつ,彼は間を置いて話し出した。
「全部話したってのに,あの二人,止まらなかったぜ」
「そうっすか……」
「なぁ,一つ聞いても良いか?」
チェインは真上を見上げたまま,視線を外さない。
表情にいつもの粗暴さはなく,神妙で真剣な様子だった。
「俺達人間は,何のために戦ってるんだ?」
彼の問いは,静かに鳴る風の音と共に消えていった。
●
「イドリース……何故……!」
放たれた極小の流星が,塵灰の炎に阻まれ打ち消される。
それは紛れもなく旧人を守るための防壁であり,人間への反逆の証。
テウルギアは,旧人の側に立つイドリースに驚きを隠せない。
そこへ息を切らしたアルカが,白髪を揺らしながらエクトラの元まで辿り着く。
「エクトラさん! 良かった,無事で!」
「あ,アルカまで……。なんで……」
息を整えるアルカも,真実に打ちひしがれた様子はない。
あくまで仲間の無事に安堵している。
イドリースと同じく強い決意の色が,瞳から放たれている。
二人の様子を見て,テウルギアが我慢できずに問い掛けた。
「チェイン君の話を聞かずに来たのかい? 今,君が守っているものは,人ですらない化け物なんだ。聞き忘れているなら,三回だけ言って聞かせよう」
「いや,その必要はない。もう,全部知っていますよ」
イドリースが目を合わせ,静かに答える。
「肉体に感染して,凶暴化させる未知のウィルス。そのせいで900年前に人類が滅びかけたことは,俺でも理解できた。そして貴方が,その生き残りだということも」
「……」
「でも俺は,旧人を滅ぼそうなんて考えない。俺は今,ここに生きている彼女達を守る。まだ危害を加える気なら,この炎で戦うだけ」
微かに炎を舞い散らせる。
まだ余裕のあったテウルギアの表情が,冷酷なものへと変貌する。
同時に,アルカに支えられていたエクトラが肩を震わせた。
「もう,止めてよ」
「エクトラさん……」
「分かってるんでしょ? あたし達が,人間にどれだけ恨まれてるのか。この人達は,理由もなく皆を殺そうとしてたんじゃない。あたしと同じなんだ。あたしと……同じ……」
彼女は崩れ落ち,両手を地につけたままだった。
旧人は本来存在してはいけない種族。
人間にとって,900年前の記憶を呼び覚ます元凶に他ならない。
エクトラ達は意味もなく殺戮を行う人間達を許してこなかったが,今まで行ってきた恨みや嘆きが,全て自分に返ってきたのだ。
既に力を行使する理由すら失いかけていた。
「もう,分からないよ……どうすればいいの……」
エクトラは消え入りそうな声で呟く。
だが,傍にいたアルカがしっかりと彼女を支え直した。
「私にも,分かりません。でも,分からないまま立ち止まるのは,駄目なんです」
「何を,言って……?」
「この角が,この身体が呪われていても……私には,私達には生きている意味がある筈です。それが分かるまで,私は絶対に諦めません」
声は力強く,辺りに響いた。
何故そこまで,自分の考えを貫き通せるのだろう。
エクトラが彼女を見上げると同時に,テウルギアが吐き捨てるように告げる。
「馬鹿馬鹿しい。お前達旧人に生きている意味なんてない。存在そのものが害悪なんだ。価値を見出すことすら烏滸がましい……!」
怒りに任せて足を踏み出し,彼女達との距離を詰める。
だがそこで,イドリースが立ち塞がる。
あくまで人間の意志に与しない。
彼の意志を知ったテウルギアは,苛立たしく歯を剥いた。
「何故だ,イドリース! 君は分かっている筈だ! 1000年前,君が叶えた平和を踏み躙ったのが,そこにいる連中だということを!」
「違う。元凶は900年前のウィルスだ。彼女達じゃない」
「違わない! 同じ構造である以上,同罪だということが分からないのか!? 放っておけば,必ず奴らは反逆という名の暴走を迎える!」
尚も立ち塞がる英雄に向けて,指を差して叫ぶ。
「殺せ,イドリース! 今すぐその二人を! それが英雄としての役目だ!」
「……出来ない」
たった一言,否定の意志を告げる。
愕然としたテウルギアは数歩だけ後退し,片手で頭を押さえた。
「何かの間違いだと思っていた……。君がカーゴカルトを倒したのは,きっと何か理由があってのことだと……。人々の平和のために仕方なく行ったことだと,そう思っていた……。なのに……」
「アイツは,カーゴカルトはずっと苦しんでいた。自分を騙し続けることに。それを晴らすのが,今の俺に出来る,唯一の罪滅ぼしなんだ」
イドリースは旧人の真実を聞いても尚,ペンタゴンの一件を思い出していた。
友を封印し,それを守り続けていたキューレは,これまでの過去を悔いていた。
だがその思いすら踏みにじり,死に至らしめたのは,今の人間を統べるエリヤが原因。
彼を狂わせた者を野放しには出来ない。
すると背後でエクトラが,静かに顔を上げた。
「やっぱり,カーゴカルトのことを昔から知ってたんだ……」
「……」
「だったら,何で!? その人のために戦おうって思わないの!?」
「思っている……思ってるさ……」
「思ってるなら,どうして!? どうして,あたし達なんかのために……!」
彼女には,イドリースが旧人を守る理由が理解できないようだった。
同じ種の人間であるなら,彼らのために生きるのが道理だと告げる。
それでも,ペンタゴンを知るアルカだけは違った。
「エクトラさん,あの人は言ったんです。イドさんが戦ってくれるなら,閉ざされたこの世界が必ず切り開けるって」
「切り開くって……何を……」
「今の状況を,今の私達のことを言っているんだと,思うんです」
この世界に希望はない。
彼が言ったことは確かに真実だった。
不老不死である人間が旧人に対する恨みを拭わない限り,この争いは永遠に続く。
しかしその中でも,二人ならば全てを照らす光になれるかもしれない。
自身の製作者でありながら,呪われた1000年を生きてきた父の言葉だからこそ,アルカはイドリースと共に歩むことを決めていた。
「馬鹿な。彼が私達の意志に背いたと言いたいのかい……?」
「背いたんじゃない。気付いたんだ。自分の間違いに」
「間違い……? 間違い,だって……?」
ただ,テウルギアもカーゴカルトと共に歩んだ人間の一人だ。
黎明戦を戦い抜いた戦友が遺した言葉に,思わず声を震わせる。
「君は,そんな風に私達のことを切り捨てるのか……? 今までやって来たことが,間違いだったなんて……」
「全てを否定なんてしません。でも,考え直せる筈です。今やっていることは,明らかに度が過ぎている……」
旧人達が凶暴化した暴徒であるなら,彼らの言う事も認めざるを得なかった。
しかしイドリースは大樹の里で,人々に怯える皆の姿を見た。
900年前と今とでは状況が違う。
「過去の黎明戦の時点で,件のウィルスは浄化された。もう,貴方達が旧人を恨む理由なんてない筈だ」
「眠っているさ! 奴らの体内の中に,あのウィルスが! 何故分からないんだ! 全てを駆除しない限り,私達の戦いは終わらない!」
「なら,どうして,彼女達はここまで来たんだ?」
過去に囚われた男に,彼はアルカ達を指して続けた。
「ウィルスに侵されたものは正気を失う。でも,今のアルカ達は? ちゃんとした自我を持っている。それ所か,家族の仇を取ろうと此処まで来た。貴方が今抱いている思いと,何も変わらないじゃないか……!」
「そんなものは紛い物に過ぎない! 人の皮を被っているだけの,人の振りをしているだけの化け物でしかない! イドリース,死者を無駄にするな! 戦いの中で散っていった者達の,無念を晴らす! それが私達の,君の願いの筈だ!」
亡き者の思いを抱えるテウルギアは,力を込めて片手を天に掲げる。
夜更けの空から崩壊した広間の天井へ,幾つもの流星が光を放ちながら降り注ぐ。
降下する速度に,手抜きなどない。
見上げる余裕もなく,星達がアルカらに向けて四方八方へ飛び込んでいく。
受ければ体はおろか,今ある要塞上層部すら半壊させてしまう程の威力。
彼女達は思わず目を瞑るが,同時に起きたのは,光を遮る僅かな蛍火だった。
イドリースが生み出す炎が,大きく火花を散らしながら,それら全てを抑え込んでいた。
「昔,一人の男がいた」
ポツリとイドリースがそう言った。
拮抗していた星と炎が互いに相殺し,細かな光と灰を撒き散らす。
「ソイツは,自分でも制御できない強い力を持っていた。当然,周りの人間はソイツを恐れて蔑むようになった。近くにいるだけで,何をされるか分からなかったからだ」
「……」
「手を出せば返り討ちに遭う。だから皆,ソイツの親を差別するようになった。その重圧に耐え切れずに,次第に二人は心を病んだ。もう,自分達が救われるには,元凶を消すしかないと思ったのかもしれない」
唐突に語られた,一人の男の存在。
テウルギアだけでなく,他の二人も意図が掴めずに,その言葉を聞く以外にない。
「錯乱した二人は,ソイツに手を掛けた。お前なんて,生まれてこなければ良かった。そう言ったんだ。命からがら逃げだしたソイツに,生きる目的なんてなかった。貧民街に逃れた後も,結局何も見いだせずに,死に場所ばかり探していた。でも,そこにカーゴカルトが,キューレが現れた。アイツはその炎を見ても,恐れずに付いてきた。どれだけ自分の身体に傷を負っても。だから,男もアイツのために生きてみようと,思うようになった」
だが,そこでアルカだけは気付く。
語られたその男が,一体何者なのか。
今,自分達を守り続ける彼の背中を見上げる。
「イドさん……なんですね……?」
「え? い,今のが……?」
彼女の言葉に,エクトラが動揺する。
両親から殺されかけ,何度も死を考えたという男の経歴は,とても今のイドリースからは想像できない。
だが,彼は否定しないままに微かに笑った。
「自分の昔話なんて,面白くもないから話すつもりはなかったんだけどな」
自嘲気味な彼の瞳は,物寂しそうに揺れていた。
そして押し黙るテウルギアに言い放つ。
「俺も,いつか周りに危害を加える。大勢の人々を殺す害悪になる。そう言われて生きて来たんだ。それでも俺は,仲間を守るために英雄になった。だから,そっちの側にはいられない」
「馬鹿な……!」
かつて英雄と呼ばれた男は,振り返らないまま続ける。
「立つんだ,エクトラ。君の願いが間違っているとは思わない。でも,本当に見つけるべきなのは,その先にあるものなんだ」
「その先……?」
「恨みを晴らして,願いを叶えて,そこで終わりなんかじゃない。自分が生きる理由を,未来を見つけるんだ。誰を頼りにしても,縋っても構わない。それが生きるってことだ」
人は未来を望まなければ,立ち上がることは出来ない。
前を向き,先を見ることが出来ない者に,未来はない。
彼はそれを理解し,今の自分と重ね合せていた。
背後にいたアルカが,その消え入りそうな気配を感じ取り,手を伸ばそうとする。
「君はあくまで,人間の思いに反するというのか。君が唯一現存する,純正の人間だったとしても……?」
「……」
「だったら,私は……!」
次の瞬間,異様な力の流れが,テウルギアの全身を包み込む。
最早,交渉は決裂したと,倒すべき敵だと断じたのだろう。
次第にその流れは黒い影を帯び,周囲を暗黒に染め上げていく。
イドリースは対抗するように,アルカ達を含めた周辺を炎で囲い上げた。
「黎明戦以来だよ。この力を使うのは……!」
それは,今までの流星が本気ではなかったことを意味していた。
全ての光景が蜃気楼のように歪み,崩壊していく。
崩れ落ちた光景の先に,何処までも続く闇が見える。
続いて現れたのは,まばらに映るのは星の数々。
周囲全てを闇に変えながらも,光の粒があちらこちらに点在する。
まるで空の彼方にいるかのような光景。
アルカはその様に心当たりがあり,息を呑んだ。
「これって……まさか,宇宙を造って……!?」
「知ってるのか,アルカ!?」
「空の向こうにある,星が流れる一番広大な場所です! でも,こんなことが出来るなんて……!」
「そうか……。これは,彼が作りだした結界か……!」
彼女の知恵を借り,イドリースがその正体に気付く。
目の前に存在するこれらは,実際の宇宙ではない。
言い換えるならば,彼が生みだした広大な結界。
宇宙を疑似的に創造した,現実とは隔絶された異空間。
一般人でしかなかったテウルギアが,絶望の果てに生み出した最大の切り札だった。
「私達の過去のために! 未来のために! 君達全員を星の彼方に消し飛ばす……!」
流星を司る十傑の,決意に満ちた声が響く。




