第13話 呪われた種族
充満する霧と響き渡る銃声の中を,一つの雷撃が突き抜ける。
それはエクトラが全身に帯電させた突進だった。
視界を遮るそれらを弾き返し,幾つもの壁を突き破りながら立ち止まる。
辺りは警告音と金属片のぶつかり合う音が聞こえるだけ。
だが,追っていたトムの姿は何処にもなかった。
「逃げられた?」
放った攻撃が回避されたことを知り,エクトラは表情を歪める。
臆病そうなトムとの戦いは,一言で済ますと一方的だった。
彼に傷を負わされた場面はなく,攻撃にも転じらせなかった。
総じて形勢は動かず,傾いた天秤も戻らない。
それでも彼女には一切の手応えがなかった。
トムは回避することに徹していた。
硝煙のような目暗ましを手中から放ち続け,迫る電撃を寸前の所で躱し続ける。
反撃の機会を狙っているのかと思い,わざと隙を作るなどの真似をしたが,彼は一切懐に入らない。
一定の距離を保ち,付かず離れずのまま。
殺意はなく,彼女の戦いをただ観察しているだけのようにも思えた。
気味が悪くなったエクトラは,そのまま雷撃を用いて突進。
今度こそ捕らえたと思ったが,そこに彼の姿はなく,遂には完全に見失った。
「あの男,一体何だったの……?」
足止めが目的だったらしいが,その真意が分からず,エクトラは困惑する。
破損した備え付けの重火器が散乱するだけだ。
彼を追ってかなり奥まで進んでしまったが,今更戻る気にはなれない。
そもそも今いる上層部は空中へと上昇しているため,戻ることも出来ない。
下層に置いて行かれたイドリース達を待っていても,意味はなかった。
「分かってる。あたしが倒したいのは……」
意味があるとすれば,エクトラの望むものが,直ぐそこまで迫っているということ。
目的の場所,指令室は流れ込んできた情報である程度把握している。
雷鳴を響かせつつ,彼女は逸る鼓動を抱えて前進する。
抗戦する人間達も攻勢に激しさを増す。
ここまで攻めこまれたことで,強い焦燥に駆られているようだった。
「旧人を殺せッ! 何としてでも息の根を止めるんだ!」
「次から次へと……!」
銃撃だけではない,不老不死を生かした仕掛けが次々に発動する。
真正面から受けていては,疲弊すること必至だ。
だが今の彼女には新たな戦闘方法があった。
電撃を周囲の機器に浴びせ,その機能を狂わせる。
先程のサーチライト破壊で偶然編み出したやり方だ。
狂った兵器達は,あらぬ方向へ狙いを定めて沈黙する。
彼らが頼りにしていた旧人殺しの兵器は,それによって殆ど効力を失っていた。
「機械を狂わせたのか!? 制御が効かない!」
「クソッ! あの力にこんな使い方があるなんて,聞いたことがないぞ!」
人間達は常備しているスカラの腕輪を差し向けたが,それらはエクトラも把握済みだ。
電撃と相殺させながら,その武具ごと打ち倒していく。
強い覚悟を持ち,徐々に力を増していく彼女を,誰も止めることが出来なくなっていた。
数々の障害を経て辿り着いたのは,ガラス張りの巨大な空間。
無我夢中で進んだ結果,最上層まで上り詰めていたようだ。
天井は半円状のガラス張りとなっており,星々が僅かに見える夜空が広がっている。
兵器ばかりが押し寄せてきた場所とは雰囲気が違う。
正面には巨大な鋼鉄の扉があった。
固く閉ざされており,簡単に開閉できる仕組みではないことが伺える。
「あの扉は……」
「そこは私の個室だよ。許可のない者は,誰一人通したことがない。ましてや旧人などという種族が立ち入る場所でもない」
直後,冷酷な声が響き渡る。
エクトラは新たな人間が来たと構えるが,その姿を見た瞬間に息を呑む。
「イドリース,イドリース,イドリース。もしかしたら,と思って彼の名を覚えていたけれど,杞憂だったな」
「お前は……!」
喪服に全身を包んだ男が,奇怪な口癖と共に現れる。
何処にでもいそうな一般人の風貌をしているが,その異様な空気だけは誤魔化せない。
彼こそ十傑の一人,露払いのテウルギアだった。
「部下達からは前線に出るなと言われていたけれど,駄目だね。これ以上皆が傷ついていくのは我慢できない」
テウルギアは真っすぐにエクトラを見た。
瞳は敵ではなく,汚らわしいものを見るような侮蔑に満ちていた。
その視線を受け,エクトラは怒りのあまり口元を歪ませる。
仲間を思いやる言葉を放っているが,この男こそ旧人殲滅の指揮を執っている人物だ。
今まで多くの旧人を葬ってきた張本人。
全てを奪った仇が目の前にいる。
「やっと,やっとここまで来たんだ……」
声を震わせながら,新たな電撃を全身から発生させる。
その力を見たテウルギアは,目尻を僅かに吊り上げた。
「あたしは,お前をこの手で倒しに来た! 皆の恨み,絶対に晴らす!」
「それは,不可能な話だよ」
冷徹な声で彼女の非力さを述べるが,それだけで止まる筈もない。
エクトラが手を翳し,周囲の電影を集約させる。
生み出したのは,今までにない程の巨大な雷球だった。
感情の赴くままに吐き出したのだろう。
怒りの具現化とも言えるそれらを,彼女は目の前の仇へと射出した。
速度は一瞬。
瞬く間にテウルギアを呑み込み,背後にあった鋼鉄の扉ごと消滅させたかに見えた。
しかしその直後,それらは呆気なく弾き飛ばされた。
発生した風圧が彼女の元まで届き,思わず目を瞑りかける。
視線の先には右腕を振るったテウルギアがいた。
あれ程の電流を受けても尚,たった一動作だけで,彼は不死殺しの電流を打ち消したのだ。
「効いてない!?」
「やっぱりその力か。同じ轍を踏まないよう,機械を乱す力を身に付けたんだな。忌々しい」
「……!」
「その雷光,何度目の当たりにしたと思っている。どれだけ力を増そうと,性質が変わらない限り意味はないんだ。だがまぁ,お前のような力の所有者をどれだけ駆除しようと,やはり足りないな。全旧人を根絶やしにしない限り,その力は種と共に継承される」
呆れた様子のテウルギアは,微動だにしない。
戦う価値もない,脆弱な存在だと言わんばかりの態度だった。
エクトラは冷や汗を流すだけだった。
今の一撃だけで,彼女はかつて星落としで家族を失った時の,圧倒的な力を思い出した。
恐らく,勝てない。
そうと分かっていながらも,彼女は退かなかった。
両足に力を込めて声を振り絞る。
「ずっと,聞きたいことがあった。どうして,私達を殺そうとするの?」
「?」
「どうして,皆を殺したの……!?」
今まで理不尽の如く行われた,人間による殺戮。
その是非を彼女は問い質したが,テウルギアは不思議そうに腰に手を当てる。
「随分と奇妙なことを聞くな。私達が旧人は殺すのは当然の権利だ。旧人は自然淘汰されなければならない種なのだから」
「なに,それ」
「……覚えていない,か。200年前,奴がお前達を解放しなければ,こんなことにはならなかった」
死んで当然の種族。
そこに道理も何もないと,慈悲のない答えが示される。
漂っていた電流が,一斉に音を立てて弾けた。
「ふざけないで! お前達があんなことをしなければ,あたしはここまで来なかった! 自分が何をやっているのかも分からないの!?」
「あんなこと? まるで旧人を駆除することが悪いことのように聞こえるな」
どれだけ言おうが,彼の態度は一切変わらない。
「言った筈だ。お前達を殺すのは当然の権利。お前が今,どんな思いで来ようが興味なんてない。所詮それは,偽りの感情だ」
「偽り……? あたしが……ここにいるのも偽物だって言うの……?」
我慢の限界だった。
今まで命を奪われてきた者を踏み躙られて,彼女の瞳は更に鋭さを増した。
音を鳴らしていた光が,大きく動き出す。
「皆を奪っておいて! そんな言葉で済ませるなッ!」
エクトラの怒号が辺りを震撼させる。
しかしその響きは,声だけのものではなかった。
彼女が操る力が周囲一帯の機器を共鳴させていたのだ。
今度のそれは収縮ではない,全体を感電させる広範囲の磁場。
周囲の機械や天井の硝子を呑み込み,折り重なるように束ね圧壊させる。
鋼鉄の塊を核とした光の渦。
怒りに身を任せたエクトラに器用な操作は出来ない。
ただテウルギアを押し潰すことだけを考えて,あらん限りの力を尽くす。
大きさは直径数十ⅿ。
これだけの力,流石の十傑でも手傷は負わせることが出来る筈だと,そう思っていた。
一瞬の風。
風切り音が彼女の耳元を通り過ぎる。
それだけで今まで巻き起こっていた渦は,磁場ごと消失する。
テウルギアの弾いた指から射出された数㎝にも満たない星屑が,それら全ての力を引き裂いた。
残ったのは,彼の力によって生まれた弾痕と虚しい崩壊の音だけ。
「何が,起きて……」
エクトラは呆然としたまま全身を硬直させる。
言葉も交わせない中,更なる追い打ちが下される。
「イドリースが加勢に来ると思っているかもしれないが,それは無駄だよ。彼は来ない。いや,来る筈がない」
「……!」
「今頃,チェイン君から全ての真相を聞いているだろう。そして彼は理解する。自分が今まで,どれ程危険なモノを守ってきたのか,ということをね」
人間への反逆を企てたイドリースが,此処まで来て掌を返すと何故言い切れるのか。
既に戦いの終わりを予期するテウルギアは,星屑を放った右腕を降ろす。
「ここまで乗り込んできた旧人は始めてだ。だから,殺す前に昔話をしよう」
単なる気紛れなのか,何か思う所があったのか。
取るに足らない旧人相手に独り言のように話し始める。
「900年以上前,私達人間は平穏に暮らしていた。戦争もなくなり,人々がその繁栄を享受していたんだ。だがそこへ,ある異変が舞い降りた」
「……?」
「人々に侵食し,精神を狂わせる病。一体何処から生まれ,何処から繁殖したのかも分からない未知のウィルスが,私達を窮地に追い込んだ。ウィルスに感染した者は例外なく狂気に陥り,全身を獣のように姿を変えたんだ」
そのような話を聞いてもエクトラに心当たりはない。
目の前の人間が何を言っているのか分からず,聞き返すことも出来ない。
「感染した彼らは,人間を滅ぼそうという共通思念があった。そして,狂気に満ちた彼らの手によって,一つ一つ国が滅ぼされていったよ。私達も必死に応戦したが無駄だった。肉体を持つ以上,感染を克服することが出来なかったからだ。でもそんな時,ある代替案が立ち上がった。それは滅びかけた人間に与えられた唯一の突破口。それが……」
「不老……不死……」
「肉体を捨て,魂を物質化させる禁忌の術式。私達はただ,窮地を脱するために足掻き続けた。不老不死は,そこで生まれた過程の一つでしかないんだよ」
だが次第に全貌が明らかになる。
これは人間が不老不死として生まれ変わった経緯。
人でありながら人としての枠を外れた元凶の成り立ちだった。
「そうして肉体の枠を捨てた私達は,病に侵された者共を駆除していった。最早アレは人ではない化け物,打ち倒すべき怨敵,そう断じてね。あぁ,言い忘れていたけれど,アレらの形状は様々だったが,一つだけ共通するものがあったんだ。それが,頭部に生えた角だよ。アレにとって,その部分は重要な器官だったらしい」
「待って……それって……」
「ようやく,理解したようだね」
エクトラも何を言わんとしているのか,気付いてしまった。
足元からせり上がってくる恐怖心に近い感情を受け,一歩後ろへと下がる。
逃げる隙を与えないように,彼の口から答えが告げられる。
「お前達が,その末裔。私達人類を攻め滅ぼそうとした元凶なんだ」
「……!」
「人類の存亡を賭けた黎明戦で,一度は滅ぼされた筈だった。でも今から300年前に,再びこの地上に姿を現した。それらを捕えて実験を重ねた結果,その種は900年前に現れたウィルスと同様の構造を有していた。つまりあの時と同一の個体なんだ」
「そ,そんな……」
「お前はさっき,何故私達を殺そうとするのか,そう聞いたな。今なら,その答えも分かる筈だ」
絶句するエクトラに対して,テウルギアは不動のままだった。
破壊された天井から流れ込んだ風が,二人の間を吹き込む。
「かつての人の身体を奪い,人類の99%を死滅させた呪われた種族。それがお前達であって,お前達が死ぬべき理由なんだ」
「そんなの……そんなのあたしは,知らない……」
「私はお前達旧人に家族を,大切にしていた者全てを奪われた。どれだけ懇願しても,慈悲の一切なく,目の前で無残に殺された」
「……!?」
「あの時の無力,絶望,怒り。今でもハッキリと覚えている。私がこの機関に属しているのはね。お前達を許す訳にはいかないからだ。この手で皆の恨みを晴らし,平穏を取り戻す。それが叶うなら,どれだけ手を汚しても構わない」
彼は確固とした意志を以て言う。
人間が殺戮を止めないのは,旧人が大罪を犯したため。
滅ぼされるのは道理であると主張する。
それは人類繁栄のためだけでなく,過去に命を奪われた者達の恨みを晴らすことにも繋がる。
奇しくも,それはエクトラが抱く思いと同じだった。
エクトラは膝から崩れ落ちた。
体力が尽きたのではない。
目の前に突き付けられた旧人の正体を聞き,テウルギアの姿が鏡の自分を見ているように錯覚し,戦意を喪失したのだ。
自分はここまで死んだ瞳をしていたのだろうか。
彼女はそう思い,両手を地に突いて視線を下げる。
「酷い……そんなの……」
「?」
「だから殺しても良いの……? あたし達は,何も,何もしていないのに……?」
「お前の言葉に意味なんてない。900年前と同じように我を忘れ,再び人類を滅ぼそうとする可能性が少しでもあるのなら,私がすることは一つだけ。それが,生き残ってしまった私達に出来る罪滅ぼしなんだ」
自分に問うような言葉に,テウルギアは再び手を挙げる。
手中に直径数十cmはある星屑が形成される。
もうこれ以上言うことはないようだ。
空気を震わせる彼の力が,彼女を見下ろす。
「死んでくれ。お前達は人であって人ではない紛い物。イドリースも,ようやく理解したことだろう。そして必ず,私達と共に旧人を殲滅する筈だ。彼は1000年前に,人々の平和のために戦った英雄なのだから」
直後,怨敵を押し潰さんとテウルギアの腕が振り下ろされる。
しかし次の瞬間,エクトラの周囲に灰の塊が発生し,叩き付けられた流星を防御する。
それは僅かな光を灯した塵灰の炎。
エクトラはその炎を見上げ,目を見開く。
この力を操る者は,彼女が知っている中では一人しかいない。
「そんな,馬鹿な……」
二人の元に,新たに足を踏み入れる人物がいた。
その姿を見て,テウルギアが信じられないといった声を出す。
振り返ったエクトラも,彼の姿を見て息を呑む。
炎を纏いながら姿を現したのは,他の誰でもない古き英雄,イドリースだった。
「どう……して……」
「そんなの決まってる。助けに来たんだ」
迷いのない瞳で,彼はテウルギアの前に立ちはだかった。




